倒景(2)
「ごめんな、愛理。文化祭は部活の方に参加しなきゃいけなくって」
放課後、いつものように担任がやって来るのを待ちながら帰り支度をしている私に、由香が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「(いいの、謝らないで。由香は部活頑張ってね)」
「頑張るけどさ……」
由香はがっくりと肩を落とすと、今年こそ私と文化祭の思い出が作りたかったと嘆いた。由香は去年の文化祭も由香は部活の方に出なければならなくて、一緒に回ることができなかったのだ。
その時の私は、クラスの端っこにひっそりと居た気がする。
私は由香に「大丈夫だよ」と何度も伝え、ホームルームが始まるのを見て彼女に前を向かせた。
本当は寂しくてたまらないけれど、仕方あるまい。私が普通でないから、こうなってしまったのだ。
その時、だった。
「日比谷さん」
隣に座る来栖くんが、私の肩を叩いた。振り向けば、彼は柔らかに微笑みながら、小首を傾げている私にこう囁いた。
放課後、屋上で、と。
特に用事もなければ暇人同然である私は、すぐに首を縦に振った。来栖くんが私に用事があるなんて、初めてだ。その内容はわからないけれど、彼の誘いを断る理由が私にはない。
私は担任の話を呆けたように聞きながら、早く放課後になれ、と胸の内で唱えた。
ホームルーム終了後、早足で教室を出ていった来栖くんの後に続いて、私は屋上へと向かった。意外なことに、我が校の屋上は存在を忘れられていることが多く、訪れる人は滅多にいないと聞いたことがある。
一体ここに何の用があるのだろう。そう頭の中で考えながら、屋上への扉をくぐった私は、その先の景色を見て言葉を失った。
「(わあ……!)」
言葉にならないというのは、こういう時に使うのだと思う。目の前にあるもの全てが美しく煌いていて、自分の中にある言葉でそれを表すには恐れ多い、という感じだ。
「綺麗でしょう、ここ」
私を先導していた来栖くんがこちらを振り返る。彼は口を開けたまま景色を見つめている私に微笑むと、先へと歩き出した。そして、ここへ繋がる階段の後ろ側に行くと、そこにいる二人の男の子に声を掛けている。
「陽向、梓」
「おお、直央」
来栖くんの呼びかけに応じたのは、明るい色の髪をしている男の子だった。その隣にいる男の子は目で返事をすると、来栖くんの後ろにいる私を見て、驚いたように目を丸くさせる。
「直央が女の子を連れてきてる」
「まじ!? 青天の霹靂じゃん!」
二人は勢いよく立ち上がると、私に詰め寄ってきた。品定めをするかのように私のことを上から下まで見ると、来栖くんの背を思いきり叩いている。
「痛いな、何をするんだ」
「だってだって、直央が女の子を連れてきたんだもん! 驚くっつーの!」
「世界には七十億もの人口がいて、わが国には六千五百万人もの女性がいるんだ。そのうちの一人を連れてきただけで大袈裟だな」
「数じゃない! 連れてきたってことが重要なんだよ!」
明るい髪の男の子とはそう言うと、来栖くんの肩をがっしりと掴んで、にっこりと笑っている。それに笑顔で対応している来栖くんの姿を見た私は、また一つ胸を高鳴らせた。
来栖くんには、友達がいた。普段の彼はいつもひとりで本を読んでいたし、クラスメイト達とも一定の距離を置いているように見えたから、なんだか意外だ。
はしゃぐ男の子と苦笑している来栖くんの姿をぽかんと見ていた私は、もう一人の男の子に肩を叩かれたことによって我に返った。
「初めまして。あなたは?」
そう尋ねてきた男の子は、女の子のように綺麗な男の子だった。さらさらの黒髪にぱっちりとした二重を持っている。羨ましいくらいに綺麗な子だ。
「(わたしは……)」
そう口を動かしたところで、彼には伝わらない。そう気づいた私は、口を動かす途中で携帯電話を取り出し、自分の名前を打ち込んだ。
【私は、ひびやまなりです】
綺麗な男の子は突き出された携帯の画面をじっと見つめると、私と携帯を何度か交互に見た後に頷いた。
「…俺は、七川梓真です」
梓真くん、と口を動かした私に、彼は微笑み返してくれた。そのやり取りを見守るように見ていた来栖くんが、こちらへやって来る。
「梓。彼女は、声が出ないんだ」
「なるほどね。それで、携帯を使ったわけか」
梓真くんは納得したように頷くと、私に手を差し出した。
「俺は直央……来栖直央と仲良くさせてもらってます。クラスは隣だよ。よろしくね、日比谷さん」
「(わ、私の方こそっ……)」
私は差し出された手にそっと手を重ね、ぺこぺこと頭を下げた。
彼らは来栖くんの友達だったのか。なにも来栖くんに友達がいないと思っていたわけではない。用事以外で誰かと話しているところを見たところがなかったから、何だか意外なだけだ。
どういうつもりで私をここに連れてきたのかはわからないが、私が声を出せないことについて何も触れてこなかったあたり、来栖くんのような優しい人なのかもしれない。




