心臓探偵 のん ⑤
ーー人混みの中を晴人は進む。
帰宅ラッシュも始まり、ただでさえ多い構内に更に人が雪崩込む。
晴人は自宅を出て1時間、東京駅まで来ていた。
(派手な通り魔殺人でもするのか? やりたいならやりゃ良いが、殺すのは2人までにしとけよ。数としては微妙だが、まあ未成年だしセーフだろう。教えといてやる。18歳以上は死刑に該当する罪を犯せば未成年でも死刑になり得る。だが18歳未満なら、死刑には成らない。法的に定められた事だから、それは絶対だ。だが、死刑には成らないが、罪が死刑に該当する場合は無期懲役にはなる。3人殺せば、かなりの高確率で死刑だ。大人みたいに、事実上の終身刑みたいにはならないだろうが、下手すりゃ10年20年ブタ箱に入らなきゃならなくなる。心神喪失も今は簡単には、認められないだろう。社会がうるせえ。分かったな? 暴れるのは構わないが、殺すのは2人までだぞ? 思い付きだけで軽率に動くなよ?)
早川の呼び掛けに晴人は応えず、ただ激流を遡る様に、流されるように、前を向き人混みを肩で掻き分け進んだ。
(なんとか、言えよ。相棒)
「ーーーーー!?」
突然、晴人の足が止まる。
(どうした?)
晴人の行く手を塞ぐ様に、男が立っている。
刑事か?
ーー2人だけを包む、張り詰めた緊張感。
それは、回りには伝わらない。皆変わらず、2人が見えないが如く、歩き続けている。
男は黒ずくめで、長身、異様な空気を纏っている。
刑事には見えないが……。
コイツは、なんなんだ?
晴人は男を観察しながら、じっと次に何をすべきか考える。
「ーー相川晴人か? 悪い事は言わねえ、自首しろ」
男は言った。
やはり、刑事かーー!?
(やばいな。刑事か? もう顔が割れたのかよ!? 仕方ねえ。ブタ箱に入る前にひと暴れしようぜ。当分、楽しめなくなる。出来れば窒息して苦しんでいる所が見たいが、仕方ない。そんな事してるいる余裕は無いだろう。取りあえず、包丁出して、弱そうな奴を適当に滅多刺しにしろよ? おお、あの男の後ろにスゲー可愛い女の子がいるじゃないか。少し俺の好みよりは大きいな。だが、悪くない。これから、ブタ箱なら最後に、ああいう子が窒息して苦しむ所がみたいねえ。口惜しい)
早川は狂おしく悶えるように、気持ちの悪い粘っこさを含んだ口調で言う。
晴人は早川を無視し、男に話し掛ける。
「あんた刑事か?」
その口調は強いが、微かに震えている。
精一杯の虚勢だ。
「いや違う」
晴人とは真逆に、男の声に緊張感は無い。圧倒的に自分が有利という余裕だろう。
(晴人、気を付けろよ。嘘言ってる可能性もある。刑事なら、周りに他の刑事も居る筈だ。周囲に気を付けろよ。いきなり取り押さえられるぞ)
晴人は辺りを見回し、警戒する。
「誰だ? あの子の関係者か?」
あの子とは、自分が襲った女の子だ。
「いや、違う。このまま自首するなら見逃す。じゃねえと俺はーー」
「……分かった。 ーーよッ!!」
と、
通行人が晴人と男の間を横切った一瞬を突き、男に背負っていたリュックを投げ付ける。
男は顔に向かって飛んで来たリュックを、素早く手で受け止める。
「ーーおっ! おいっ!?」
男は言う。
「ーーその男、痴漢だっ!!」
晴人は男を指差し叫ぶ。
「ーーえっ!?」
「なんだってっ!?」と、通行人達が男を一斉に取り囲む。
のんにやられた事を、今度は晴人がした。
男の自分がやっても、予想以上に効果てき面だった。子供だからというのもあるのだろう。男は人の壁に囲まれて、身動きが取れなくなっている。
晴人は後ろを振り返ると、騒ぎに紛れて、その場から急いで立ち去った。
晴人はその足で、急いで電車に乗り込む。
(あーあ、包丁無くなったじゃねーか。顔も割れてるしどうすんだよ?)
早川はボヤく。
晴人は時間を考え、あまり下ると寝る場所にも困りそうなので、大宮で下りようとする。
大宮には来た事がないが、結構栄えているから繁華街もあるだろうし、漫喫にでも泊まればいいだろう。
(お前、此処で降りるのか? 止めとけ。未成年が夜中に外出してたら、直ぐに補導されるぞ? 幸い制服じゃないが、お前は童顔過ぎる。私服でも誤魔化し切れない。繁華街じゃ逆にお前は目立つ。常識だぞ?)
夜中に出歩いた事も無い晴人には、そんな事は分からなかった。
人混みに紛れてしまえば、自分などすぐに分からなくなってしまうと思っていた。
仕方が無いので、降りようと出口に向けた足を戻し、そのまま電車に乗りさらに下った。どんどん東京から離れて行く。
見た事も無い制服の男子学生が2人、目の前の座席に座っていた。
静かに2人はスマホを弄っているが、時折スマホを指差して会話をしている。
制服も同じだし、友人同士なのだろう。
これから予備校というには中途半端な時間だ。部活を終えての帰りか、はたまた遊んでいたのか。分からないが、彼らはとにかくこれから帰宅するのだろう。帰る家の在る人間の顔は穏やかだ。1日やる事の全てを終えて、安心して気が抜けている。
晴人はもう家に帰る事は無いと決めていた。
目の前の彼らとは、まるで違う顔をしていた。
肩をすぼめ、周りの世界から心を遮断する。
病状が悪化し、もう助からないかも知れないと思った時だって、今よりマシだ。
両親が肉体的にも精神的にもすぐに側に居たし、何より一生に同じ病と闘うのんが居た。今は星さえ輝かない、暗黒の宇宙に1人放り出されたようだ。天も地もなく、ただ不安定で宙ぶらりんに浮き、辺りは何も見えない。あるのは内で膨張していく、不安だけだ。
のんは一緒に居ると、アホでうるさいが、お時折驚くような頭のキレを見せた。
推理小説の内容を話してやると、トリックやストーリーをちゃぶ台返しするように、自分では想像も付かない切り口で返して来たりする。
ストーリー全てを無視した発想に呆れもするが、内心では凄いなと感心する事も多かった。
でも、基本はアホだ。のんの無防備な笑顔が頭に浮かぶ。
ふと、晴人から笑顔が漏れる。
ーーああ、もう一度のんと会いたい。きっとあいつのアホ丸出しの笑顔を見れば、こんな思いなんて吹き飛ぶだろう。
……だが、もう会う事は無い。
晴人は出来るだけ人気の無い街の駅で下りた。
ホームに降りたのは晴人と2人。
無人の駅を出ると辺りは真っ暗だった。駅前だというのにコンビニも無い。
民家が疎らに建ち並んでいるだけだ。一緒に降りた乗客2名には、迎えの車が来ている。つまり、交通手段がもう無いという事だ。
全く知らない土地でただ1人、だが今の自分の身の上の不幸に比べれば、それ程の心細さはない。今はとにかく寝る場所を探すのが先決だ。
駅で寝るのは、警官が巡回で立ち寄る可能性を考え、早川が反対した。
駅を離れるとすぐ、田が広がっていた。蛙が鳴いている。
暗いのに目が効く。ふと気が付き空を仰ぐ、空には満天の星が広がっていた。
綺麗だな。と思った。
こんな時でも、一時の幸福を感じる。
まだそこまで追い込まれていないという事か。
(おお、綺麗な星空じゃないか)
「え?」
晴人は拍子抜けした声を上げた。早川の人間臭い言葉に驚いたのだ。
「お前も、この空を綺麗だと思うのか?」
(当然だろ? ごく当たり前の感情だ)
晴人は道の脇に、小さな小屋を見つけた。
小屋の前には、バス停が有る。
バス待ち小屋だ。
(流石に警官も、此処の前はパトカーの巡回で通っても、降りて中まで覗く事は無いだろう。中も、灯りが無く真っ暗だ。外からライトでも照らさなきゃ、見えない)
という訳で、此処で今日は野宿となった。
粗末という訳では無いが、実用性のみの雨風を凌げるだけの質素な小屋だ。
だが、ありがたい事に備え付けの長椅子がある。小屋の端から端までの長さがあるので、足を伸ばして寝れる。
晴人は闇の中に疲れた体を横たえる。
(お前、スマホは?)
スマホは持っているが、母親や学校からの着信が有るだろうから電源を切っていた。
(前やったヤツ、もうニュースになってるか? また見てみろ?)
前やったヤツとは、言うまでも無いが、板橋のショッピングモールで女の子を襲った時の事だ。以前騒ぎになってるか検索した時には、全くそんなニュースは無かった。それからも、そんなニュースは無かった。
(せっかくやったのに、バレてないかと思ったが、ちゃんとバレていたようだな。あの男が刑事だとしても、そうじゃ無くとも、事故では無いと疑ってる奴はいるようだ)
「バレたら困るだろ?」
(良いんだよ)
「なんでだ?」
(……。)
早川は黙った。
「お前が、窒息魔の早川満寿男だからか?」
(知ってたのか?)
「お前が自分で名前を言ったんだろう」
晴人は将来刑事に成りたいと思っていたような人間だ。日々の事件のニュースには毎回目を通していた。普通の人間よりも、強い関心を持って。
当然、世間を騒がせた窒息魔事件もーー。
ただ、早川の声が聞こえ始めてから、それも止めた。
(いや、ニュースで事件くらいは知ってても、名前まで覚えているとは思わなかったぜ。そうだ。俺がその早川満寿男だ。お前に移植された心臓は俺の物だ。勘の良い刑事が、俺に辿り付きやがった。まさか、犯行現場を予測されていたとはな。で、追われてる時に事故にあってな。俺は完璧主義者だから、完璧に善人としてカモフラージュする為に、ドナーカードに記入してたから、心臓がお前に移植された。まさか死後も意思が残るとはな。驚きのサプライズだ)
「お前、共犯が居て、それを警察が見逃した事にしたいんだろ? 確か物的証拠も出て来た筈だから、真犯人が居たというのは無理だからな。警察への復讐か?」
(察しが良いな。そうだ。狙いはそれさ。ただ、それは一先ずの目的だ。ある程度気が済んだら、また地下に潜り、こっそりと窒息ゲームを楽しみたいと思っていた。派手にやるのは自分の存在を知らしめる為だ。純粋に楽しむ為の犯行じゃ無いからな。勿論、相棒のお前と一緒にな。ただ警察への報復も、お前の顔が割れてるなら、やり辛くなったな。計画を練り直さなきゃない。いきなり1発目でつまづいたぜ。だが、お前がまだ18歳未満というのは良い。死刑にならないというのは気分的に気が楽だ。007じゃねーんだ。2度死ぬのはゴメンだ。俺はそういうスリルは要らない)
「どうして、お前はそんなに人を殺すんだ? 星空見て綺麗だと普通に思ったりすんだろ?」
(星空を見て綺麗だと思うように、小さな女の子がもがき苦しむ所が見たいと思うのさ)
早川は笑って言った。
「……。」
晴人は絶句した。
星空を見て同じに綺麗だと言った早川に、少しでも人としての何かを期待した自分が馬鹿だったと落胆した。コイツは生まれながらの怪物だ。
星空を見て綺麗だと思う事と、少女を殺す事が、同列なんて人間には理解出来ない。
共通点すら見当たら無い。むしろ正反対の感情だ。
少女を殺すなんて、おぞましい行為だ。
そもそも、論理的にQに対してのAに成っているのか? 早川は精神構造が人として完全に破綻している。
馬鹿は死ななきゃ治ら無いと言うが、早川は死んでも治っていない。
……だが、俺も女の子を1人手に掛けた。
それは、紛れも無い事実だった。
晴人は震え出そうとする自分の右手首をグッと掴む。
犯行の瞬間はよく覚えてい無いのに、あの時の事を考えようとすると、手が震えるのだ。それは、自分が手に掛けたという確かな証拠なのだろう。身体が覚えているのだ。早川の意識が心臓に宿ったように、肉体が脳のように記憶を蓄積させていてもおかしくは無い。
押さえた筈なのに、まだ震えている。晴人は自分の身体が震えている事に気付いた。
心臓を血が通り抜ける度に、全身に早川が送り込まれていくような気がする。体の中を沢山のミミズが這うような気持ちの悪さに、全身を掻き毟りたい。
罪悪感なのか、それとも自分に芽生えた悪意なのか、それは毒のように日に日に全身に広がっているのを晴人は感じた。
ーーその毒は、俺を早川に変えるのか?
晴人は自問した。だが、答えは出無かった。
(お前もじきに、俺の気持ちが考えなくとも分かるようになるよ)
早川はそんな晴人の気持ちを察するように笑って言った。
(とにかく、早くスマホで事件の事の事が載ってないか見てくれ)
早川は黙っている晴人に言った。
晴人がスマホの電源を入れようとすると
(いや待て、スマホで位置を特定されるかも知れ無い。電源入れるな)
「開けって言ったり、閉じろって言ったりなんだよ! これから、どうする気だ?」
(そうだな。先ずは逃げる事だろ。顔が割れちまったからな)
「俺じゃない。俺の中で、お前がだ」
(俺はまた殺しが出来ればいい。俺に今ある感覚は、お前を通して得られる視覚位だ。狭い部屋から、テレビを見てるだけみたいなもんだからな。また見たい女の子が苦しみ、命の火が消える所を。ささやかな願いだろう。お前は逃げ続けろ。まだガキだ。数年で容姿も随分変わるだろう。殺しは放浪しながらやりゃいい。土地を跨ぐ方が、反抗も分かり辛い。これからは、地味に分からないように、暫くは殺すんだ)
晴人には理解出来なかった。
逃げるのにリスクを出来るだけ減らす事を普通は考えるはずなのに、なぜ逃げながらどうやって人を殺すかを考えるのか? 全く持って合理的じゃない。
早川はそこまでして人を殺さなきゃ成らないのか?
「……なあ?」
(なんだ?)
「お前は俺の意思を支配する事が出来ると言ったが、それは本当か? 俺は犯行を犯した時の記憶が曖昧だ。お前がやったのか……?」
(……。あれは、お前を脅す嘘だ。やったのは、お前だ。お前は俺に影響されたかも知れないし、そそのかされたかも知れないが、それでも殺したのはお前だ。俺はやり方の助言はしたが、他は何もしてない。お前の意思だ。そして、お前はこれからも同じ事を繰り返すだろうね。それが俺の心臓を体に宿したお前の宿命だ。俺の性を、お前の宿命が引き継ぐのさ。俺達は2人で1つだ。誰にも引き裂け無い、永遠に一緒だよ)
せせら嗤うように言った。
「……。」
翌朝、晴人は空が明るみ始める頃に起床する。
こんな所で子供が1人寝ていては、誰かに怪しまれる可能性がある。暗い内に駅まで戻ろう。
流石に、板で出来た長椅子の上で寝た所為で、体が痛い。狭くて寝返りもろくに打てなかったし。
うそうそとバス待ち小屋を出ると、痛みを取る為に伸びをし、体操のように軽く体を動かす。
何か食べる物をと、コンビニを探すが、昨晩見た通りコンビニどころか店さえも無い。
明るくなり見ると、辺りは一面の田んぼと畑、その中に疎らに家があるだけだった。
まあコンビニ以外の店があっても、この時間はまだ開いてないだろうが。
取りあえず、道脇の自販機のジュースで腹を満たす。
あまりお金は使えない。全財産を持って来たが、子供の全財産だ。所持金は多くは無い。
畑になったキュウリを1本拝借した。
一応、スーパーでこの位だったか? と100円、蔓の巻かれた棒に挟むようにして置いてきた。なんと無く、小さな罪でも、無駄な罪はもう重ねたくない。
「なんだこれ? おえっ!ぺっぺっ!!」
キュウリを一口かじった晴人が、それを吐き出し言った。
(お前、それヘチマの若いのだぞ? 俺は小学校の時に育てた事がある)
「……先に言え」
駅まで戻ると、トイレの手洗い場で顔を洗い、ホームに入り始発を待つ。
さすがにまだ出勤の人間も居ない。自分1人だ。
都心方面に行く上りなら分からないが、さらに人里離れる下りは、流石に乗客は居ないか。晴人はまだ下るつもりだった。
「ああ、しまった。時刻表がリュックの中だ。スマホは点けれないが、記憶を辿れば着けるだろう」
(どこへ行くんだよ。相棒)
「誰も居ない所さ」
(それじゃ、誰も殺せないだろ?)
「取りあえず、今は身を隠せる所だ」
(つか、そんな所あるのかよ? 意外に世の中どこへ行っても、人ばかりだぞ?)
「あるさ、とびきりの、人間は誰も居ないネバーランドが」
(なんで下るんだよ! 上ろうぜ! 俺にはやり残した事がある)
「……えっ!? やり残した事??」
段々と辺りの明るさが増して行くのが分かる。
話していると電車がやって来た。
気付くと何人か乗客が増えていた。数えられる位だが、降りた時より多い。
下る人間も居るようだ。
スピードを落とし、目の前に電車が止まる。
ドアが音を立て開くが、乗り込む客は居ても、誰も降りては来ない。
晴人は立ち上がって、歩き出そうとした。
(下りはダメだ。上るんだよ? そして、飴玉を買おう)
「……。」




