ド変態美少女
『私…ずっと前からあなたのことが好きだったの……』
薄暗い部屋の中で、耳に残る特徴的なアニメ声が響く。
一日の中で最も幸せを感じる時間だ。
『だから、その…付き合って…欲しいの…』
画面の中には恥じらう少女の姿、しかし実在する少女ではない。
彼女の温もりを感じることも、ましてや抱き締めることもできない。
「やっぱり二次元は最高だなぁ…リアルの女性に勝ち目なんて無いのも納得だよ…」
リアルを捨て、二次元に生きている俺の名前は橘孝輔。
ネトゲで夜更かしをして授業中は基本寝ている。
それにも関わらず成績が良いのは、姉の教え方が上手いからだろう…。
姉がいなかったら今頃…。考えるだけでゾッとする。
「やっべ! もうこんな時間かよ!」
既に日付が変わり、窓からは現実を突きつけるかのように光が差し込み始めていた。
「こんな良いところで終われるわけないよ……でも確か明日は小テストがあったよな……。まあ残りは明日の楽しみにとっておいて寝るか…」
明日に希望を抱いた青年。しかし日常とは常に同じことが続くとは限らない、ある日突然……。
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いつものように、いつものようにというのもおかしなことだが、
今日も遅刻ギリギリの登校のはずだった。
はずだったというのは、もう遅刻が決定しているからだ。
なぜか? それは今目の前にいる美女に捕まっているからだ。
ただの美女なら遅刻も嫌なものではない。
問題なのはこの美女がとんでもないド変態だというところだ。
「ね? 少しくらい良いわよね? パンツを見せてくれるだけで良いのよ?」
パンツを見せてくれるだけってなんだよ! だけって!
声は透き通り、言葉遣いもとても丁寧で育ちの良さが感じられる。
ただ、その変態美女の危ないところは、極度の興奮状態というところだ。
やけに身体をくねらせ、頬は赤く染まり、とても息が荒い。
「いや…あの…学校に遅刻してしまうので…すみません…」
何をしてくるか分からないこの変態を、出来るだけ刺激しないようにと穏やかな口調で話しかける。
体をくねらせ、足元はふらついている。
いつ、どんな突発的な行動に出てくるか分からないほどの状態に警戒しつつも、逃げ出すチャンスを探る。
「はぁ…はぁ…せめて…せめてあなたの臭いだけでも嗅がせて…」
はぁ!? パンツの次は臭い!? もうこれ以上変態要素増やさないでくれよ…。
「いや…あの、急いでるので…」
機会をうかがいながらもじわりじわりと変態美女の隣を通り抜けようと移動する。
「欲しい…欲しいのよ…夏場で蒸れた男子の臭いで…肺の中を満たしたいの…!」
目は虚ろで、口は半開き。明らかに様子は悪化している。
本気で身の危険を感じ、これ以上ここに長居してはいけないと本能が告げる。もう逃げ出せるタイミングは今しかないと判断した俺は、全力疾走でその場から逃げ出した。
美女の横を通り抜けるところで抱きつかれそうになる。
少しでもこの変態美女の気が逸れることを祈りつつ、ポケットにあったハンカチを放り投げる。
獣と化したその変態美女は鼻をひくつかせる。
「んきゅぅうっ!」
どこから出したか分からないような奇声を発しながら、瞬時にハンカチを口でキャッチする。
キャッチしたハンカチで顔全体を覆い、肺全体に溜め込むかのように臭いをおもいきり吸い込んでいた。
ハンカチは犠牲になったがなんとか逃げ出すことに成功した。
「はぁ…はぁ…なんだったんだよ…今の人…」
遅刻は確定しているが、少しでもこの異質な存在から離れたいという気持ちから、息を切らしながらも全力疾走で学校へと向かった。
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遅刻にはなってしまったがなんとか学校に辿り着くことができた。
授業中の教室に入ると、案の定クラスの視線を集めてしまう。
クラスの八割の嫌悪ある女子の視線と残り二割の男子からの同情の眼差しが入り交じる。
この学校は一昨年の春に、女子高から共学へと変わったため、女子の比率が高く、男子に対していまだに嫌悪を抱いている女子、不信感を抱いている女子が数多く在籍している。
なるべく低姿勢で自分の席へ向かい、そのまま席に着く。
「はぁ…だから遅刻は嫌なんだよ…」
今日は朝からついてないな…。
早く帰って昨日の続きがしたい。今日以上に早く帰りたいと思う日はきっと来ないだろう。
無事に(といっても寝ていただけなのだが)授業を終え昼食の時間がやってきた。
「……行くか」
特に親しい友達もいないため、昼食はいつも決まっている。ぼっち飯だ。
便所飯をする人もいるが、俺には無理だ。
どうにもトイレで食事をすることに抵抗がある。
以前は教室で食べていたが、一人で食べているとあまりにも目立ってしまう。
そのためやむを得ず校内を探し回って、良いスポットを見つけた。
それがこの木々に囲まれた人気のない最高の場所、校舎から少し離れた雑木林の中だ。
冬は寒いが夏の今なら日陰になり、風もよく通るためとても涼しい。
「はあ~~今日は普段よりも一段と疲れたな…」
太く高く伸びた大木に背を預け、体を休める。
昼は姉に作ってもらった弁当だ。
両親は海外勤務のため、家事全般は姉が行っている。
姉ばかりに負担をかけないように俺も出来ることはしているのだが、料理は一切出来ないため、三食は全て姉に任せてしまっている。
「……いただきます」
寂しくないと言えば嘘になるが、友達のいない俺にはどうしようもない。
前の学校では友達もたくさんいたし、人との交流が苦手なわけではない。
ただ、2年生になってすぐのタイミングで両親が海外で仕事がしたいと言い出した。そのこと自体は特に反対ではなかったのだが、両親は俺たちに黙って家を売り払い、そのまま海外へと引っ越していってしまった。俺は日本を出たくなかったので独り暮らしをしている姉の住むこの街へやってきた。
そういった経緯があり、友達のいない今に至るということなのだ。
「あ~あ…俺の残りの高校生活は青春のかけらもないようなものになるんだろうなぁ…」
憂鬱な気分で弁当を食べていると、ふと視線を感じ振り向く。
ぐるぐるとあたりを見回すが人も見当たらなければ動物もいない。
「…?」
その後も何度も視線を感じるも何も見当たらない。
気味が悪くなり、急いで弁当を掻き込む。
「さっさと教室戻って残りのお昼の時間は寝るか…」
謎の気味の悪さから逃れたく、足早で校舎へと向かう。
青年のいた場所の近くには、気配を消し、器用に木からはみ出ないように身を潜める小柄な人影があった。
「ふふっ…」
不気味な笑みを浮かべるその小柄な人影は、校舎へと戻る気だるげな男子高校生の姿を見つめていた。
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午後の授業中。
落ち着かない。寝れない…。なんなんだよ! 誰なんだよ!
俺は昼食後からも誰かの視線を常に感じ、イライラしていた。
昼食の時だけではなく、授業中、移動中、しまいにはトイレでも気味の悪い視線に悩まされていた。
「もしかして、朝の…」
思いつくのは、登校時に出会った変態美女のことだった。
「まさか、学校にまでついてきているのか…?」
想像するだけでもゾッとする。
「いや…あの時は気にもしていなかったけど、あいつここの学校の制服だったよな…? じゃあ、やっぱりあいつが…」
朝だけなら変な奴に遭遇した嫌な事故として片付けられたが、学校でも同じようなことが続くとなると話は別だ。
「この視線も今日だけで、明日からまた平凡な学校生活に戻れば良いけど…」
なるべくこの最悪な状況が今日だけであることを願っているその時。
キーンコーンカーンコーンーーーー。
最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「終わった…終わった…今日ほど早く帰りたいと思った日はなかった…」
苦しい一日から解放され、晴れやかな気分に浸っていたその時…。
ピンポンパンポーンーーーー。
今日一日のこの悪い流れ…。嫌な予感がする…。
「全校生徒に連絡します。只今より体育館にて、全校集会を行います。生徒ならびに教師、職員は速やかに体育館までお集まり下さい。繰り返しますーーーー」
はぁ…。やっぱりまだ帰れないのか…。なんで今日に限ってこんな…。
「全校集会? こんな時期になんだろうね~」
周りの生徒も急な集会に戸惑いをみせている。
早く帰りたい生徒、部活に行きたい生徒、多くの生徒がこの集会を面倒だと感じているのか戸惑いの声と共に、不満の声も行き交っていた。
友人同士で不満を語っている者、昨日のテレビ番組について談笑している者、ごく自然な学生生活の風景で見られるような他愛もない会話をしながら生徒は皆体育館へと向かって行った。
もちろん俺は談笑するような人もいなければ、この早く帰りたい気持ちをぶつける相手もいない。
ただ、この友人のいない環境はそこまで辛くもない。
心から信用出来る友人なんて出来るはずがない。
むりやり友人を作っても、いずれ自分が傷つくだけだ…。だから無理に作ろうとも思わなくなった。
もう決めたんだ…俺がまだ小学校六年生だった頃。あの裏切られた夏からーーーー。
思い出したくもなかった思い出に気を取られながら歩いているといつの間にか体育館に着いていた。
体育館には、先程と同じく、騒がしく周りの友人と会話している姿で溢れかえっていた。
「お静かに願います……。只今より全校集会を始めます」
いつの間に現れたのか、壇上の演台には、副会長と思われる女子が立っていた。
その副会長と思われる女子は、それだけを言い、舞台袖へと戻っていった。
「そういえば俺転校してきてからここの生徒会長って見たこと無かったなぁ…。どうせよくある、勤勉で真面目な、内申目的の生徒が生徒会長やってるんだろうな…」
そんなことを思っていると、生徒会長と思わしき女子が舞台袖から現れた。
演台に立ったその女子は背が低いせいか、真っ先にマイクの高さを調整していた。
高い位置に調整されていたマイクを不満そうに、顔を歪めながら低くする。
ようやく自分の背の高さにマイクを調整し終えたその女子は、髪が長く、一つ一つの所作からは、育ちの良さが見受けられる。
俺にはこの綺麗な長い黒髪と、放たれる育ちの良さ、気高くもあどけなさの残った端麗な顔に見覚えがあった。
いや、見覚えがなかった方が良かった…。正直今一番見たくもない顔だった。
「はっっ……」
あまりにも衝撃的な登場に思わず驚き、叫び出すところだった。
大声で周りの注目を集めたく無かった俺は、紙一重で叫ぶのをぐっと堪えることが出来た。
さすがに身近の生徒は多少なりとも漏れ出てしまった俺の声に反応し、怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
いやいや、今はそんな周りのことを気にしている時じゃないだろ!
あの朝の変態美女が生徒会長!? あんな変態に生徒会長が務まるのかよ!
もう何がどうなっているのか分からず、混乱の沼にはまってしまった俺は立ちくらみのような感覚に襲われる。
そんな混乱状態にもお構い無しに、演台の変態美女こと生徒会長は、今回の全校集会の内容を話し始める。
「急な全校集会にも関わらずお集まり頂きありがとうございます。さっそく本題に入らせて頂きます。本校は一昨年の春から仮ではありますが共学化となりました。この仮共学化は三年間の男女共学を通して、女子の皆様が男子というものを知って頂き、そのうえで共学化に対して賛成か反対かのどちらかに毎年投票して頂く、というものでした。しかし一年目、二年目、共に投票数はあまり変化がありませんでした。仮共学となってから一年目の投票では女子の賛成が10%、反対が90%、二年目の投票では賛成が5%、反対が95%という絶望的な結果となりました」
えっ…。共学化って仮だったのかよ…。いやいや、初めて聞いたぞ!?
ただでさえ変態美女の登場に困惑しているのにも関わらず、さらに困惑させられるような事柄が伝えられ、頭の中は、もうこれ以上何も考えなくていいと言わんばかりに真っ白な状態だった。
「賛成票数が八割以上必要となるこの共学化への投票ですが、このままではあまりにも無意味な投票となることが懸念されるため、理事長からあるご指摘を頂きました。女子に男子のことをより知ってもらい、男子は女子からの信頼を得て、行動力、男らしさというものを女子生徒の皆様に見せて頂くためにも、男子生徒を代表としたある部を設けることになりました」
もうこの一連の言葉を聞いたうえで思うこと、願うことはただ一つだった。
そう、『男子生徒代表』が自分でないことだった。
幸いなことに、仮共学化となって二年目なので、男子生徒も極端に少ないわけではない。
ましてや、自分は転校してきてからまだ半年も経っていない。
そうともなれば、自分がその代表になることは…。
出来るだけポジティブに考えていた思考をさえぎるかのように生徒会長は話を続けた。
「まず、その部は仮として『お悩み相談部』とでも名付けておきましょう。校内の女子生徒はこの部に対して、自分の悩み、相談、助けて欲しい時に気軽に訪ねてみて下さい。またこの部員は、それらの相談などに対して、問題が解決するように取り組んで下さい。相談だけではなく、部員自らが進んで何か実行しようという意識があればどのようなことでも構いません、取り組んで下さい。女子生徒の皆様は、この部を通して、男子というものに接し、理解したうえで来年の最終投票に臨んで下さい。それでは、本題の男子代表ですが、二年三組の橘孝輔君、お願い致します」
でしょうね!! さっきまで自分なわけないよねとフラグ立ててたからな!!
もう終わりだ…。残りの学校生活はもう苦痛しかない…。転校したい…。
「え~? 橘孝輔? 誰それ~? 聞いたことないんだけど~」
周りの女子生徒は笑いながら謎の人物のこと(俺のことなんだけどな!!)を馬鹿にしたかのように、口にしていた。
「……橘先輩のこと知らないなんて馬鹿な人たちね」
「ーーーーっ!?」
騒がしい体育館の中で、小声だったが、まるで隣にいるかのような感覚でその声は聞こえた。
その異質な意見に驚きながらあたりを見回す。
しかし誰がそれを発したのかは分からず、ましてやどこから聞こえたのかもよく分からなかった。
「それでは、内容のみとなりますが、今回の全校集会は以上となります。ありがとうございました」
生徒会長は、朝の変態的要素は一切見せず、別人のように一通りの内容を告げた後、まるでレッドカーペットの上を一歩一歩歩くかのように所作美しく舞台袖へと姿を消していった。
それを合図に生徒は各々談笑交えながら体育館から出て行く。
「帰るか…」
今日一日、色々なことが起こりすぎたせいか疲労が限界を越え、まともに頭を働かせることも出来なかったので、とにかく早く家に戻り体を休ませたかった。
体育館から下駄箱へと向かう途中、落ち着きを少し取り戻したからか、今朝、あの変態美女にハンカチを持っていかれた(正確には犠牲にしたのだが…)ことを思い出した。
「あのハンカチ返してもらうか…壇上ではあれだけ冷静だったし、もう普通に話は通じるはずだ…。それにあの部活についても断っておきたい。ただでさえ波風立てずに穏やかな学校生活を過ごしたいのに…。絶対に引き受けないからな!!」
朝の出来事と部活のこと、両方の苛立ちからか、頭の中はあの生徒会長に対する怒りで満ちていた。
下駄箱へと向かっていた足はすでに生徒会室へと向かっていた。
その途中、偶然にも、幸運にも生徒会長に遭遇した。
「お、おい! 生徒会長! 部活の代表ってなんだよ! そんなの一言も聞いてなかったぞ! 俺は絶対に部の代表なんてやらないからな!」
生徒会長に直接会った途端、その異次元的な美しすぎる風貌と醸し出す威圧的な雰囲気に少し噛んでしまった自分が恥ずかしい…。
「はあ…。 あなた…もしかして橘孝輔? 代表がやりたくないんですか? 別にやりたくないのでしたら結構ですよ?」
「ーーーーっ!?」
な、なんだ…言ってみるもんだな。そうだよな同意なしに無理矢理なんて…。
「ですが、やりたくないのであればもうこの学校にはいられませんね…。んーどうしましょう…」
「はあっ!? なんで元々同意を得てないことに対して拒否しただけで退学になるんだよ!?」
「これはあくまでも理事長の決めたことです。それに対して拒否なさるということは、理事長に対して歯向かう行為と見なして退学となります」
意味がわかんねぇよ! 確かに理事長の意思であれば退学させることも出来るかもしれないけど歯向かっただけでそうまでなるのかよ!
「わ、分かった、百歩譲って俺が部の代表となるのは良い、だけどな! お前みたいなド変態が生徒会長ともなると本当にただの代表として部を運営するだけで良いとは思えないんだよ! 信用出来ないんだよ!」
「はあっ!? 何ですかいきなり! 初めて会ったにも関わらずいきなり変態扱いとはあなたどうかしてるんじゃありませんか!」
「初対面だって…? そんなわけないだろ! 朝のことを忘れたなんて言わせないからな! 俺のパンツを見せろだ、臭いを嗅がせろなんて言って、俺を引き留めただろ! そのせいで俺は遅刻したんだからな!」
まさかこいつ朝のことを無かったことにしようとしてるのか…!? いい加減にしてくれよ!
「だから朝のことと言われましても、何も分かりませんし、勝手に人の妄想を押し付けないで下さい!」
やっぱりそうだ! こいつ朝のこと無かったことにしようとしてる…! そうだ、たしかこいつに奪われたハンカチに俺の名前が書いてあったはず…!
「証拠ならある…。お前は俺の名前の入った黒のハンカチを持っているはずだ」
「ハンカチ?そんなもの持っているわけないでしょう?」
生徒会長にもなった一つの性格なのか、文句は言いながらも律儀にハンカチが無いか制服のポケットを隈無く調べる。
「言ったでしょう? ハンカチなんて持ってな…」
自信満々にどや顔で持ってないことを告げようとしたところで言葉が詰まる。
「い、いや…。なんでこんなもの…。おと、男のハンカチ……んきゅぅう」
俺のハンカチだと確認したところで顔は真っ青になり、奇妙な、鳴き声のような声を発しながらその場に倒れてしまった。
「お、おい! どうしたんだよ! おいって!! マジかよ…と、とりあえず保健室! 保健室に連れていこう!」
慌てていたのか、生徒会長をお姫様だっこしていた俺は急いで保健室へと向かう。
その保健室へと向かう途中で数人の男女に見られた気がするが今はそれどころではなかった。
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無事に保健室へとたどり着いた俺はまず養護教諭、もしくは保健委員がいないかあたりを見回す。
「あのー…すいません…誰かいませんかー?」
返事は無かった。
とりあえず腕が限界だったため、生徒会長をベッドに寝かせた。
いや! 貧弱ってわけじゃない! ただしばらく抱えていたから疲れてしまっただけだ! 誰だってそうだろ?
「んっ…」
突発的な気絶だったのか、ベッドに寝かせた途端、生徒会長は意識を取り戻した。
「おと…こ…」
た、たしか気絶したときも男の私物に対して極端に怯えていたような…そもそも俺と話をしているときも若干距離を取っていたようにも見えたし…。
もしかして男嫌いだったけど強がった素振りをしていたのかも…。
そのうえで、いきなり男の私物を手にして拒絶反応が出たとか…。
もしそうならマズイ!
今生徒会長の手の中には俺のハンカチが握られたままだ。
これを見られたらまた気絶してしまうのでは…。
「おと、男の人…男子…雄!!!!」
はい、違いますね。これ明らかに朝の人ですね。
「んぁああっ! おとっ、おとおと!!!」
いやいやいや、もう言えてすらいないよこの人!!
「ちょっ! ちょっと待った! 落ち着いて! 一回深呼吸しよう!」
「スー…ハー…スー…スー! スーーー!!! おとっ! 男の人の臭い!!」
あっ…やってしまった、これ逆効果だ…。
しかし、さっきまで知的でとても落ち着いていたのに、なぜこんな正反対の、まるでさっきまでの人物とは別人のように変わってしまったのだろうか。
そう考えている間にも生徒会長は俺の目の前にまで接近していた。
「お、おい! やめっ!」
目前まで迫ってきていたため生徒会長から逃げ遅れてしまい、そのままベッドの上に押し倒されてしまう。
生徒会長はそのまま俺の上に乗り掛かり押さえつける。
「ふ、ふふっ…やっと捕まえた…もう逃がしてあげないんだから…」
そう言うと生徒会長は俺の上に跨がったまま両手を押さえつける。
触れただけでも傷つけてしまいそうなほど細いその腕からは想像も出来ないほどの力で俺を押さえつける。
「う、嘘だろ…俺も力にはそんなに自信は無いけど少なくともこの子より力はあるはず…!」
両手は押さえつけられ、足も乗り掛かられているためまともに動かせない。
これが殺人鬼だったら完全に死を覚悟するところだ。
「それじゃあ、いただきま~す♪」
そう言うと生徒会長は口で器用に俺のシャツのボタンを外し始めた。
シャツのボタンを外す度胸元に息がかかりゾクゾクと寒気のようなものが身体中を駆け巡る。
たった十数秒でシャツのボタンを外し終えた生徒会長はしばらくはだけた俺の胸元を眺めていた。
「んふっ♪ 良い体してるじゃない、これは極上の味がしそうだわ…」
生唾を飲み込む音が静かな保健室の中で響く。
一通り俺の胸元を眺めた生徒会長はゆっくりと顔を胸元へと近づけていった。
そこで肺の中を限界まで満たすかのようにたっぷりと臭いを吸い込んだ。
「スーーーーーーーーッ!! ンハァアッ!」
おもいっきり吸い込んだかと思うとガクンと急に体を仰け反らせる。
顔は火照り、目は血走っている。口からはヨダレを垂らし、見た目は完全に猛獣そのものだ。
「まてまてまて! お前どうかしてるぞ! なんで急におかしくなったんだよ、しっかりしろ!」
「あら? 照れているの? んふっ、可愛いところもあるじゃない♪」
ますます気に入られたのか、舌なめずりをして、一層息を荒くする。
「も、もももう我慢出来ませんっ!! いただきます!!」
はだけた俺の胸元に顔を再び近づけ、胸元から首筋へと舌を這わせる。
「~~~~っ!!」
女子に体を舐められる。ラノベやギャルゲーで見ている分には最高に興奮したが、現実で、しかも変態相手にやられるとゾクゾクと気味の悪い感覚に襲われる。
それはまるで大蛇に味見をされている感覚で恐怖すら感じられた。
首筋へと這われた舌はそのまま耳へと向かう。そのせいで彼女の胸が自分の胸に押し付けられる。
「っ!? ……あっ」
一瞬ドキッとはしたがすぐに異変に気づき冷静になった。
確かに押し付けられた胸の感触はあった。あったがかすかに感触を感じるのみでさほど柔らかさを感じることはなかった。
そう、ド変態ではあったが同時にド貧乳でもあったのだ。これはもはや無いと言っても…。
冷静になった俺は、両手の拘束が解かれていることに気づいた。
「はむっ…んっ…はむ……おいっおいしっ! んっ…んあっ…」
生徒会長は両手の拘束を解いていることにも気づかず夢中で耳を味わっていた。
俺は拘束の解かれた両手で彼女を突き飛ばし、ベッドに押さえつけ、今度は俺が生徒会長の上に乗り掛かる。
「んふっ…その気にさせちゃったみたいね…良いわよ、来て…」
もう俺は無の感情、無表情で、彼女の両手を唾液まみれの俺のハンカチで縛りつける。
走って追ってこられないようにと彼女の両足も近くにあった包帯で縛りつける。
「あら? 縛りプレイが好みなの? んふふっ…好きよ、私も。良いわ、縛って! もっと私を強く縛り上げてぇえ!!」
「……じゃ」
俺はそれを一言に身なりを整え保健室をあとにした。
「はぁ…なんだったんだよあの生徒会長…。さっきまでは落ち着いていて、話し方も冷静だったのに…。倒れて目を覚ましたと思ったら朝と同じド変態になってるし…わけわかんねぇよ」
既に体力、気力共に限界をむかえ、すぐにでも体を休めたい、というより体が休みなさいと警告しているかのように完全に衰弱しきっていた。
もう帰ろうかと思ったが忘れ物に気づく。
「忘れた…携帯。教室に…」
まだ忘れたのが教室で良かった。これが保健室だったらと思うと…。もう携帯は諦めるところだった。
幸いにも保健室と教室は近かったため、すぐに教室に辿り着いた。
「はあ…もう帰ってゲームする気力も無いよ…」
地獄のような悪夢の連続で疲れはてていたところに声がかけられた。
「おいおい! お前! 見てたぞ! お前も大胆だなーっ! おい!」
最悪だ…。クラスでも一番面倒で厄介な奴に目をつけられた…。
「み、見たって何を…? なんかあったのか?」
「おいおい! とぼけるなよ~、さっきお前が会長をお姫様だっこして走っていくところ見てたんだからな~!」
やっぱり見られてたのか…。保健室まで運ぶ途中、数人の男女に見られたとは思ったが、よりにもよってこいつ、早乙女彰に見られてたとは…。
この早乙女彰は名字だけ聞けば女とも思うが男だ。しかも校内でなら誰でも知っているほどのイケメンだ…。唯一こいつに対しては女子の中でも人気があり、よく女子と話をしているところを見かける。
しかし当の本人は恋愛、女子には全く興味がない。それにも関わらず女子とも幅広く話をしているのは、情報を集めているからだ。
こいつは校内一の情報屋であり、新聞部の部長でもある。こいつに知られたってことはもう詰んでいる。
明日には記事にされ、全校生徒は俺が生徒会長を連れ去ったとでも書かれ、全校生徒から白い目でみられることになるだろう…。どうにか誤解を解かなければ。
「い、いや違うんだって! 俺が部について文句があったからそれを言いに会いに行ったら、話をしている最中に突然倒れて…びっくりして思わずお姫様だっこして保健室まで…」
さすがに急に倒れたなんて通じないか…? いや全部事実だし、これ以外何も言いようが…。
「ああ~、なるほど。それでか」
「へ? し、信じてくれるのか?」
「ん? ああ、お前そういえば転校生だったな。あのな、生徒会長は大の男嫌いで有名なんだよ。以前もそのせいで会長気絶したことがあって…。まあそいつは暴力的な部分もあって転校させられたけどな」
男嫌いってマジかよ…だってあいつ散々保健室で俺のことベタベタ触って、舐めまわして…うっ、もうこのことは考えないようにしよう…。
「え、えっと早乙女? このことって記事にしたり…」
「彰」
「…へ?」
「彰って呼べ…呼ばないならこのことは記事に…」
そうだった。こいつ自分の名字が女っぽいからっていう理由で名字で呼ばれるのが嫌いなんだった…。
「わ、分かったよ彰。じゃあ記事には…」
「ああ、今回は記事にしないよ。転校したてでこんな記事出回ったらもうこの学校にもいられないもんな。それにお前はこの学校にいてもらわないと困るんだよ」
「いてもらわないと困るって…なんでだよ?」
「だってお前、この学校の共学化に関わってる重要人物だろ。お悩み相談部? とかいう部活の代表者だろ、お前」
う、うわあ…そうだった。ひどい悪夢が続いてたせいですっかり忘れていた…。
「はあ…そうだった…やりたくねぇ…」
「あれ? そうなのか? てっきりお前が立候補したのかと…」
「そ、そんなわけないだろ!!! あっ…ご、ごめん」
あまりにも自分にとって信じられないようなことを言うので驚きと怒りが声を荒げさせていた。
「わ、わりぃ…そんなに嫌だったのか…。そんなに嫌なら俺もその部に入ってやろうか?」
「は…? 良いの…? こんなワケわからないような部活に?」
こんな面倒な部活にわざわざ自分から入ってくるような物好きがいるとは思わず、頭の中が真っ白になる。いや、というか今日一日で何回頭の中真っ白になってるんだよ…。
「ワケわからないなんてこともないだろ。生徒会長の言ってたようにただ生徒の悩みに乗ってあげればいいってだけだろ。深く考えるようなもんでもないって!」
ま、まあ確かに内容としてはそうなんだけど…そうなんだけども! あの変態生徒会長のせいでどうも単なる悩み相談だけってわけではないような気がしてならないんだよなぁ…。
「そ、そうかな…でもまあ…部に入ってくれるならすごくありがたいよ。お願いしたい」
「おう! 任せとけ! まあ、部に入るのも単に面白そうだからってだけなんだけどなっ! わはは!」
……急に不安になった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彰が部に入ってくれることが決まり、忘れていた携帯も回収した俺は早く帰りたいことを彰に告げ、教室をあとにした。
今度こそやっと帰れると実感したのか自然と足早になっていた。
下駄箱へと向かう最後の曲がり角で小柄な少女とぶつかってしまう。
幸いなことに、走ってはいなかったので少女も倒れることはなかったがこんな小柄な少女にとっては強い衝撃だったのだろう、かなりよろけてしまっていた。
「ごめん! 大丈夫…?」
「はい、大丈夫です」
その少女は平然を装うかのように笑顔でそう答えた。
「ほんとごめん…怪我してない? 歩ける?」
「はい、本当に大丈夫ですよっ♪」
うっ…俺が心配しないようにと笑顔絶やさずに…なんて良い子なんだ! 男子に嫌悪感抱いている女子が多い中、こんな子もいるんだな…。
「それなら良かった、じゃあこれで、本当にごめんね」
申し訳ないが今日は疲労が溜まりすぎていて一刻も早く帰りたかったため、最後にもう一度謝り下駄箱へと向かった。
「ふふっ…やっぱり橘先輩って優しい…」
去り際にその少女が何か言っていたような気もするが、気のせいだと思った俺はそのまま家へと向かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ただいまー」
帰り道でも何か起こるのではないかと終始ビクビクしていたが何も起こらなかった。
終始ビクビクしていたため周りの人たちは怪しげな動きをしている俺から距離を取っていた。
しょうがないだろ…今日一日あんなことがあったんだ…こんな精神状態になるのも仕方ないって…。
やっと家に着いた安心感からか靴を脱いでその場に座り込んでしまう。
すると…。ドタドタドタッと奥から走ってくる足音が聞こえてくる。
「うわーーん! 孝ちゃーーん!」
やばい…やらかした。連絡無しで帰宅時間が遅くなるとこうなることを忘れていた…。以前も二、三度あったがかなり前のことだったので忘れていた。
「孝ちゃん孝ちゃん孝ちゃーーん! びえーー! 心配したよぉ~!」
顔中を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした俺の姉、沙織さんが走ってきた。そのままの勢いで俺めがけて飛び込んでくる。
「ぐえぇっ」
スタイルも良く、とても細いので体重は軽いが今の俺には大ダメージだった。
「ご、ごめん、沙織さん」
「びえええっっ!! また沙織さんって言ったーー! びえええっ!」
「あっ、ご、ごめん、さお…姉さん」
最近はかなり慣れていたはずなのだが疲れからか、沙織さんと他人行儀で呼んでしまった。
俺の姉は実際には義理の姉で、血は繋がっていない。そのため昔は沙織さんと呼んでいたが、他人行儀すぎるとのことで、姉さんと呼ぶよう言われてきた。
「うっ…ひぐっ…な、なんで…遅くなったの? うっ…」
「え、えーっと…友達と話をしてて…」
う、嘘はついていないぞ。実際帰り際に話をしていたんだから…。
「ほんとに? 意地悪とかされてない? 大丈夫?」
うっ…意地悪なら生徒会長に…い、いやあれは意地悪とかじゃなくてもっと別の何かで…。どちらにせよここで頷いてしまえばさらにひどいことに…。
「う、うん。ほんとほんと、大丈夫だから」
「うう…それなら良いけど…何かあったらすぐお姉ちゃんに言うんだよ! 良い? 分かった?」
「わ、分かったからもう離れて…」
「まだダメ! 帰ってくるの遅くて寂しかったんだから! 孝ちゃん成分補給しないといけないの!」
前から思ってたけど本当に何だよその成分…。俺の体から何か流れ出てるのかよ…。運気とか吸いとられていそうだ…。
「孝ちゃん成分ほきゅーっ! んん~! ぎゅう~~! ぎゅっぎゅ~♪」
「ちょ、ちょっと! もういいだろ! おしまい!」
正直、姉は巨乳だ。そして美人だ。姉とはいえあくまで義理なので、この豊満な胸を顔に押し付けられたら男として反応してしまった気づかれたくない部分に気づかれてしまう。
「あ~! 孝ちゃん照れてるんだ~。かわいい~♪ ほら! もっと…ぎゅ~っ!」
あの生徒会長とは全く比にならない。もう別物だ。
「も、もう終わり!! 今日は疲れたから先にお風呂入るから!」
「あっ! あっ! じゃあお姉ちゃんと…」
「入らないから!!」
そのまま沙織さんのハグから抜け出し、急いで浴室へと向かう。
一秒でも早くこの心身疲れきった体を休ませたかった俺は、急いで服を脱ぎ捨て、適温に暖まったお湯の中へと身を沈めた。
「ああぁ~~……」
溜まった疲れや緊張感が一気に体内からお湯へと流れ出て、完全に脱力しきった俺は、そのまま頭までお湯の中へと沈めこむ。
「ぶくぶくぶく……ぷはっ! あ、危ない…一瞬意識が飛んでいたような…」
確かに疲れは取れるが疲れきったこの状態で入っていたら溺れてしまうかもしれない…。少し物足りないが、さっと体を流して上がることにしよう…。
体を駆使したからかお腹もかなり減っていたため、浴室から出た俺はそのままリビングへと向かった。
「あら孝ちゃん。もう上がったの?」
「はい、お腹が減っていたので…」
「あらあら♪ それならちょうど用意が出来たところだから食べちゃいましょうか♪」
沙織さんは身内の贔屓目を抜いても料理がかなり上手い。
学校で食べている沙織さんの手作り弁当もかなり手が込んでいて美味しい。
以前は気合いが入りすぎ、三段の重箱弁当を作ったり、ブログにアップしたらたちまち人気ブログにでもなりそうなくらいの完成度の高いキャラ弁を作ったりとしていたが、長い日々による俺の説得でなんとかとても美味しい普通の弁当となった。
食卓に並んだ料理はとても見映え良く、一目で美味しいことが分かる。
「「いただきます」」
二人同時にそう言うと、沙織さんは真っ先にサラダを取り分け始める。
帰る時間が遅いと泣き出し、弁当も普段の料理も俺好みに作ってくれる。沙織さんは俺に対してとても過保護と言えるだろう。それが嫌というわけではないが、沙織さんは個人の趣味や買い物に時間を費やしたり、友人と遊びに行ったりしていないのではないかといつも心配になる。それと同時に納得がいかない。
沙織さんが俺のことを大切に思っていることは分かるし、心配してくれるのも嬉しいが、それと同じように俺も沙織さんのことを心配している。義理とはいえ家族だと思っているし、一番信頼している。
「あの…さお」
「ん~??」
名前を言い終える前に即座に反応する沙織さん。その笑顔はなぜかとても怖かった。
こういう一言には敏感なんだな…。
「ね、姉さん」
「はい♪ 何ですか?」
「姉さんの趣味って何?」
「趣味? ん~……孝ちゃん!」
ま、まあなんとく分かってはいたけど…。
「いや、あの…俺に関すること以外での個人的な姉さんの趣味なんだけど…」
「ええええっ!? 孝ちゃん以外の!?」
そこまで驚くことないだろ…むしろこっちが驚いたよ。驚いて食べ物が少し喉に詰まったぞ…。
「いやいや、俺以外にもあるでしょ。個人的な趣味だよ。これが好き、こうしている時間が好きとか」
「孝ちゃんが好き♪ 孝ちゃんと一緒にいる時間が好き!」
嘘でしょ…。俺は今外人と話でもしているのか…? それとも俺の滑舌が悪いのか…?
「あ、あの…さっきも言ったけど俺以外に関することで何か無いの?」
「んー…そうだなぁ……。料理とあとは……。絵を描くこと…かな…」
後半からは、ふと思い出したかのようにボソッと呟く沙織さん。
「絵を描くのが好きだったのもずっと昔のことだけどねっ。」
いつものように笑ってそういう沙織さん。でも分かる。これは俺のための作り笑顔だと。
余計な心配はかけさせたくない、姉として強く見せようとしている時の作り笑顔だと。
俺も思い出した。俺がまだ小学三年生で沙織さんが中学生だった頃。
沙織さんは、毎日のように公園や川へと出かけては絵を描いていた。
でもいつからか、沙織さんは絵を描かなくなった。
いや、いつから描かなくなったかは本当は分かっているはずだ。あの頃から…。
「はい! おしまい! この話はおしまーい! 良いの! 確かに昔は絵を描くのは好きだったけど今はそれよりも料理が好きなの! 最近はお菓子作りも始めて、大学でも好評なんだから!」
俺が何を考えていたのか分かったのか、急に話を切り上げようとする沙織さん。
俺もこれ以上あまり思い出したくもなかったし、暗い雰囲気になるのも嫌だったので姉の言葉に続ける。
「へぇ~。お菓子作りも始めたのは初めて知ったよ……大学でも好評って…だ、誰かにあげてるんだ…」
「んんんん~?? 気になっちゃうのかな~? もしかして~…男子にあげてるんじゃ、とか気になっているのかな~??」
「ち、ちがっ! そういうんじゃなくて…その…」
「ふふっ、ごめんね。意地悪だったね。でも大丈夫、あげてるのは同じ学部の女子にだよっ!」
はあ~…。こういう所は本当に鋭い。簡単に心を読まないでくれ…。
「そっか……。ご、ごちそうさま! ちょっと今日は疲れたからもう寝るよ」
「んっ、分かった。おやすみなさい♪」
「おやすみ」
俺は自分の食器だけ片付け、そのまま自室へと向かった。
変態に襲われたり、誰かしらの視線を浴び続けたりと、落ち着いて一人になれる時間が無かったため、部屋に入った途端ひどい睡魔に襲われる。
さすがに限界だ。沙織さんにも言ったが、今日は本当にもう寝よう…。
ベッドに潜り込もうとするところでふと一つ気になったことがあった。
それは今日初めて知った共学化に関してだ。
共学化に関して生徒手帳に何かしら書いていないのか気になり壁にかけた制服の内ポケットを探る。
「あれ? いつもここに入れていたのに…」
今朝家を出たときに、生徒手帳が入っているのを確認したその場所には何も入っていなかった。
「落としたのか…? でもどこで…」
落とした場所に見当がつかないわけではない。落としていそうな場所が多すぎて困惑しているのだ。
「ああああっ、もう!! なんで今日はこんな不幸なんだっ!!」
とにかくこれ以上余計なことを考えたくなかった俺は、気にせず寝ることにした。
「頼む…明日はせめて今日よりマシな一日であってくれ…」
明日に不安を抱き、そう願いながらも、限界だった俺はすぐに眠りへと落ちていった。
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真っ暗な部屋の中、勉強机に備え付けられたライトのみが光るそこで、少女が恍惚と頬を赤く染めながら何かを眺めていた。
「やっぱりカッコいい…私のことなんて覚えてないかもしれませんが私はあなたのことなら何でも知っていますよ…優しくて私の大好きな先輩…ふふっ」
その少女は橘孝輔と名前の書かれた生徒手帳を一通り眺めたあと、その生徒手帳を持ったままベッドへと向かう。枕の隣に生徒手帳を置き、少女も横になる。
「それじゃ…おやすみなさい。先輩…♪」
明日が楽しみで仕方ないのか、幸せそうな笑顔のまま眠りにつく少女。
一方で、明日に不安を抱きながらも厄介なことが起こらないようにと願う青年、橘孝輔。
その願いもむなしく明日も不運な日となるのか、暗示しているかのように外ではポツポツと雨が降りはじめていた。