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泡影の彼方  作者:
第一章:泡影の序曲
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第四話:灰の風と刃の咆哮

鉛色の空からは絶え間ない雨が降り注ぎ、地面は泥濘と血で塗れていた。だが、泥に沈もうとするその大地の上で、まだ剣は振るわれていた。騎士たちの叫びと亜人の咆哮がぶつかり合い、戦場は今や混沌そのものだった。

その戦場のただ中、刃と刃が交差する地点に二つの影があった。

一人はレオン。銀色の甲冑に身を包み、重心を低く構えた姿は、疲弊しながらも揺るぎなかった。

もう一人は、亜高軍の指揮官グロズ。背に二本の湾曲した刃を背負い、鋼のような筋肉と冷たい獣の眼を持つ亜人だった。咆哮をあげながら彼は地を揺るがすような勢いで突進する。

「ガアアアアッ!!」

レオンは寸前で身体を捻りその刃を弾く。

火花が飛び散り、次の瞬間には再び距離が詰まった。

「ナゼダ……ナゼマダ立ツ、人間……!」

「退けば……誰も守れない……!」

重く鋭い一太刀が交錯するたび、周囲の空気が震える。

亜人の剛力は尋常ではなく、レオンの盾は一度の衝突で裂け、剣の刃は折れかけた。だが彼の眼は鋭く、どんな一撃にも怯まず向き合っていた。その刃はまだ見ぬ未来を守る剣だった。

「押し返せ! 援護射撃、第二列、撃てっ!!」

レオンの号令に従い、背後の騎士たちが間隙を縫って矢を放つ。矢はグロズの周囲の亜人たちに命中し、数体がその場に崩れ落ちる。

「オ前タチ……っ、退クナ!! 喰ライ尽クスマデガ狩リダァ!!」

だが、グロズもすぐに反撃を命じた。

残った亜人兵たちが咆哮と共に再度突撃する。

騎士団はその動きを読み、各班が連携して交戦。盾兵が押し返し、槍兵が前へ突き出す。

「左から二体来るぞ! 下がって、槍を突け!」

「一列目、替わる! 二列目、詰めろ!」

声を掛け合いながら、連携は冴え渡っていた。

エリオットも、仲間と三人で囲み戦う。

「ここで止める……絶対に通さない!!」

彼の剣は疲弊してなお鋭く、何度も獣の爪とぶつかり合い、傷だらけの鎧の下で踏み止まっていた。

戦場の各所では、それぞれの戦いが繰り広げられていた。ある兵士は槍を失いながらも短剣で食らいつき、別の騎士は味方の盾を拾いながら防戦する。斃れる者、踏みとどまる者、泥と血にまみれ、誰が誰かもわからなくなっていた。

やがて、戦線の中心で、グロズが再び雄叫びを上げる。

「ウオオオオオアアアアア!!オレハ見タ。倒レタ同胞ノ顔ヲ踏ミ躙ル人間ヲ。奪ワレタ命モ、焼カレタ森モ、何モ戻ラネェ。ソレデモ、喰ライ尽クシテヤル。俺タチハタダノ獣ジャネェェエ!」

狩りは力の証明。奪われた誇りは、もう戻らない。

ならばせめて、人間よりも強く、正面から打ち倒す。

それは、亜人が生きる証明だった。

彼は斧を大きく振るい、数人の騎士を一気に薙ぎ払う。その一撃は竜巻のように戦場を引き裂き、雷鳴のごとく響き渡った。まるで彼の過去の傷を償うように。

斧の下で握られていた小さなお守りが、泥に沈んだ。

だが、その隙を突き、騎士団の側面部隊が矢の集中射を放つ。

矢が雨のように降り注ぎ、グロズの周囲にいた亜人たちが次々と倒れていく。

「グッ……小癪ナ!」

グロズは咆哮し、矢をはじきながらも一歩、また一歩と後退を余儀なくされる。

その瞬間、全体の戦場でも亜人たちの勢いに陰りが見え始めた。戦線が押し返され、指揮の混乱が波紋のように広がっていく。

「グロズサマ、ホウイサレテマス!」

副官の叫びが響く。

「……チッ。ダガ俺タチハ狩ラレル側ジャネェ……!」

グロズは忌々しげに唸りながらも、鋭く命令を下す。

「退ケ! 死ニ急グナ、牙ハ残!」

亜人たちは未練を残しながらも、徐々に後退し始める。

グロズは倒れた部下を振り返りながら歯噛みする。

亜人たちの背には矢が突き刺さったが、騎士団は深追いしなかった。

戦場には、雨と血と泥だけが残された。

血と雨で濁った水たまりの底で、 ひときわ鮮やかな赤だけが泥に呑まれてゆく。

騎士団の誰も、勝鬨を上げる者はいなかった。代わりに、疲れきった身体を支えながら、血と泥の海の上に立ち尽くしていた。

村の端では、焼けた納屋の残骸から黒煙が立ち上り、破れた本のページが空に舞っていた。かつて子守唄が聞こえた場所に静寂が落ちていた。

折れた剣を杖代わりに立つエリオットが、レオンの背を遠巻きに見守っていた。

レオンは静かに剣を鞘に収めた。あたりには、自分が救えなかった兵士の兜や小さな靴が沈んでいた。

「守った……確かに、守りきった。だが……この代償は、あまりに大きすぎる」

その声には疲労と哀しみが滲んでいた。

視線の先で、雨粒が砕けては赤い水たまりを薄めていった。それが浄化か、忘却か、誰にも判らない。

空は変わらず鉛色。だが風だけが、すこしだけ――静かに吹いていた。

「まだ、終わらせはしない……」

彼は再び剣を握り直した。



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