長柄の源五(15世紀坂東、戦国時代、雑兵)
長柄を握った源五が、前に出る。
浅黒い日焼けした顔に、練革の笠をかぶり、背には旗指し物。
長柄も兜も旗指し物も、お仕着せのものだ。
源五は百姓である。祖父の代までは名主の一族で、次男だった父が家の絶えた小さな田畑を継いだ。父がもつ狭い土地に三人の男兄弟は多すぎる。村の寄り合いでの話し合いの結果、若くて頑強な源五は、長柄の足軽として自分の食い扶持を稼ぐことになった。
「源五っ! なんじゃ、へっぴり腰はっ!」
後ろから、怒鳴られる。源五はむっ、としたが「はいっ!」と叫んで、素直に一歩前に踏み出した。
「このでれすけ! 左右と合わせんかっ!」
再び、怒鳴られる。
長柄は、その名のとおり、長い。
源五が握る長柄は二間半(四・五メートル)もある。
力自慢の源五は、喧嘩も得意だ。場数を踏んでいるので、長柄のような長い棒は懐に飛び込まれてはかえって戦いにくいと知っている。
「すみませんっ!」
源五は叫んで左右を見た。
たしかに、自分だけ一歩前に出ている。
一歩下がり、穂先を合わせる。槍衾だ。
──移動する柵だな。
源五は長柄の槍衾の役目を、そう考えた。
──こうしておけば、敵は突っ込めないわけか。
拍子をそろえ、ノタノタと戦場を移動する柵だ。
──兜は、礫避けか。けど、鉄砲にはめっぽう弱いぞ、こいつは。
長柄の足軽は最下級の雑兵だ。
敵からすれば、玉薬を消費してまで、わざわざ狙う相手ではない。
それでも、自分の命に代わりはない。近くで鉄砲を放つ音が聞こえたら、自分を狙ってなくても、逃げたくなるのが人情だ。
「源五ぉ。おまえ、逃げること考えてるべ」
後ろから静かな声が聞こえてきて、源五の金玉が縮む。
「逃げたら、敵より先に、わしがお前を斬る」
後ろを振り向くと、長刀を持った小頭が昏い目で源五を睨んでいた。源五の背に、ばっ、と汗がふきだす。
「小頭め。わしに恨みでもあるのか」
調練のあと、源五は愚痴をこぼした。
武蔵国にある小さな城の曲輪だ。城番でやってきた。
同じ長柄足軽で、従兄弟の彦次郎が話しかけてきた。
「源五よ。やっかいなヤツに目をつけられたな」
「まったくよ。逃げる気がなくても、逃げたくなるべ」
ウソである。
源五も彦次郎も、長柄足軽になったのは食うためだ。
死んでしまっては、食うことができない。
「わしら、これまで三回も戦に出たが、一度も逃げとらんべ」
「まったくだ」
三回の戦というのは、いずれも籠城戦だ。逃げようにも、逃げ場がない。
柵ごしに長柄を突き出すだけだから、潜り込まれる心配もない。そうなれば、二間半(四・五メートル)の長さはかえって頼もしい。あまり身を乗り出すと、弓や鉄砲に狙われるので、そこは塩梅だが。
「おーい、源五。彦次郎」
身なりのよい武士が近づいてきた。
包みを背負った下男を従えている。
「あ、本所の若旦那」
「おつかれさまです」
源五と彦次郎は頭を下げた。
武士の名は曽根喜十郎康稔。
村祭りや法事などの寄り合いでは、大勢に混じって遠くから挨拶する相手だ。
源五と彦次郎は、軍役の城番で、彦次郎にここまで連れてこられた。
「調練は終わりか。ならメシにするべ」
下男が包みをおろして開く。にぎりが入っている。
「遠慮なく食べてくれ」
「へい」
「いただきやす」
下男に睨まれながら、源五と彦次郎はにぎりをつかむ。
口にいれて驚く。割れてない立派な搗米で握ったにぎりだ。村祭りでもないのに、貧乏百姓の自分たちが食べていいのかと、視線をかわす。
喜十郎が笑った。
「戦では長柄足軽に世話になるでな」
そういうことなら、遠慮はない。
丈夫な歯で、搗米をがりぼりとすりつぶす。糠の混じりが少ないので、甘い。塩がきいていて、うまい。大きなにぎりが、あっという間に胃の腑におさまる。指についた米粒も、残さずしゃぶって食べる。
喜十郎は、その様子を目を細めてながめ、話しかけてきた。
「源五の家は、妹がおったな。何歳になった」
「あ、はい! 七つになりました」
「彦次郎の家は、長雨で堤が破れて田んぼが流れ、大変だったな」
「なんとか堤は直しましたが、収穫は……あかんです」
「今度、ふたりの家に様子をみにいかせよう。なにか伝えることはあるか」
源五と彦次郎は、少し悩み、元気でいることだけ伝えてもらうことにした。
喜十郎が去ったあと、彦次郎がポツリといった。
「本所の若旦那、世話好きだで」
「世話好きでないと、本所は継がせてもらえないべ」
「上の兄さんが、河越で討ち死にしたけぇな」
「本所はおじさんとか、いとことか、一族に男衆が大勢おるべよ」
「みな、家督を狙ってるものな」
源五も彦次郎も、喜十郎の領民だ。源五がもつ長柄の鑓も、練革の笠も、喜十郎が着到定書にあるとおりに支給したものだ。
源五は、しゃぶっていた指をみつめる。食べたにぎりも、喜十郎からのくださりものだ。
味のしなくなった指を、もういちどしゃぶる。
──わしが逃げたら、家にも伝わるだろうな。
半年の後、源五は戦場にいた。
最初は、荷駄で兵糧を運ぶだけ、と思っていた。
城の倉から俵を運んで荷駄に積む。荷駄を囲んで道を進む。到着したのは、まだ新しい城だった。土の斜面には、雑草ひとつはえていない。ここまで源五たちと一緒だった喜十郎は、城に到着するやすぐに姿を消した。
俵をおろすと、小頭に命じられて源五たちは城の外に出た。馬はおいたままだ。
「こら、小荷駄とは違うんじゃないか」
「米を運んだから帰っていい、とはいかんべ」
このあたりは、起伏も乏しい。周囲を見回しても、どこにいるのかさっぱりだ。今いる場所が荒川と利根川の間のどこか、くらいしかわからない。
湿地が多く、地面はぬかるんでいる。重い長柄を抱えてうろつくのは、正直、しんどい。
──小頭は、わしらをどこに連れていく気だべ。
城番ごとに調練したおかげで、長柄の扱いには習熟した。
彦次郎以外の足軽とも、喧嘩や賭け事で互いの呼吸を掴んだ。
小頭が自分に目をつけた理由もわかった。組の中で自分が一番強いからだ。
小頭の態度は不愉快だったが、小頭の評価は自尊心をくすぐった。
源五は小頭の様子をうかがう。
──さっきから何をキョロキョロと。お、戻ってきた。
小頭は長刀の先を北の方角にさした。
「あっちだ! あっちの丘に旗持ちがいる! あそこを囲め!」
源五は長刀の先に目を向けた。
──けっこう距離があるな。ま。行けばわかるべ。
長柄足軽は、とにかく動きが鈍い。
集団で、狭い道を、泥を粘つかせて歩くのだ。
旗持ちが立つ場所を、長柄の穂先を上に立てて囲む。
揃った長柄の穂先は、遠くからでもよくみえる。
長柄足軽が確保した場所に、最初にやってきたのは弓足軽だ。
長柄と弓で、簡単な陣ができる。
続いて、櫃を背負った小者が集まってくる。馬の口取りも、替え馬を連れてやってくる。
「源五よ。こら戦か」
「こっからじゃ、わからん。だが、なんかイヤな感じがする」
彦次郎の問いに源五はぶっきらぼうに答えた。
賭け事で賽子を転がせば、イカサマの匂いには敏感になる。
「お味方が戻ってきたぞぉっ!」
「敵がきてる! 防ぎ矢だっ!」
「近づけるな! 各個に放てぇっ!」
声の調子から、流れはよくないようだ。
後ろで弓足軽が動く。キリキリと音がして、ヒュンッと放たれる。
敵はまだ遠い。上向きに高く飛ぶ矢の軌道をみて源五はそう判断した。
騎乗の武士が戻ってきた。ぜいぜいと息があらい。馬も汗だくだ。水のはいった桶をもって下男が主人に駆け寄る。馬に水を飲ませ、汗を拭く。
続いて、三々五々、戻ってきたのが徒士の武士だ。泥で汚れているものが多い。息も絶え絶えに、陣の中でへたりこむ。
背中でかわされる声を漏れ聞くと、味方が敵に突っ込んだところを、横合いから伏兵に突かれた、ということらしい。
──やっぱり、イカサマされとったか。
矢が飛んできた。こちらの弓足軽が射かえす。
源五は歯を食いしばって、恐怖に耐える。
長柄足軽の仕事のひとつは、肉の盾だ。
最前線で長柄足軽が踏ん張ってるかぎり、敵は長柄の後ろにいる弓足軽や、そのさらに後ろで突撃準備を整える武士を狙えない。
「踏ん張れぇっ! 逃げるなぁっ!」
小頭の怒声が響く。
源五は舌打ちし、汗に濡れた手で、長柄を握り直す。
前から飛んでくる矢より、後ろから刺してくる長刀の方が怖い。
流れ矢が、小頭の頭を射抜いてはくれぬものかと源五は妄想をもてあそぶ。
「源五」
「どうした、彦次郎」
「後ろな。静かになってきとるべ」
小頭の目を盗んで、源五は後ろを確認する。
彦次郎の言葉のとおりだ。弓足軽の組はそのまま。
けれども、その後ろにいた武士の姿がない。徒士も。騎乗も。
源五の頭に血がのぼった。
「くそっ、あいつら逃げやがった」
「どうする。わしらも逃げるか?」
源五は答えない。
逃げるなら、小頭をどうにかしてからだ。
小頭の長刀に対して、源五の長柄は長さと重さで勝る。
──最初の一撃で決める。不意打ちで上から小頭の頭をぶん殴る。
一撃をくわえたあとは、長柄を放り投げて全力で走って逃げる。あとは運だ。
源五は覚悟を決めようとして……
「敵だあっ!」
……それどころでは、なくなった。
「やあやあ、われこそはあああっ!」
叫びながら突っ込んでくる敵は、単騎だった。
鎌倉時代の絵巻そのままの古い大鎧。手にしているのは三枚打ちの弓。
「やあやあ! やあー! やあああー!」
顔は兜の下で見えない。声は若く、裏返っている。子供かもしれない。
足で馬を御し、両手で弓をひく。馳射だ。
近づきながら前に矢を放つ。悲鳴があがる。
馬の向きを変えて左に矢を放つ。悲鳴があがる。
駆け抜けながら後ろに矢を放つ。悲鳴があがる。
大鎧の武士は、そのまま「やあやあやあ」と叫びつつ、去っていく。
──たまげた。なんて早業だ。
目にも止まらぬ、とはこのことか。
すれ違いざまに長柄足軽が三人、射抜かれた。あっという間のことだ。
逃げる騎乗に、弓足軽がてんでに矢を放つ。
数本が大鎧にあたる。刺さったまま、平然と駆ける。
一本が馬の尻にあたった。馬が悲鳴をあげ竿立ちになる。大鎧が転び落ちた。泥がはねる。
「おい。ありゃ、兜首だべ」
「とったら大手柄よ」
どよめく長柄足軽に、小頭が一喝する。
「列を崩すな、バカどもぉっ!」
小頭は騎射に射抜かれた三人を確認した。
一人は喉を貫かれて事切れていた。二人は手と足に矢が刺さって動けない。
小頭は、息のある二人を列の後ろに座らせた。隙間を詰めさせる。
「平六と小源太はここから動けん! 二人を守れ!」
小頭の叫びに、列にいる全員が「ちっ」と舌打ちした。
どうせなら、今の騎射が小頭を射抜いてくれていればよかったのに、とも思う。
這い逃げる大鎧に矢が集中している間に、火縄の匂いが漂ってきた。
鉄砲だと意識する前に、轟音。
源五たちは首をすくめる。
後ろで「ぎゃあ」と声がする。弓足軽が撃たれたのだ。
さらに、数発が撃ち込まれた。弓足軽の動きが止まる。
「ふんばれっ! 鑓持ちがくるぞっ!」
小頭の命令も、鉄砲の音で浮足だった長柄足軽には伝わらない。
乱れた列へ、横から徒士侍が突っ込んできたのだから、たまらない。
わっ、と崩れて逃げる。
「逃げるなっ! 踏みとどまれっ! えいくそっ!」
小頭が長刀をふるい、徒士侍を迎え撃つ。
不意打ちで押し込むが、二合、三合と打ち合いになると、今度は徒士侍が優勢になった。徒士侍は引くと見せかけ、小頭が合わせて引こうとしたところで、一気に踏み込んできた。小頭がたまらず転ぶ。
「でえええいいっ!」
源五は横合いから徒士侍に長柄を突き立てた。
長すぎて撓りが大きい長柄は、刺すのに向いていない。本当ならば、上から重さで叩きつける方が効果的だ。
けれども、それゆえに徒士侍の不意を打てた。徒士侍は舌打ちして源五の穂先を避ける。
鉄砲の音が響いた。
源五ら長柄足軽が首をすくませた隙に、徒士侍は、するすると後ろに下がっていった。
「引いてくれたか」
小頭が長刀を杖にして立ち上がる。顔をしかめている。膝か腰を痛めたようだ。
「源五、ようやった」
小頭が源五を褒めた。
源五は長柄を握る自分の手を見つめた。
──なんでわしは、小頭を助けた?
頭は使わなかった。体が自然に動いた。
「わしを助けたのが、そんなに不思議か」
小頭が、見透かしていう。源五は仰天した。
「い、いえっ、そんなつもりは──」
「かまわん。おまえの腹は足をみればわかる」
「足?」
「踏み込みよ。長柄は踏んだ足の先に行く。源五。おまえ、わしに踏み込む時にはためらいがないべ」
小頭は、種を明かした。
明かされてみると、源五は納得しかない。
「おまえ、頭の中で何度もわしを長柄でぶん殴ること考えとったろう」
「……」
源五は沈黙で返した。小頭がニヤニヤと笑う。
「人の体は考えてることしかできん。おまえは、わしを長柄で殴ることばかり考えとったから、とっさに体が動い」
ぱんっ、と遠くから破裂音が響いた。小頭の声が途切れた。
まだ鉄砲が残っていたかと、源五は周囲を見回す。
目を向けた先に、茂みがあり、薄い煙があがっていた。
源五は、こなくそと追いかけようとして、ふと、小頭をみた。
小頭は、きょとん、とした顔のまま。膝から崩れてうつ伏せに倒れた。
──あっけない。
喜十郎康稔が、長柄隊の指揮を臨時で取ることになった。
喜十郎は、長柄隊の皆ににぎりを一個ずつふるまった。それだけで、喜十郎の名を知らない者たちも、この新たな組頭に従うようになる。
源五と彦次郎は、喜十郎の所領の出だ。長柄組頭代理の喜十郎の、そのまた側近のような扱いになった。
長柄隊がいる場所は、臨時の砦のような扱いになり、人と噂が集まってくる。日が落ちる前には、何があったか、だいたいわかった。
「お味方は、陸路で兵糧を運んでた。そこへ敵は水路で兵糧を運んできたんだ」
「船を使ったってことですか。どこから?」
「利根川を通って南……下総だろうな。俵を船着き場に積み上げていたから、急いで奪おうとしたんだ」
喜十郎を通して、源五も、噂を聞く。
敵も味方も、お互い、戦に備えて兵糧を集めていたらしい。戦いで集められる兵の数は、蓄えている兵糧の数で決まる。敵の兵糧を奪い、味方の兵糧を増やせば、戦わずして勝利することもできる。
「で、失敗したんですか」
「ちょうど乱取りを始めたところで、敵に襲われてな」
「ああ、それで……」
長柄の柵に逃げてきた連中がぼろぼろだったのは、そういう理由かと源五は合点がいく。
「それで、本所の若旦那。その兵糧は、どうなったんで?」
「敵が迫った時に、迂回して焼いた」
源五と彦次郎は顔を見合わせる。長柄の柵にいた武士が消えていたのは、そういう理由かと合点がいった。兵糧を奪う乱取りと違い、焼くだけならば手間もかからない。
「そりゃあ……もったいないですな」
「まったくだ。ところで源五。彦次郎」
「へい」
「長柄組、かなり減ったな」
「ああ……はい」
最初に騎射で射抜かれた三人の他に、徒士侍の槍や、鉄砲で二人が戦えなくなっていた。さらに二人が、逃げたまま戻ってこない。
「わしが足軽大将を引き継ぐには、減った足軽を補充する必要がある」
「はい」
「彦次郎に源五よ。おまえたちに、最低でも五人の足軽を集めてもらいたい。できるか」
喜十郎の目が、探るようにふたりの若者をみる。
源五はすぐに気づいた。これは、新しい小頭になるための試験だ。
彦次郎を見る。うなずく。
「やらせてください」
「そうか。頼む」
喜十郎が去ると、源五と彦次郎は、地面にへたり込んだ。
「おい源五よ、アテはあるのか?」
「あるわけないだろうが。これから考える」
「それで間に合うのかよ、おい」
村に残った若者に、足軽になれそうな若衆はいない。
彦次郎の憮然とした顔に、源五は気楽に答えた。
「なに。ずっと考えてりゃあ、いざという時に動けるってもんだぜ」
小頭の頭をぶん殴ることばかり考えていたから、咄嗟に体が動いたように。