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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
終わりの香り
26/27

終わりの香り 1

「結局、シェリルは全てを知っていたのでしょうか?」

 壁紙と家具を一新したレオンのアパートで、少し青い顔のフィリップは紅茶を飲んでいた。

 あの後が大変だった。ここ数日の疲れがどっと出たのか、ホテルから宿舎に戻った彼は高熱を出し、次の日の朝までうなされていたのだが、その状態で仕事に赴き、レイムズとコークスにさんざん怒られ、ついにローシュにもたしなめられて、ようやく一週間の療養休暇を取ったのだった。ゆっくり養生したので体調も大方回復し、明日から仕事に復帰する事になったので、絶望的な仕事量が溜まっているはずだから当分ここには来れないだろう、と考え、区切りを付けるためにレオンのところを訪れたのだ。

「いや、何も知らなかったみたいだ」

 口からカップを離したレオンは、大きくため息をついた。彼お気に入りのカップは襲撃の際にも奇跡的に無傷だったようで、それを見たフィリップは少し嬉しかった。

「あの後聞きに行ったら、逆に俺が全部話す羽目になって、そしたら姉上泣き出しちゃってさ。そこに義兄貴が帰ってきちゃったから、もう大変だったんだぜ?」

「災難でしたね」

「他人事だと思いやがって……。それから、やっぱりラウラを養子にするって言い出してさ」

「彼女にとっては、とてもいい話ではないでしょうか」

 フィリップがそう言うと、俺もいい話だと思ったんだがな、と彼は頭を振って、セバスティアンに紅茶を求め、ゆっくりと注がれる紅茶の音を聞きながら、またため息をついた。

「ラウラ当人が嫌だって言うから流れたんだよ。ったく、アルモント家なら悪いようにはならんのに」

「それで、どうなさったんですか」

「孤児だと色々面倒になるだろ? だから、あ、この話は止めよう」

 レオンは唐突に手を振り、話を打ち切ろうとしたが、フィリップは静かに彼の後を継いだ。

「戸籍を買ったんですね」

「……やけに鋭くなったな」

「ありがとうございます」

「……まあいいや。まあ、うん。そういう事だ」

 レオンは、イタズラがバレた少年のように顔をしかめ、頬を掻いた。

 当然の如く違法だが、特に糾弾する気持ちではなかった。フィリップは紅茶を飲み干して、セバスティアンにカップを差し出した。

「もう一杯頼む」

「かしこまりました。新しく淹れて参りますので、少々お待ちください」

 セバスティアンはそう言って恭しく頭を下げ、台所へ消えた。その背中を眺めていたレオンが、何でも無いかのように呟く。

「そういや、事後処理はどうなった」

「東部本営の方面巡察隊の一部が事実を認めました。ローズロット村の住民もです。軍人は査問会にかけられ、村人は一部が逮捕されました」

「あのガキと憲兵は?」

「両方逮捕しました。将校の方は、私を数度襲ったという事もあって無期刑ですが、憲兵は有期刑に執行猶予が付くとの事です」

 フィリップは、レオンが寂しそうに息をついたのを聞いた。だよな、と小さく呟くのも聞いた。軍人が起こした立場の弱い女性に対する事件は、刑が軽い事が多い。今回はフィリップが特に言ったので刑がついたが、普段ならもみ消されていただろう。戸籍の無かった『ラウラ』が相手なら尚更だ。

 そうであるにも関わらず、彼らが必死にあの一件をもみ消そうとしていた理由も分かった。村人が、軍人に対する「接待」で『ラウラ』を使っていた事が、村人と軍人への取り調べで分かっていた。『ラウラ』は多くの事を知っていたのだろう、と推測されたが、すでに『ラウラ』は失われたものとされていた。

 そうだ。もう『ラウラ』は存在しない。

「……それから、あの憲兵の証言を元に、ローズロット城の裏手から赤毛の女性の遺体が見つかりました」

「そっか」

 レオンは紅茶の入っていないカップを持上げ、何も入っていない事に気づいて戻した。

 昨日ローズロット城に捜査が入ると聞いて、フィリップは一人で東部に赴き、先代の『ラウラ』であろう赤毛の腐乱死体が掘り出される現場に、無理を言って立ち会った。一緒に掘り返された大量の人骨から、そこが『ラウラ』の集合墓地であった事は容易に知れた。それらを検死に回した後、元の場所に埋め直すようにあの司令官補佐に頼んで帰ってきたのだった。

 ラウラにこの事を言う気は無かった。もう会えるとも思っていなかった。戸籍を与えたと言う事なので、恐らくシェリルの計らいで、アルモント家の別荘がある西部にでも送り出したのだろう、とフィリップは考えていた。あんな事があったのだから、少なくとも当分は、苦い思い出のある王都には戻って来まい。彼女の心には、あの時の自分のように、棘が深く刺さっているのだろう。

 空気が重くなったのを感じ、彼は他の話題を探した。一生懸命考えたが事件の話以外が思いつかず、気がつくとレオンが彼の顔を覗き込んで、くつくつと笑っていた。

「そんなに難しい顔するなよ。まあ、いつもと同じ顔だがな」

「すいません」

「何で謝るんだっての」

 ひひひ、とレオンは笑い、それから真面目くさった顔を作った。

「蒸し返すようなんだがな、あの時のお前の話は確かに立派だったが、一つ抜けてる所がある」

「何かありましたか」

「あれだけ前提条件として「『ラウラ』はあの部屋で一人暮らしである」って言ってたのに、お前の話だとまるで前の『ラウラ』とラウラが一緒に住んでたみたいじゃねぇか」

「……ああ」

 そういえばそうだった、と思い返し、フィリップは口ごもった。

「……私はひょっとして、間違えたのでしょうか」

「ところがどっこい、どう考えてもあそこではあれが正解だ。冷静に考えればそりゃそうだ。昔は伯爵家が、あー、色々と「教育」してたんだろうが、今は村人が『ラウラ』に子供を渡して次代の「教育」をさせるということになってた。……まあ、正直に言うと、これはあの後ラウラから聞いた話だ。あいつは前の『ラウラ』から、そう聞いたらしい」

「はい」

 少しの間沈黙が流れて、レオンがそれを静かな声で破った。

「さて、俺も一つ忘れてた事がある。お前、ラウラに『自分と同じモノ』って言ってたよな」

「……はい」

 フィリップは小さく答えた。

 そうだ。レオンが軍を去ろうとした時、フィリップは自分も軍を辞める気だった。他の人の下で働く気は無かった。彼に付いていく気だったのだ。

 が、レオン自身がそれを止めた。そして上層部に口を利き、彼自身が就任する予定だった総司令部付特別調査室室長の職に、フィリップを推薦したのだった。あの日、悪ぶって「俺がやりたい事がある時、それが軍に関わる事だったら、情報をくれる奴が必要だろ?」と言う彼に、当時のフィリップは何も言えなかった。悪ぶっているのが丸分かりであるからこそ、自分が嫌われているのではないかと思った。そんな事は無い、と心の底から思いつつも、彼の上辺はそれを否定し、ごちゃごちゃになった心は危うく吹き飛んでしまう所だった。仕事に手が付かず、かといって転任を希望する気も起きず、どうしたらいいか分からなくなって、一時は職場放棄のような状態に陥り、状況を聞きつけたレオンが出馬しなければ、軍を逐われていたかも知れない。

 レオンの発破でようやく割り切ったが、仕事ができるようになるのには時間がかかった。多くの事件を経験し、挫折して、何度も彼のところを訪れる内に、彼が望んでいたモノを理解出来るようになった気になっていった。そして、それで良い事にしていた。しかしそれも上辺で、本当は奥底の方で混沌と化した感情が未だ渦巻いているのだ。ひっくり返ってしまったんだ、と彼は思っていた。フィリップはどんどん昇進し、ついにレオンの階級を追い越したが、彼の中では未だにレオン=ヴァルケット特務少佐が上司で、軍人としての育ての親で、一種の相棒だった。

 だから、軍を退いて長くなるのに、彼の事を名前で呼べたためしがなかった。まるで恋する乙女ですな、とローシュに笑われた事もあったが、それでも彼を呼ぶ単語は出てこなかった。どうしても「少佐」と呼んでしまいそうで、しかし「レオン」と呼ぶのは違う気がするし、敬称をつけるとしっくり来ない。辛うじて「貴方」と呼べるが、変な一時しのぎのようなものだ。

 ただ、何となくそれもそれでいい気がしていた。

「お前は偉いよ」

 レオンのその声で、フィリップは現実に引き戻される。

「俺は逃げたがお前は逃げなかった。それだけさ。俺はいい部下を持ったもんだ」

 笑うレオンに、フィリップは微笑みを返したかった。が、あの日以来、彼の鉄仮面は鉄仮面のままで、もう感情を表に現す事は無かった。一生分の表情をあの日だけで使いきったようで、どうにも動こうとしなかった。

「だがな、お前がきっちり割り切って、まともに仕事を始めるまで結構な時間がかかった。そうだな?」

「……はい」

「その点女性はもっと偉い。割り切るのが上手だ。なぁセバスティアン?」

 その言葉と共に、フィリップの背後で、台所の扉が開く音がした。

「そうでございますね」

 静かな執事の声が聞こえて、それからいつもと違う紅茶の匂いがした。

「紅茶をお持ちしました」

「ん、セバスティアン。今日は何の紅茶だ?」

「ローズティーをご用意しました」

 主に答えるセバスティアンの声と一緒に、かちゃかちゃとティーポットを準備する音が聞こえる。レオンはふっと微笑むと、唐突に両手を合わせた。

「おお、そういやもう一個教えるのを忘れてたぜ。あの後ちっとばかりローズロット城の事について調べたんだ」

「何をですか?」

「あそこの謂れをさ。何でも伯爵家は薔薇の栽培に凝ってて、城の周りはバラ園になってたそうだ。それに関係あるかどうかは分からねえが、伯爵領には美しい薔薇色の目と髪の毛を持つ女性が多かったんだと。なるほど、家紋の薔薇はここから来てるわけだ」

 フィリップが黙っていると、セバスティアンがレオンの側に回って紅茶を注いで、彼の後ろから、フィリップの後方に笑みを投げた。

 白い指と糊の効いたエプロンドレスの袖口がフィリップの目の端にちらと映ったかと思うと、彼の前に置いてあったカップが取り上げられ、紅茶が注がれるゆっくりとした、慎重な音が聞こえた。

「ああ、言い忘れてたんだが、輿入れ予定だったローズロット伯爵令嬢の話が残ってないのが妙だ。死んだって話だが、ひょっとしたらどっかの誰かさんが伯爵家の血を残すため、どこかに匿ってたとしてもおかしくはない。伯爵夫人の自死は、それの隠匿も考えてたのかも知れないな。どんなに貶められても、あるいは『誇り』のために生きていく事を選択した可能性もある。……ああ、フィリップよ」

「はい」

「想像の翼って奴は転生の必要も無いくらい長生きで、好奇心ってのは尽きる事が無い。そう思うだろ?」

 いたずらっぽい表情のレオンが、カップを片手で捧げるようにして持上げ、芝居がかった口調で言った。

「紹介しよう。我が家の新しい家族、ラウラ=ロゼ=ガーデンだ」

 フィリップが横を向くと、薔薇色の髪の毛と、何故かそこだけ薔薇色に染まった頬の、色白の小柄な少女が紅茶を注いだカップを受け皿に戻すところだった。少し長い前髪がさらりと揺れて、その奥から現れた薔薇色の瞳が一瞬だけフィリップの視線と重なった。すぐに顔を背け、恥じらうようにゆっくりと礼をして、彼女はポットを持ったままその場に留まった。

 フィリップはカップを取り上げ、ゆっくりと飲んだ。

 確かに、薔薇の香りがした。

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