『魔女』の最期 1
これで全部終わりだ、とレオンは言い、姿勢を戻して、ラウラを見た。
「俺の話はこれで本当に全部だ。俺にはお前に質問する権利があると思うんだが、どうかな?」
赤毛の少女は答えず、ただ首を傾げた。いよいよ人形のようだと、フィリップも無言で思った。
沈黙を肯定と受け取ったようで、レオンは微笑んだ。
「お前は伯爵夫人の件をなぞった。謎の復活と空間移動をこなしてみせた。だがその理由が分からん。あんな事をしなくても、全部ぶちまけちまうなりして、全て終わらせる事が可能だったにも拘らず、お前は『ラウラ』でいた。その理由が分からない」
レオンはそこまで言うと足を組んで黙り込んだ。ラウラはそれを見据えたまま、まだ黙っている。
が、唐突に微笑みを浮かべ、目を細めてレオンを見た。奇妙に蠱惑的な、妖しい微笑みだった。フィリップは、軍服の下で腕が粟立つ感覚を覚えた。
「思いついたから。伯爵夫人と同じ事が出来るって。私にも同じ事が出来るって。私も『ラウラ』だから」
「……だが」
フィリップの口から、思わず言葉がこぼれていた。
「だが、憲兵の件はどうなる。君はあの憲兵が東部出身者である事と、彼が現場に来る事を、事前に知っていたのか?」
「いいえ」
先ほどまでの厭世的な声とはうって変わって、歌うような抑揚で彼女は言う。
「でも、城に来たのは覚えてた。だから、あの時思いついた。血袋は使えると思ったから、こっそりもらった。ごめんなさい?」
微笑みながらそう言う彼女に、フィリップはぞっとした。血袋の件といい、彼女は用意が良すぎる。そして何より、運も良すぎるのだ。
レオンはというと、笑いながらそれを聞いていた。
「まあ、臨機応変で素早い対応は召使いの美徳だからな。なあセバスティアン」
「そ、そう……ですね……」
正直なセバスティアンは、それだけ言うと眼を伏せた。
それをさも面白そうに見ていたレオンは、またラウラの方に向き直った。
「もし俺達があの襲撃で全員死ぬか、もしくはあの憲兵が東部出身者じゃなかったら、空間移動が無くなってただけだ。怖いぜ、死んだと思ってた奴が起き上がるんだ。しかも、血まみれなのに無傷だ。それだけでも十二分に『謎』だよ……というより、最初はそれで妥協するつもりだったんだろ?」
レオンの問いに頷いたラウラは、微笑みを絶やさなかった。レオンも負けじと微笑み返し、それから唐突に手で膝を打ち、足を組んでリラックスした様子で椅子にふんぞり返った。
「まあ、その場合は流石の俺ももっと早く気づいてたさ。死んでなきゃな。……さて、一番最初に戻ってもいいかね、ラウラ」
「何?」
「聞いたろ。お前は何番目だ、って。つまり『ラウラ』はどれくらい続いてたのかって話だ」
ラウラは、少し困った顔になった。
「分からない」
「分からない?」
「『ラウラ』が教えてくれなかったから。知らなかったのかも」
「ふむ、その『ラウラ』ってのは、そう、先代ってとこだな? お前の親は?」
「私は母親の顔も父親の顔も知らない。城に来る男達の顔と『ラウラ』の顔しか知らなかった」
「なるほどね。そいつはどうした」
「彼が殺した。だから覚えてた」
「なるほど、あの憲兵か」
「そう」
なるほどね、とレオンは呟いた。フィリップも得心がいった。あの憲兵は先代『ラウラ』を、何らかの理由で殺したのだ。恐らく、小部屋の床にあった血はその事件の痕跡だ。そして、その結果東部から王都に出て来た。それがさっきレオンの予想した「弱み」なのだろう。
そして、また皮膚が粟立つ感触を知覚していた。彼女は生粋の『ラウラ』なのだ。先ほどまでの無感情な少女は、今は蠱惑的な微笑を浮かべた赤目赤毛の魔女『ラウラ』として、彼の前にいた。
ふと、ラウラが彼に視線を移した。それを外すタイミングを失って、フィリップはまともに彼女を見た。
赤い瞳と赤い髪の毛の白磁人形だった彼女は、その瞳に何かを発露させていた。それと一緒に、彼女の微笑の中に奇妙な違和感を感じて、フィリップは彼女を見つめ返した。
「……私をどうする?」
彼女は、歌うように問う。
「……………」
「ローズロットに送り返す?」
「……………」
「それとも、殺す?」
どきりとして、フィリップは少し眼を見開いた。ラウラはゆっくりと続ける。
「私、貴方達を騙した。どうなっても、文句は言えない」
レオンが何か言いたそうにラウラを見たが、それ以上は何もしなかった。彼女はそちらを見ようともせず、目の前のフィリップを、その赤い瞳で捉えたままだった。
「それ、使いたいんじゃないの?」
彼女はひどく白い指で、フィリップのホルスターを指した。彼はそれで初めて、自分の手がホルスターの留め金をいじっている事に気がついた。いつも通りの仕草なのに、それがとてつもなくひどい事のような気がして、彼は無理に右手を離して、落ち着く場所を求めてうろつく指先を背中に隠した。
フィリップは無言で彼女を見返した。初めてはっきりと視線を交わすラウラは、細めた赤い瞳を暗く光らせている。微笑をたたえた表情だけは未だ作り物めいていて、彼は思わず目を逸らしかけた。
が、気づいた。
微笑む彼女の、その瞳の中にあるモノが、一体なんなのかという事に。
彼は一瞬レオンを見た。彼はフィリップにしか分からないように頷いてみせると、眼を閉じた。
ラウラは、もう一度繰り返す。
「私を殺す?」
フィリップは少し息を吸って、言葉を押し出した。
「殺さない」
「……どうして?」
初めて聞く、微かに動揺を含んだ声だった。フィリップの声にはいつも通り感情がこもらず、ただ淡々と言葉が紡がれる。
「君を殺す理由が無い」
「私は、貴方達を殺しかけたのよ?」
「殺さない」
「……何故?」
押し込められていた感情が溢れるかの如く、ラウラの声は少しずつ大きくなっていた。
「どうして殺さないの?」
「今言った通りだ。殺す理由がない」
「どうして!」
「何故殺さないといけない?」
「……………」
ラウラは黙って、フィリップを睨む。彼女の瞳には今、はっきりとしない負の感情が浮かんでいた。
フィリップは、それを見たくなくて目を閉じた。そして、気づいた。
常日頃から自分の態度が気に喰わなかった。
昔からこうだ、と彼は思う。あらゆる感情が表に出ない。鉄仮面のように変わらない表情の下で、数多の感情が蠢いて疼いて、そしてそれきりだ。それを他人に悟られないようにしているわけではなかったが、悟ってもらおうとした事も無かった。彼は常に無表情で「冷静沈着である」と評され、誰もが彼の多感で情の深い中身に気づかなかった。時に必要に迫られて無理に浮かべる、作り笑い以上には決してならない小さな微笑みは、彼の思いとは裏腹に恐怖の対象にすらなった。彼の中身は行きどころを失い、ねじくれて小さくなって、勝手に消化されていた。しかし、彼はそれを甘受していた。諦めていた、と言っても過言ではない。自虐的な彼の弱い精神状態は、それに矛盾する屈強な精神構造によって保たれていた。
「ああ」
知らず知らずのうちに口をついて出た、吐息のような声は、そんな感情の残滓だ。彼の弱音も感傷も、彼自身が押しつぶして削り取っているのだ。そんな事は望んでいないのに。
ゆっくりと目を開くと、ラウラはまだ彼を睨んでいた。
「……どうして、殺してくれないの?」
彼の目の前にいる、無感情で厭世的な人形でもなく、妖しく微笑む蠱惑的な魔女でもない、今にも涙を流しそうな少女はそう言った。
「そうか」
微かに発した声は、多分彼にしか聞こえていなかっただろう。
気づいたのだ。好奇心の理由に。彼女に抱いた興味の理由に。無口で無表情で無感情な彼女に対して感じた、取るに足らない程度の理由に。
最初に彼女と視線が重なった時に感じた、何とも言えない感情を思い出した。あの一瞬で、彼女の瞳の中が、何かを求めているのを感じ取ったのだ。それが理由だ。これまで全部の理由なのだ。つまるところ、あの一瞬で全て分かっていたのだ。それが理解出来ていなかっただけだ。彼の中で今、全てが組み上がって眼前に屹立していた。
自分にも分かる事があったのだ、と思った。




