事件の解答 1
レオンは、慌てて立った所為で倒れていた椅子を元に戻し、それにどっかと座った。
「やれやれ、予想はしてたがびっくりしたぜ。セバスティアン、紅茶をくれるか?」
「かしこまりました。……その、ラウラを」
「ああ、分かってる」
執事はまた少し心配そうな顔を無言の少女に向け、それから一礼して、部屋に備え付けの簡易キッチンへ消えていった。
「フィリップ。突っ立ってないで、こっち来て座れよ」
そう言われて、フィリップは我に返り、先ほどまで自分が座っていた椅子に腰を落ち着けた。しかし、レイムズの言葉の意味が分からず、まだ混乱していた。
「ラウラも座ったらどうだ?」
レオンは余っていた椅子を勧めたが、ラウラは静かに首を振り、部屋の隅に下がって、そこで顔を伏せたまま動かなかった。
「やれやれ、まあ、いいさ」
彼は仕方なさそうに微笑み、戻ってきたセバスティアンが新しいポットを出してきて、熱い紅茶を注ぐのを満足げに見ていた。
紅茶を口に含み、長い溜息を漏らした彼は、フィリップの前に手つかずで置いてあるカップを見て、また溜息を漏らした。
「冷めちまうぜ?」
「はい」
フィリップは反射的に答えたが上の空で、カップに手が伸びる気配はなかった。レオンはもう一度やれやれ、と苦笑いしながら呟いた。
「……で、憲兵の方はいいとして、もう一人の方は東部方面軍の兵だな?」
「はい。昨日ご説明した、東部本営の将校です」
レオンは顔をしかめ、それからもう一口紅茶を飲んで、話し出す。
「なるほど。もう分かっちゃいると思うが、奴がうちの壁と棚とテーブルにしこたま撃ち込んだ犯人だ。勿論正確に言えば、ラウラを狙ってたんだがな。それからお前、というかコークスをローズロット城で襲撃した犯人でもある。さっき説明した通り、城の外をぐるっと回って襲撃し、お前らが崩れかけの廊下をゆっくり戻ってる間に、すぐに正面に戻ったんだな。それで暴発か誤認の事故で済まそうとして待ち構えていたら、お前らが銃を抜いてるから反撃を考慮し諦めた、というところじゃねえかな」
「しかし、彼は確かに伯爵家の伝説を知っていましたが、ローズロット村出身ではないと言っていました。憲兵に至っては事件が起きた後に、現場に来ただけです。東部の件とは関係ないのでは?」
「別にあの村の出身である必要は無いのさ。あの憲兵についても説明しなきゃならんな。まあ、取りあえずお茶でも飲めよ」
気が鎮まるぜ、と言われて、フィリップはようやく紅茶を一口だけ飲んだ。熱い香りが、緊張でこわばっていた彼の身体をほぐす。ゆっくりと深く息をしたフィリップを見て嬉しそうに頷いたレオンは、照れを隠すように頭を掻いて、それからしかめっ面になった。
「どこから話したもんかな……まあ、そうだな。じゃあ、ラウラの事から話すか。フィリップがそっちをお望みだしな」
レオンは、ラウラを見ながらそう言った。彼女は眼を伏せ、黙っている。
数秒静かになったが、低いレオンの声が、少なくともフィリップには不可解な言葉を発した。
「……なあ。お前、何人目なんだ?」
その言葉の効果が大きかったのか少なかったのか、ラウラはゆっくりと顔を上げて、悲しそうな笑みを浮かべたレオンを見た。
「……分かったの……?」
フィリップは、彼女のひどく厭世的な細い声が、これまで聞く事の無かった、年頃の少女のような口調で確かにそう言ったのを聞いた。
「ちょっとばかり、俺を過小評価し過ぎだよ」
へへ、と少年のように笑った彼は、紅茶を一口飲んで、それからフィリップに眼を向けた。
「さて、我らがフィリップは、東部に行ってたくさんの体験をしてきた。それが全部役に立つ時が来た」
フィリップの耳の中で、先ほど連れて行かれた青年将校の声が響いた。
そいつは魔女だ! 魔女なんだ!
それから、あの村で聞いた、老人の声が響いた。
ラウラは魔女だ。赤毛赤目の魔女だ。
魔女。
フィリップは、自分の眉間が少し歪むのを感じていた。レオンの声が、追い討ちのように続く。
「今からお前に『質問』をする。お前はそれに答えを示せ。いつも通りだ。そうだろ?」
機械的に頷いたフィリップは、一瞬ラウラを見た。彼女は、その赤い瞳を、誰もいない虚空に向けていた。
「お前はローズロット村に行って、ラウラについて聞いた。そうだな?」
「はい」
「老若男女問わず、村人はラウラの事をなんと言った?」
「……魔女、と」
「具体的に何て言われた? ほら、魔法を使うとか、人を喰うとかさ」
具体的に、と言われて、フィリップは逡巡した。ただひたすら『魔女』という言葉が、彼の頭の中を巡って、それで完結していた。コークスが同じ疑問を抱いていた事と、彼はその時も解答が出なかった事を思い出した。
黙り込んだフィリップに、レオンは微笑んだ。
「だろうな。村人はこぞってラウラの事を『魔女』と言ったかも知れないが、一体どういった由来の『魔女』なのかは一切言及しなかっただろ?」
「……はい」
「ところで、ラウラの事を話した村人共は、彼女を忌避するような態度だったか?」
「はい」
「つまり、ラウラは忌避される存在という事だ。じゃあ、忌避される相応の理由があってしかるべきだろ」
一瞬のためらいがあったが、フィリップの習性は解答を止めなかった。
「……だと、思います」
「が、ラウラの行動については言及されない。という事はだ。そこに存在するだけで、ラウラは忌避されているという事だ」
「はい」
「その理由は?」
フィリップは考える。そこにいるだけで忌避の対象になりうる理由。存在が忌まれる事。その理由。
そして、彼は辿り着いた。
「出自、ですか」
「大正解だ。満点だぜフィリップ」
彼を祝福するように、レオンは紅茶のカップを目線まで持上げてみせた。
「そうだ。行動が理由にならないのなら、存在が忌避の対象と考えられる。ラウラは、出自を対象として忌み嫌われている、と考える事が出来るわけだ」
黙っていたセバスティアンが、少しだけラウラの方に身体を寄せた。レオンは、優しい従者にも微笑みかける。
「さて、じゃあ、あの地で忌み嫌われる出自とは、なんだと思う?」
「……ローズロット伯爵家ですか?」
「かも知れない。あの地に戦火を呼んだ伯爵家は忌避されてるかもな。でも、あの村の名前がそれを否定する」
ローズロット村。その通りだ、とフィリップは思う。
「まさか、魔女扱いするくらい嫌いな奴の名前を延々と村の名前に使ってるはずは無いだろ。つまり、ローズロット伯爵家の事ではない。じゃあ、どこのどいつだ?」
「赤毛赤目の……家系、とか」
「おいおい、お前は自分で言った事を忘れたのか? あの村には、それこそラウラみたいな赤毛の奴がたくさんいたんだろ?」
「……ええ」
「村中が赤毛赤目なのに、一人だけ赤毛赤目を理由に忌避するなんてのは変だ。その線もありえない。元に戻ってきたな。一体、ラウラの家系はどういった理由で『魔女』と呼ばれ、忌み嫌われるんだ?」
ラウラに聞いた方が手っ取り早い、と言いかけて、フィリップはまた眉間を歪めた。彼の気持ちを知ってか知らずか、セバスティアンがちらちらとラウラに視線を送っているが、彼女は虚空を見つめたままだ。
「その理由を誰も言わなかった。つまり、余所者に語れないような理由なのか、という推測が出来るわけだ」
が、そいつもおかしい、とレオンは呟き、紅茶を飲み干した。こんな状況でも冷静な執事は、手を震えさせる事も無く主のカップに紅茶を注ぐ。フィリップの目の前においてある一口飲んだ切りの紅茶からは、最早湯気も出ていなかった。
「余所者に語れないような事なら、まずラウラの存在を語らないさ。お前らは姉上の事を知らない事にしてあの村に行って、実際姉上の話はしてない。それを知らないのなら、お前が村に行った段階でラウラは古城にいないんだから、しらばっくれてそれで終わりに出来る。軍人に向かって下手に嘘をついたらどうなるか、なんて考えるまでもない。わざわざ『魔女』を創造する理由なんて無いだろ」
「……では、一体何故私にラウラの事を話したのでしょう」
「前にも言ったが、お前らがラウラの名前を出したからだろうな。後、お前らがあの城の事を調べてきた事が分かってたからだと思う」
「しかし、どうやって」
「さっき連れてかれたあの将校が、お前が東部本営に泊まった日の夜中に、村の連中に伝えに行ったんだと思う。眠そうだったって話だしな。お前らはラウラの部屋にいたんだから、少なくともあの古城に誰かが住んでいる事は割れただろうと判断出来る。ところが、コークスが奴に嘘ついた時に「城には何も無かった」って言ったもんだから、ひょっとしてバレなかったんじゃねぇか、と多少気が抜けたんだろ。お前らが帰った後で村の連中にお前がラウラの事を聞いたと知って、慌ててお前らを追って王都まで来るわけだ」
自嘲気味に笑んだレオンは、黙り込むフィリップに向かって両手を広げた。
「さあ、話せない理由がある、という線も潰えた。もう一度聞こう。ラウラの家系は、どういった理由で忌避されているんだ?」
「……分かりません」
フィリップの沈んだ声を聞いて、彼はへへ、と笑った。
「悪かったよ。元から答えなんざ無いんだ。この聞き方だとな」
「……どういう事ですか」
「魔女らしい行動の言及も無ければ、出自に関する話も無い。秘匿されるべき理由すら無い。忌避される理由についての推測は全てハズレだ。ならば、ラウラは『ラウラ』であるが故に忌避されている、というのが正解だ」
「そ、んな」
フィリップは、自分の声がうわずって喉に引っかかっている事に気づき、黙った。レオンは軽く頷いて、指を一本立てる。
「出自の線は最初俺も考えてた。が、村ぐるみで嫌われるには、変な言い方だが、嫌われる上での『正当性』が必要だ。お前がラウラの存在を知っているなら尚更、理由をつけて、お前を納得させる必要があったはずだ。が、村人もさっきのガキもそれを一切しなかった。つまり、お前が納得するような正当性なんて無いんだよ」
レオンの淡々とした声を聞きながら、フィリップはラウラから眼を離せなかった。彼女は微動だにしない。
人形のようだ、と彼は思った。
「じゃあ、存在するだけで忌避される『ラウラ』とは何か、という問題が発生するわけだ。ここで、お前の証言が必要になる」
「私の証言、ですか?」
「ああ。お前は古城のラウラの部屋に入って、そこにあった少ない生活用品を確認した。そうだな?」
「はい。レイムズとコークスも確認しました」
「お前の話を聞く限り、それらは常に一人用だったと思うんだが?」
フィリップは、部屋の事を思い出した。
小さい鍋、小さいベッド、一着だけの襤褸着と古いドレス。確かに、全てが一人分だった。
呆然と頷く彼の顔を見て、レオンも頷く。
「姉上も同じような事を言ってた。するとまた、ちっと不可解な点が出てくるわけだ」
「どういう事ですか?」
「ラウラが人間である以上、必ず生みの親がいるはずだ。そして、ラウラは確かにやせっぽちだが、それでもここまで育つにはそれなりの養育が必要だ。が、あの部屋にはそれが欠片も無い。ラウラの孤独を裏付けるものばかりだ」
そこまで聞いて、フィリップはとんでもない結論に辿り着き、思わずこめかみを押さえた。
ラウラはあそこで、ずっと一人だった。人がある程度まで成長するには必ず庇護が必要だ。が、彼女の身の回りは孤独を裏付け、保護者の存在を否定する。そして、ラウラは『魔女』と呼ばれている。
つまり、つまり……。
「……ラウラは、ずっと昔から一人で生きてきた、不老不死の魔女なのですか?」
こめかみを押さえたまま、フィリップは言葉を絞り出した。
ラウラが、その赤い瞳でこちらを見ているような気がしていた。




