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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
最後の事件
18/27

最後の事件

 夕刻になる頃、仕事を早めに切り上げたフィリップは、一旦自室に戻り、軍帽とマントを身にまとった。軍帽は要らないかと一瞬考えたが、何となく考え直してきっちりかぶった。堅く引き締まった彼の『外側』は、そこだけはしっかりいつも通りだった。彼は深呼吸して、それからまるで冷たい水中に飛び込むかの様に、意を決して部屋を出た。鏡は、見なかった。

 総司令部の正面玄関を出ようとした時、廊下の奥から彼を呼び止める声が響いて来て、彼は立ち止まった。

 全力で駆けて来たのは、部屋番の少年兵だった。彼はフィリップの前で急停止し、呼吸を整えると、もったいぶった仕草で電報用紙を取り出し、恭しく差し出した。

 それはレオンからの短い電報だった。受け取ってすぐ返信したらしく、速達の印が捺してある。

「ホテル ニハ ウラグチ カラ ハイレ」

 どうもホテルには裏口から入れ、という事らしい。そうする理由は分からないが、フィリップは黙って従う事にした。

 レイムズとコークスが正面に蒸気車を待機させていた。乗り込むなりホテルの裏口に回るように指示すると、運転席のレイムズはちらっと彼を見ただけで、特に何も言わなかった。

 第一ホテルの裏口に乗り付けると、ボーイが一人立っていて、フィリップ達を認めるなり駆け寄って来た。

「アルトゥール中佐でいらっしゃいますね?」

「そうだ」

「ヴァルケット様より、お車を預かるよう申し付けられております。こちらからお入りになって下さいませ」

 レイムズとコークスが降りると、ボーイが運転席に座り、そのまま車回しの方へ去っていった。彼らは裏口から入り、三階まで階段を上がっていった。

 レオンの部屋に入ると、この前来た時よりテーブルが一つ増えていて、そちらは何やら紙類でいっぱいになっていた。黄色い髪の毛の主はがさがさと紙束をいじっていたが、顔を上げてこちらを認めると、にっこり笑った。

「よお、良く来たな」

 椅子に座っていたレオンは立ち上がって、フィリップ達を迎えた。セバスティアンと、そしてラウラもいた。

 フィリップは、何の気無しに彼女を見つめた。赤毛のメイドは目を合わせようとせず、少し俯いて、エプロンドレスの端を握っていたが、そそくさと簡易台所へ行ってしまった。セバスティアンが慌てて謝り、彼らが脱いだマントを受け取った。かなり慌てていた彼はフィリップの軍帽を受け取り損ねたが、フィリップはそれを伝えず、脱いだ帽子を手に持っていた。

 それから、フィリップはレオンに診断書を手渡し、レイムズとコークスと一緒に席に着いた。ラウラが俯いたまま戻って来て、覚束ない手つきでカップをテーブルに並べ、セバスティアンが紅茶を丁寧に注いで回った。ラウラがフィリップの前にカップを置いた時、彼女の長い前髪の隙間から赤い瞳が見えて、彼は一瞬だけ息を止めた。彼女はどうやら、こちらを見てはいないようだった。

「まあ、くつろいでくれよ。今日の紅茶はまた美味いんだ」

 診断書をじっくりと見ていたレオンは、そんなフィリップの様子には気づかなかったようで、軽口を言いながら手をポケットに入れてもう一枚の紙を取り出し、少し見比べるとにやりとして頷き、二枚を元通りに折り畳んでテーブルに放り出した。

「健康状態は比較的良好、だってさ。良かったな」

 ラウラは答えず、部屋の隅でじっとしていた。

 フィリップは、もう一つのテーブルの紙類を横目で眺めた。何かの建物の見取り図らしい。

「それはローズロット城の見取り図さ。お前らが東部に行ってる間に注文したんだが、今日届いたんだよ」

 彼の視線に気づいたらしいレオンはそう言って腕を伸ばし、見取り図を引き寄せて、それに示された一画を人差し指で叩いた。

「外に通じる出口はたくさんあるが、二階の部屋で外に通じる階段があるのはこの部屋だけだ。つまりここがお前らが入った小部屋だな。ああ、それでこっちが周辺地図な。ローズロット伯が廃絶される前の奴だ」

 そう言いながら彼が引っ張り出したもう一枚の紙は、古い紙にインクで描かれた地図だった。中心にローズロット城があり、北側の森の先にはローズロット村の表記がある。

「これによれば正門は丁度西だ。お前らがローズロット城に入ったのはここだろう。で、お前らはどうやって部屋まで行ったか分かるか?」

 フィリップはそれを覗き込み、見取り図と見比べ、同じく地図を確認していたレイムズとコークスに目配せして、城内を思い出しながら指で図の上をなぞっていった。城の崩壊で廊下が潰れたりしていた所為か、かなり遠回りして小部屋に至っていたらしかった。

「なるほど、警戒しながらってのを加味して、まあ少し時間がかかるな。で、これが地形図。これだけは最新だ」

 そう言ってレオンが取り出した地形図をよく見てみると、高低や地質がつぶさに調査された詳細な図で、どうやら軍が作成した最新の物らしかった。何枚かの航空写真も添付されている。

 つまり、一日や二日で、一民間人が入手出来るはずがない。フィリップが無言でレオンを見つめると、彼はなんだよ、とすねた表情で言った。

「どうしても必要だからって言ったら、快く持ってきてくれたぜ」

「誰がですか」

「ローシュ。こないだラウラの診察をお願いした時に、ついでに持ってきてもらった」

 そんな事は一言も言わなかったひょうきんな軍医の、好奇心でいっぱいの悪戯っぽそうな顔を思い出して嘆息するフィリップに、レイムズがきまり悪そうな咳払いをしてから告げる。

「これぇ、多分調査室の備品ですよぅ。片付けたの覚えてますぅ」

「そう言えば課員が、中佐殿と我々が東部に行っている間に一度ローシュ軍医が来た、と言っていました。まったく、これは機密漏洩ですよ」

 コークスが眉間に皺を寄せてそう言い、憤慨したように鼻息を荒げた。レオンは笑って、テーブルの端に置いてあったカップを取り上げ、一口飲んだ。

「まあいいじゃねぇか。ちゃんと返すからさ。重要なのは、この正面口から小部屋がある北側に行けるのか、という事だ」

「我々は行けましたが」

 フィリップが答えると、レオンは首を振った。

「中からじゃなくて、外からさ。こう、外壁をぐるっとな」

 彼はその細長い指で、周辺地図にあるローズロット城の外側を、正面口から北になぞった。それから地形図をその上に置き、もう一度同じように指をすべらせる。

「見た目は崖だったろうが、割と楽な地形だ。ちょっとした岩場を越えれば、後は簡単だな。戻るのも楽勝だろ。すると、中を通ったお前らより早く小部屋に辿り着ける訳だ」

 それが意味する所が分からず、フィリップは尋ねようとした。が、レオンが先に口を開く。

「このホテルには、軍の兵が詰めてるな?」

 フィリップは首肯した。このホテルは要人接待などにも使われるので、常に警備の兵が総司令部から配備されている。室内の電話一本ですぐに来るだろう。

「なら重畳だ。多分そいつらが必要になる」

「……つまり、何か起きるという事ですか?」

「多分な」

 曖昧にそう言って、レオンはのんびりと紅茶をすすった。

「最後の切欠は、この診断書だったんだよ。まあ、最後の微かな可能性を潰したという事さ」

 ぽん、と先ほどそれを入れたポケットを叩いて、彼は微笑んだ。

「見比べていた紙は何ですか」

「ああ、あれは姉上にもらったアルモント家の主治医の診断書。姉上が引き取った時にちゃんと診断させたって言ってたから、貰ってきたんだ。まあ、栄養状態の部分以外は一緒だったよ。つまり良くなってるって事だ」

 彼は満足そうにそう言うと、フィリップを見て微笑む。

「まだ分からない事もあるにはあるが、とりあえず俺のアパートを穴だらけにした奴と、お前らをローズロット城で襲った奴とは分かったと思うよ」

「ほ、本当ですか!?」

 コークスが色めき立つが、フィリップは落ち着いていた。

 これを望んでいたからだ。レオンによる『謎』の解答を、望んでいたからだ。

 だが、足りない。彼は軽薄に微笑んだままのレオンに、彼の望みを投げかけた。

「ラウラの事は、どうでしょう」

 レオンは正面のフィリップを見据え、軽く頷いてみせた。そして、それで充分だという風に目を閉じた。フィリップも頷き、膝に乗せた軍帽に手を置いて、ちらとラウラを見た。

 彼女は、セバスティアンの後ろで静かに俯いて立っているだけだった。

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