事件の解答 4
どうやら自分も耄碌しているらしい、とフィリップは少し反省した。そして、すぐ気を取り直す。
「……しかし、何故そんな事を?」
「まあ、それは後だ。他に確認しときたい事は無いか?」
「あの時、ラウラではなく我々が倒されたとして、連れ帰られるとは思わなかったのでしょうか? 死んだフリを装っても、確認に来ると思うのですが」
「連れ帰る気ならいきなり撃たないだろうし、まあ俺達が場慣れしてる事は知らなかっただろうからな。殺す気で来てたんだし、ラウラもそう予想してただろ。殺す気で来られると思ってたからこそ、血袋も用意してたんだろうしな。ああ、血袋の中身は、あの日より前にローシュが忘れてった医者鞄から、緊急用輸血袋を抜き取ってた。……ってとこでどうだ、ラウラ?」
部屋にいた三人の眼が、一斉に彼女に注がれる。
彼女は三人の視線を、その無感情な赤い瞳で順繰りに受け止めて、それからゆっくり頷いた。レオンは満足そうに鼻を鳴らし、フィリップは心を落ち着ける為に、残っていた白湯を飲み干した。セバスティアンだけが目を白黒させていた。
「……では、空間移動の件は?」
「状況を整理しよう。飾り棚の裏で死んでたラウラは、まあ生きてたんだが、銃撃戦が終わって憲兵共が来て、俺とセバスティアンが台所に引っ込んでお前が居間から退散するまでそこにいた。俺達が倒れてるラウラを見たのはそれが最後だ。その後、お前は玄関の方にいて、部屋にはあの憲兵がいた。それからレイムズが来て、憲兵が出て行って、レイムズは部屋の前にいた。俺達が居間に行くまで、誰も居間に入ってないし、ラウラを見てない。で、俺達が居間に行ったらラウラがいなくて、レイムズを呼んだら、ラウラは台所に座ってた。とまあこうなってるわけだな」
「そうです。つまり、ラウラが誰の眼にも触れずに居間から台所に行く事は不可能です」
「そうだな。俺達が台所にいたし、憲兵が出てった後はレイムズが居間の前に陣取ってたからな」
「では、一体どうやって移動したんですか?」
「俺達は台所にいた。つまり俺達がいる限り、ラウラは台所に入れない。つまり、ラウラが入ったのは俺達が台所を出て居間に入ってからだ。ここまではいいな?」
「はい」
「居間から台所に入る道は二つだ。居間から直接入るか、一旦廊下に出て、廊下に繋がってる扉から入るか。だが直接台所に通じる扉は当然使えない」
「何故ですか」
フィリップが問うと、レオンはテーブルに頬杖を突いて嘆息した。
「立付けが悪かったんだよ、あれは。まあ、居間のついでに直してもらったから良いけど。開け閉めする時に音が出るからすぐ分かっちまうし、何より耄碌全開の俺達でも部屋に入った時に扉が動いてれば気づく。つまり、ラウラはあの段階で既に部屋にはいなかった。そして廊下側から入ったんだな」
確かに、フィリップが扉を開けた時、蝶番が軋む音がしていた。彼はそれを思い出し、小さく頷く。
しかし、疑問は尽きていない。
「ですが、廊下にはレイムズがいました。彼女に見られない事は不可能です」
「ラウラがいないのを見つけた時、お前が確認の為に居間の中に呼んだだろ。憲兵連中は玄関の外にいたし、廊下と台所から人の眼が消えたタイミングはここだけだ。ラウラはこのタイミングで廊下から台所に入ったのさ。居間から出た後、廊下の物置にでも隠れてたんじゃねえかな」
「……しかし、ラウラはいつ居間から出たんですか?」
「俺達もレイムズも居間にいなかったタイミング、つまりあの憲兵がいた時しかないだろうな」
レオンはにやりと笑い、さも当然のようにそう言った。
「……憲兵は、彼女を見なかったと?」
「見つけただろうよ。でも、ラウラは無視された。正確に言うなら「無視してもらった」かな」
訳が分からない。混乱したフィリップに追い討ちをかけるかのように、レオンは続ける。
「それが出来たのさ。あの憲兵が、東部出身者ならな」
フィリップはあの居丈高な憲兵の、強い訛りを思い出した。それから、東部本営の司令官補佐の声も思い出した。確かに似ている。そして、今しがた青年将校と一緒に襲撃してきた事にも説明がつく。東部出身同士で元東部本営勤務なら、知り合う事も容易だろう。
「憲兵が昔あの将校の部下だったのかも知れないな。とにかく、あの憲兵は東部で『ラウラ』に会ったことがあるはずだ。お願いされたんだろ。黙って見逃してくれ、ってな」
「しかし、憲兵がそれに従う理由がありません」
「これも妄想の類になっちまうんだが、東部にいる間にあいつの弱みでも握ってたんじゃねえのかな。その場でラウラを本当に殺して口封じする事も考えただろうが、射殺体をもういっぺん殺すのには難儀な状況だ。俺とセバスティアンが扉一枚隔てて向こう側にいたからな。銃は音がするから使えない、刃物も腕力も証拠が残っちまう、毒なんて携帯してるはずが無い、とくれば静かに殺すのは諦めて、ラウラの提案に乗るだろうさ」
「しかしそうすると、今日憲兵がラウラを殺そうとする理由がありません。何故彼はあの将校に協力したのですか?」
「落ち着けって。実際、本当のところを全部知ってる奴がここにいるんだ」
レオンは言葉を切って、椅子を立ち、ラウラの方にそれを向けて、また座った。
「さて、俺が語る時間は終わりだ。俺の推論は全てぶちまけた。正解発表といこうじゃねえか。頼むぜ」
沈黙が訪れた。からかうようなレオンの視線と、縋るようなセバスティアンの視線、そして解答を求めるフィリップの視線を受けても、ラウラはじっと宙を見ていた。数分にも思えるほんの数秒の間、息づかいすら聞こえない静かな時間が流れた。
「……まだ」
沈黙を破る無機質な声は、少女から発せられた。彼女は、ゆっくりとレオンを見た。
「どうした?」
「……まだ、伯爵夫人の事件、話してない」
少し抑揚と感情のこもった声だった。
そういや忘れてた、とレオンは笑い、椅子の背もたれに右肘を乗せ、そこに顎を預けて、のんびりと話し始めた。
「そうだ。伯爵夫人の件もさっきの説明と大体同じだ。ただし、もっと面倒な話になる」
「面倒、ですか」
「ああ。お前はこの件をあの将校から聞いた。あいつはそれを祖父さんから聞いたって言ってた。そしてあのガキは東部出身だ。つまり、奴の祖父さんも東部出身者だろう。そいつが部隊長だったって話だから、そいつが率いていたのは東部本営の部隊だと考えられる。つまり事が起きる以前に『ラウラ』に会った事がある可能性が高く、伯爵夫人が『ラウラ』である事を知っていたはずだ。つまり状況は今回と合致する」
「……見逃した、ですか?」
「うん。多分『射殺した』って話から嘘で、突入時にいた部隊の全員で彼女を見逃したんだろ。勿論、全員が、なんて言うかな、お世話になってたはずだ。衣装部屋に隠して、ほとぼりが冷めるまで隠れてもらうつもりだったのが、何も知らないで後詰めに来た第二空軍の王都組に見つかっちまって、それっきりってとこだろうな」
「しかし、何故彼らは伯爵夫人を見逃したんですか? 弱みを知られているのなら、そこで彼女を殺せば良かったでしょう」
「だろうな。つまり、伯爵夫人には利用価値があったんだ。だから見逃した」
「……それは『ラウラ』としての価値ですか」
「あー、非常に言いにくいんだが」
歯切れの悪い表情を浮かべ、レオンはラウラに流し目をくれた。
「『ラウラ』自体に価値はない。いくらでも替えの効く存在だからな。まず『ラウラ』っていう存在が重要なのであって、その名を冠した女性は、その、なんて言ったらいいんだろうな」
彼は口ごもり、それを隠すように、セバスティアンに紅茶を所望した。
「まあ、本筋には関係ない。とにかく『ラウラ』としての価値ではなく、他の利用価値があったんだよ」
フィリップはちょっと考えてみたが思いつかず、首を振った。レオンは湯気の立つ紅茶を飲んで、それから意を決したように言った。
「神輿さ。ローズロット伯爵は死んだ。一族は全滅したって事になった。生きているのは彼女だけ、つまり彼女を擁立して伯爵家を復興ないし伯爵家の利権を手にする事が、あるいは可能だったかも知れない。東部本営の誰かがそう考える可能性はあると思う。まあ何にせよ、そういう意味で彼女は見逃され、死んだ後は『魔女』としての箔付けのおとぎ話になった」
「しかし、彼女は王都へ護送される途中に自ら毒を呷ったという事ですが?」
「見逃しておいてもらって、自分で呷るわけないだろうが。誰かが、多分シェルゴット侯爵が毒殺したんだよ。そりゃそうだ。可能性は限りなく低いが、まかり間違ったら面倒な戦争の唯一存在した利点が吹っ飛んじまう。……とまあ、ラウラも大体同じ事を考えたはずだ。じゃないと、ここまで類似した件は起こりえない」
彼はそう結んで、空のカップを見やって嘆息した。




