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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
始まりの香り
4/27

始まりの香り 4

 次の瞬間には、素早く立ったレオンがラウラを突き飛ばし、彼女の身体は飾り棚の後ろに転がった。セバスティアンが扉の方を覗こうとしたが、また銃声がしたかと思うと、銃弾が彼の眼前をかすめて壁に着弾し、彼は慌てて居間の扉の陰に隠れ、不安と緊張の入り交じった視線をレオンの方に向けた。

 フィリップは椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がると、すぐにテーブルの陰にしゃがみ込んだ。どたん、と頭上で音がして、テーブルが横倒しになり、先ほどより軽い銃声がすぐ近くで響いた。

「なんなんだ一体!」

 主に蹴倒された丸くて分厚い樫材のテーブルの影で、ジャケットの中に吊っていたらしい、硝煙をたなびかせる小型リボルバーを携えたレオンが吠える。フィリップも愛用の軍用拳銃をホルスターから取り出し、撃鉄を上げた。

「セバスティアン!」

「大丈夫です!」

 ドアの陰からセバスティアンが主の呼びかけに答える。飾り棚のラウラの所まで行こうと、タイミングを計っているようだった。

「ラウラ!」

 主の呼びかけにも、彼女は伏せたまま答えず、代わりに飾り棚に銃弾が撃ち込まれた。テーブルの陰から腕だけ突き出して応射したレオンは、フィリップに目配せするなり飛び出した。

 フィリップは彼と同時にテーブルから身を乗り出して、六連装リボルバーの銃弾を全て玄関に向けて叩き込んだ。賊は慌てて玄関の陰に逃げ込み、応射される前に、レオンは飾り棚に辿り着いていた。セバスティアンも後を追って、飾り棚の後ろへ走り込む。

 フィリップは身を沈めて弾丸を装填し、飾り棚の方に眼をやった。大きな飾り棚の後ろで、レオンとセバスティアンは何やら押し問答をしている。弾丸の装填が終わったシリンダーを元に戻し、フィリップは軽く深呼吸した。また銃声が飛来して、飾り棚の化粧板に弾丸が食い込み、レオンとセバスティアンが身を縮める。ラウラはその陰で微動だにせず、倒れたままだ。

 フィリップは意を決すと、重い丸テーブルを無理矢理押して扉の前まで転がし、飾り棚の前に陣取った。また銃声が聞こえたが、頑丈なテーブルは弾丸を完全に遮った。

「大丈夫ですか」

 数発応射したフィリップが声をかけると、レオンとセバスティアンが同時に顔を出した。

「セバスティアンが怪我してる!」

「私は大丈夫です!」

 同時に早口でまくしたてた二人は、渋面を作ってお互いを睨んだ。

「彼女は?」

 フィリップが尋ねると、二人は身を固くして、同時に首を振った。

 ダメだった、ということか。少し気落ちしたが、それでもフィリップは冷静に二人の後ろを覗き込んだ。

 左側頭部を血で真っ赤に染めた、哀れな少女がうつぶせで倒れていた。恐らく、最初に撃たれた段階で既に事切れていたのだろう。

 何となく触れ難い雰囲気がして、フィリップは手を伸ばすのを止めた。さらに赤く染まった彼女の頭は、何故だか不可侵のモノに見えた。長い髪の毛がかかって彼女の顔は見えず、ただ赤かった。

「……畜生」

 レオンがぼそりと呟くのが聞こえた。

 途端、また銃声が聞こえて、テーブルがガン、と音を立てた。

「うるっせえ!」

 レオンは飾り棚から身を乗り出して、リボルバーを乱射した。セバスティアンも火照った顔のまま、入り口に向けて小型拳銃の引き金を引く。よく見ると、執事服の左肩が裂けて、下に見える白いシャツにうっすらと血がにじんでいた。かすり傷らしい。フィリップは安堵した。

 途端、大きく鋭い笛の音が聞こえた。誰かが銃声を聞きつけ、警察か憲兵隊に通報したらしい。玄関の方から慌ただしい音がして、それっきりになった。

「逃げたようですね」

 フィリップはそう呟いたが、誰も返事をしなかった。


 現場に現れたのはごつい顔の憲兵で、それが意気消沈したレオンの気分をさらに害した。理由は良く知らないが、この元上司は軍属の頃から憲兵が嫌いなのだ。彼はセバスティアンを連れて台所に引っ込み、廊下に繋がっている扉を閉めて篭城し、止めるフィリップを無視してそれをこじ開けた憲兵を嫌悪の視線で近づけなかったため、危うく連行されるところだった。

 幸い、フィリップの存在は劇的な効果をもたらした。先ほどまで居丈高だった憲兵は、彼の胸元の階級章と身分を確認するなり眼を剥き、地方出身者らしい強い訛りを隠さずにしどろもどろで謝り、玄関にいた別な憲兵の連絡を受けて、地区担当の憲兵隊長がすっ飛んできた。未だに台所に引っ込んだままの家主とそれをなだめる執事の代わりに、フィリップが玄関で迎えた。髭面の隊長は野次馬を追い払ってから型通りの敬礼をし、連れてきた部下数人に検問と近辺捜索の指示を出し、それから顔をしかめて頭を下げた。

「申し訳ございません、まだ赴任して日が浅い者でして」

「いや、構わない」

「中佐を狙っての犯行でしょうな。まったく大胆な奴です。おい、早く行って来い! 触るんじゃないぞ」

 部屋の簡易検分に向かう先ほどの憲兵を叱咤した彼はそう言い、ここの主を知らない人間から見れば全くその通りなので、フィリップは何も言わなかった。

 彼は考える。あれは、暗殺者だったのだろうか。そして、狙いは一体誰だったのか。

 暗殺者なら、自分か。

 違う。タイミングが悪すぎる。ラウラが自分の前にいたのだ。玄関を開けてからすぐに撃つ必要はない。もっと踏み込んできてから自分を狙えば良いのだ。こちらには用意が無かった事は見て分かっただろう。

 では、レオンか。

 違う。玄関からだと、角度の問題でレオンは見えないのである。にも拘らず、賊は玄関からまっすぐこちらを狙ってきた。射線上にいない人物は狙えまい。

 なら、セバスティアンか。

 違う。彼もまた、レオンの影にいたのだ。ただでさえ見えないレオンの、さらにその後ろにいる彼を狙えるはずが無い。狙われる理由も思いつかない。

 すると、ラウラか。

 彼女は賊の射線上にいた。故に撃たれた。彼女を狙ったのなら、整合だ。しかし、理由が分からない。ただのメイドを狙う理由などあったのだろうか。

 あるいは、ここの場にいる全員だったのか。

 可能性はある。ラウラが狙われた理由としては、今のところ一番納得がいく理由だ。理由も色々とこじつける事が出来る。が、納得がいかない。賊はラウラを撃ち、その後は彼女がいる飾り棚付近を狙い続けた。まるで、ラウラを狙っていたかのようだ。すると、先ほどの疑問に立ち戻る。

 ラウラは、何故狙われたのか。

 全く分からず、フィリップは考える事を放棄した。

 そこへ、軍の蒸気車が警笛で野次馬と耳聡く集まって来た新聞記者達を押しのけながら現れ、アパートメントの前に停まって、運転席からフィリップの腹心であるアルマ=レイムズ中尉が降りて来た。長い金髪を後頭部で団子に纏め、銀縁の丸眼鏡をかけた彼女は新聞記者の焚くフラッシュ光も気にせず、軍人らしからぬのんびりとした動作で憲兵隊長に敬礼し、フィリップを認めると、へらっと笑った。

「中佐ぁ、お怪我はぁ?」

 場にそぐわない間延びした彼女の声は、緊張した憲兵隊長を拍子抜けさせるのに十分だった。これでも軍学校を好成績で卒業した若きエリートなのだが、とろんとした蜂蜜色の目からは、そんな雰囲気は微塵も感じられない。

「ない」

 フィリップは素っ気なくそれだけ返した。レイムズは口の両端を下げ、バツが悪そうに右手を口元に持っていって、照れ隠しするかのように人差し指で眼鏡のブリッジをちょっと叩いた。

「ひょっとしてぇ、今朝のコーヒーの事ぉ、まだ怒ってますぅ? 早く来たんですからぁ、ちょっとは褒めて下さいよぅ」

「仕事でこの近くに出ていただけだろう。鑑識と検死医は?」

「ご明察ですぅ。ローシュ先生がもうすぐ来ますよぅ」

 彼女はにっこりしながら答え、居間から戻ってきた憲兵に敬礼して、人差し指で居間の方をちょんと指した。

「扉、閉めといて下さいねぇ。写真撮られるとマズいのでぇ」

 当然、新聞記者の事である。憲兵は頷き、居間と廊下を繋ぐ扉を閉めてから戻って来て、レイムズは彼と交代する形で居間の前で見張りに立った。とぼとぼ歩いて来た憲兵をフィリップが呼び止めると、彼はびくりと肩を跳ね上げた。

「な、なんでしょう」

「そんなに緊張しなくていい。……ここの主人は、あんな事があったから少し神経が過敏になっているんだ。君にはすまない事をした」

「いえ、とんでもないであります」

 ずっしりとした面持ちの憲兵は慌てて敬礼したが、居間の方をちらちら気にしながら、手の中で帽子をもみくちゃにしている。先ほどは動揺からか言葉に訛りがあったが、今は大丈夫だ。

「……少女の状態はどうだった」

「じ、自分は手を触れておりません。検死医と鑑識が来るまでは触ってはならない、との命令でありますから」

「ああ、分かっている。すまない、仕事に戻ってくれ」

 彼はフィリップの敬礼に固い答礼をして、外にいる仲間の元へ駆け足で向かって行った。それを見送ったフィリップが廊下から台所に入ると、むっつりしたままのレオンと眼を真っ赤に腫らしたセバスティアンが、まんじりともしない表情で藤製の椅子に座っていた。

「……ラウラは」

 これまでに聞いた事の無い、弱々しいレオンの声に、フィリップはどきりとする。が、そんな感情も表に出てくる事は無く、彼はあくまで冷静に答える。

「まだあそこにいます」

「……そっか」

「どうなさいますか」

「ああ。……どうするかな」

 こんなに意気消沈したレオンを見るのが初めてだったので、フィリップは何も言えなかった。レオンは少しの間唇を噛んで黙っていたが、深く息を吐いて、ようやく顔を上げた。

「……顔、見てくる。セバスティアンは?」

「参ります」

 袖口のカフスを涙ですっかり駄目にしてしまった青年執事は、それでも毅然とした声で主に答えた。

 フィリップも、二人の後ろを黙って着いて行った。二人にかける言葉が見つからず、無意識にホルスターの留め金をいじっていた。

 台所から居間に通じる扉はラウラの遺体があるので使えず、フィリップ達は一度廊下に出た。部屋の前にいたレイムズがゆっくり敬礼したが、フィリップですら答礼する心の余裕が無かった。玄関の方で、憲兵達が何か話しているのを横目に、レイムズが気を効かせて扉を閉め、静かな部屋に三人きりになった。

 フィリップは、さっき会ったばかりで、そして結局一言も声を交わさなかった少女の事を想った。

 今は机の書類と格闘している時間が多いが、戦争の間はレオンと共に空中戦艦に乗り組み、前線で戦っていた時期も勿論ある。戦争が始まってすぐ、戦艦に乗り立ての頃、艦橋目前まで迫った敵の飛行機が近接防衛の機関銃に乱射を受けて蜂の巣になり、操縦士だった肉片が混ぜこぜになって眼前の窓にへばりついたのを見た日、その夜は真っ赤な光景が網膜に焼き付いて寝付けなかった。それでも、彼は軍人である。経験は積み重なり、今では血みどろの現場でも眉一つ動かさない、冷静な指揮者として評価されるようになった。人の死には、それなりに慣れたつもりだった。

 だが、何故か今は胸がざわついて仕方なかった。まるで胸にぽっかりと穴が空いて、その穴の周りがそれを埋めようと必死に蠢いているような感覚だった。時間にしたら本当に一瞬だったはずの、赤い目との視線の交錯が思い出されて、フィリップは無意識的に飾り棚から目を背け、窓の外に見える、薄赤く染まりつつある空を見ていた。ちらっと鳥の影が見えて、すぐに消えた。

 ふと視線を戻してようやく、飾り棚の裏を覗き込んだまま、凍ったように動かないレオンとセバスティアンに気づいた。彼も飾り棚の後ろを覗いた途端、身体が凍り付いて動かなくなった。

 そこに倒れていたはずの少女の身体は、影も形も無かった。床と飾り棚に固まって黒々とした血の跡が残っているだけである。まるで、死体が血だまりの中に吸い込まれてしまったかのようだった。

 ラウラは、消えていた。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載四話目の投稿となります。


 今回は話の切れ目の関係で、少し長くなりました。

 次次回くらいからいつもくらいに戻ると思います。

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