王都にて 1
王都に戻ると、書類の整理や報告を二人に任せて、フィリップはまっすぐ第一ホテルに向かった。もう日が暮れかけていたが、レオンは温かく彼を迎えた。彼はカーテンを引いて真っ暗にした部屋の真ん中で、天井にある小振りなシャンデリアからこぼれる光を眺めながら、やたらと大きなポットに入った紅茶を手酌して飲んでいた。
「悪いな、セバスティアンとラウラを買い物にやっちまってるんだ」
「危険ではないですか?」
「ああ、セバスティアンがいるから大丈夫だろ」
のんびりとそう言った彼は、カップをもう一つ出してきて、彼に勧めた。
「もう二、三杯分しかねぇけど、まあ、我慢してくれ」
「ありがとうございます」
卓上の壷から角砂糖をつまんでカップに落として一口飲んでから、フィリップは東部で起きた事を出来るだけ子細に話し始めた。レオンは両手を組み、黙って聞いていた。帰りの飛行戦艦の中で打ち出した紙を渡し、レイムズとコークスと話した内容に至ると、彼は感心した様に鼻を鳴らした。
「コークスはあれで意外と聡いんだな。レイムズやお前とは違う部分でな」
「私もそう思いました」
「いい部下を持ったよ、お前は。……さて、俺が答えられる所があるな」
レオンは勢い良く紅茶を飲み干すと、カップを静かにテーブルに戻した。
「姉上は、ラウラの話をローズロット村の村人に聞いてる。それは間違いない。その件で村人と言い争いになったって話をしてたから、コークスの疑問は全くその通りだ」
「それでは、村人はその件を意図的に隠しているのですか?」
「そうだろうな。理由は単純、ラウラの事を知られたくないんだろ」
「しかし、それでは我々にラウラの事を教えた理由が分かりません」
「そうだな、例えば、お前がラウラの名前を出さなければ『ラウラ』って固有名詞は出てこないで『古城の魔女』とかぼかした感じになってただろうな。姉上の件も、お前らがそれを伝えてたら答えたはずだ。……まあ、その場合はちと危険な事になってただろうけどな。何せその場合は、お前らがラウラの現状を知ってる事が割れちまう。状況から鑑みて、村全体で口封じを画策したとしてもおかしくない」
危なかったなぁ、とレオンは呟いて、それから唐突に居ずまいを正すと、フィリップに頭を下げた。
「すまん、この事はもっと早く気づけたはずなんだが……。下手打ったら、お前らが危ない所だった」
「いえ、大丈夫でしたから。それに、東部に行ったのは私の意思です」
フィリップがそう言うと、レオンはようやく顔を上げた。その顔からいつもの笑みが消えていて、フィリップは背筋が寒くなるのを感じた。が、それは一瞬の事で、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべたレオンが戻ってきた。
「ああ、また今度、レイムズとコークスと一緒に来てくれよ。出来合いのじゃなくて、ちゃんと淹れたての紅茶をごちそうするからさ」
セバスティアンがな、と言って、レオンはくつくつと笑った。が、また唐突に眉をひそめた。
「しかしお前、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「大丈夫です」
フィリップはそう答えたが、レオンの心配そうな表情は晴れなかった。
確かにこの一件が始まってから、何となく寝付けない日々が続いていて、フィリップの眼の下には濃い隈が消える事無く残っていたし、元々色白の顔は無表情も相まってさらに生気を失い、頬も何となくこけたように見えた。彼自身も当然それに気づいていたが、無理矢理に無視していた。
「大丈夫です」
自らに念を押すようにそう言ったフィリップはゆっくり立ち上がり、車を用意しようとしたレオンを押しとどめて、不安気な彼に見送られて部屋を出た。歩いて帰るつもりだったのだが、玄関の車回しに蒸気車が待機していて、軍帽を深くかぶったレイムズが、後部ドアを開いて待っていた。
「お疲れさまですぅ」
「……仕事は」
「コークスが引き受けてくれましたよぅ。あぁ、このまま宿舎までお送りするんでぇ、今日は休んで下さいねぇ」
レイムズは黙って突っ立っている彼を後部座席に押し込めるとドアを閉め、それから運転席に座った。蒸気車は蒸気溜めから白い煙を吐き出して、のろのろと動き出した。
「書類の決済が残っているはずだが」
フィリップがそう言うと、レイムズは大仰にため息をついた。
「そんな幽霊一歩手前みたいな顔でぇ、何を言ってるんですかぁ?」
「しかし」
「そんなもんなんてぇ、くそくらえですよぅ」
「……………」
やけに怒気のこもったレイムズの声に、フィリップは返答出来なかった。バックミラーの中の彼女の眼鏡は、道路の端に並ぶガス灯の光を反射して白く光り、その奥の瞳を隠していた。
「あんまり言いたくないんですけどぉ、今の中佐はぁ、ダメですよぅ」
彼女は、静かにそう言った。
「中佐が色々気になる性格なのは分かるんですけどぉ、その割に自分の事がてんで気にならないのはぁ、ちょっとダメだと思うんですよぅ」
「……ああ」
やっとそれだけ答えて、フィリップは沈黙した。
「ラウラちゃんの事が気になるのは分かりますしぃ、あたしも気になるからお供したんですけどぉ、何も身体を壊す事は無いじゃないですかぁ」
「ああ、すまない」
「謝るならぁ、休んで下さいよぅ」
「すまない」
謝る事しか出来ない気がして、フィリップは言葉を続けた。レイムズはそれきり黙っていた。
「……出過ぎた発言でした。申し訳ございません」
急に歯切れのいい、明瞭な低い声が聞こえて、それがレイムズの声だと気づくのに時間がかかった。フィリップは何か言おうとしたが、何故か胸の中がモヤモヤして何を言って良いか分からなくなり、レイムズが車を宿舎の前に乗り付けるまで黙っていた。彼女も一言も喋らなかった。
レイムズの敬礼に見送られ、よろけながら部屋の前まで行くと、いつもの部屋番の少年兵ではなく、小柄な白衣の男が大きな黒い鞄を手に立っていて、彼を認めると軽い調子で手を挙げた。ローシュ軍医だった。
彼は部屋に入るとフィリップをベッドに座らせ、聴診器を取り出した。
「ぜひとも健康診断をして欲しい、とコークス君に頼まれましてな」
「そうか」
フィリップはそれだけ言って、後は黙って診察を受けた。一通りの診察をしたローシュは、にやけながら医者鞄を漁り始めた。
「いやまったく、いい部下をお持ちですな?」
「……ああ」
「羨ましいものです。私の部下ときたら、この鞄に緊急用輸血袋を入れる事すら忘れる始末ですからな」
彼はそう言って鞄を軽く叩き、くすくす笑った。実際にはひどく忘れっぽい彼が補充をしていないだけだと思ったが、フィリップは黙っていた。
「あ、これは栄養剤ですので、今飲んで下さい。後はきちんと食事を摂らないといけませんよ」
フィリップは頷いて、ローシュが取り出した錠剤を受け取って口に放り込み、ナイトテーブルの上に置いてあった水差しから直接水を飲んだ。気の利く少年兵が入れておいたらしいレモンの薄切りが香りと風味を与えて、喉と鼻に心地よかった。
「まあ、レイムズ君やコークス君の心配も当然ですな。本当なら睡眠薬でも差し上げて三日は安静にして頂く所ですが、私の諫言を聞き入れてくれるとは思いませんので」
右目から片眼鏡を外し、白衣の裾でレンズをぐいぐい拭いてから嵌め直して、ローシュは自分の坊主頭を叩いた。
「いえ失敬。レイムズ君にも怒られたでしょうからな」
「ああ」
先ほどの事を思い出して、フィリップは視線を落とした。
「それから、ラウラ嬢の事なのですが」
「……ああ」
「あの後、レオン殿に全て聞きました。あの日の事も、彼女の出自についても」
ローシュはそう言うと、軽くため息をついた。
「中佐が東部に行った理由も聞きました。……それで、何か分かりましたか?」
「……正直に言って、何も分からなかった」
フィリップはぼそぼそと答え、それからゆっくりと東部での事を話し始めた。始めから終わりまで、ローシュは一言も発しなかった。
フィリップが言葉を切ってから、ローシュは片眼鏡の嵌った右目をぐいぐい動かしながら、顎に手をやって黙り込んでいたが、唐突ににやりと笑った。
「やはりダメですな。私にはてんで分かりません」
「……そうか」
「ええ、こういう問題は中佐やレオン殿のお仕事です。そんな中佐のお手伝いが出来るのもまた、レイムズ君やコークス君のお仕事ですな」
ローシュが何を言いたいのか分からず、フィリップはただ彼を見ていた。片眼鏡の軍医は、大仰に肩をすくめてみせた。
「あの少女が何者なのか、ケリをつける事が出来るのは中佐とレオン殿だけという事ですよ。そのお手伝いが出来るのはレイムズ君やコークス君で、私は貴方の健康を気遣うくらいしか出来ないという事です」
フィリップは黙っていた。ローシュは、いつも通りひょうきんな仕草と共に笑った。
「中佐が抱いた好奇心は、必ずや意味があるものです。好奇心の権化たる私が言うのだから間違いはありません。時に好奇心は代償を求めますが、何、満たされる為には致し方ない事ですな」
彼はそう言い、重そうな医者鞄を持ち上げて、もう一度にんまりしてみせた。
「中佐、我々は貴方のお手伝いがしたいのです。それだけお忘れなく。ではお大事に」
フィリップが返事するのを待たずに、ローシュは部屋の扉をそっと開けて帰って行った。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載15話目の投稿となります。
ここから一気に事件解決モードです。
と言いつつ、主人公個人の話だったり。




