東部にて 4
昨日訪れたローズロット城を横目に森の中を走って行くと、すぐに小さな村が見えた。森の中に車を停めたフィリップ達は、徒歩で村に向かう事にした。
車を降りると、フィリップは軍帽を深くかぶり、二人に向き直った。
「我々がシェ、いやアルモント夫人の縁者だと知れると、村人が口を閉ざす可能性が高い。決して口外しないように」
レイムズとコークスは頷き、フィリップも頷いて、三人は歩き出した。
ローズロット村は四方を森で囲まれていて、なだらかな丘に小さな畑と家々があちこちにある、雑然とした感じの集落だった。放し飼いの痩せた牛や山羊がうろうろしている。
軍帽とマントの三人組は当然村人の目を惹き、人当たりのいいコークスが村長を見つけてくるまで、ぼろぼろの麦わら帽子や汚れた手ぬぐいをかぶった村人達は、残されたフィリップとレイムズを遠巻きに眺めるだけだった。
村長は恰幅のいい、古い型の帽子をかぶった赤ら顔の男で、愛想良く揉み手をしながら、フィリップの元へ小走りで寄ってきた。後ろから着いてきた、フードを被っている太った女もニコニコしながら会釈して、村長の妻だと名乗った。
「それで軍人様は、こんなお国の端っこにどんな御用が?」
もう聞き慣れてしまった東部訛りも、やはり田舎の人々が使うと独特の雰囲気だった。フィリップは帽子を脱いで、丁寧に挨拶した。
「私は来月からこちらに赴任する者だ。あたりの様子を見物したいと思って、この近くまで来たので寄ってみた」
ずいぶんと嘘が上手になった、と彼は小さく思う。村長は大きく頷いた。
「それはそれは、ご足労なこってす。狭い村ですが、ご案内さし上げやしょうか?」
「ああ、それなら私の部下を連れて行ってくれ」
当然、予定には無い台詞だ。レイムズとコークスは恨めしげにフィリップを見たが、彼は一向に気にしなかった。
「君にだけ話したい事がある。ちょっといいか?」
そう村長に耳打ちした彼は、先導する村長の妻の後をとぼとぼ着いていく二人に手を振って、それから期待による高揚で耳まで真っ赤になった村長に耳打ちした。
「実は私は軍を辞めて田舎に引っ込みたいと思っている。この辺りがいいかなと思っているんだが」
「へえへえ、それはよろしい事でがす。この村でしたら、いくらでも土地が余っておりますですよ」
「だから、見物にかこつけてここに来たんだ。出来たら邪魔されずに、一人で少し村の中を回りたいんだが、五分ほどあの二人を見張っていてくれないか?」
そう言い、ポケットから銀貨を一枚出して彼に握らせると、村長はにやにやしながらそれを腹巻きの中にしまい、先行したレイムズ達の後を追いかけていった。
一人になったフィリップは軍帽を深くかぶり直し、マントを翻して彼らとは反対の方向に歩き出した。村の外れにある森の向こうに、確かにローズロット城の崩れた尖塔が見える。辺りを見物する感じに見回しながら、そちらの方へ進んでいくと、ほとんど道のようなものは無くなり、休耕地らしい、土塊と雑草だらけの場所に出た。その向こうに森があり、さらにその向こうがローズロット城だ。
歩みを進めようとした時、後ろから「もし」と呼び止められて、フィリップは立ち止まった。
「もし、軍人の旦那」
振り返ると、岩のようにごつごつした顔の老人が、鍬を杖の代わりにして立っていた。腰はすっかり曲がり、着ている物はぼろぼろだったが、日焼けした頭と腕はたくましく、年期の入った岩牢を思わせる姿だった。太い眉の下から覗く目は、やけに黒々としている。
「見ねぇ顔だが」
「私は王都の者だ」
フィリップはそう言い、先ほど村長にした説明を繰り返すと、老人はそうかい、と素っ気なく言った。
「そっちには何もありやせんぜ」
彼は震える身体とは裏腹に、意外としっかりした足取りで歩いてきて、フィリップの前に立ちふさがった。妙な迫力がある。
「森ん中は危なくていけねぇ。引っ返しなされ」
「……向こうに城みたいな建物が見えたので、観に行こうと思ったんだが」
「あれはもう廃墟になっとりやす。面白ぇもんは無いですぜ」
「趣があっていいモノだと思うが」
意外と率直な感想だったが、老人の顔はぶすりとしたままだった。
「いつ崩れっかも分かりやせんで、危ねぇでがすから止した方がええ」
老人の強硬な態度は崩れそうにない。押し問答をしている間にレイムズとコークスが戻って来るかも知れないので、フィリップは諦め、踵を返した。すると、老人もひょこひょこと後を着いて来た。
「君はこの村の生まれか」
そう聞くと、老人はこくりと頷いた。
「生まれてこのかた、村から出た事はねぇでさ」
「あの城の謂れなど知らないか?」
「旦那は、なんでまたあんなもんが気になるだか?」
老人は疑り深そうにフィリップを見上げた。
フィリップは黙って、それから考えた。今、この老人にラウラの事を聞くべきなのか、否か。そして、即決した。
「君は、ラウラという女性に心当たりが無いか」
途端、老人の表情がさらに硬くなった。フィリップを睨む表情に力がこもる。
「……旦那、それをどこで聞きなすった」
王都で、と言いかけて、彼は口をつぐんだ。シェリルと関連づけられると面倒だ。
「……東部本営で聞いた。そういう伝説がある、と」
本営で、と老人が呟くのが微かに聞こえたが、皺だらけの口は小刻みに震えていて、その後は良く分からなかった。
「軍人さんが、なんでこんな辺鄙な村の事を知りたがるんで」
「好奇心だ」
素直にそう答えると、老人はあからさまに嫌そうな顔になって、痰を道ばたに吐き捨てた。
「そんなぁもんはねぇ方がいい」
「何か知っているんだな?」
「教える気ぁねぇだ」
「教えてくれ、頼む」
老人が立ち止まったので、フィリップも立ち止まった。老人の小さな眼が、値踏みするような視線をフィリップに向けていた。
「……誰に聞いたか分かりやせんが、旦那ぁどこまでご存知なんで」
「あの城にラウラという女性がいて、そして……魔女と呼ばれていた事だ」
城で小部屋を確認した事は伏せたが、確かに現状ではそこまでしか分かっていない。
「そんならそれでいいだ。あの城には魔女が、ラウラがいるだ」
老人はそう言い、また歩き出した。フィリップは後を追い、彼と横並びになった。
「今もいるのか」
「分からん。あっしが生まれる前から、ずっとあの城にいる」
「誰も城に行かないのか?」
「旦那は、魔女がおると分かっとるところにわざわざ行くんですかい」
「……そうだな」
話しながらいつの間にか、村の入り口まで戻っていた。向こうから村の子供達に囲まれたレイムズとコークスが、ゆっくりとこちらに戻ってくるのが見える。
「……ラウラは魔女だ。赤毛赤目の魔女だ。城に近づいちゃなんねぇ」
老人はぐるりと来た道の方に身体を向け、帰ろうとした。
「最後に一つだけ聞かせてくれないか」
フィリップが問いかけると、老人は動きを止めた。しかしそれだけで、こちらを見ようとはしない。
「君は、ローズロット伯を知っているか」
「……伯爵様方は、村の恩人、だ」
老人はそれだけ言って、それからまたひょこひょこと森の方へ戻って行った。フィリップは無言で、そのがっしりした背中を見送った。
そして、子供達と戻って来るレイムズとコークスを見て、それからレイムズと手をつないでいる少女の一人を見てぎょっとした。彼女は、ラウラと同じような赤い髪の毛だった。
その場で立ち尽くす彼を眺める野良着の女の、頭に巻いた手ぬぐいの下から、赤い毛がのぞいているのを目の端が捉えた。牛を追いながら目の前を通り過ぎた中年の女の髪の毛もまた、赤かった。フィリップは右手がホルスターをいじり始めた事に気づいたが、そんな事はどうでも良かった。
帽子を取ってへこへこしながら戻ってきた村長の横にいる彼の妻の髪の毛だけでなく、瞳までも赤い事に気づいて、フィリップは危うく声を漏らしそうになった。
「どうかなさいやしたか?」
そう聞く村長と妻の顔を見ないようにして、彼は尋ねた。
「この村には赤毛が多いのか?」
「へえ、そうでがす。女衆の半分どこは、ご先祖からずっと赤毛です。赤い目も多いですよ」
「そうか」
フィリップは何とかそれだけ返した。村長は愛想良く笑ったままだったが、目だけは笑っていないように見えた。
「何でそんな事をお聞きなさるんで?」
彼はそう言って、フィリップの顔を覗き込んできた。愛想のいい口元が、妙に引きつっているように見えた。
「いや、珍しいなと思っただけだ」
「……赤毛の女がお好きで?」
フィリップは村長の言葉に対し、目線だけ送って返して、それから一言も喋らなかった。
レイムズとコークスと合流した後も、村長以下村人数人が、村の外に停めてあった蒸気車まで見送りに来たので、車を発進させるまで三人は硬い笑みめいた表情を浮かべるだけだった。
「中佐ぁ。なんか分かりましたぁ?」
車が発進して村長達の姿が見えなくなると、疲れた声のレイムズに尋ねられ、フィリップは老人と話した事を彼女に語った。喋り終えると、レイムズは残念そうに首を振った。
「やっぱりぃ、そんなもんですかぁ」
「やっぱり?」
「自分達も子供達にそれとなく城の事を聞いてみたのですが、皆一様に「ローズロット城にはラウラという赤毛の魔女が住んでいる、だから城に行ってはいけない」と繰り返すだけでした」
運転しているコークスが後を引き取り、それから大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。
「怖い魔女だ、としか言わなかったです。正直、何か隠している気はするのですが……」
「確認してる暇はないですねぇ」
レイムズも嘆息した。その通りで、巡察の予定は強までなのだ。このまま東部本営に戻り、すぐに王都へ戻らなくてはならない。それから、彼女は思い出したかのように手を打った。
「そういえばぁ、あの村の人なんですけどぉ」
「……赤毛だった事か」
フィリップが声を絞り出すと、そうですぅ、とレイムズは頷いた。
「あたしもぉ、あれは焦っちゃいましたよぅ」
「レオン殿のメイドも、あんな色の髪の毛なのですか?」
運転しているコークスが尋ねると、フィリップは目を閉じて静かに言った。
「ラウラだ」
「は?」
「メイドの名前だ。ラウラと言うんだ」
「はっ、失礼しました。……それで、そのラウラ嬢は」
「赤毛ねぇ。二つに分けて結んでてぇ、可愛いのよぅ。目も赤くってねぇ」
レイムズが後を受けてそう言い、うふふぅ、と笑った。
「お人形さんみたいでぇ、素敵ですよねぇ? 中佐ぁ」
フィリップは答えず、目を閉じたまま、東部本営に戻るまでそのままだった。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載十三話目の投稿となります。
これで四章は終了です。
次回から、いよいよ事件の推理へ入っていきます。
多分?




