少女の色 2
アルモントのところに話を聞きに行っていた時間の分だけ、書類は増えていた。夜中になっても終わらないので、護衛兵を帰して一人で居残り、書類に乱雑なサインをひたすら書き込んでいたフィリップは、気配を感じてふと顔を上げ、危うくペンを冷めきったコーヒーの中に落とすところだった。
目の前に立っていたのは、胸の前でもじもじと指を合わせているセバスティアンだった。いつもの執事服ではなく、動きやすそうな黒いシャツとズボン姿で、ゴム底らしい布の靴を履いていた。手にも黒い手袋をしているので、さながら泥棒である。
「……どうやって」
無表情の中からようやくそれだけ絞り出すと、セバスティアンはびくりと肩を震わせ、それから目を泳がせ口ごもった。
「も、申し訳ございません。レオン様が、あの、急を、要するとおっしゃいまして、それで、で、電報では間に合わないので、その、あの、し、忍び込ませて頂きまし、た……」
すっかり恐縮し、敬語も覚束ない彼は、眼鏡の下の青い瞳を潤ませていた。確かに、退役軍人であるレオンに対し、おおっぴらに軍の情報を流すわけにはいかないので、軍用回線のため記録が残る執務室の電話は使った事が無かった。通信の類は電報を使うか、急ぎの際はフィリップの方から総司令部の外にある公衆電話を使っている。確かにこの時間では面会を取り次いでもくれないだろうから、緊急に会うのは難しいだろうが、この万能執事は、なんと総司令部の厳重な警備をすり抜けて侵入してきたらしい。今の職に就く前は、泥棒か何かだったのではないか。そういえば、この執事の過去は知らないな、とフィリップはぼんやり思った。
「あの、いえ、でも警備の方々は全然悪くなくて、ええと」
当の執事は、フィリップの無表情を判断しかね、とんちんかんな事を言った。
「……いや、今はいい。用件は?」
「は、はい。ラウラの件で、レオン様がどうしても確認したい事があるという事でございます」
「どんな用だ」
「はい。ええと、『ローズロット伯爵領占領戦』に関して、明日までに分かる限りの事を知らせて欲しい、との事です」
「『ローズロット伯爵領占領戦』?」
「はい。レオン様が生まれる前の、かなり昔の戦です。私も裏側は把握していなくて……」
セバスティアンは恐縮しているが、つまり「裏側は」分からないだけで「表側」は把握しているという事だ。この青年の記憶力には何度も驚かされている。彼は貴族名鑑や船舶年鑑、戦闘記録等の資料にも精通しているのだ。下手に資料を漁るより彼に尋ねた方が早いくらいで、さらに最新の情報すら仕入れてくるのだが、出所を尋ねても微笑むだけなのが、むしろ怖い。
しかし、その彼が知らないという事はフィリップも知っているはずがない、という事である。軍の資料保管室を捜索しなくてはならないだろう。頭の隅で時間を計算する。
「……分かった。明日の夜に伺うと伝えてくれ」
「で、でも、フィリップ様は、その、護衛が」
「護衛の件なら問題ない。君が忍び込んでくるよりはマシだ」
顔を赤くした執事が窓から猫のように出て行くのを見送って(執務室は三階である)、フィリップは冷たくなったコーヒーに口をつけた。本当は熱い一杯が飲みたいのだが、レイムズが帰ってしまったのでそうもいかない。彼は生来不器用で、執務室にある新式の蒸気駆動式コーヒーメイカーが扱えないのだ。
フィリップは閑散とした広い執務室を見渡して、それから、出来る限り多くの仕事を終わらせる為に、机の書類に向かった。
眼の下に濃い隈を作ったフィリップが、レイムズを従えて王都の中心にある第一ホテルにやってきたのは、夜半過ぎだった。アパートが弾痕まみれになってしまったレオンは、二人の使用人と共に、王都随一のこのホテルに一時退避したのだった。家具付の角部屋を二部屋続きで取った彼は、無事だった家財を運び込み、仮の住まいとしていた。実家に戻ればいいのに、とフィリップは、安全上の観点から考えていたのだが、当人にそうする気は微塵もないらしい。
「よお。悪いな、変な方法取っちまって」
笑うレオンの顔にいつもの生気を見て取って、フィリップは安堵した。
「警備体制の見直しが必要なのが分かりましたから、一概に悪い方法だと言えないかと思います」
「ほお、冗談が上手くなったな」
けらけらと笑って、顔を赤くした執事が運んできた紅茶をすすったレオンは、ちらっとレイムズを見た。知らない仲ではないのだ。
「お前も悪いな、なんか巻き込んじまったみたいで」
「いいんですよぅ。あ、ラウラちゃんはどちらですかぁ?」
「隣の部屋だけど?」
レオンが、後方の扉を親指で指すと、レイムズはにっこりした。
「ちょっと会ってきますねぇ」
いぶかしげなフィリップを尻目に、ひらひらと手を振って、彼女は隣の部屋に消えた。
「すいません、私の部下が」
「いや、気を遣ってくれてんだろ。多分な」
「気を?」
「今からお前にしてもらう話は、ラウラにゃ聞かせたくないからさ」
多少気落ちした声で彼はそう言い、紅茶を一息に飲み干すと、セバスティアンの前にカップを置いた。そして、間髪入れずに注がれる紅茶を見ながら、ため息をついた。
「で、どんな事が分かった?」
「はい」
フィリップは自分の手帳を取り出し、広げた。
「『ローズロット伯爵領占領戦』の概要はご存知ですね?」
「セバスチャンの知ってた範囲ではな。王都に対し反乱を企てていたローズロット伯爵に対し、当時の軍部がそれを事前察知、先制攻撃を加えて制圧、伯爵の一族は全員戦死して、伯爵領は無くなった」
「そうです」
「で、実際のところは?」
にやにやしながらそう言ったレオンに対し、フィリップは上手く笑みを返せなかった。
彼の言う通りなのだ。物事には「実際のところ」が必ずある。そういう事を、フィリップは嫌と言うほど経験してきていた。
「……ローズロット伯は、自分の娘を王室に輿入れする事が決まっていました。それを快く思わなかったのが、当時貴族院で副議長を務めていた東部出身のアルバート=シェルゴット侯爵です。彼は軍部にも影響力があり、第二軍参謀課長に婿養子のエドワード=シェルゴット大佐がいた事で、彼を利用して第二軍を動かし、占領を強行したという事のようです」
「杜撰だなぁ。本当にそれで上手く行ったのか?」
「はい」
「……なんで」
「ローズロット伯は東部で産出される木材の流通をまとめていて、相当の利権を手にしていました。それを全て王室直下にする事が出来る、ということで輿入れが進んでいたのです。第二軍が占領し、伯爵領が王室の手に入ってしまえば」
そこまで言ってフィリップは言葉を切り、顔を上げる。レオンはやれやれ、という風に肩をすくめた。
「なるほど、用済みだわな。それで、その輿入れ予定だった伯爵令嬢は?」
「伯爵と一緒に殺されています。どちらにせよ、扱いが『反逆者の娘』では輿入れも不可能だったでしょう」
「まあ、そりゃそうだろうな」
レオンは嘆息し、申し訳程度に胸に手を当て、そして紅茶をすすった。
「で、シェルゴット侯爵は?」
「この件の「功績」で、商路を除いた東部中央の執政権を得ました。侯爵はもう亡くなっていて、大佐は先の大戦で戦死しました。現在東部中央は王室直下になって、王太子殿下が治めています。この辺りはもうご存知でしょう?」
「ああ、セバスティアンが教えてくれた」
「はい、私で補完出来る部分は」
昨日は大胆にも軍の施設に忍び込んだ執事は、今日はいつも通り、静かに主の後ろに立ってそう言った。
「……それで、この件が彼女とどういう関係が?」
「大体予想つくだろ。姉上がラウラを助けたのが、ローズロット伯の元居城だったのさ。今はただの廃城だがな」
「そうでしたか」
ローズロット伯爵領が東部だった段階で、フィリップにも何となく分かっていた。
が、解せない事もある。
「……それだけですか?」
「何がだよ」
「貴方の考えている事が、私の考えている範囲の中だとは思えないです」
率直な考えだった。物事の一手先、二手先を読む事に長け過ぎているレオンが、この程度で考えを止めるはずがない。
「……正直なところを言うとな」
二杯目の紅茶も飲み干したレオンは、難しい顔をしていた。
「分からん。この件が外堀である可能性はある。が、本丸にはなり得ない。まだあの日の事に届かない」
フィリップは無言で考える。
ラウラは撃たれた。撃たれて死んだはずだった。出血はどう見ても致死量だった。が、完全に無傷で生きている。そして、居間から台所まで誰にも見られずに「空間移動」をしてみせた。目下、不可思議で怪奇な出来事は、それらに尽きるのだ。
「大体だ、結局あの襲撃はなんだったんだ? 何の意味があったんだ? 本当に狙われたのはラウラなのか? 極論しちまえば、ラウラは何者なんだ?」
分からない事しかねぇ、と結んで、レオンは鼻を鳴らした。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載七話目の投稿となります。
カタカナの固有名詞が多く、少し読み辛くなってしまったかも知れません。
申し訳無いです。