少女の色 3
フィリップは、事件があった日に考えた事を言ってみた。状況から考えて、狙われたのはラウラか全員のどちらかなのではないか、という理屈である。彼女が狙われた可能性が高い事も付け加えた。レオンはあっさり首肯した。
「だよな。でも、あれが暗殺者なら、やっぱりお前が狙われたって方が納得いくんだよな。ラウラが俺のところにいるのを知ってる奴なんか、それこそ姉上くらいだし、すると姉上がラウラを狙う理由は多分無いし、まさかアルモント家があんな強引な手法は取らんだろ。かといって、強盗にしちゃ撃ってくるばっかで不自然だ」
「彼女の事情を知っている東部の誰かが、ラウラを「始末」しにきた、という事は無いでしょうか」
「それが一番ありえるんだが、今のところ、根本的に「始末」する理由が分からん。あんなちっこい女の子なんか、東部にいる時でも襲えるだろ。よしんば姉上が一緒だったとしてもだ。……ダメだ、やっぱり情報が少なすぎる。疑問が増えるばっかだ」
ふう、と一息ついて、レオンは紅茶を啜った。フィリップは、考えながらゆっくりと言葉を口にする。
「もし彼女が、何かを掴んでいるとして、それを彼女に聞く事は、出来ないでしょうか」
「おいおい、まさか俺がそんな初歩的な確認をしてないとでも?」
おどけた風に肩をすくめたレオンは、結果はお前の想像通りなんだけどな、と呟いた。やはり、ラウラは何も話してくれないのだろう。
「いかんせん行き詰まりだ。どうにもこうにもなったもんじゃない」
そう言って顔をしかめた彼は、ゆるゆると首を振った。
「東部に行って確認したい事が多すぎるんだが、動けねえしな」
「動けない、ですか」
「実家に呼び出されちゃってさ」
一層げんなりとした表情で呟いた彼に、セバスティアンが何とも言えない視線を向けていた。襲撃されたとあっては、レオンの実家、つまりヴァルケット伯爵家に呼び出しを受けるのは当然だろう。
「ところがどっこい、伯爵閣下はお仕事がお忙しくていらっしゃると来たもんだ。今は同盟会議の真っ最中で、王都に戻ってくるのは五日後、それまではここで待機してろってさ。まったく、こっちだって子供じゃねえんだから」
レオンはそう愚痴ると、ふと何かを思い出したらしく、フィリップに向かって片目をつぶってみせた。
「ああ、ラウラに悪い事にならないようにしとくさ。とりあえず「可愛い後輩をささやかなお茶会に誘ったらそいつを狙って賊が押し入った」という事にする予定だ」
「了解しました」
即答すると、意外にもセバスティアンが恐る恐るといった風にフィリップを覗き込んだ。
「よ、よろしいのですか? それだと、フィリップ様が悪いようになってしまいますが……」
そう言いよどむ執事は、ちらっと主を見た。どうもレオンの案には反対していたらしい。フィリップは極力微笑みながら話そうとしたが、上手く出来なかった。
「アルモント少佐の話を聞いた限り、アルモント家に於いてラウラの立場は悪い。ここでラウラを原因とした事件が起きた場合、ラウラを連れてきたシェリルの立場、ひいては生家のヴァルケット伯爵家に影響する可能性がある。ヴァルケット伯は公明正大な方で、だが、その立場を狙う者も、弱みを握ってつけ込もうとする者もいる。何より、私が狙われたという方が、衆目には分かりやすい」
「強盗に襲われた、としたら、誰にも傷がつかないのでは?」
「その場合は、君の主人が標的だった事になる。それは恐らく、彼も君も望まないだろう」
忠実な執事は、下を向いて黙り込んだ。フィリップは肩越しに、後方にある次の間への扉を見た。そう、あの中にいる赤毛の少女もまた、何かを握っていると仮定するなら、下手に晒すのは良策ではない。彼女には、触らない方がいい。
自分に言い聞かせる様な思考に対して微かに眉をひそめ、フィリップは現実に戻って来た。
「誰が対象だったにしろ、あれは「暗殺者」だ。一応新聞報道は差し止めているが、すでにそういう事にしている記事もある」
言論統制に付き物の抜け駆け的記事は、すでに一部の地下系新聞が出している。憲兵への口止めは上手くいったようでラウラの事には一切触れられていないし、差し止めの効果が如何に薄いかを良く知るフィリップは、ある程度はそれを認めていた。
そして、その抜け駆け報道自体が目的でもある。これで事件は「単純な発砲強盗事件」ではなく「謎の要人暗殺未遂事件」に繰り上げされ、地下系新聞には格好のネタだ。すると、退役軍人のレオンにもメイドのラウラにも視線は向かず、被害者は現役軍人でそれなりの地位に就いているフィリップのみ、という事になる。
「な? フィリップならそう言うって言ったろ?」
にやにや笑うレオンと静かに紅茶を飲むフィリップを交互に見て、執事は何も言わず頭を下げた。フィリップにも何となく状況が分かっていた。いつでも聡いレオンは、自分の答えすら予測していたのだ。元よりこういった政治的思考方法はフィリップの得意な分野なので、推測は容易だっただろう。
「……そういえば、シェリルにはお会いしたんですか?」
フィリップが尋ねてみると、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
「ああ、昨日ここまで来てくれてな。東部での事は全部聞いた。連れてきた経緯とか、向こうでの状況とか。お前の事だから、義兄貴に会って色々聞いてるんじゃねえか?」
これもお見通しである。頷くと、レオンはまたけらけら笑った。
「まあ、だよな。仲のいい夫婦だぜ全く」
フィリップは、彼の笑い声が乾いている事に気づいて、苦しさを覚えた。まったく、いつも通りではない。
ふと、アルモントとの会話を思い出した。
「……大佐から聞いたのですが、ラウラは……『魔女』と、呼ばれていたとか」
「ああ。みたいだな」
「どういう意味でしょうか」
フィリップの疑問に対し、レオンは首を横に振る。
「姉上も分からんって言ってた。俺の知る範囲では、あの辺に魔女の噂があるとは聞いてない。非科学的、と言えなくもないがな。もっと言えば、前時代的か」
フィリップも同感だった。しかし、彼の中にある疑問は、ある解答を考える。
つまり、あの復活と消失、空間移動は、魔女故の「魔法」だったとしたら、正答ではないか。
馬鹿げた考えを振り払おうとして、彼は必死に次の言葉を探った。
「……他に、私がお手伝い出来る事はありませんか?」
「必ずある。が、今はそれも分からん」
真剣な表情でそう言うレオンは、心底悩んでいるようだった。主の苦悩が伝染しているのか、セバスティアンも眉間に皺を寄せて黙っている。
それから、隣の部屋からレイムズが出てくるまで、部屋にいた三人は難しい顔のまま押し黙っていた。彼女はとろんとした目で部屋から出てくると、銀鎖の付いた懐中時計を引っ張り出してフィリップの前にぶら下げた。
「中佐ぁ。時間がヤバいですよぉ」
「ああ、分かった」
そろそろ執務室に見回りが来るころだ。戻らなくてはならない。
「また連絡するよ。今度は真っ当な方法でな」
レオンはにやけながらそう言うと、セバスティアンに見送りを命じ、フィリップ達は部屋を出た。すると隣の部屋のドアが静かに開いて、ラウラが現れた。赤毛のメイドはやはり一言も発さず、フィリップとレイムズに深くお辞儀をして、それだけで部屋に戻って行った。一瞬の視線の邂逅がまた起こって、フィリップの目に小さな赤い残像が残っていた。
申し訳なさそうにあたふたと手を振るセバスティアンを宥め、別れを告げて、フィリップ達はホテルを出た。
「レイムズ。彼女と何を話していたんだ?」
車に乗り込んでから彼がそう尋ねると、レイムズは自慢げにふんぞり返った。
「女の子の事はぁ、女の子が一番良く分かるじゃないですかぁ」
「そう、か」
「そうですよぅ。だからぁ、聞いたんですよぅ。あそこで彼女に何があったのかぁ」
レイムズののんびりした声とは裏腹に、フィリップは少し不安になった。確かに彼女に全てを聞くのが手っ取り早い。と言うより、現状だとそうするしか無い。それが解決に対する一番の近道であり、且つ本筋である事はフィリップにも分かる。恐らくレオンにも分かっているはずだし、彼は実際にそうした。
しかし、フィリップにはどうしてもそうする気が起きなかった。その理由も分からないので、余計に不安が募る。
「……答えてくれたのか」
「答えてくれませんでしたよぅ」
レイムズは悲しそうにそう言うと、眼鏡を外し、レンズを軍服の袖で拭いた。
何となくほっとして、フィリップはホルスターの留め金を指でなぞりながら彼女の話を聞いていた。
「色々話してみたんですけどぉ、一言も喋ってくれなくてぇ。あぁ、でもぉ、お名前はちゃぁんと答えてくれましたよぅ。声も可愛かったですけどぉ、それ以外はからっきしでぇ」
意外とショックですぅ、と彼女は渋い顔で言った。それから、眼鏡をかけ直すと、フィリップの顔を覗き込んだ。
「普通に聞けばいいのにぃ、遠回りしようとするから殿方はダメなんですよぅ。やっぱりぃ、一直線にびしっと聞けばいいんですよぅ」
「そうか」
そうですよぉ、とブレーキを外し蒸気車を発進させた彼女は力説する。ふと思いついて、彼は後部座席から身を乗り出した。
「女性には男性がどうしても嫌いになる時期があると聞いたんだが、そうなのか?」
「……なんですかそれぇ?」
「いや、何でもない」
諦めて座席に深く身を沈めたフィリップに、レイムズが弾んだ声で話しかけてくる。
「あぁ、そういえばぁ」
「なんだ」
「ラウラちゃんってぇ、すっごく可愛いですよねぇ」
「……そうか」
「そうか、じゃないですよぅ。中佐ったらぁ」
彼女のため息が聞こえたが、フィリップは無視した。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載7話目の投稿です。
次でこの章が終了するかな? といったところです。
ペースの維持が出来れば、一月頭には終わる計算です。