倒景(4)
文化祭本部というものは、とても忙しいものだった。表立って文化祭を運営する実行委員が五十人ほどいる中で、それを支えるのは僅か五人だ。
実行委員が決めたプログラムに必要なものを手配したり、下準備をしたり、細やかなところに気を配るのが主な仕事で、忙しい時は話す暇すらない。
「よーし、ここらで休憩にしよ」
文化祭まであと一週間。屋上を主な活動場所にしながら、模擬店を出店する団体が提出したポスターに判を押していた私は、陽向くんの声で顔を上げた。
今ここには私と陽向くんといづきくんしかいない。あとの二人は文化祭実行委員と打ち合わせがあるからと言って、数十分前に視聴覚室に行ってしまった。
「いづき、マナちゃん。俺ここで留守番してるから、飲み物よろしく」
「了解。ついでにガムテープも買ってくるよ」
陽向くんの頼み事にいづきくんは苦笑を浮かべながら返すと、ゆっくりと腰を上げた。それに続いて立ち上がった私は、陽向くんから【経費】と書かれている封筒を受け取り、先を歩くいづきくんを追いかけた。
他の人と関わることがあんなにも怖かったのに、いつの間にか溶け込むように笑っている私がいる。それはあたたかく迎えてくれたいづきくんたちのお陰なのだろうけれど、それでも驚いてしまう。
ふと、いづきくんが階段を降りる途中で足を止めて、ポケットを弄っている。何か忘れ物をしたのかな。
「携帯を忘れた。日比谷さん、昇降口で待っていてくれる?」
いづきくん気恥ずかしそうに笑うと、階段を駆け上がった。
「(うん、待ってるね)」
それに笑って答えた私は、あちらこちらから聞こえてくる賑やかな声を聞きながら、昇降口へと向かった。
ガラス張りのドア越しに、枯れ葉がゆらゆらと踊っているのが見える。来栖くんと話すようになってからもうひと月も経つのだ。時間が過ぎるのは早い。
秋桜を見て、紫苑を眺め、金木犀の香りに安らいだ秋は、文化祭が終わる頃には終わってしまう。息づいている時間が短いからこそ美しく思えることに、改めて気づいた。
秋が終わったら、冬が来て、春が来る。そうして噎せ返るような夏が過ぎ去ったら、また秋がやって来る。四季がある国に生まれてよかったと思えるひと時だ。
ぼんやりと景色を景色を見ていたら、背後から足音が聞こえた。屋上からいづきくんが戻ってきたのかと思った私は、後ろを振り向いて、そして固まった。
「あなたが、日比谷愛理?」
そこには、冬から抜け出してきたような美しい少年が立っていた。
「(そう、ですが……)」
少年は唇を横に引くと、ゆっくりとした足取りで私に近寄ってくる。その距離が縮むほどに、私の心臓は危険のサイレンを鳴らすように早鐘を打っていた。
「……そう、あなたが日比谷愛理か」
少年はこの高校の男子生徒と同じ制服を着ていた。ネクタイの色も私と同じ学年である証に赤い。
「(あ、の……)」
少年は私の目の前までくると、私の手首を掴んだ。そして、私の存在を確かめるように見ると、薄っすらと唇を開く。
「……忠告、しておくね。来栖直央には関わらない方がいい」
「(……え?)」
「いや、来栖直央には関わらないでほしい」
来栖くんには関わるなって、どうしてそんなことを言われなければならないのだろう。話したこともなければ見たことすらない人に、こんなことを言われるなんて。
彼は綺麗な唇をほころばせると、私の耳元でこう囁いた。
——あなたが、来栖直央を殺すことになるから、と。
その言葉を聞いた瞬間、意味すら理解していないというのに、私の身体は膝から崩れ落ちた。
「日比谷さんっ!?」
いづきくんが駆け寄って来た時にはもう、あの少年の姿はなかった。まるで溶けるように消えてしまった。
あの少年は、何者なのだろう。来栖くんの秘密を、超能力のことを知っているような口ぶりだった。
あの言葉の意味は何なのだろう。私が来栖くんを殺すことになるって、どういう意味なの……?
「日比谷さん! どうしたの!?」
「(…だ、大丈夫)」
考えても、考えても、わからなかった。
考えないようにしないと、来栖くんに見透かされてしまうのに、それでも考えてしまった。
私はどんな顔をして、来栖くんに逢えばいいのだろう。
「……落ち着いた? 日比谷さん」
それから、いづきくんと一緒にコンビニエンスストアで買い物を終えた私は、人気のない中庭の隅にあるベンチに腰を下ろした。
こんなことをしている暇なんてないのに、どうしてこうも迷惑をかけてしまうのか。
「……話、聞いてもいいのかな?」
いづきくんは心配そうに眉尻を下げると、私の隣に腰を下ろした。そうしたらいいのかわからない私は、ごめんなさいという事の葉を唇に乗せて、顔を俯かせた。
苦しい。どうしたらいいのかわからない。誰に言ったらいいのかわからなくて、考えるだけで肺が痛くなる。
「……言いにくいってことは、直央に関すること?」
何も言っていないのに、核心を突いてくるいづきくんは鋭い人だ。私はゆっくりと頷いて、唇を噛んだ。
「……そう。なら、言えないのも無理はない」
そう言うと、いづきくんは優しい微笑みを浮かべた。
どうして来栖くんやそのまわりにいる人たちはこんなにも優しいのだろう。私にそんなふうに接してくれる人は、そのほとんどが同情心からくるものなのに、彼らからは全く感じられない。
いづきくんは先に行くね、とこの場に私をひとり残すと、買ったものを手に持って行ってしまった。その優しさに、泣きたくなった。




