日々
私はヤッちん。そして、コレはPEN太郎。君は、ちびクロ君。
ベッドの上で眠るちびクロ君を見て、それから枕元のPEN太郎を見て、思う。
私は最近、めっきりヤッちんである。
ヤッちんと呼ばれる前は、私は私だけどヤッちんでは無かった。
八百比丘尼と呼ばれていた頃は、八百比丘尼だった。
人魚姫と呼ばれていた頃は、人魚姫だった。
私にとって
PEN太郎は凪さんにプレゼントされ私の所に来るまでは、誰かのただのカメラだった。
ちびクロ君はただの子猫だった。
でも、2人とも今は違う。私にとって多くの中の1つではない。
凪さんは私に名前を付けた。私は凪さんにとってそういう存在になれたろうか。
昨日は、夜深くから雨が降り出した。
天気予報では、そのまま明日も1日雨だそうだ。
凪さんは翌日は仕事も入って無く、公園に行ってPEN太郎の使い方を教えてくれると言っていたけど、雨だと分かりお酒を沢山飲んで事務所のソファで寝てしまった。
ちびクロ君に急かされて、餌をあげる為に私はベッドを出る。
カーテンの隙間から、明るい陽射しが差し込んでいた。
カーテンを開けて窓の外を見ると、すっかり晴れていた。
天気予報は大ハズレだ。
ソファの上の凪さんを起こそうと思ったけど、良く寝ていたのでそのままにして、置手紙をし1人で出て来た。
出る前に、寝ているアホ面の凪さんを1枚パシャリとPEN太郎で撮る。ひひひーー。笑う。
事務所のドアには『CLOSED』のプレートを掛けた。今日はお休みです。
雨上がりの朝は気持ちが良いです。
街がすべて天から注ぐ雨で洗われた後のようで、なんだか新しい朝な気がする。
私もブチ殺されて蘇生した後は、生まれ変わった新しい私な気がする。
こんな気持ちを味わえるのは、凪さんに出会うまで私だけだったろう。
少しだけ得意満面です。
ブチ殺された時は、即死で無い限り凄く痛い事がほとんどだけど、死ぬほど痛いのでは無く、本当に死んでしまうんだから当然だ。ちょっとおかしくて、思わず笑う。
でも、もしその間、私が本当に死んでいるなら、死後の世界なんか無いのかもしれない。あの世なんて、見た事が無い。
もしかしたら、死んでる時間が短いからだろうか? 完全な再生には時間が掛かるが、蘇生だけならその前に完了する。それとも、ただ覚えて居ないだけか。
そう言えば、人間の魂の重さは21gらしい。死ぬとみんな、同じに21g体重が減るらしい。
魂が命とイコールだとするなら、命の重さは地球の重さよりずっと軽いじゃないか。1円玉21枚分、21円だ。
でも、みんな平等に同じ重さではある。
でも価値はどうだろうか?
21gの砂つぶと、21gの砂金では、言うまでも無い。大事なのは魂の質である。では、その質を決めるのはなんじゃらほい。
「君、若いのに随分と古いカメラ持ってるね?」
そう話し掛けて来たのは、全身黒ずくめの青年だった。
自分も若いのに、面白い事を言う人だと思った。
ブーツにパンツ、シングルのライダース。全部黒。でも頭は金髪? いや、白髪? 白銀かな? 身長は高く無いけど、学生じゃないと思う。多分20代前半くらい?
「はい。貰ったんです」
私は答える。
「ご両親に? ご両親、カメラ好きなの?」
「いえ、でもそんなとこです。ーーあれ?」
私は彼の肩にもたすき掛けに、カメラが掛けられているのが分かった。
でも、カメラ自体は古い一眼レフなんだけど、そのカメラはボロボロで
何より印象的だったのは、向かって左側の部分に真鍮板のパッチがされている。
そのカメラも、やはり黒だった。
「ニコマートFTN。君のPEN Fと違って今じゃ安物だよ。しかも、壊れてる。ミラーが上がったままで、何度直してもまた元に戻る。原因不明だ。でも、コイツは昔は戦場カメラマンの首に掛けられて、一緒に戦場を走り回ってたんだよ。当時のフラッグシップ機ニコンFのサブとしてね。ニコンのレンズが使えて、ニコンFより安くて、ニコンFと同等レベルの頑丈さ。撮るカメラとしては、素晴らしいカメラだったんだ。いや、今でも素晴らしい。ーーああ、女の子にこんな話つまらないね」
と青年は笑った。
「いえ」と、言った時、私はカメラの他にもう1つ気付いた。
青年も気付いた私に、気付いた。
「ああ、左目は見えてないんだよ。別にどこか悪い訳じゃない。精神的な物らしいんだ。コイツ(ニコマート)と一緒だ」
青年は特に後めたい様子も無く言った。
それから謎めいた笑いを浮かべ
「でも、見える時があり、写せる時がある。それはね。幽霊がファインダー内に入った時だ。その時、上がったままのミラーが下りて、僕の見えない左目はファインダー越しに幽霊を捉える」
と言った。
「え?」
「冗談だよ。ごめんごめん」と青年は笑った。
彼はそう言ったけど、私は冗談に聞こえなかった。
その後、彼は古い黒いYAMAHAのバイクに跨り去って行った。
変な人だったけど、嫌な印象は無かった。
逆に幽霊を写すなんて、とても興味が引かれる。名前くらい聞いておけば良かったかも知れない。
これが実は運命的な出会いだったするのだが、この時の私には知る由もありませんでした。
その後、ふらふら歩いて思い付きで都電荒川線に乗る。1車両しかない可愛い電車だ。
適当にどっかで降りよう。
車窓から見える風景は、ゆっくりと流れる。
昔、象とネズミの流れる時間が違うと誰かが教えてくれた。
生涯に心臓が鼓動する回数は全ての生き物で同じだけど、1回の鼓動に掛かる時間は違うから、各生き物で感じる時間が違うらしい。
1年の寿命でも、10年の寿命でも、その一生で打たれる鼓動の数は同じ。
私は1300年生きているけど、多分1回の鼓動の時間はみんなと同じだろう。でも1300年鼓動していて、たまにブチ殺されてリセットされる。今を感じるのはみんなと一緒だけど、過去と未来は永遠かもしれない。未来に進めば進むだけ、過去もまた伸びて行くのだから。
向かいに座る、お婆さんに連れられた小さな男の子が、微笑み私に手を振る。私も同じに笑って振り返す。お婆さんは私にお辞儀をして微笑んだ。私もそれに同じに微笑み、返す。
この3人の中で、1番歳をとっているのが私で、この先1番長く生きるが私ーー。
断って、2人をPEN太郎で写す。カメラを向けると男の子がピースをした。
名前に惹かれ、鬼子母神前で降りる。
鬼子母神は今でこそ子供の守り神だけど、昔は自分の子供500人を育てる為に人間の子供を獲って食べていた。それを、お釈迦様に罰せられて、心を入れ替えて人の子の守護神になったとか。でも、おかしな話だ。人間の母親も、鶏の卵を沢山食べる。無精卵であるとしても、何も産まれて来ないにしても、鶏には卵は卵だ。食べられたらきっと悲しいだろう。
立派な欅の木ある参道を歩きながら、参道から脇に伸びる路地なんかを撮りながら進む。
短い参道の突き当たりを、左に曲がると鬼子母神堂が見えた。
境内には、駄菓子屋が在り、その横に赤い小さな鳥居の並ぶお堂が在る。その鳥居達が、巨大なイチョウをコの字に囲んで居る。凄い立派なイチョウで感銘を受けたが、樹齢600年と、私より半分以上も歳下だった。ショック! この小僧っ子がぁーと心の中で叫ぶ。
駄菓子屋で、お母さんが小さい男の子にねだられ、駄菓子を買っていた。
私も気分的に何か買いたいなと思ったが、食べて吐いてもテンションが下がる。
別に食べたい訳ではない。買いたいのだ。ああ、そうだ。凪さんのお土産にしよう。
私はいくつか駄菓子を選んで買った。
私は駄菓子が入った袋を持ちながら、イチョウを囲む鳥居をくぐり歩き、写真を写す。
凪さんはどっか変だ。そんな事は、私も気付いている。
普通、人知を超えた力を得ても、やはり人を殺す時は躊躇するものだ。
なのに凪さんは、まったくそれが無い。
まるで人を殺す事に……。
凪さんは、私に出会う前は、本当にただの探偵だったのだろうか。
私は凪さんに出会い、ヤッちんになった。
私に出会う前の凪さんは、今と同じ凪さんだったんだろうか。
ふと、そんな取り留めの無い疑問を抱く。
凪さんは自分の過去を何も話さない。だから、私は訊かない。
高城さんとの関係も訊かない。
でも、私の事は出来るだけ話したい。嫌われない程度にーー。
その後、鬼子母神堂にお参りをして、ぶらぶら写真を撮りながら帰った。帰りは池袋から山手線だ。
帰りに写真屋に寄り、フィルムを現像に出した。1時間ほどで出来るという事なので、辺りをまたぶらぶらして時間を潰して、現像した写真を貰って来た。
帰りの電車で、出来た写真を見る。
中々良く写っていた。最初に会ったお婆さんと男の子も、欅も路地もイチョウも駄菓子屋も鬼子母神堂で遊んでいた親子もー。あと、出る時に撮った凪さんのアホ面も。
思い出は頭に残っているけど、それに素敵な挿絵が付く感じだ。
ああ、なんか写真を撮るのは楽しいな。と思った時に、写真が苦手だった事を思い出す。うん、もう嫌いなんかじゃないよ。PEN太郎の頭を撫で思う。
「どこ行ってたんだよ、ヤッちん!」
帰るなり凪さんが親にはぐれた子供の様に言って来た。
「携帯に電話すれば良かったじゃないですか?」
「したよ!」
と言って、凪さんは私のスマホを手に持って見せる。
「あっ 」
「忘れて行ってんじゃん!!」
「すいません」
「なんで、起こしてくれないんだよ。1人で行くなんてさあ」
「だって凪さん爆睡してたじゃないですか?」
「してても、起こすんだよぉ。一緒に行こうよって、泣いてすがり起こすんだよぉー」
うーん。面倒臭い。
「取りあえず食材買って来たから、今から夕飯作りますよ。それまで、買って来た駄菓子でも食べててください」
調理した食材をテーブルに並べ、ごはんとお味噌汁をよそう。
私にはブラックサンダー1袋。いつもの食卓で、今日1日の事を話、凪さんに撮った写真を見せ、「自分も行きたかった!」という愚痴を聞き、自分の間抜けた寝顔の写真を見付け凪さんが文句を言う。
何でもない日常が、私には特別だ。普通じゃないのが普通だった日々。いや、今だって普通ではないのだろうけど、私にはこれ程にない幸せな日々だ。
おわり




