5.エピローグ 細工師たちの日常
イアールトってのは、現代でいうウラエウスです。ウラエウス・アストラペ!で通じる人は僕の仲間。
キヤに与えられたのは、サトアメン王女──もうすぐ第一王妃となるが──専属の女官の地位であった。
周囲にも王女が妹も同然に可愛がっているということは完全に知られていた。まあ衆人環視の中で熱烈な告白と抱擁を交わしていたので、いまさらである。
「ネフェルタリ。そなたの女官はどうにかならぬのか?あれは罰せぬとの約束ゆえ放置しておるが、いささか不敬に過ぎるぞ」
思い切り嫌味を言われるのだが、と唇をとがらせるアメンメセスを見もせず、ルウはさらりと返した。
「あなたがわたしたちをイウネトの自宅に返してくださらないのがいけないのです。週一日でも月に五日でも帰宅を認めてくだされば、キヤも落ち着くでしょう」
「なるほど、主犯はそなたか!」
アメンメセスは不満げに言った。いかにも、とでもいうようにルウはつんとそっぽを向く。
その服装はもはや腰布ではなく、あの上着もない。女性らしいシースドレスだった。
その首には、先日イウネトのとある工房が献上した、動けばしゃらりと音がする変わった首飾りが揺れている。
「そなた、そんなに帰りたいのか?」
「我らが母と違って、出ていくというわけではないのですよ。外出くらい認めていただけないものでしょうか」
そもそもあの工房にはわたしの道具があるのですよ、怪我も治ったのに首飾りを作るのに触ったきりなど寂しすぎます、まだ作りたい意匠が云々、とルウは立て板に水で滔々と語る。
油の器をそばに置き、ルウの脚に油を塗り込んでいたキヤはくすくすと笑った。
ただでさえ怪我で我慢を重ねていたのに、まだできないのだ。だいぶ苛立っているのだろう。
その笑い声にハッとしたようにルウの声が止まり、ふうとため息が聞こえる。
「……そもそも、細工のできないわたしに価値などございません」
「なにを言う。そなたに価値がないなど」
言いかけたアメンメセスをちらりと見つめ、ルウは言った。
「イウネトに、いくつの金属細工の工房があるかご存知ですか?そのなかで四年もの長きにわたり頂点で居続ける工房が数少ないことは?」
苛立ちのあまり普段以上に平坦なルウの声の後ろをキヤが継いだ。
「そもそも宮殿に献上する細工は、ワセトなどにある伝統ある工房が請け負います。そのなかで、実力のみでのしあがったイウネトの“ハトホル”が認められるのがどれほど珍しいか、神王におかれましてはご存知でいらっしゃいますか?」
不遜極まりないが、ルウが満足げにこっくりとひとつうなずくので、アメンメセスも見事な代弁であるとしか言えない。
「このままでは、“ハトホル”の名を手放すことになりましょう。いえ、それは仕方のないこと、覚悟しておりますが……」
ルウの目が据わっていた。
「一介の職人としては、なんの努力もせずその名を手放すわけには参りません」
それで、どうなさいますかとルウはアメンメセスに問うた。
返すか、返さないか。ただそれだけである。
だが、返さなければいつまででもぐちぐちと責められるのは目に見えている。
ついにアメンメセスが折れた。
「…………よかろう。月に四日、イウネトに赴くことを許す。ただ、護衛を付け、忍んで参れ」
ルウとキヤがよく似た笑顔で楽しそうに笑った。
「「ようございました」」
ぴたりと声が揃った。
数日後、護衛としても優秀だったことが判明したアニを伴い、ルウとキヤはイウネトに戻ってきた。
街中では、キヤが声をかけられては楽しそうに対応しており、ルウがそれを微笑ましげに見ている。アニはそれを興味深げに見ていた。
「その嬢ちゃんたちは?また新しいお弟子さんかなんかかい?」
愛妻家で、たまに贈り物にと細工を注文してくれるおっちゃんに訊ねられて、どう説明したものかとキヤは答えに困った。
「わたしは工房のあるじですよ」
後ろから聞こえてきた声にあわてて振り返ると、こともなげに言ったルウはビーズ一つと柘榴を交換して戻ってくるところだった。
「そちらの子は、わたしの実家からのお目付役です。そろそろ帰って来いとせっつかれまして……自由な工房生活は楽しかったんですけど」
ルウはさっそく柘榴を割ってつまんでいる。
キヤは言ってしまってよかったのかと一瞬戸惑ったが、よく考えたらシースドレスで此処にきている時点でルウはもうごまかす気がないのだと納得した。
若く美しい女が、このイウネトの金属細工工房の頂点だとは誰も思わなかっただろう。
おっちゃんも目を見開いている。
「き、君が?!嘘だろう、女だし……しかも若すぎるぞ!!」
「若いですが、確かにわたしです。……柘榴、キヤとアニも食べる?」
「あ、いただきます」
キヤは素直に柘榴の端をもらってつまむ。その様子を不思議な目で見つめたアニもルウから柘榴の端を渡され、恐縮しながらそれをいただいていた。
「お目付役がついてしまったから、あんまりたくさんはできなくなるけど、これからも細工は続けていくつもりですから、またどうぞご贔屓に」
ルウははんなりと微笑み、キヤとアニを促して自宅への道を進んだ。
「師匠、アニが寝る場所も作らないといけないですよね、間に合うといいですけど」
「申し訳ございません……」
アニは申し訳なさそうにそう言ったが、ルウはくすくすと笑って首を振った。
「構わないよ、アニ。昔も似たようなことがあったから。
明日、寝台を買いに行こう。だから今日はちょっと暑いけど、寝台をふたつくっつけて、三人で雑魚寝」
アニの顔が絶望でゆがんだ。
それもそうだろう、仕えるあるじたる王女に、その筆頭女官つまりほぼ上司みたいなキヤと同じ寝台など、眠れたものではない。
「ご飯は……まあどうにかなるかな。最悪ツケで」
さらりとルウは言い放ち、黄色い布のかかった扉を開ける。
その次にアニが、最後にキヤが入った。
宮殿と比べればあまりにも狭苦しいあばら家だが、ルウとキヤにとっては我が家である。
そこそこ良い育ちのアニは、まさかあるじと上司の住まいがここまで庶民そのままだとは思っていなかったらしく泣き出しそうになっていたが、ルウとキヤはざっと室内を確認して、盗まれたものがないことを確かめた。
「ここも無事です、師匠」
「こちらも平気。大丈夫そうだね」
くすりとルウは笑った。
「さて、仕事をしようか。手土産がないと我が兄がまた不機嫌になりそうだから、まずそれからだね」
金の腕輪が良い。細かく鱗の彫りこみを入れて、ちょっと螺旋型にして、蛇女神の守護のように絡むように。薄く削った石を嵌めこんで……そうしよう。
瞳は何色かな、黒ではあまりに味気ないから、赤か緑がいいね。良い石を探そうか。
楽しそうにルウは語る。むずかしい細工でも、ルウにとっては楽しみでしかないのだ。
なにを言ってるんだ、という顔をしているのはアニだったが、それ以上に呆れ顔なのはキヤだった。
「師匠、資金足りるんですか?」
「使ってたカラシリスを売ったら足りない?」
「師匠ぅぅぅぅ!!!!」
全力でキヤは頭を抱えた。
細工も顔も頭もいいのに、細工が絡むとポンコツになるのがルウだった。客の名前は覚えられないし、納期は記憶できるのに寝食は忘れる。売価は間違えないし譲らないのに、作りたい細工ができてしまうとそのために他がおろそかになる。
それがキヤの師である。たとえ王女として正式に認められても、なにも変わっていない。
「……わかりました。そのまえに師匠はためこんでる失敗作と古い作品出してください。溶かせるものは溶かして、売るものは売ってしまいましょう。そうしなきゃやってられませんよ!」
「ん、わかったよ」
ルウは奥の部屋に入っていき、ゴソゴソと何かの壺を出してくる。
アニは蒼白ながら、納得したような顔をしていた。
「……王女さま。キヤさま。あなたさまがたの日常とは、こういうものだったのですか?」
金銀細工を詰めた壺を持ったルウと、工房での作業に入るための準備をしているキヤの視線がアニに向いた。
ぷっ、とふたりが揃って笑う。
「そうだよ、ずっとこうして生きていた」
「三年くらい前にあたしが拾われてからは、だいたいずっとこうです。あ、師匠は売りに行かないでくださいね、ここにいてください」
ルウとキヤは笑いながらそう言った。
「アニも連れてってあげなさい。いい勉強になる」
「はい」
楽しそうに壺の中身を物色しはじめたキヤを見つめながら、アニはおそるおそるそこに近寄って目を剥いた。
王家の蔵に収まっていても遜色のない飾りが無造作に壺に詰められているのである。
なにを考えているのだとアニは恨みがましげに、道具の手入れを始めたにルウをちらりと見つめたが、ルウからはきょとんとした視線しか返ってこなかった。
「……なるほど……腹を、くくります」
アニはためいきをついた。
キヤはさすが師匠、とつぶやきながら壺の中身を、やはり無造作に仕分けしていく。
アニには基準がまったくわからないが、キヤの目にはたしかに何かが見えているらしかった。
「こっちは売れると思います。こっちは溶かしましょう」
「そうだね。的確だ」
そんな会話が交わされる。
ルウも、宮殿にいるときよりもくつろいだ様子でいた。キヤも見るからに元気がいい。
普段よりも上下関係はずいぶんとおろそかだが、本質はきっとなにも変わっていない。アニはそれを見てとって、すこしだけ笑った。
ぽっと出の筆頭女官の真価はここにある。
アニは笑って手を挙げた。
「すみません、飾りをひとつ買わせていただけますか?あと、私でもできることがありましたらお申し付けくださいね」
ルウとキヤがよく似た表情で顔を見合わせ、そしてにっこりと笑った。
「まいど、ありがとうございます。どうぞこれからもご贔屓に」
後世、アンクケペルウラー、アメンメセス三世の治世は、いくつものみごとな装飾品で有名となる。
見つかったパピルスから、その多くはイウネトの新興の工房が作っていたことが明らかとなった。
都ワセトではなくイウネトから、神王とその妃にあれほどの装飾品を献上した工房は後にも先にもかの工房ひとつであったが、この工房は一代で絶えたらしい。こうまで王家に贔屓された工房が一代で絶えた理由は不明であり、謎のひとつとして残っている。
また、アメンメセス三世は非常に多くの装飾品を持っていた。その多くをアメンメセス三世に献上した張本人たる第一王妃、サトアメンと大差ない数を有していたのは意外なことである。
サトアメンに多くの装飾品を献上していたのは、恐るべきことに、彼女の女官か、その工房にいた細工師が有力候補となっている。
しかし、サトアメンとアメンメセス三世の装飾品は、多くは同一の工房で作られていたようであるが、ほとんどのものは作者がちがう可能性が指摘されている。
〈了〉
これにて、終幕。師弟はこれからも仲睦まじく生きていきます。
お借りした……というか、使用した資料について。
メイン資料
無限∞空間 別館 エジプト神話研究所 http://www.moonover.jp/bekkan/index.htm
Wikipedia
補完資料
ルーヴル美術館所蔵 古代エジプト展 L'HOMME ÉGYPTIEN (2005)
産報デラックス 99の謎 通巻第二十一号 ピラミッドの秘密 (昭和53年)
芸術新潮 2009-9 エジプト美術 世界一周
母の資料と自分の古い資料を思い切りネットで補完してで今回賄いましたが2015〜16年の冬にやってた、エジプトの女王と王妃の展示会の資料が欲しい……
9/15追記
後日さらなる調べを行いました結果、作中における「女系相続」はほぼ間違いであろう、と言う結論が出ました。調べが足りなかったことを心よりお詫びいたします。
ただ、伝統的に古代エジプト王家は、オシリスとイシスの結婚などに倣って血族婚を行うことが多かったそうです。
その上で、他の妻と違い、全国で行う祭祀においても王のそば近くにあり、歴史上、時には共同統治者、つまり王に限りなく近い権力を持つことさえあった「第一の王の妻」にはやはり血族、特に姉妹を据えることが多かった模様。




