プロローグ
昔々、中国のお話です。都から遙か離れた山村に、一人の少年が住んでいました。
少年は大層勉強好きで、農作業の合間を見ては、村一番の物知り爺さんの話を聞きに行ったり、数少ない書物を読みあさったりしていました。しかし、少年の父親は、そんな少年を「農作業に精を出さない怠け者」と叱るのでした。少年はいつも思っていました。
「ああ、思う存分勉強したいなぁ、もっと沢山の本を読んでみたいなぁ」
そんなある夏の日、少年は母親に言いつけられて山へ薬草を採りに出かけました。いつもの山に若草を踏み分けて入って行くと、少年はたわわに実をつけた一本の木を見つけました。今まで、この木に実がなっているのを見たことがありません。少年は手を伸ばして、桃に似たその果実をもいでみました。
一口囓ると、とても苦い味がしました。まだ熟れていなかったのかもしれないと思い、もう一度、今度はよく吟味してもぎました。しかし、その実はやはり苦かったのです。少年は諦めてその場を去ろうとしました。すると、目の前に薄い絹を幾重にも纏ったご婦人が現れたではありませんか。「こんな山の中に不釣り合いな……」といぶかしんでいると、ご婦人は少年に語りかけました。
「どうかその実を土に埋めて下さい」
少年は、一口囓られたまま足元に捨てられている果実を見ました。
「その実を土に埋めてくれたなら、どんな願いでも叶えてあげましょう」
ご婦人の鈴を振るような声に導かれ、少年は果実を拾い上げました。少年が果実の埋まるほどの穴を掘りあげると、ご婦人はまた言いました。
「願い事を一つだけ、強く心に思いながら埋めて下さい。そうすればやがて貴方の願いは叶うでしょう」
少年は強く思いました。
「誰にも文句を言われずに、好きなだけ勉強ができますように……」
果実に土を掛けて立ち上がると、そこにはもう誰もいませんでした。
それから数ヶ月たちました。少年の家へ、母親の遠縁にあたる人の使いが現れました。都に住んでいるその人は医者をしているのですが、残念なことに子供に恵まれず、跡取りに養子を貰うことを考えたのでした。そこで、子沢山の家の、少年に白羽の矢が立ったのです。少年は天にも昇る気持ちでした。
支度を終え、明日は都へ旅立つという日、少年は再び山へ行きました。すると、少年が埋めた果実の辺りから、小さな芽が出ているではありませんか。少年はその芽に囁くように「ありがとう」と言いました。
都へ行った少年は、大好きな勉強を誰にも文句を言われず思う存分できるようになりました。願いが叶ったことに感謝しながら、毎日一生懸命に勉強をしました。その甲斐あって、少年はやがて立派な医者になり、結婚をし幸せな家庭を築くことができました。
ある時、彼は、ひょんなことから、願いを叶えてくれた果実の話を妻のお兄さんとその友人の前でしてしまいました。すると、二人は意気揚々として、その果実のある山へ出かけて行きました。二人は何年も帰って来ませんでした。やがて心配している家族の元に、二人の死の通知が来ました。二人は、果実を独り占めしようと殺し合いを始めたのでした。一人が死に、生き残った方もまたその時の傷が元で間もなく病院で息を引き取ったそうです。彼は悲しみました。
「自分があんな話をしなければよかった」
その後、彼は幸せに一生を暮らしましたが、あの果実の話をすることは二度とありませんでした。