表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泡影の彼方  作者:
第一章:泡影の序曲
5/5

第五話:燻る火と消えた声

焼け落ちた屋根の残骸に灰が舞っていた。

崩れた壁は骨のようにむき出しになり、冷えた土の上には煤と血が重なって染みついていた。

折れた木の杭が突き立ったままの畑、歪んだ鉄鍋、半ば炭と化した箪笥。

かつて生活と呼ばれていたもののすべてが、今や沈黙していた。

焦げた肉の匂いに混じって、濡れた土と雨の気配がかすかに鼻を刺す。

鉛のように重い空の下、村は死んでいた。

いや――静かに死にかけていたのだ。

その中心に立ち尽くす男の影がある。

レオン。

彼は剣を鞘へと収め、ふっと一つ息を吐いた。

燃え尽きた村を見渡しながら静かに、しかしよく通る声で言った。

「――この場は王国騎士団の臨時指揮下に置く」

その言葉に騎士たちが一斉に動きを止めた。

そして、辛うじて生き延びた村人たち――十数名ほどの男女老若が、驚いたように顔を上げた。

「俺たちだけでは手が足りん。だが、やらねばならんことは山ほどある。

遺体の収容、火の残り、負傷者の手当て、水源の確保……」

少し間を置いて、レオンは目線を村人たちに向けた。

「……協力してくれ。民間人の力が必要だ。これは命令ではない。願いだ」

しばらく、沈黙が支配した。

その中から老人の一人が杖を突いて一歩、踏み出した。

「……任せてくれ。わしらでよければ手を貸そう。生き残ったからには……やるべきことを、やるだけだ」

その言葉に、数人の村人たちが頷きゆっくりと動き始める。

震える手で鍋を持ち、焼け跡を避けながら子どもの遺体を布で包む者もいた。

レオンは微かに頷いた。

背後のエリオットへと目を向ける。

「北の区画。炭になった井戸の周囲を優先しろ。遺体は布で包んで広場へ。名が分かる者がいたら村の者に確認を」

「了解」

エリオットは頷くと、小さな咳を一つし、足を踏み出した。

それは戦いの終わりではなかった。

後始末――あるいは生き延びたことの代償のような時間だった。

煙の中で、騎士も村人も、ただ黙々と死に触れ続けた。


「……奇跡ってのはさ、だいたい後になって気づくもんだろ」

声の主はエリオット。

瓦礫の下から黒く炭化した板をめくっていた若い騎士――フレイに向けてぽつりと呟く。

「え?」

「こうして誰か一人でも助かったと知る時、その事実が奇跡なんだ。

だがな、それは誰かが死んだという前提があって初めて成立する」

「……そんなこと分かってますよ」

フレイは険しい顔のまま、泥に塗れた遺体の指をそっと組み直した。

両足がひどく損傷しており年齢も分からない。だが、彼の仕草は丁寧だった。

「年に一度か、二度……こんなふうに群れが村を襲う。知ってるか?」

「ええ、訓練所でも聞きました。でも、報せが来ても間に合わないことが多いって」

「多いどころか、ほぼ全部だ」

エリオットは空を見上げた。

煙の向こうに雲の切れ間がわずかに覗いている。

「王都に火急の使いを飛ばしても、出撃して戻るまで数日はかかる。

それまでに何が残ってるかといえば、死体と灰だけだ」

「じゃあ……この村は?」

「運が良かったんだ。――いや、偶然だ」

エリオットは、背後のセイルとレイに一瞬目をやる。

「任務の帰還途中、たまたまこの村の近くを通りかかった。それだけの話だ。

あの子らが生き延びたのは運でも努力でもない。……ただの偶然なんだよ」

フレイは口を引き結ぶ。

指がわずかに震えていた。

「でも、それでも――誰かが生きているってことは、意味があるってことですよね?」

「意味を与えるのは生き残った奴ら自身さ。……その重さを、どうするかは――お前もいつか分かる」

静かに風が吹いた。

どこかで鈴の音のような、炭が崩れる乾いた音がした。

村の南端では、焚き火の跡からまだ燻る煙が上がっていた。

焼けた土に足を取られながら、騎士たちは沈黙の中で動いていた。

「最近じゃ、群れより単独犯の方が増えてきてるらしいな」

と、別の騎士――古兵の年配騎士が言った。

防具の隙間から煤が覗いている。

「そうだな。元冒険者くずれの亜人、盗賊団、無法者……。魔石狙いの傭兵紛いも出てきてる。今は、誰が敵で誰が味方か分からん世界だ」

「腐ってきてるんだな、ゆっくりと。人も、街も、法も、全部……」

「それでも、誰かが火を灯してなきゃ、暗闇だけが残る。

――俺たちは、せめてその灯火にならなきゃならん」

誰が言ったのか分からない。

ただその言葉は、熱くも、虚しくも、遠く響いた。

そしてその時。

瓦礫の向こうで、セイルが声を上げた。

「――母さん……」

ぽつりと漏れたその声は、焼け焦げた柱の影に吸い込まれるように消えた。

セイルは、膝を折って座っていた。まるで母に許しを願う無邪気な子どものように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ