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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
始まりの香り
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始まりの香り 2

 このアパートメントは王都の下町でも比較的奥まった所にあるのだが、なかなか上等の建物で、何より立地と設計が良く、この時間は南西向きの窓から陽の光が差し込み、皺一つない白のテーブルクロスを照らしている。その上に並ぶ、美しい細密画の入ったティーカップは、揃いの受け皿と共に光を浅く、そして柔らかく反射していた。いつも通りのお茶の風景で、フィリップのささくれ立った気分は幾分落ち着いていた。朝は寒かった陽気も日が昇って和らぎ、暖炉に火を入れるほどではない。

 午後の日差しを受けながら、フィリップは話を終えた。

「ふぅん、まあ、そんな日もあろうよ」

 彼の話を神妙な面持ちで、黙って聞いていたレオン=ヴァルケットは、二杯目の紅茶に口をつけた後にようやくそう言った。

 ひょろりとした体に淡い黄色の髪の毛、同色の瞳。口元に浮かんでいる、人を小馬鹿にしたような微笑と良く動く太めの眉毛も、前と全く変わらない。そして、この人が将来有望と言われながら、若くして軍を去ったレオン=ヴァルケット退役特務少佐であることも、多分ずっと変わらない。変わらない事は、平穏だ。

 先の大戦での軍功を全て投げ捨て、退役軍人年金と特別報賞の利子、後は恐らく、実家であるヴァルケット伯爵家の力で軽く楽隠居をしているこの男は、元上官であると同時に軍学校時代の先輩でもあった。軽口と冗談の間に織り交ぜられた鋭い言葉で乗艦や艦隊の危機を救った数は数知れず、また敵の急所をえぐる事も数知れず、結果として艦隊の戦績を引き上げた名艦長。一戦艦の空中砲戦による敵戦艦撃沈数最多記録、一佐官としては異例の『王城登り』許可による国王陛下への謁見と、陛下自身による勲章の授与などの華々しい軍歴を持つにも関わらず、表に出る事を好まないため、一般には知られざる英雄的な『有名人』。

 というのが彼を浅く知る人間の評である。

 戦闘時は艦長室に引きこもり、艦橋直通の送話管で指示を出すだけで、砲声が止むまで決して出てこない。非常識と無礼が軍服に少佐の階級章を付けて歩いている。紅茶が無い限り働かないし動かない。曰く『引きこもり艦長』『紅茶狂い』『黄色い喫茶店主』など、眉をひそめるような異名には事欠かない『有名人』。

 以上が、彼を深く知る人間の評である。勿論、当人はそれら全てを知っていて、それでも何も言わない。笑うだけである。

 レオンが細長い体躯に似合いの細長い指でカップをつまみ、自身の最大の道楽である紅茶を勢いよく飲み干してカップを受け皿に戻すと、ポットを用意して後ろに控えていた執事のセバスティアンが、優雅にそれを取り上げ、次の一杯を注いだ。銀縁眼鏡が窓から入る陽光を反射してきらりと光る。焦げ茶色の髪に碧眼の彼は、レオンの住むアパートメントの家事一切を取り仕切っている、万能な執事である。フィリップは、この青年の焦げ茶色の髪の毛と、その下で輝いている銀縁眼鏡の奥にある優しげな青い瞳と、滅多に喋らないその口と、優雅且つ無駄の無い動きで紅茶を注ぐ姿以外を見た事があまり無い。いつもレオンの後ろにじっと立っていて、主や客の紅茶が無くなると注ぎ足す。意見を求められれば答える。客に話を振られても丁寧に、正確に対応する。自分から話し出したところはあまり見た事が無い。受け身で生きているように見えなくもない。それでいて存在感が無いわけでもなく、しかしレオンと同化しているようにも見えて、まるでレオンの影のような青年なのだった。ただ、レオン自身は彼をほとんど友人として扱っていて、セバスティアンはそれを、ある程度は受け入れている。まったく奇妙な主従と言えた。

「しかしまあなんだ、お前が表情の話をすると、変な気持ちだな」

 歯に衣着せぬ言動で上層部から疎まれた軍属当時のままに、からかい口調でそう言ったレオンは、フィリップの軍服を一瞥した。胸にある中佐の階級章は朝のまま金属光沢を発していて、付け替えてきた勲章の略章も少年兵が磨いてくれたので、新品同様だった。

「で、お前の顔と身だしなみと今朝の気分と、どういう関係があるんだ」

「分からないので聞きにきたんです」

 フィリップがそう答えると、レオンは目をぱちくりさせ、人差し指で頬を掻いた。

「……いや、それは俺も分からんよ」

「やはり私の下らない感傷なのでしょうか」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

 なんというかなぁ、と彼は首をひねった。

「外交官じゃないんだし、そこまで顔に気を使う事もあるまいよ。……でもまあ、部屋に篭って書類仕事が専門とはいえやっぱり軍属だろ? 身だしなみは整えないとな」

「やはりそうなのでしょうか」

「仕事には関係ないさ。お国のメンツに関係があるだけでな」

 レオンは、そういうモノは心底下らない、と言う風に大きくため息をついて、三杯目の紅茶を呷った。こういうところが軍属としてやっていく事をやめた原因なのかも知れない、とフィリップは思った。

 多くの異名の中でも特に『紅茶狂い』の名で呼ばれる事の多かった彼は、飛行戦艦の中だろうと会議室の中だろうと戦闘中だろうと会議中だろうと延々紅茶を飲み続けるので有名だった。ある時など「紅茶を飲みたいが為に戦闘中に艦長室に引っ込んでいた」という理由で降格されかけた事すらあるのだが、その悪い癖を補って余りある戦績でそれを退けた事があるほどの名艦長で、戦時中にあって乱暴なほど階級が上がっていく若手の中でも、特に将来を嘱望される将校だった。にも関わらず、戦争が終わると、軍属として得た栄光もこれから得るであっただろう名誉も全て投げ捨て、総大将以下高級将官や軍閥貴族のあらゆる慰留をことごとく蹴飛ばして、彼は軍を辞めたのだった。そして、王都の下町にあるこのアパートメントの一室に引っ込んで、執事というよりは友人に近いセバスティアンと共にのんびりと隠居生活を始めたのが、もう数年前になる。

 そう、もうこんなに時間が経ったのだ、とフィリップは思う。

「……で、今日はどんな用なんだ? さっきの話だけ?」

 彼はレオンの声で我に返り、紅茶を一口飲んで一呼吸置いた。

「いえ、今日はプライベートです。観艦式の関係で、半日休暇になったんです。紅茶が、飲みたくなって」

 流石に「リラックスしに来た」とは恥ずかしくて言えなかった。

「うん、いいぞ。たまにはお茶を飲むだけの日も悪くない。お前もローシュみたいに、適当な日に適当に来りゃいいんだよ。なあセバスティアン?」

「そうでございますね」

 からかうような口調の主に、執事は優しく答えた。ローシュというのは総司令部勤務の軍医で、レオンとフィリップ共通の友人だった。フィリップほど忙しくない彼は、暇を見つけてはここに来て、紅茶をごちそうになっているらしかった。

「ああ、でもあれだ、忘れ物だけは勘弁してくれって言っといてくれよ。一昨日来た時なんか、自分の医者鞄を忘れていきやがったんだぜ?」

「良く言っておきます」

 是非そうしてくれ、と笑いながら言ったレオンは、セバスティアンに紅茶をもう一杯頼んだ。執事は紅茶を注ぎ終わると、台所に通じるドアの方をちらと見た。

「お茶請けは如何致しますか?」

「昨日焼いてたケーキでいいよ」

「かしこまりました」

 セバスティアンが台所に下がると、二人は無言になって紅茶をすすった。なかなか無い事だ。

 フィリップがこのアパートメントを訪れる際には『謎』を携えている場合が多い。『謎』を解く事に非常に長けているレオンに教えを請いに来るのだ。軍属時代からその能力でいくつかの難事件を解決した実績のある彼は、こうして軍を辞めてからも当時部下だったフィリップに頼られ、それを喜んでいる。

 喜んでくれている、とフィリップは思う事にしていた。このお人好しな元上司は、これで意外と胸の内を晒さないのだ。ひょっとしたら疎んじられているかも知れない、と思う時期もあったが、彼は軍を辞めた身でありながら軍に関する情報を、その人望から生まれた広大な情報網で敏感にキャッチし続け、今でも各方面に太い関係のパイプを維持している、らしい。自分の持ってくる『謎』を解く事もその一環なのだろう、と長い経験を通じてフィリップは理解していた。それで、現役軍人が退役軍人に会いに来て、しかも(こっそり)軍事機密等にも携わるという、余人には犯罪に取られかねない、というかまったく犯罪的な関係が続いていた。実際、職業倫理から考えると良くない。それでもフィリップが彼を頼るのは、現役の彼ですら知らない情報や市井にいないと知れない噂をレオンが知っていて、それらが事件解決に役立つ場合がとても多いからだった。

 ……しかし、何故軍を辞めたのだろうか。彼が軍属を辞して数年、フィリップのどこかには必ずその疑問が引っかかっている。まさか噂を知る為だけではあるまい。

 意識を宙に浮かべてそんな事を考えていたフィリップの耳に、セバスティアンの恭しい声が響いた。

「ケーキをお持ちしました」

 香ばしい香りがして、フィリップは目を閉じた。冷徹に見える無表情の彼だが、大の甘党なのだ。優秀な執事であると共に優秀な料理人でもあるセバスティアンが作る菓子は、彼の好物だった。

 それを確認しようと目を開けて、フィリップはいつもと違う光景に気づき、鋭い目をさらに細めた。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載二話目の投稿です。


 もう少し長くして投稿しようかなぁ、と思いつつ。

 どれくらいだと読みやすいですかね?

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