王都にて 3
朝遅くになって、多少顔色の良くなったフィリップがいつもより遅く執務室に現れた。表情こそ変わらないが、遅刻などした事が無かったからか緊張しているようだった。部下一同はフィリップを認めるなり、まるで幽霊でも見たような表情を浮かべて、それでも何とか口々に挨拶した。コークスが駆け寄ってきて、踵を合わせると敬礼した。
「おはようございます、中佐殿」
「ああ」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
心配そうなコークスにそう答えて、彼は自分の椅子に座った。机に鎮座する書類の山はいつも通りで、少しだけこの後の苦労を思い、残念なのと同時に、何となく懐かしくなった。
レイムズがコーヒーを運んできた。昨日の事が引っかかっているのか、頭を下げただけで何も言わなかった。フィリップはすぐに戻ろうとする彼女を引き止めた。
「待ってくれ」
「……何でしょうか」
立ち止まった彼女は、振り返らずに答えた。堅い声だった。
「昨日の夜は、すまなかった」
「……………」
「……すまなかった」
謝罪以外の言葉が出てこなくて二回続けたが、それでも他の言葉が思いつかず、レイムズも何も言わないので、空気が固まったようになってしまった。フィリップが次の言葉を必死で捜していると、彼女はため息をついて、くるりとこちらを向いた。いつものへらりとした笑みを浮かべていて、蜂蜜色の瞳は、優しげな光を放っている。彼女は首を傾げ、腕を組んだ。怒っている風ではなかったので、フィリップは少し安堵した。
「ちょっとはぁ、寝れましたかぁ?」
「……ああ」
「昨日よりはぁ、真っ当な顔色ですよぉ。まぁ、悪いのは変わらないですけどねぇ」
「ああ」
彼女はまたちょっと笑って、それから眼鏡の橋を人差し指で押上げ、取り澄まして手帳を取り出した。
「ええっとぉ、本日の予定ですけどぉ」
「夕方以降の予定は全てキャンセルだ」
フィリップが即応すると、彼女の手帳を繰る手が止まった。
「……へぇ?」
「出かける所がある。君とコークスも一緒にだ」
「……一応聞きますけどぉ、どちらへですかぁ?」
「王都第一ホテルだ」
きっぱりとそう言うと、ですよねぇ、とレイムズは渋い顔をした。
「ラウラちゃんですかぁ?」
「そうだ」
レイムズが何かを言おうと口を開いたが、フィリップは言葉を続ける。
「今日で全て終わりだ。何もかも今日でお終いにするんだ」
彼のいつになく強い言葉に、口を開けたまま驚いた表情で止まった彼女は、話を聞きつけて寄ってきたコークスと顔を見合わせた。
「悩むのも考えるの諭されるのも、もう終わりだ。私はラウラの事を知りたい。だが私ではもう分からない。これは『謎』だ。私には解けない『謎』だ。もう、分からないんだ。ラウラの事も事件の事も、何もかもだ。だから、私は他人に解決を依頼する。ラウラの為になどとは言わない、私自身の為にだ。他力本願も能力不足も自覚している。だが、そんな事は今どうでもいいんだ。そうだ、これは私の我が侭だ。私は、知りたい、知りたいんだ。……好奇心、だ。軽蔑してくれて構わない、これは、私の好奇心だ」
吹っ切れたように喋り続ける彼を、目の前の部下二人は何も言えずに見ている。二人の視線もおかまい無しに、フィリップは言葉を吐き出し続ける。
「彼女を撃った者が知りたい。彼女が撃たれた理由が知りたい。彼女が生き返った理由も、彼女が消失して空間移動した事も、全部が知りたい。私の好奇心のために、彼女の事を知りたい」
「……それが、どういう結果を生むとしても、ですか」
コークスの声にフィリップは顔を上げ、無表情のまま、しかしはっきりと頷いた。
「彼女の為にならないかも知れない、私の為にもならないかも知れない、誰かを不幸にするかも知れない、私の好奇心は満たされないかも知れない。だが、これだけははっきり言える。この件全部を解決したら、私の『謎』も、解決される。私には分かる」
自分の事だから、とは言えなかった。だが、何故かこれだけは確信めいて、彼の中に屹立していた。
フィリップは一息つくと、最後にぼそりと付け加えた。
「……一緒に行ってくれるか?」
コークスは必死に押し殺したが、レイムズは敢え無く吹き出していた。いつも無表情のフィリップの顔は、珍しくはっきり眉根が寄って、憮然としているように見えた。
「りょ、了解ですぅ、ふふっ」
「中尉ちょっと、いえ中佐殿、彼女のは、多分思い出し笑いでして」
笑いを噛み締めているレイムズと彼女を必死でフォローしようと慌てるコークスを見て、フィリップは何かが溜まっていく感覚を覚えていた。
気力に類するモノだと考えた。しかし、彼の中身が『理屈で理解するモノではない』と告げる。
「それでいいんですよぅ」
レイムズの声が耳に響いて、彼は我に返った。
「中佐はぁ、いっぺんに考え過ぎなんですよぅ。ねぇ?」
「……なんと言いますか、いえ、思慮深くていらっしゃるのは勿論軍人として素晴らしい事だと思います」
あくまで真面目に答えるコークスの腰あたりをひたすら肘で突いていたレイムズは、フィリップが無言でじっと動かない事に気づいて、ふふん、と笑った。
かちり、と軍靴の踵が合う音が二つ聞こえて、フィリップは頭を上げた。レイムズがのんびりと微笑みながら、コークスが真面目なしかめっ面をしながら、並んで敬礼していた。
「アルマ=レイムズ中尉、了解しましたぁ」
「ジャック=コークス准尉、了解であります」
フィリップは立ち上がって、ゆっくりと答礼した。気がついたら、課員一同がこちらを伺う様にしていて、彼が視線を戻すと大慌てで動き出し、いつも通りの忙しい風景が蘇る。レイムズとコークスも自らのデスクに戻って、書類の山を漁り始めた。
自分のデスクに出来た書類山脈の後ろに隠れ、コーヒーに角砂糖を投じて、フィリップは口の中で呟く。
ありがとう、と。
昼休みになると、フィリップは電報用紙を取り寄せ、レオンに送る電文を書いて、自分で総司令部の電報課に持って行って、送ってもらった。
「ホンジツスベテヲオワラセタク ユウガタサンジョウス」
なかなか暗示的になったな、と思いながら、彼は執務室に戻ろうとした。その時、誰かが彼の肩をポンと叩いた。振り向くと、片眼鏡のローシュ軍医が、ニコニコして立っていた。
「おはようございます、中佐。体調は如何ですかな?」
「ああ、大丈夫だ」
ローシュは黙って、フィリップの顔をじろじろ眺めていたが、口元の笑みは満足げだった。
「レオン殿の所に行かれるのでしょう? 顔で分かります」
「ああ、夕方に行ってくる」
そう答えながら、フィリップは自分の顔に手をやっていた。ひょっとして、中身が見えたのだろうか。ローシュはしたり顔だったが、すぐに肩をすくめて笑みを浮かべる。
「いやはや、種明かしをすれば、コークス君から聞き出しましてな。私は医者ですから、診察の為の情報収集は当然の事ですな」
変な理屈を述べながら頷いて、片眼鏡の軍医はぽん、と手を叩いた。
「ああ、これをレオン殿にお渡し頂けますかな。昨日中佐にお渡ししようと思っていたのですが、ころっと忘れていまして。いやはやまったく、この頭が」
ローシュはぺちぺちと坊主頭を叩きながら、懐から折り畳んだ紙を取り出してフィリップに手渡した。
「中佐が東部に行っている間に、ラウラ嬢の診断を依頼されてお伺いしまして、それが診断書です。私は今日も動けませんので、宜しくお伝えくださいますかな」
「分かった。確実に渡す」
「ありがとうございます。まあ、栄養状態を除けば至って健康です。それも改善が見られますし、レオン殿は伝染病なんかの事を気にしていたようですが、その点も問題無いです」
「分かった。そう伝えておく」
「宜しくお願いします、中佐」
ローシュはひょうきんにそう言い、顎に手をやって、無精髭を撫でながらフィリップをまじまじと見つめ、頬を緩めた。
「体調はそこそこよろしいようですが、ご無理だけはなさらないで下さい」
「ああ、分かっている」
フィリップの答えに頷いた軍医は白衣の裾を翻し、仕事に戻って行った。フィリップも仕事に戻るべく、電報課を出た。
本日全てを終わらせたく。
そう、全てを、今日、終わらせるのだ。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載17話目の投稿となります。
ようやく解決編です。
だいぶ前に解決編に突入した、と言った気もしますね(笑




