5. モスコミュールとジンジャーと銅マグと
■イケテン
■ ■ ■ ■ ■ ■
くっ!
リッキーさんが写真を送っていたのはこの男か!!
友人への彼氏紹介じゃなかったのか!?
「そもそも付き合ってないよね君たち」
またしても妖怪『塩爺』は俺の心を読みやがる!!
「いや、もろ口に出てるから」
「ま、まさかリッキーさんに聞かれて!?」
リッキーさんたちを見れば何やら話し合いをしていて、こちらに気がついていない。
ほっ、良かった。
「雄也も『明日』なのね」
溜息を吐いたリッキーさんはタンブラーの縁を指でスゥッとなぞる。
色っぽい……ゾクゾクする……素敵だ……
「カガリも『明日』謝るって言ってたわね」
「なんで明日じゃダメなんですかぁ?」
口を尖らせ苦情を呈する篝にリッキーさんがふっと笑う。
「ダメじゃないわ。明日できることなら明日でいいわ」
「だったら……」
「だけど今日でも明日でも一緒でしょ。今日言えないことがどうして明日言えるの?」
「「それは……」」
篝と雄也がちらっちらっとお互いの視線を合わせては直ぐにその視線を外して目を泳がせている。
何となく座りが悪いようだ。
リッキーさんの言うことは正論だけど、それでは人の心は付いてこない。本人が出来る人だけに他人にも同じように強要してしまうんだな。
店内を気まずい沈黙が流れる。
仕方がない……
俺は注文されたモスコミュールを手早く作る。
味は少し甘さを控えて、生姜を使った自家製ジンジャーエールを使用。
そしてギクシャクした空気を破って雄也と篝の前にスッと銅マグ(※1)を添える。
「お待たせ致しました……モスコミュールです」
タイミングがわざとらしいと感じ取ったのだろう、リッキーさんが怪訝そうに俺を見つめた。
リッキーさん……あぁ、もっと見つめて……
ちっ!
塩爺がジト目で見やがる。
んっ、んっ、ごほん、ごほん!!
「立木さん、仲直りを強要してもシコリが残ってしまいますよ」
「天磨君……」
自分でも強引だったと自覚があったのだろう。
リッキーさんは少しシュンとしてしまった。
やばっ、可愛い……
俺はにっこりと笑顔を見せて、大丈夫ですよアピールをしてみたが、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。
えっ!
リッキーさん!?
ま、まさか怒らせちゃった?
「あのイケテンさん……私、頼んでない……」
注文をしていなかった篝が怪訝そうな顔をしている。俺は柔らかく笑って「サービスです」と告げた。
さっきの話を聞いた感じでは喧嘩の原因は大したことはないし、きっと2人もそれは分かっている。だけど気持ちが高ぶってしまっているんだろう。
こんな状態で仲直りを強要してもわだかまりが残って後々いいことは何もない。
だけどお互いに気持ちを静めて素直に謝罪を言葉にすれば、意外とすんなり受け入れられるものだ。大事なのは謝罪の時のお互いのメンタル。
まずは2人の間の重い空気を俺に注目させることで緩和させることにした。
「これは御2人に必要なカクテルかと思いまして」
「オレ達に?」
「ええ……花言葉ってありますよね」
突然ふられた話題に2人は何を言いたいのか分からないという顔だ。
「カクテルにも同じようにカクテル言葉があるんですよ」
「カクテル言葉?」
「初めて聞きましたぁ」
こういう蘊蓄話も2人の怒りを紛らわすのにちょうどいい。
「有名なものでしたら、立木さんが飲まれていたジントニックには『強い意志』、女性が好まれるカルアミルクなら『悪戯好き』ですね」
「へぇホントに花言葉みたいですぅ」
「じゃあ、モスコミュールは何ですか?」
俺は意味深に笑いを浮かべる。
「それを話す前にまずはご賞味いただけますか?」
2人は一度ちらりとお互いの目を合わせたが、すぐに手元の銅マグに視線を戻すとそれを手に取った。
「冷たっ!」
篝が銅マグの冷たさに驚き声を上げた。
「ふふふ。冷えてるでしょう。銅は熱伝導率がいいのでマグカップ自体がとても冷たくなるんです」
「ホントすっごく冷え冷え」
「走って来たから、この冷たさが気持ちいいや」
2人は銅マグに口をつけてコクリと飲み込んだ。
「ん~、甘いけどスッキリしていて美味しい!!!」
「ホントだ。カクテルってもっと甘ったるいものかと思ってた」
「同じカクテルでも味は千差万別。我々バーテンダーはお客様に合わせて味を調節するんです」
2人はへぇと感嘆の声を漏らす。
「同じお客様でも日によって体調も気分も異なります。それに合わせてカクテルを作る……我々バーテンダーはそのためにいるのです」
2人の俺を見る目に尊敬の念が見て取れる。
ふふふ……もっと褒め讃え崇めよ!
「お味の方はいかがでしょうか?」
「うん、美味しいですぅ」
「甘いんだけど後味がさっぱりしているな」
「炭酸と甘みの中にあるピリッと辛いのが後味に影響してるのかなぁ?」
「それは生姜の辛味ですよ。当店では実際に生姜を使った自家製ジンジャーエールを使用しておりますので」
「へぇこれって生姜の辛味なんですねぇ」
「そうか……だから凄く冷たくて体が冷えるのに、芯からはポカポカするんだな」
そう、それこそがモスコミュールの真骨頂。
生姜の成分ショウガオールやジンゲロンなどが血行を促進し、発汗を促すので体を冷ますが芯はポカポカとなるのだ。
甘味が人に幸福感を与え、甘味の後味を辛味がスッキリさせることで不快感がない。逆上せた頭や体を銅マグと氷が一気に冷やしてくれるが、生姜が体と心の芯を温めてくれる。
モスコミュールを美味しそうに飲む2人の気分もだいぶん落ち着いてきたようだ。
さて、頃合いだな……
「さて、先ほどお尋ねになったモスコミュールのカクテル言葉ですが『喧嘩をしたらその日のうちに仲直りする』なんですよ」
「イケテンさんもヒトミ先輩みたいなことを言うんですかぁ?」
少し不満顔の篝に俺は首を振った。
「私は明日でも構わないと思いますよ」
2人は意外そうな顔で俺を見る。
「ただ、先延ばしにすればするだけ長い時間思い悩む事に、苦しむ事になりますよ」
説得する時には自分の主張ではない。
あくまでも相手の為を強調することが肝要。
「「それは……」」
2人にももう分かっている。すぐに仲直りした方がいいと。
だからあと必要なのはきっかけ。
そのきっかけを提供してあげればいいのだ。
「今日はとても暑かったですよね」
「え? ええ」
「こんなに暑い日は皆さんとてもカッカしています。些細な事でもつい頭に血が登って上ってしまう。お二人の喧嘩の原因も些細なものだと伺いましたが、きっとこの夏の暑さのせいなんですよ。そうは思いませんか?」
「そ、そうだな。そうかもしれない」
「う、うん……ちょっとイライラしてたかな?」
「いかがですか? 冷たいモスコミュールを飲んで少しは落ち着きませんでしたか?」
2人は黙って頷いた。
俺はニコリと笑いかける。
「どうですか?このモスコミュールのように全てをサラッと流してみては……きっと全てが上手く行くような気がしませんか?」
モスコミュールの逸話は色々ある。だけど俺は甘いがサッパリ、冷えるがポカポカ、この相反する矛盾を上手く混ぜて調和させた、まさしく『カクテル』であるであるからこそ、モスコミュールのカクテル言葉が生まれたのだと信じている。
さて、モスコミュールを一緒に飲んだ2人の様子は……
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※1 銅マグ
銅製のマグカップ、ビアカップのこと。銅マグと言えばモスコミュール、モスコミュールと言えば銅マグと言っても過言ではない!銅マグで提供されるカクテルはモスコミュール一択!