1.イウネトのとある細工師工房
舞台は古代エジプト風です。
資料は1980年?のものと、2005年に出た物+ネットで調べる、そしてそこに好き放題創作設定をねじ込む。これによりこの話は成り立っています。なのでここに書いてあることは信用しないでください。
資料に関しては、最終話のあとがきにまとめて書かせていただきます。
しかしまあ、ヒエログリフと古代エジプトの人命の辞典一冊と古代エジプトの民衆文化についての資料が買いたくなりましたとも……!!
資料ください。
イウネトは現代のデンデラ、ワセトはテーベ、ケメトは古代エジプト王国。
二つの国、もしくは上の国・下の国というのは、上下エジプトの二国を示します。
「師匠!師匠!!どうして、なんでこんな……!!」
半泣きの少女───キヤの声に、ルウは困ったように微笑した。
「よく来てくれた。手間をかけさせてすまない、キヤ」
「すまない、じゃないですよこのバカ師匠!!なんで、貴き方の列の前になんか出たんですか……!!」
あぁ、とキヤは頭を抱えている。ルウはすこし目を伏せて答えた。
「こけた幼子がいたんだ。足を痛めて立てなくなっていて、真っ青な顔をしていたから、無理に親の方に転がした。そうしたらわたしが罰せられた。具体的には、大の男にさんざん蹴られた」
「バカ師匠のお人好し!!」
キヤは泣いている。彼女がなにを思って泣いているのか、ルウには正確には測れなかったが、それでもルウのために泣いているのは確かなのだ。
「すまない。……いつもなら抱きしめられるんだが────いまは、腕が動かない」
キヤははっとしたように目を見開き、そして目を伏せた。
「…………手、は」
ルウは首を振りたかったが、痛めたそれは動かそうとしただけで激痛を伴う。代わりにルウはすこし喉で笑った。
「無理だな。手自体は動かそうと思えば動くが、肩首を動かすと、肩と首に激痛を、手には痺れが出る。しばらくは仕事もできないだろうね」
は、と空気を吐き出して一拍、キヤははたから見て丸わかりの空元気で唇を尖らせた。
「当たり前です!そんな怪我で仕事とか、絶対やめてください」
キヤはやっぱりいい子だ、とルウは苦笑した。
いまのルウは、首と肩に包帯を巻いていた。首は添え木のようなものを固定するために、そして肩は薬と服が触れないように。ここの医院の医者は、かなり的確な処置をしてくれた。
しかし、首と肩を痛め、手が動かなくなった以上、ルウにはどうやっても仕事はできない。
ルウは金属の細工師だった。
歳は十七とまだまだ若いが、三つになる頃には金銀の加工法を眺めてすごし、五つになる頃には箔押しをやっていた。いつしか金銀以外も覚えるようになったが、そうして育ち、いまでは貴い方にも技を認められ、先日など、ついに現世にある貴き神たる王からの依頼を賜るというとんでもない事態が起きた。
何度か貴き方からの神王への献上品の細工を任されてはいたが、それが重なるうち、『同じ職人の手による優れた品がいくつもある』と神王の目に止まったらしい。王妃への贈り物にしたいと、首飾りを所望された。
───────ともかく、金属加工をするのに、手が動かないなど、冗談にもならない。
「首飾りの納品期限は半月後。わたしの手が動くようになるまで、最低でも二週間。残りの行程には一週間かかる。どうあがいても間に合わないな。
せっかく神王より賜った御依頼だが、お断り申し上げなくてはいけないらしい……」
「そんな……そんなことしたら、仕事がなくなりますよ!?どうやって食べていくつもりですか師匠!!」
キヤはそう叫んだが、その前に、そもそも神たる王の依頼を断るということは、すなわち死である。
たとえ赦されたとしても、そんな前科持ちの細工師になどだれが依頼を出すだろうか?出すわけがないのだ。だれだって、神王の不興を買いたくはないのだから。
それもすべて理解した上で、ルウはくすりと笑った。
「だけど、キヤ。細工のできないわたしに、価値などないよ」
キヤは唇を引き結んだ。
キヤは、馬鹿ではない。十の時に工房に転がり込んでルウの弟子になり、いまはもう十三になったが、三年でよくこんなにも上達したものだとルウが驚いたほどに、キヤは飲み込みが良かった。それにきっと、ルウが事情持ちなのもきっと薄々察している。
そして、たしかにルウが金属細工の天才であることも。
「……帰ろう、キヤ。どうしようもないことだよ」
ルウはそうキヤを諭した。
医院から出て、工房兼自宅への路は妙に静かだった。二人とも無言だったが、歩くにも支障のあるルウをキヤはよく助けてくれた。
そのキヤが、家が見える頃にぽつりと尋ねた。
「……師匠。どうして名乗らなかったんです」
やっぱりそのことに気づいていたかと、ルウは苦笑した。
「確かにわたしがハトホルの工房の主だと言えば、あの貴き方はあんなことはさせなかっただろう。だが、それは嫌だった」
ルウは、顔を覚えられることをひどく嫌がる。
今日も、神王からの依頼に使うつもりの宝石の下見に出ただけだったから、顔を晒していたのだ。
ルウはだれかの依頼を受けるときでさえ、ルウは自分を下働きだと偽っている。場合によっては、その上さらにその顔に紗をかけてしまうのだ。主がこの醜い顔を見たがらないなどと言い訳して。
ただ、ルウの顔は決して醜くなどない。むしろ美しい部類だろう。この国では誰もがする目元の化粧は薄めだが、それでも綺麗な切れ長の目尻に、一筋の眉。顔の輪郭だって整っているといえる。人によってはちょっとなよなよしいとは言うが、美しいことに変わりはなかった。
垂れた猫目が特徴的な、愛らしい顔立ちのキヤと並べばなおさらである。
「……師匠、そんなにご自分の顔、お嫌いですか?」
キヤがそう問うと、ルウはそれを笑い飛ばした。
「いいや、まさか!わたしの顔は亡き父譲りだそうで、わたしはこの顔を嫌ったことはないよ。
ただ、ね。こんな若いのが、イウネト一の工房“ハトホル”の主だなんて、あまりにも胡散臭いだろう?」
キヤは押し黙った。キヤもルウの元に転がりこんだときには、実際、齢十四のルウがハトホルの工房の主だなどと、すぐには信じられなかったのだ。
ハトホルの工房とはすなわち、この都市、イウネトの守護神たるハトホル女神の護る工房、つまりイウネトで一番の工房に与えられる通称である。
「……師匠、上着だって脱ぐの嫌いですもんね」
「うん。嫌いだ」
キヤの言葉に、ルウは素直に頷いた。
ルウは、腰布を着た上から、三角形の頂点をそれぞれ思い切り引き伸ばしたような布地を、いちばん長い辺を首に巻きつけて外套のようにし、その身体を覆っている。
キヤでさえそれを完全に脱いだ姿は見たことがないが、緩めた姿くらいは知っている。
ルウが隠しているのはその腕だった。尋常でないほどの火傷のあとは、金属細工の職人であるがゆえ。火傷を見られれば、それなりに仕事の多い金属細工職人だと知れてしまう。
だから、顔と同じように、正体を悟られぬようルウは腕をも隠している。
ルウ曰く、実は肌もそう強くないとかで、日焼けをしたがらないのも理由の一因ではあろう。
「……ねえ、師匠。この先どうしましょうね」
神王からの依頼。しかもいちど受けてしまったそれを、断る手段はない。本来なら、神たる王の依頼とは死んでも完成させるべきものだからだ。
「どうしたものかな。いまのわたしは、歩くだけで精一杯で、正直に言えば、どこへ行っても仕事はないよ」
「……ねえ師匠。あたし、行ってきましょうか」
ルウは眉を上げた。
「どこへ?」
「イウネトの真ん中の、神殿です。そこで、師匠が怪我をして、細工なんて冗談じゃない状況にあるってことを伝えて、せめて期限を送らせてもらいたいって……言ったら」
ルウは足を止めた。キヤが半歩先で振り返る。
「師匠?」
「……キヤ。そんなことをしたら、死んでしまう」
ルウの真面目に心配する顔に、キヤはぎゅっと眉を寄せた。
「でも、師匠。このままじゃあたしたち二人とも死んじゃいますよ」
ルウはきっぱりと返した。
「キヤは死なない。キヤは死なないよ。キヤはわたしの師匠のところへ行きなさい。ワセトにあるアンクの工房に、ジェセルという男がいる。もう年寄りだが、わたしの弟子だと伝えれば、キヤを引き取ってくれる」
キヤが死ぬことはないんだよ、とルウは告げた。けれどキヤは激しくかぶりを振った。
「そういうことではないんです!だって……あたしが生きてどうするんですか。
あぁそうだ、師匠がそうするべきです!あたしがここに残ってハトホルの工房の主だと言って、師匠はそのジェセルさんのところに行く。それでどうですか?」
「だめだよ、キヤ。たとえうまくいったとしても、わたしはワセトまでは行けない。この身体だから」
ルウが静かにそう返すと、キヤはうつむいた。
「キヤ。そう落ち込まないで」
ルウはそう言った。いつもならキヤの頭を撫でて抱きしめてやるのに、いま、ルウの身体は動かない。ルウにはそれが無性に悔しかった。
「…………師匠。やっぱりあたし、明日神殿に行ってきます。それで、事情を言ってきます。
だって、神王の命がいくら絶対だとしても、死んでも完遂するべき依頼だとしても、いまの師匠は、死んでも依頼を完遂できないんですから」
決然とキヤは言う。
ルウは重い溜息をついた。キヤの言うとおりだった。思うように手の動かないルウの身体では、文字どおり、死んでも依頼を完遂できない。
「……無理はしないで。相手方の機嫌と、態度をよく見ること」
「はい!」
ぱあっとキヤは笑った。ルウは再び溜息をついて、ゆっくりと歩き出す。
「帰るよ、キヤ」
「はい、師匠!」
まったくしようのない、かわいい弟子だと、ルウはあたたかく苦笑した。
翌日。宣言通り、キヤはイウネトの神殿の前にいた。
朝の早くから、ひたすら神殿の前でひざまずき、祈りを唱え続けている。
身分の低いものが、問われもしないのに身分あるものに声をかけるのは無礼とされる。ゆえに、心ある方が声かけてくれるのを、キヤはただひたすら待っていた。
そもそも、神殿の前でひざまずき祈り続ける者というのは、神に対し何らかの請願をしている者である。
すなわち神官など、神殿に出入りできるほど貴いだれかの救いを求めている、ということでもあった。
一時間もひざまずいていただろうか、わからない。
じりじりと背を焼く太陽の光と喉の渇きに、そろそろ一度撤退して、水を飲みに帰ろうかと思うころだった。
「これ、そこな娘。なにゆえそこに跪いているか、と我が主がお尋ねだ。答えよ」
人影と、すこしばかり居丈高な男の声。
あぁ、帰ってしまわなくてよかったと、キヤはさらにこうべを垂れ、地面につかんばかりにして答えた。
「我が師の命を救っていただくために、わたくしはここで祈っております」
そう答えたときだった。
「待て。そなた、もしや金属加工の……ハトホルの工房の下働きか?」
男のさらに後ろから、老いた男の声がした。
「面をあげ、顔を見せよ。もしもそなたが本当に“ハトホル”の者ならば、一大事であるぞ」
キヤは命じられた通り、ゆっくりと顔を上げた。膝の前に、ルウほどではないが、火傷跡のある手を置く。これはルウに教えられたことだった。
輿に乗って杖を持った、老齢の男の顔が目に入った。濃く引かれたアイラインとくっきりしたアイシャドウ。身分あるものらしい装い。
「やはり、“ハトホル”の者だな。しかと見覚えがある」
眼を細める男をからすっと視線をずらし、礼をとる。
「……お久しゅうございます、カアエムウアセトさま」
礼を失しない程度に、それでいて顔と名を知っていると示す態度。仕草からなにからすべて、昨日のルウの指導の賜物だ。
その甲斐あってか、カアエムウアセトの柔らかな声が降ってきた。
「そなた、名は?」
「キヤ、と申します」
「よろしい。来なさい、キヤ。話は……そうだな、神殿で聞くとしよう。礼を失するといえばそうだが、金属細工の工房は神殿に属するもの。しかも、仮にも“ハトホル”の名を冠する工房で重用される下働きだ、粗末に扱うわけにもいくまいよ」
「ありがとうございます……!!」
キヤはうっとりと微笑んで、ふたたびこうべを垂れた。こんな幸運はないだろう。
カアエムウアセトは、二代前の王弟の子で、神官だった。王家の血を引くからには、このイウネトの神殿でも地位は高く、またこうして気さくなところもある。
そして、ルウの工房が“ハトホル”として認められるよりも前から依頼を出しており、また、神王への献上品の依頼を最初に出してくれた者でもあった。
感極まったキヤの声を聞いて、カアエムウアセトはよいよい、頭をあげよと声をかける。
カアエムウアセトは茶目っ気を含んで微笑していた。
「気にするな。 “ハトホル”が潰れては、イウネトに私が依頼できる工房はなくなるであろうからな。のう、イニイ?」
カアエムウアセトは輿のそばに立つ、さきほどキヤに声をかけた男に話しかける。イニイと呼ばれた男は深々とうなずいた。
「あるじさまのお考えはもっともでしょう。当代の“ハトホル”は腕が良く、先日は神王にもお褒めいただいたそうではありませんか」
「そうだ。先日、ついに神王が“ハトホル”による、椅子の細工に眼をとめたそうだ。……立て、キヤ。話をしようではないか」
「お心遣い、感謝にたえません」
キヤは立ち上がり、カアエムウアセトの輿の列の後ろに続いて、神殿へ向かっていく。
神殿に入る直前、カアエムウアセトが輿を降りた。神殿の中でも輿に乗るというのは、神に対して礼を失するからだ。
カアエムウアセトらにならい、キヤも神殿の前で礼をとり、それから足を踏み入れた。
壮麗な石造りの神殿は、さすがというかなんというか、ひんやりとしていて心地よかった。
物珍しく、きょろきょろしたくてたまらなかったが、残念ながらそれは礼を失する。キヤは必死にこらえてカアエムウアセトの列を追った。
神殿の端の端に、その部屋はあった。おそらく、位の高い神官たちが休むための部屋がいくつかあり、そのうちのひとつなのではないかと思われた。
置かれた椅子にカアエムウアセトが座ると、キヤはその前にひざまずいた。これもルウの指導である。
「して、キヤ。ハトホルの工房の師の命を救ってほしい、とそなたは申したな。それはどういったことだ」
頭上から、ゆったりとしたカアエムウアセトの声が降ってくる。キヤはそのままうなずいた。
「はい。カアエムウアセト様であればご存知かとも思いますが、先日、我が師は、王妃様の御首元を飾る品をと、畏れ多くも神王より御依頼を賜りました。御依頼は、無論のことお受けいたしました。
しかし昨日、師が肩に怪我を負ってしまい、細工などとても……」
香の薫りが、重苦しく沈黙の間に漂っている。
カアエムウアセトにとって、“ハトホル”は贔屓の細工工房だ。
神王の依頼を賜るような細工師ともなれば、鼻も高かろう。だが、怪我をしたとなれば。
「……神王の妃……いや、それはいまは良い。怪我と、いうのは?」
カアエムウアセトの重々しい声がした。キヤは正直に答える。
「幼子を庇い、肩に怪我をいたしました。現在は歩くにも支障をきたしております。
神王の御言葉は絶対、わかってはおりますが、あれでは、たとえ命と引き換えても、依頼の完遂など不可能でございます。なにせ、腕が全く動かないのですから」
見ていられないほど痛々しい様子です、とキヤは静かに告げる。カアエムウアセトはううむと唸った。
ひとつため息をつき、彼はひとりごちた。
「幼子を庇って、怪我か」
ううむ、とカアエムウアセトはもういちど唸った。
「医者には見せたのだな?」
キヤはしっかりとうなずく。
「見せました。腕が動くようになるまで、二週間はかかると。……しかしそれも、動くだけは動くという程度で、細工ができるほどではないかと存じます」
「そうか…………」
カアエムウアセトはまた黙ってしまう。キヤも話すわけにいかないため、また沈黙が満ちた。
「……おそれながら、我が主。よろしいでしょうか」
恐る恐るといった体で沈黙を破ったのは、さきほどのイニイという男だった。
「どうした、イニイ」
「この依頼、少々面妖ではございませんか。このケメト、二つの国を見渡しても、現在、どこにも王妃様はいらっしゃらないはずです。神王は愛妾さえお持ちではないとも聞きます。……その存在しない王妃様の首飾りなど、作ったとしてどうするのです」
イニイの言葉を聞き終えて、カアエムウアセトは深々とため息をついた。
ぱたりと彼は目を閉じる。
「だから私も困惑しているのだよ、イニイ。神王はついに御妹君を見つけられたとでもいうのかね。たとえそうだとしても、その知らせを出すより先に斯様な依頼など……」
その会話を聞きながら、キヤは混乱していた。
王妃様がまだいないとはどういうことだろうか。依頼がくるのだから、話を聞かないとはいえ、王妃様はいるものだと思い込んでいたが、そうではないらしいだなんて。
カアエムウアセトはゆっくりと首を振った。
「…………だめだな。わからぬ。わからぬが、とりあえず神王には掛け合ってみよう。私もハトホルの工房を潰されたくはない。
だが、成功は約束できぬということだけは覚えておけ」
「ご恩情に感謝いたします」
キヤは深々と頭を垂れた。
…………古代エジプトオタクのはしくれとして、ちょっとはマシな出来栄えだったら嬉しいです。