最後の事件 2
レオンは少しの間目を閉じてじっとしていたが、それをゆっくりと開くと、例の猫のような黄色い瞳は、いつもより少し暗いような気がした。
「さて、と。武器は?」
目を開いた彼が尋ねると、レイムズとコークスは頷き、ホルスターを叩いてみせた。フィリップも拳銃は持って来ている。恐らく、レオンもセバスティアンも武器を携行しているだろう。
「結構。客人を呼び寄せる布石は整ってる。お前らに裏口から入って来てもらったのも、布石の一つさ」
「どういう事ですか?」
コークスが訝しむと、彼はフィリップを見て頭を掻いた。
「ほら、こないだフィリップがここに来た時、セバスティアンとラウラを買い物に出した、って言ったろ? まあ、あの時にちょっとな」
「……囮、ですか」
はっきり言って、推奨される行動ではない。フィリップの眉根が寄っているように見えたのか、レオンは笑って、懐から一枚の紙を取り出した。
「物証を手に入れる時間は無いわお前らを待つ時間もないわ、そもそも物証自体が手に入れられないわで、強硬手段を取るしかなかったんだって。一応、これが安全の保証だよ」
彼はそれを机に投げ出した。それは市街の地図で、道に沿った赤い線が何本か引いてあり、数カ所の書き付けがあった。それを後ろから一瞥したレイムズが、ちょっと息を飲む音が聞こえた。
「……これぇ、憲兵の巡回ルートじゃないですかぁ」
大正解だ、とレオンが笑う。
「これに沿って歩かせりゃ、そう易々と手は出せないだろ。俺はあいつら大嫌いだけど、まあ利用するくらいならな」
「どこで手に入れたんですかぁ?」
「これは俺の私物だよ。こんなもん、ちょっと調べりゃすぐ分かるだろ。お前らに迷惑かけるまでもない」
レオンは、実に軽くそう言った。勿論「ちょっと調べりゃ」というような代物ではない。もし個人的に調べたのなら、その労力は並大抵ではあるまい。そんな様子はおくびにも出さず、彼は微かにため息をついた。
「セバスティアンが尾行を確認したから、まあ確定だな。表はそいつらに監視されてるから、裏口から入ってもらったのさ。連中を出し抜こうって事だ」
「連中ぅ?」
レイムズが首をことん、と横に傾げると、レオンは頷いた。
「おうよ。今回の件は複数犯だ」
「それでは、アパートを襲撃した犯人と古城で中佐を襲った犯人は別という事ですか?」
コークスが勢い込んで尋ねると、レオンは意外な言葉で返答した。
「違う。それは一緒だ」
「で、では複数犯というのは? 教唆犯という事ですか?」
「そんなもんだ。うーん、なんと言ったらいいかな、利害が一致している奴ってとこかな?」
「利害?」
コークスが首を傾げる。レオンは小さく微笑んで、声を潜めた。
「まあ、すぐに分かるよ。さて、今この階には俺達しかいない。他の客が出払ってるのは確認済みだ。つまり、奴らが来るなら、俺とセバスティアン、それからラウラしかいないと思ってる今しかない。フィリップが電報をくれて良かったぜ。どっちにせよ呼び出す所だったんだ」
「それはつまり……」
フィリップが先を言おうとしたが、レオンが人差し指を立て、唇に当てたので黙った。
「そう、お前から連絡が来なくても、今日には全部終わらせる予定だったのさ。御陰様で、アパートの修繕も終わるしな」
くく、と彼は笑い、フィリップが嘆息した途端、ドアがノックされる小さく堅い音が響いて、彼は口をつぐんだ。聞き取り辛い声が続く。
「お客様、入ってもよろしいですか?」
一瞬の判断で、フィリップはレオンを見た。彼が頷いたので、フィリップはコークスに目配せした。コークスもすぐに気づいて、小さく頷くとドアの横に忍び寄った。レイムズも拳銃を抜き、静かに撃鉄を上げて、ラウラとセバスティアンに下がるよう目線で伝えた。修羅場に慣れきっている執事はラウラを自分の陰に隠し、次いで主を見たが、彼は手を振ってそれを断った。フィリップ自身は、それを許さずに彼の前に立った。しょうがねぇなぁ、と呟く小さな声が聞こえた。
そして、レオンは鷹揚な声で告げた。
「鍵は開いてるよ、入ってきてくれ」
次の瞬間、ドアが吹っ飛ぶように開かれて、マントを羽織って覆面をした賊が二人飛び込んできた。先頭が拳銃を構えていて、その照準を合わせる相手を捜して銃口を左右に振っている。後ろは後ろで、拳銃を抜こうとしていた。
フィリップは咄嗟に、持っていた軍帽を先頭の拳銃に投げつけた。唐突な攻撃に焦ったらしい賊は引き金を引いたが、動揺のため銃口は明後日の方を向き、銃声と同時に帽子が吹っ飛んで、弾丸が壁に着弾する乾いた音が響いた。ドアの横にいたコークスが先頭の闖入者に飛びかかり取っ組み合ったかと思うと、豪快な背負い投げでそれを床に叩き付けた。その一連の動作とほぼ同時に、レイムズはフィリップの前に立ちはだかり、拳銃を素早く構えて撃っていた。銃弾はコークスの頭上をかすめ、彼の背中を狙っていた二人目の闖入者の構える拳銃に直撃した。拳銃を取り落とし、勢いでもんどりうって廊下に倒れたそいつは、わめきながらそれを拾おうとしたが、手前の賊を押さえつけていたコークスを飛び越えて繰り出されたレイムズの堅い軍靴の先が顔面にめり込んで、押しつぶされたような奇妙な悲鳴を上げて無様に倒れ込み、抵抗力を失った。
賊の拳銃も遠くに蹴り飛ばしたレイムズは、気絶したらしいその男の覆面をはぎ取り、自らの蹴りで変形したその顔を一瞥して、驚いたようだった。
「こ、こないだアパートで会った憲兵ですよぅ!」
「何だと?」
フィリップの位置から見る賊の顔は、最早哀れなほど鼻血でぐちゃぐちゃになっているのではっきりとは分からないが、レイムズの驚きから察するに事実らしい。彼女は、気絶しているらしく無抵抗な憲兵の腕を取って後ろ手に手錠をかけると、その場に転がしておいて部屋に戻ってきた。
「そっちもぉ、知り合いかしらねぇ?」
レイムズが、コークスが取り押さえている男を指差す。ぶん投げられた時に頭を床にぶつけたらしく、覆面にマントの人物はぴくりとも動かなかった。投げられた拍子に吹っ飛んだ拳銃を拾い上げ、レイムズはそれを一瞥した。
「……軍用拳銃ですねぇ」
それを聞いたコークスが、仰向けにのびている男の覆面をはぎ取った。そして、驚愕の声を上げた。
「こいつは!」
「東部本営で会った奴ですねぇ」
後を引き取ったレイムズの声も、のんびりとはしていたが厳しかった。覆面の下から現れたのは、ローズロット城に行った時の運転手だった、あの背の高い青年将校だった。コークスは憎々しげに彼の顔を睨むと、それからフィリップ達の方に向き直った。
「中佐殿、お怪我はありませんか」
「大丈夫だ」
「レオン殿とセバスティアン殿は?」
「俺達も大丈夫だよ」
手に持った拳銃を懐に戻しながらレオンが答え、セバスティアンも頷いた。
「ラウラちゃんはぁ?」
レイムズが彼らの後ろを覗き込む。無傷で無表情のラウラを認めると、彼女はにっこりした。
「皆大丈夫そうですねぇ。中佐の帽子以外は、ですけどぉ」
部屋の端に転がっていた帽子は、頭頂部の真ん中に小さな穴が空いていた。フィリップがそれを拾い上げると、レイムズがそれを覗き込んで渋い顔をした。
「これってぇ、装備課にどう説明したらいいんですかねぇ?」
「それは後だ。コークス、手錠をかけろ」
「了解しました」
青年将校を手早く身体検査してうつぶせに転がすと、コークスは懐から手錠を取り出し、両手首を背中に回してそれをはめた。その時、うめき声を上げて青年将校が身じろぎした。
「動くな。君は既に拘束されている」
フィリップが告げると、青年将校は顔を上げた。その顔に狂気じみた焦りを見て取ったフィリップは、しかし冷静だった。噛み付かんばかりに顔を突き出して立ち上がろうとした将校の背中を、コークスの強靭な身体が押さえつける。
「ああ! あああ!」
「わめくな!」
コークスが一喝したが、将校の狂気じみた動きが止まる気配はない。フィリップは諦めて、口上を述べた。
「君達を殺人未遂の容疑で逮捕する。以降君の言説は証拠として扱われるからそのつもりで」
「そいつ! そいつを殺すんだ!」
青年将校の血走った目には、フィリップなど映っていないようだし、彼の言葉も聞こえていないようだった。彼はその後ろの、赤毛の少女を見ていて、他の者は眼中に無い。ラウラは彼女の前に立ちはだかるセバスティアンの陰で、微動だにしていない。
「離せ!、離せ! そいつを殺さないといけないんだ!」
「何故だ」
「そいつは魔女だ! 魔女なんだ!」
フィリップは目を細くして、将校を見た。黒い髪の毛を振り乱し、獣のようによだれを垂らす彼の、狂気で爛々と輝く瞳を直視してみた。
そうだ。結局の所、自分も彼と同じだったのかも知れない。彼女の事を知らず知りたくて知りたくてたまらないフィリップと、恐らく彼女の事を知っていて殺したくて殺したくてたまらない青年将校は、あるいはラウラの真実を追い求める同志であったのかも知れない、と。フィリップの無感動な瞳は、彼の悪鬼の如き瞳を反射して、浅く光っていた。
が、すぐにそれが何の意味も無い事に気づいて、自分でも気づかないうちに微かな溜息を漏らし、目を逸らした。
「コークス、レイムズ。援護を呼んで、こいつらを総司令部まで連れて行け」
「はっ、お言葉に甘えて、そうさせて頂きたく思います」
コークスがそう言って目配せすると、レイムズが壁に据えられた電話を取った。
「フロント? 警備兵詰所を呼び出して。……ご苦労様。総司令部特別調査室のレイムズ中尉です。三階北廊下一番奥の部屋に大至急来て。ええ、全員で」
きびきびしたレイムズの声を、レオンが珍しそうに聞いていた。
未だに暴れようとする青年将校は、頭をコークスの腕に押さえつけられてもがいていた。憲兵の方はまだ気絶しているらしく、盛大に鼻血を流したまま、ぴくりともしなかった。フィリップは、さりげなくラウラの方を見た。何も言わずに俯く彼女の横に、セバスティアンが心配そうな顔で付いていた。
すぐに警備兵達と、銃声を聞きつけたらしい、今にも卒倒しそうな顔の支配人が現れ、警備兵達はコークスと四人掛かりで青年将校と憲兵をどうにか縛り上げ、気絶中の憲兵も拘束して、引きずりながら連れて行った。ずっと唸っていた将校が廊下で吠える声が聞こえて、レイムズは肩をすくめた。それから、フィリップを手招きして、耳打ちした。
「ラウラちゃんの事なんですけどぉ」
「なんだ」
「彼女の事ぉ、嫌いにならないであげて下さいねぇ?」
フィリップが何か聞く前に、レイムズは穴の空いた帽子を取り上げ、斜にかぶって敬礼し、それからふらふらしている支配人を伴って部屋を出て行った。取り残されたフィリップは、ぼおっとしてそこに立っていた。




