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苦手な方はご注意ください。

婚前調査狂騒曲

私、婚約者を洗うつもりが狙われてた!?婚前調査狂騒曲【case C 子爵家から婿を迎える伯爵家の長女の場合】

 爵位を継がない貴族の子息などを対象に、婿として適格か秘密裏に調査をしているらしい。

 噂の出所は定かではないが、貴族や商家が調査を行っており、なんとすでに婿が決まっている家も調査をしているらしい。


 果たして調査員は実在するのか。

 調査員を見つけようとするもの、疑心暗鬼になる者、依頼をしたい者などの思惑が絡み合う。


 今日は、ある一人の貴族の令嬢が、身辺調査の打ち合わせをすべく怪しげな喫茶店で待っていた。


 【注意】

 今回はビターエンド系でスッキリしませんのでご注意ください。精神干渉や軽度の洗脳といった要素が出てきます。

「ひひひ、お待たせしました」

 路地裏の雑貨屋に併設された喫茶スペース。約束の時間に遅れてやって来たのは、男なのか女なのかよくわからない黒服を着た長身の人物だった。山高帽を目深にかぶり、目と耳に髪がかかっている。薄い唇がうっすらと弧を描いた。



「遅いじゃないの」

 半刻は待たされている。門限もあるからあまり遅くなると困るのに。


「ひひひ、申し訳ない、別件の調査が押してしまいまして。というか事前に遅れる可能性はお伝えしましたよね?了承いただいていないとお約束はしないはずなのですが」

「……ええ、了承したわ。了承したけど建前だと思っていたのよ」


 山高帽は向かいの席にわざとらしくゆっくりと腰掛けた。

「ほほう、なるほど。それで、調査の依頼をしたいというお話と伺っていますが」

「ええ、そうよ。縁談の相手の調査をお願いしたいの」

「失礼ですが、この件について、ご当主などご家族様はご存知なのでしょうか?」

「知らないからこうして隠れて会ってるんじゃないの!!」


 思わず声を張り上げると、目の前の人物は「ひひひ、怖い怖い」と笑った。

「それならばなぜ調査を?ご家族に相談すればあなたがこうしてこそこそと私達に依頼しなくても良いのでは?」

「あの男、外面が良くてしっぽを出さないのよ!誰に言っても信じてくれないし、あいつが帰った後はみんなぼうっとして私の話なんてろくに聞いちゃいないんだもの!」



「その話、もう少し詳しく聞かせちゃもらえませんかね」



 顔にかかった髪の間から、金色の瞳がギラリとこちらをのぞいた。

「ひっ!?」

「我々、とある機関とも協力しておりまして、ご依頼内容が当該事案の場合、料金はその関係機関が負担、お客様は無料とさせていただいております」

「え!?」

「機密事項が多いんで詳細はお伝えできないんですけどね?このお話をさせていただいている時点で、料金は二割、引かせていただきましょう」


 二割も!

「本当に!?」

「ええ、お約束しましょう」

「割引してもらえるのは助かるわ。それで、私は何を伝えれば良いのかしら」

「まずは、調査対象のことを」




「なるほど、ご婚約者候補はお父様のお知り合い」

「ええそうなの。父は交友関係が広くて色んな人を家に招くからだいたい顔と名前は覚えているのだけれど、その知人は今回の件で初めて会ったの。どこかのサロンかなにかで意気投合したと父は言っていたけれど、どうも嘘くさくて」

「嘘くさい、とは」


「色々ぼやけてるのよね。子爵家の次男らしいんだけど、家の名前も聞いたことない家なの。最近隣国からこちらに移ってきたとか言ってるけど、そういう話って、噂として入ってくるじゃない?それもなくて」

「ふむふむ」


「何より、その次男しか出てこないのよ。こちらから訪問しようにもタウンハウスの場所を濁される。そもそも子爵家なら子爵がいるし、次男なら当然長男がいるじゃない?どっちの影も形も見えないのよ」

「……なるほど。それで、あなたはそのご縁談相手どんなところが怪しいとお思いなんでしょうか」

「匂い……じゃないんだけど、あいつが来た時は部屋の空気が変わるの。淀むっていうか変にまとわりつく感じがするというか」


「まとわりつく」

 山高帽の声のトーンが低くなった。

「そう。なんか声とか目線とか匂いとか、そういう感じの。隣に来る前から隣にいるみたいな、変に甘ったるい感じになるのよ。

 そうすると家族はみんなご機嫌で、お酒を出したり話し込んだり。私は気分が悪くなって部屋から出てしまうの」



 本当に不思議なのだ。あいつが来ると急に父も母も饒舌になる。

『素敵な人とご縁ができて良かったわねぇ』と言うその目の、焦点がまるで合わない。


「ふむ……」

 山高帽は、顎に手を当て考え込む素振りを見せた。

「お嬢さんは、何の可能性を疑っていらっしゃるのか」

「薬物じゃないかと思ったんだけど、もしそうだとしたら私も同じようになっているはずよね?だから違うんじゃないかと思ってる。

 あとは催眠術とか暗示とかそういうの」

「もし催眠術や暗示だとしたら、どうしてあなたはまともなんでしょう」

「それがわかれば、苦労はしてないのよ」


「ふぅむ……直接確認する必要がありそうだ。お嬢さん、直近でその相手が来るのは」

「……明日」

「なるほど……わかりました、明日伺います」

「えっ!?」

「話を聞く限り確認は早い方が良い。ふふ、お嬢さん、あなたは運が良い」

 ニヤリと笑ったその口元が妙に艶やかで、思わず息を呑む。



「当たりならラッキー、はずれでもまぁ良し。潜り込むのは私の得意技ですからね」



 ***



 山高帽は小さなブローチ型の魔道具を私に預けて帰って行った。

『証拠集めとあなたの安全確保のために必要です。肌身離さず持っていて。かなりお高いヤツです』

『ええっ!?」

『先ほど少しお話しした機関のものなので、終了後には回収します』


 渡してから言うなんて!!秘密機関の魔道具なんて一体どれだけお高いの?

「絶対無くさないわ」


 乗合馬車に乗って邸に戻る。すっかりあたりは暗くなっていた。

「お帰りなさいませお嬢様。ご夕食の準備が整っております」

「わかったわ、ありがとう」



 制服のままダイニングに向かう。

 両親は既に食事を始め、上機嫌にワインを開けていた。

 確かそのワインは、あの男が持ってきた物。

「明日はとっておきのプレゼントを持ってきてくださるそうだ」

「そうなの!?楽しみね!」


「お父様、お母様」

「おかえり。どうしたの?」

「私、あの人はどうしても」

「またその話か!親である私たちの見る目が信じられないのか!?」

「……いいえ」


 そのまま黙って席に着き、両親の楽しげな会話を聞き流しながら食事を終え、そのまま食後のお茶をパスして部屋に戻る。

やっぱり、おかしい。



 そう思いながらドアを開けた瞬間に、一瞬頭がくらっとして反射的に額を抑える。預かったばかりのブローチが、わずかに光っているように見えた。


「大丈夫ですか、お嬢様」

 メイドが心配そうに声をかけてくる。

「え、ええ。大丈夫。もう引いたわ」

「ご無理はなさらないでくださいね」

「ありがとう」


 一気に動きがあって疲れが出たんだろうか。明日、なにか証拠を掴んでくれれば良いのだけれど。

「無事に解決しますように……」

 何をする気も起きず、早々にベッドに入ったものの、心のざわつきが収まらなくてほとんど眠れなかった。



 ***



 翌日。下手に休んで怪しまれてもいけないと思っていつも通り登校したけれど、授業中も上の空で二回も注意を受けてしまった。

 いつも来るのは私が家に帰ってから。でも、それは別に私の帰宅を待っているわけじゃない。



 誰かとランチを食べる気にもなれなくて、食堂でランチボックスを受け取り中庭でひとり食べていると、上から足元に何かが落ちてきた。


「!?」

 小鳥?怪我をしたの?

 野生の鳥を素手で触っても平気かしら?

 ハンカチでくるむように両手ですくいあげると、その小さな生き物が翼を広げて淡く光った。


『こんにちはお嬢さん』

「きゃっ」

 昨日の山高帽の声が聞こえてきて、思わず手を離しそうになる。


『ひひひ。これは『声を届ける手紙』だよ、一方的でごめんね。お邸への潜入は完了した。今のところ何もない。もしも何かあっても対処するから心配しないで。安全が確認できたら連絡するから、それまで帰宅はしないでもらいたいな。よろしくね』


 それだけ再生されると、生き物のようなものは跡形もなく消えた。

「……潜入完了って……」

 とりあえず無事を報告してくれたのはありがたいけど、余計心配になるじゃない。本当に大丈夫なのかしら。


「放課になってから考えましょう」

 今戻ったら、逆にみんなに怪しまれてしまうだろう。今のところは何もないとわかったのだ。午後の授業は少し落ち着いて受けられそうだと自分に言い聞かせて、校舎に戻った。




 そして放課後。早く帰りたい気持ちをぐっとこらえ、図書室で本を読んで時間をつぶしてから馬車止まりへ向かった。

 家に帰ってもまともな会話ができる人間が少なくて、最近はすぐには帰らず閉門ギリギリまで校内にいるようにしていたのだ。


「……あれ、馬車がない」

 何かあったのだろうか。

 まあ、潜入調査が入っている時点で何かはあるのだ。でも迎えがないのはさすがにおかしい。昨日は調査の打ち合わせがあるから乗合馬車で帰ると伝えてあったけれど、今日はそういった話は一切していない。


「どうしようかしら」

 悩みに悩んで、学校近くの自習室に入ることにした。ただし、それでも家の門限があるから、稼げて一刻。



 窓際の席に座り、自分で淹れた紅茶を飲みながら頭の中を整理する。


 ――お父様が最初にあの男を連れてきたのが二ヶ月ほど前。

 それまで私に縁談はなかった。両親が学園で出会い、恋愛結婚していたこともあって、無理に縁付かせなくても良いという考えだったからだ。


 あの男は、本当になんの前触れもなく現れた。

 初めて見る顔なのに、まるで私を子どもの頃から見てきたかのような馴れ馴れしさ。


 まず最初に感じたのが気持ち悪さだった。

 人として、女性として見定められるような気持ち悪さではない。

 存在自体がまるでナメクジのようにじっとりと湿っていて、こちらが生理的に受け付けない。



 家が何かに侵食されていくような不気味さ。

 訴えても理解してもらえない気持ち悪さ。


 何かあると本能が叫ぶ。

 あれをうちにのさばらせてはいけないと。

 官兵は取り合ってくれない。

 探偵も未成年では頼めない。



 そんな中で耳にしたのが、婚前調査の噂だったのだ。

 なぜ依頼したいかを紙に書き、満月の夜に窓際で乾燥させたハーブとともに焚く。願い事を紙に書いてハーブと一緒に焚くおまじないはみんな知っているけど、それが依頼方法だと知った時は、あの男以上に怪しいと思ったのが正直なところだった。


 それでも、私は必死だった。

 家族がおかしくなってしまう。家がおかしなやつらに奪われてしまう。そんな恐怖があったから。実行したのだ。



 その翌々日に学校から帰ると、黒い封筒が窓際に置いてあった。

 便箋に書いてあったのは、日時と場所、そして。


 ――あなたの切実な思い、確かに受け取りました


 という言葉。

 そして指定された日に指定された場所へ向かったら、半刻後にあの山高帽がぬぅと現れたのである。



「おまじないなんて眉唾物だと思っていたけど、届いたのよね」

 藁にもすがる思い、というのはこういうのを言うんだろう。本当に必死だったから。まだ解決していないけど、きっかけは掴んだ。あとは調査して解決してくれるのを待つだけ、なんだけど。門限は待ってくれない。


 さすがに乗合馬車もなくなるし帰らなくては。

 利用料を払って自習室を出ると、既に空は濃い紫色に染まっていた。



 ***



「ただいま」

「おかえりなさいま……え?」

 門番が私の顔を見て驚いた表情を見せた。二日連続で乗合馬車を使うなんて滅多にないからだろうか。通用門をくぐり敷地内へ入る。


 玄関を開け中に入ると、使用人たちの動きが慌ただしかった。おそらく、来ているのだろう。そして、あの山高帽も潜入してくれている。


 ……大人たちがいる部屋には行かないほうが良い、行きたくない。とりあえず自分の部屋に向かい、ドアを開ける、と。


 キイイン……と頭痛がした。

「痛っっ!!」

 そういえば、昨日も部屋に入ろうとした時にふらっとした。

 昨日預かっていたブローチの石が、強く光っている。

「……」

 部屋の中に何かあるんだ。入るのは良くない。となると、やはり応接室へ行くしかない。


「あとで部屋もしっかり確認しなくちゃ……でも、あの山高帽がどんな形で潜り込んでるかわからないと、頼みようがないわ」


 歩いて来た廊下を走って引き返す。

 みんながいるであろう応接室の扉を開け、中に入ったその時、思わぬ人物が座っていた。


 そこにいたのは、『私』だった。



***



「あれ、戻って来ちゃったか。外が暗いもんね、遊びすぎたな」

 応接室の中にいた『私』は、なんでもないような顔をして微笑んでくる。

「もう安全だから。入って。調査は完了。この場はボクの支配下だ」


 調査は完了、ということは。

「あなた、山高帽の……?」

 私の言葉に『私』はうなずく。


「種明かしをしよう。まずはこの男の正体から」

 あごをしゃくったその先に、縄でぐるぐる巻きになった男が転がっていた。意識はないようだ。

『私』の両脇には、床にへたり込んだ母が座面に腕を枕にして、父は背もたれに身を預け天井を完全に見上げ、口を開けて、それぞれ眠っている。


「座ったら?」

「……ええ。それで、その」

「ん?なぁに」

「変装なの?私の向かいに座るのは、さすがに気持ち悪くて」

『私』は私の言葉にきょとんと目を丸くすると、数秒してから「ああ!!」と理解した。


「ごめんごめん、本人に貌を変えたのは久しぶりだったからすっかり忘れていたよ」

 パチンと指を鳴らすと、そこに現れたのは先が尖った耳と、銀糸のような長髪を垂らした、紫眼の美人だった。女性?男性?どっちにも見える。



「ボクは幻貌(げんぼう)の魔女ツェレリア。世間で噂の婚前調査員とはボクのことだ」


 幻貌の、魔女。……魔女!?


「あ!ええと、解決?したんですよね?ありがとうございました」

 急にかしこまった私が面白かったのか、ツェレリア様……が、笑った。

「ふふ、さっきまでの口調はどうしたの?この見た目でびっくりした?」

「はい。あ、あと、魔女、って」


「そう、魔女。あまり見る機会はないよね?ボクもこの国に棲んでいるわけではないから、なおさら珍しいかな。礼儀にうるさい仲間もいるけど、ボクは気にしないから。まあ座って、話が進まない」

「は、はいすみません」


 急いでツェレリア様の向かいに座る。

「そ、それで、この男の正体は」

「隣国のスパイだ」

「スパイ!?」

「そう。この家を足がかりにしようとしていた」



 スパイ。その可能性はまるで考えていなかった。

「……なぜうちが」

「君ならなんとなくわかるんじゃない?」

「父ですね」


 本当に父は人が良い、お人好しすぎる。

 代々人が良いのだ、人の良さで爵位を得て、人の良さで伯爵にまでなった。それは父も自覚している。爵位もあったほうが人助けしやすいという理由で持っているのであって、全くと言って良いほど執着していない。


「今までも痛い目に遭ってきたことはありました。けど……」

 騙されたことも一度や二度ではないし、困った人にお金を貸して私達が困窮して祖父母を頼ったこともある。しかし、さすがにスパイに付け込まれる隙になったとなると話は別だ。



「ボクたち称号持ち……ああ、魔女とか魔法使いを称号持ちっていうんだけど、ボクたちは国の争いには関わらない。戦争や政争、侵略、そういうやつね。だからその辺は官兵に引き渡してそっちでやって欲しい。君の家が今後どうするかも、ボクは知ったこっちゃない」

「はい」


 あわや国家転覆罪の片棒を担ぐことになるところだったのだ。……いくら爵位や身分に執着がないとはいえ、我が家はどうなってしまうんだろうか。

「不安そうだね。君の将来に不都合がないように、上に口添えはしておくよ」

「……ありがとうございます」



 私が小さく息を吐くのを見て、ツェレリア様が声のトーンを少し落とした。

「こいつは家族をこの国で亡くしていたんだ」

「……え?」

「その恨みを晴らすために、隣国でスパイになった。亡くすきっかけになったのが、君のお父上が助けた人物だった。……強盗傷害を犯して返り討ちに遭い瀕死だったそいつを、助けたそうだ。助けられたその男は回復した後に再犯。その被害に遭ったのが、これの家族。子爵家の次男というのは、事実だった」



「なんてこと……」

 それは、恨まれても仕方ないじゃないか。

「その辺はボクは関係ない話だからそっちでやってね。今は経緯の説明が必要だから、してるだけ」

 黙ってうなずく。うなずくしかない。


「それで、隣国に持たされたのが精神に干渉する魔道具だった。それとあわせて、まともな思考を奪うクスリだ。嗅がせるタイプと、飲ませるタイプの両方を持ってた」

「魔道具!?クスリ!?」


 やはり薬も使われていたのか。しかし魔道具まで!?魔道具といえば……

「さっき、部屋に入った瞬間、ひどく頭痛がして。あとお借りしていたブローチが光ったんです」

「あー、それは何か仕掛けられていた可能性が高いね。君は影響を受けてなかったんだよね?年齢も体質もあると思う。だから意識を奪うような何かを仕込もうとした可能性はあるかな。ボクの予想だと、ご両親を無力化した後、部屋に戻った君に乱暴を働いて既成事実を作ろうとしたのかも」

「……そんな……」


 でも、あの薄気味悪さとあわせて、さっきの話を聞いてしまうと、やりかねないなと思ってしまう。実際、うまくいけばそうなるはずだったんだろう。



「まあ結果として渡したブローチが君を守ってくれたみたいだから良かったよ。これは最新鋭の護身魔道具。護身対象に危害を加える魔法を察知して、身体に反応を起こさせたり魔石が光って反応したりする」

「そうだったんですか。ああ、これ返さないといけないですよね」

「そうだね。これは証拠品でもあるから預かるよ」

 ツェレリア様にブローチを手渡す。

「ありがとうございました。そういえば私のは該当案件?だったんですか?」


「ううん、違った」

「あ、違ったんですか……」

 少し残念そうな顔をしてしまったのか、私を見てツェレリア様が笑っている。

「違ったんだけど、違う意味で報告が必要な案件だったから、金額は交渉しといてあげる。それに、ボクが欲しいものも手に入ったしね」

「欲しい、もの?」


「ボクは人間の感情を集めてるんだ。こいつの憎悪、すごく純度が高くて質も良かったから、これをいただくことでイレギュラー対応分はチャラかな」



 憎悪の、純度。

 つまりそれだけ、父は、私達は、憎まれていたということ。


「ツェレリア様」

「ん?なんだい?」


「父の善良さは、集めるに値しますか?」

 私の質問を、ツェレリア様はそよかぜのような微笑みで受け止めた。

「良いね。親を売るかい?」

「……売るわけではないです。この男への弁済にあてます」



 この後こいつがどうなるかはわからない。死刑かもしれない。それでも、父がこの男を不幸にしてしまったことに対しての誠意は示したい。

「なるほど……そうだねぇ、人はいいかもしれないけど、結構打算は働いてるから純度はそこら辺の良い人と同じくらい。あんまり価値はない。バザーでの刺繍ハンカチ一回分の売上の方がまだマシ。ちなみに全部奪っちゃうと極悪人が完成しちゃうから、取るにしても少しだね」


「そう、ですか」

「がっかりした?親のことってついつい特別視しちゃうみたいだものね」

「……はい」



 ツェレリア様が、足を組み替える。裾の長いパンツで脚は見えないが、とても品があって、男性か女性かわからないのにどきりとした。


「それで、どうする?」

「どうする、とは」

「君だけ逃げる手もある。この男に復讐をさせてやるってことも、できなくはない」

「……」

「自分の話をまともに聞いてくれないご両親に、失望したんだろ?逃げてもいいじゃん」


 失望、か。確かに私は失望した。

 両親だけでなく、世の中の大半に、失望してしまったかもしれない。


「……それでも、こいつが来るまでは、大好きだったんです」

「うん。でも、一瞬でダメになることだってあるよね」

「はい」


「君のお父さんより、君自身の感情の方がよほど綺麗だ。

 手紙にも書いただろう?君の切実な気持ちを受け取ったよ、って。あれは本当。

 ……うーん、ちょっと今回フタを開けたらだいぶ気の毒な案件になっちゃったから、安くしとくよ?」

「それは、助かります、けど」

「気が乗らない?」

「少し」



 そう、気が乗らない。

 自分の家族が不幸にしてしまった人たちの報復を受けずに済んで、ハイ良かった、だなんて、話を聞いていたら到底思えない。



「……お任せ、します」

「ボクら、国同士の争いには関わらないけど、ちょっとした相談には乗るんだ。情状酌量の余地を与えてもらえないか、口添えはしておくよ。

 それに、逃げても良いってさっき言ったけど、逃げではないよ、自分の心を、護るんだからね」




 ***



 その後、官兵たちが来て男は連行されて行った。

 両親や使用人は精神干渉魔法により精神が汚染されている可能性があると、病院で検査されることになった。


 ツェレリア様は、官兵の前では使用人に化け、使用人の前では女性の官兵に化け、そばにいてくれた。

「本当なら私も入院だったんじゃないですか?」

 門を閉めて邸に向かって二人で歩きながら話をする。

「君が汚染されてないことは明白だから不要だよ。官兵が検知器を持って来てたろう?」

「はい」

「形だけでも検査入院ってこともできなくはなかったけど、今はそういう気分でもないだろうと思ったからね」



 一緒に部屋を見てもらうと、壁側の花瓶のそばにある見覚えのないウサギの置物が頭痛の元凶だった。

「……君が入らなくて良かったよ」

 ツェレリア様が低く呟く。

「ホント、舐めた真似をしてくれるじゃん」

「あの、それは……」

「聞かない方が良いと思うけど……知りたいの?」

「はい」


「簡単に言えば奴隷製造機」

「!!?」

「称号持ちしか使用を許可されない魔法が使われてるやつ。僕が口利きをしたとしてもあの男はたぶん極刑だ。これは持っているだけで重罪。……隣国はシラを切るだろうなあ。可哀想に」


 ツェレリア様がパチンと指を鳴らすと、ウサギの周りに箱のように結界が張られた。

「近くに寄っても平気だから、見てごらん」


 恐る恐る近づいて眺めてみると、目が黒く濁った白磁のウサギは、歯を見せて私を嘲笑っているかのように見えた。


「これは扱いが難しいからボクが持って行くね」

 ツェレリア様がウサギを入れた魔道具を手に取る。

 そして手品のようにそれを手元から消した後、私をじっと見つめた。

 今までの軽い感じではない、まるで慈愛に満ちた母のような目で。



「……なんでしょうか」

「本当に、ひとりでよく頑張ったね」

「!!」

「怖かったでしょう。よく戦ったね」



 ぽろり。

 涙がこぼれた。


 怖かった。本当に怖かったのだ。

 誰も話を聞いてくれない。私を守ってくれない。

 家族も、私も、どうなってしまうのかと、この一週間はほとんど眠れていなかった。


「……ありがとう、ございます……」

「抱きついても良いよ?ボクで良ければ受け止めてあげるからね」


 すぐに飄々とした口調に戻り、思わず笑ってしまった。

「それよりも、お願いがあるんですけど」

「ボクにできることなら、なんでも」




 お願いを聞いてもらった後。

「じゃあお姫様、お支度をしようか」

 パン、とツェレリア様が手を叩くと、身体がふわりと浮いた。

「わっ」

「本当だったらゆっくり湯浴みさせてあげたいんだけど、今日は使用人のみんなも検査入院させちゃったからボクと君しかいない。ちょっと雑だけど、ごめんね」


 そして温かいお湯の球体のようなものに頭まで勢いよく沈められた。

『息、できてるー?』

 少しこもったツェレリア様の声にこくこくとうなずく。

『一気に全身洗っちゃうから。あ、目は閉じててね』


 言われた通りに目を閉じると、身体が渦に巻き込まれたような感じになる。なんとなく洗われてるんだなと思っている間に。水がなくなった。

「一気に乾かしちゃうね。見えていないから安心して」

「はい」


 身体は浮かんだまま、今度は温かい風が勢いよく吹き付けられた。あっという間に身体が乾き、「じゃあ仕上げね」と声が聞こえると、次の瞬間にはナイトウェアを着た状態でドレッサーの前に座らされていた。


「お姫様、お髪を梳かしましょう」

 手から冷風を出し、ブラシで梳かしながら仕上げてもらう。

「はい、出来上がり」

「あ、ありがとうございます」

「うん、可愛い。今日は大変だったね。お疲れ様」



 ベッドまでエスコートしてもらい、ゆっくりと横たわる。

「今夜はたくさんお休み。官兵経由で学校にも連絡してもらうから、明日も無理せずに休むんだよ」

「はい、ありがとうございます。ツェレリア様」

「いつか、この人ならと思う相手を見つけたら、また依頼してね。しっかり調べてあげるからね」

「はい、ありがとうござ……」


 意識が遠くなる。

 力が抜けて、眠りの世界へ一気に飲み込まれていった。




 翌朝目が覚めると、ツェレリア様の姿はなく。

 お願い事も聞いてもらえたようだ。昨日までのモヤッとした感情が嘘のようにすっきりさっぱりとしていた。


 邸の中は王城から派遣された方達が忙しなく動き回っていて。

 私を世話してくれた人について聞くと、自分たちが到着した後、親戚を名乗る中年の女性が出ていったという。



 そこからは聞き取りが数日間続いた。使用人は比較的症状が軽くすぐに戻ってきたが、両親は精神汚染の程度がひどく、数ヶ月の入院が必要ということだった。


 事件の翌日には王城から連絡を受けた両親の実家から祖父と祖母が飛んできた。

 母方の祖父母の怒りがすさまじく、父方の祖父が平謝りしていた。

 そして地方で書記官をしている父の弟である叔父も翌々日には王都へやって来て、祖父と相談の上、当主代理としてその場で爵位の返上を決めた。


 父には、多少まともな会話ができるようになってから話すという。

 事実を知った時の父が何を感じるのか、今はもう興味もない。

 ツェレリア様が、お願いを聞いてくれたから。



 ――私がツェレリア様にお願いしたのは、両親に対する愛情を買い取って欲しいということだった。


 正直、疲れていたのだ。お人好しの父に振り回されることに。そしてそれをただ微笑んで見守り、一切咎めない母に。

 お人好しであることをどうこう言うつもりはない。ただ、私たちは貴族だ。目の前にある困った人の前に、治める領地に少なくない領民がいる。

 領地はほぼ祖父母任せで、両親は見るべき人たちを見ていなかった。それは、私のことも含まれる。


『随分悲しいお願いだね?』

 とツェレリア様には言われた。

『もう懲りました。私はもう振り回されたくない。心配してハラハラドキドキするのも、うんざりなんです』

『うん、わかるよ。ボクはそれを薄情だとは思わない。依頼をくれた時の君の感情は本物だったから、どれだけ心配していたのかはわかってる。そして、それを続けていたら疲弊してしまうことも』

『……はい』


 俯いた私の肩に、ツェレリア様が手を置いた。

『その願い事、確かに聞き届けよう。君が眠っている間に、いただいて行くね』

『ありがとうございます』

『対価はお金がいいかな?』

『これから先、私が……親を捨てて生きる私に必要なものを、見繕ってもらえませんか』


 お金であれば、今後ひとりで生きる時に助かるのは間違いない。けれど、お金は働けば稼げる。

『そう。わかった。もらった感情をボクが見て、これだと思った形で返すよ』

『よろしくお願いします』




 その後、私は母の実家である伯爵家の養子になり、そのまま学園を卒業させてもらった。

 両親は、我が家の領地だった場所の片隅で静かに暮らしているらしい。らしい、というのは、あれから一度しか会っておらず、知らないからだ。

 魔道具の影響は抜けきらず、三年経った今でも急に人が変わったようになることがあるそうだ。 


 今回の調査料は、父方の祖父母が支払ってくれた。後に三分の一ほど国から支援があったらしいが、これに懲りて、いかなる時でも人助けをすることを美徳とするその信条をどうにかしてくれたら良い。



 あの男はやはり極刑になった。こればかりはどうしようもない。

 私の感情を差し出した対価としてツェレリア様から後日届いたものは、あの時貸してもらったものと同じ形のブローチだった。

 初めてツェレリア様……山高帽と会った一角が喫茶店になっている魔道具屋で受け取った時に、店主から教えてもらった。

 これは魔道具師塔という最高峰の魔道具師たちがいる場所で作られた、やはり最高品質の護身魔道具なのだと。そして、私の身を護れるよう、ツェレリア様や他の魔道具師たちがたくさん願いを込めてくれたものなのだと。


 これをもらった日から、肌身離さず身につけ続けている。魔道具の素晴らしさと恐ろしさを、忘れないために。

 そうして私は、学園を卒業した後、書記官として王城で忙しく働いている。




「魔女に会ったことがある」と言うと、嘘だと笑われるか、羨ましがられるかのどちらかだ。

 別にどちらでも構わない。彼らは秘匿された存在ではなく、普通にこの世界にいるのだ。


 たまに、山高帽と出会ったあの喫茶店に行く。

 すると年に一度くらい、会う。あの胡散臭い山高帽に。

 そして、去り際に私のそばを通り、「元気そうで何よりだ」と笑いかけて消える。


 それだけで、どんなに辛い仕事も、頑張ろうと思えるのだ。

 この人なら、と思う相手が見つかったら、私はまた依頼のおまじないをして、調査をお願いしようと決めている。


 私を助けてくれたあの幻貌の魔女に会うために。

 そして、私の想いが、純粋なものかを確かめるために。

少し間隔が空いてしまいましたが婚前調査を久々に書きました。今回は婚約前でかつ依頼側が主人公、しかも後味が苦めという変化球。ツェレリア様がしっかり本編に出てくるのは初です。

次はもう少し調査するなりされるなりする側が気持ちよくざまぁ!される話を書きたいな(理想)

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― 新着の感想 ―
肉親への愛情を諦めるのはとてもつらい。 噂を聞いた1人の読者のもとにツェレリア様が現れないかと願っております。
>  やはり薬も使われていたのか。しかし魔道具まで!?魔道具といえば…… 「さっき、部屋に入った瞬間、ひどく頭痛がして。あとお借りしていたブローチが光ったんです」 「あー、それは何か仕掛けられていた可…
底なしのお人よしにもなり切れない中途半端な何者かに貴族という称号は身に余るものでしたわね。 苦くも今後を左右する出来事を良い方向に活かせて幸いだったのではないかしら。
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