第五話:燻る火と消えた声
焼け落ちた屋根の残骸に灰が舞っていた。
崩れた壁は骨のようにむき出しになり、冷えた土の上には煤と血が重なって染みついていた。
折れた木の杭が突き立ったままの畑、歪んだ鉄鍋、半ば炭と化した箪笥。
かつて生活と呼ばれていたもののすべてが、今や沈黙していた。
焦げた肉の匂いに混じって、濡れた土と雨の気配がかすかに鼻を刺す。
鉛のように重い空の下、村は死んでいた。
いや――静かに死にかけていたのだ。
その中心に立ち尽くす男の影がある。
レオン。
彼は剣を鞘へと収め、ふっと一つ息を吐いた。
燃え尽きた村を見渡しながら静かに、しかしよく通る声で言った。
「――この場は王国騎士団の臨時指揮下に置く」
その言葉に騎士たちが一斉に動きを止めた。
そして、辛うじて生き延びた村人たち――十数名ほどの男女老若が、驚いたように顔を上げた。
「俺たちだけでは手が足りん。だが、やらねばならんことは山ほどある。
遺体の収容、火の残り、負傷者の手当て、水源の確保……」
少し間を置いて、レオンは目線を村人たちに向けた。
「……協力してくれ。民間人の力が必要だ。これは命令ではない。願いだ」
しばらく、沈黙が支配した。
その中から老人の一人が杖を突いて一歩、踏み出した。
「……任せてくれ。わしらでよければ手を貸そう。生き残ったからには……やるべきことを、やるだけだ」
その言葉に、数人の村人たちが頷きゆっくりと動き始める。
震える手で鍋を持ち、焼け跡を避けながら子どもの遺体を布で包む者もいた。
レオンは微かに頷いた。
背後のエリオットへと目を向ける。
「北の区画。炭になった井戸の周囲を優先しろ。遺体は布で包んで広場へ。名が分かる者がいたら村の者に確認を」
「了解」
エリオットは頷くと、小さな咳を一つし、足を踏み出した。
それは戦いの終わりではなかった。
後始末――あるいは生き延びたことの代償のような時間だった。
煙の中で、騎士も村人も、ただ黙々と死に触れ続けた。
「……奇跡ってのはさ、だいたい後になって気づくもんだろ」
声の主はエリオット。
瓦礫の下から黒く炭化した板をめくっていた若い騎士――フレイに向けてぽつりと呟く。
「え?」
「こうして誰か一人でも助かったと知る時、その事実が奇跡なんだ。
だがな、それは誰かが死んだという前提があって初めて成立する」
「……そんなこと分かってますよ」
フレイは険しい顔のまま、泥に塗れた遺体の指をそっと組み直した。
両足がひどく損傷しており年齢も分からない。だが、彼の仕草は丁寧だった。
「年に一度か、二度……こんなふうに群れが村を襲う。知ってるか?」
「ええ、訓練所でも聞きました。でも、報せが来ても間に合わないことが多いって」
「多いどころか、ほぼ全部だ」
エリオットは空を見上げた。
煙の向こうに雲の切れ間がわずかに覗いている。
「王都に火急の使いを飛ばしても、出撃して戻るまで数日はかかる。
それまでに何が残ってるかといえば、死体と灰だけだ」
「じゃあ……この村は?」
「運が良かったんだ。――いや、偶然だ」
エリオットは、背後のセイルとレイに一瞬目をやる。
「任務の帰還途中、たまたまこの村の近くを通りかかった。それだけの話だ。
あの子らが生き延びたのは運でも努力でもない。……ただの偶然なんだよ」
フレイは口を引き結ぶ。
指がわずかに震えていた。
「でも、それでも――誰かが生きているってことは、意味があるってことですよね?」
「意味を与えるのは生き残った奴ら自身さ。……その重さを、どうするかは――お前もいつか分かる」
静かに風が吹いた。
どこかで鈴の音のような、炭が崩れる乾いた音がした。
村の南端では、焚き火の跡からまだ燻る煙が上がっていた。
焼けた土に足を取られながら、騎士たちは沈黙の中で動いていた。
「最近じゃ、群れより単独犯の方が増えてきてるらしいな」
と、別の騎士――古兵の年配騎士が言った。
防具の隙間から煤が覗いている。
「そうだな。元冒険者くずれの亜人、盗賊団、無法者……。魔石狙いの傭兵紛いも出てきてる。今は、誰が敵で誰が味方か分からん世界だ」
「腐ってきてるんだな、ゆっくりと。人も、街も、法も、全部……」
「それでも、誰かが火を灯してなきゃ、暗闇だけが残る。
――俺たちは、せめてその灯火にならなきゃならん」
誰が言ったのか分からない。
ただその言葉は、熱くも、虚しくも、遠く響いた。
そしてその時。
瓦礫の向こうで、セイルが声を上げた。
「――母さん……」
ぽつりと漏れたその声は、焼け焦げた柱の影に吸い込まれるように消えた。
セイルは、膝を折って座っていた。まるで母に許しを願う無邪気な子どものように。