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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
東部にて
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東部にて 2

 青年将校は何か言いたげだったが、結局何も言わずに運転席から動かず、フィリップ達は彼と別れ、城門から崩れ落ちた石塊をまたぎ越して、城の敷地に足を踏み入れた。荒れ放題の前庭には、自生しているらしい茨があちこちでうねっていて、城壁に絡み付いたそれは、まるで怪物の血管のようだ。

「しかし驚きました」

 コークスは落ちていた石ころを軍靴で蹴飛ばしながら、興奮して言った。

「伯爵夫人とレオン殿のメイドに接点がありそうですな」

「そうだな」

 フィリップが素っ気なく返事をすると、コークスはちょっと黙って、バツが悪そうに軍帽のひさしに手をやった。

「……中佐殿、ひょっとしてご気分を害されましたか?」

「何故そう思った?」

「いえ、自分が少し興奮していましたので。失礼しました」

 律儀に頭を下げるコークスの頭を、レイムズが小突いた。

「中佐がこんな感じなのはぁ、いつもどおりじゃないのぉ?」

「いえ、ええと、まあ、その確かに」

 しどろもどろになった彼を尻目に、フィリップは歩みを早める。自分の気持ちに気づいた今でも、その無遠慮で不躾で無様な気持ちに正直になる気は起きなかった。正面の腐り落ちた木の扉の跡をくぐると広い玄関ホールになっていて、中央にはおそらくシャンデリアだったであろう金属の残骸が転がっていた。

 城の中は薄暗く、湿っぽかった。壁には大きな穴がいくつも空き、風雨に晒された廊下は荒廃している。苔があちこちに繁茂して、新たな絨毯を形成していた。元は窓に嵌る鉄格子だったらしい錆びた鉄棒を拾い、それを小さく折っては捨てる遊びに興じていたレイムズは、視線をあちこちに向けているフィリップに気づき、尋ねた。

「やっぱりぃ、伯爵夫人の寝室を探すんですかぁ?」

「ああ」

 フィリップは短く答え、黴臭い石の階段を見つけると、ためらう事無く登って行った。その後をレイムズとコークスがおっかなびっくり着いてくる。

「崩れそうですよ、中佐殿」

「分かってる」

「中佐ぁ、そこ危ないと思いますよぅ」

「分かってる」

 足下を二人に注意されながら、フィリップは朽ちた城内を進んだ。外から見た通り、三つの塔の内二つは完全に崩れていて、本館も半分以上が崩壊し、進む事が出来なくなっていた。フィリップが歩く廊下は一応無事だったが、それでも床が抜けている箇所があったり壁が崩れて穴が空いていたりしているので、安全とは言い難い。

 二階の廊下の端まで来た時、彼は光る物を見つけて、それを拾い上げた。真新しい薬莢だった。

「……小口径の拳銃の薬莢ですな。軍用ではありません」

 後ろからそれを覗き込んだコークスがそう言い、それからちょっと辺りを見回して、ふところから小さな螺子回しを取り出し、それで壁をいじっていたかと思うと、ひしゃげた銃弾を掘り出してきた。

「口径は薬莢と合います。比較的最近のものかと」

「薬莢はあっちこっちに落ちてますよぅ。弾痕もありますねぇ」

 壁を調べていたレイムズが指差す先には、確かにいくつかのくぼみがあった。恐らくシェリルが撃ったものだろう、とフィリップは考えた。彼女の性格からいって、ラウラを連れ出す際何かあったに違いない。

「この辺りに、最近まで人が住んでいたような形跡はないか?」

 彼がそう言うと、レイムズが突き当たりの部屋を指差した。

「ここだと思いますよぅ。匂いがしますからぁ」

「匂い?」

「ラウラちゃんの匂いですよぅ。……あ、冗談ですからねぇ? 単純にぃ、この辺だけちょっと片付いてるんですよねぇ」

 えへへぇ、と彼女は笑い、それを不気味そうに見ていたコークスは、拳銃を取り出し、構えたまま空いた手で彼女の指す扉を押した。分厚い木製の扉は腐りかけていたらしく、崩れるように開いた。中を一瞥したコークスは、拳銃を収めた。

「中佐殿。誰もいませんが、生活痕はあります」

 彼はそう言うと、警戒しながら部屋に入って行き、レイムズも後に続いた。

 後に残されたフィリップは少しためらった。それから、もう後に引き返せない好奇心を思い出し、それを理由にした事にして、幽霊のように白い顔のまま部屋に入った。

 部屋の中はかなり暗く、黴臭かった。壁の一部が崩れていて、どうやら窓はそれで潰されてしまったらしい。粗末な木製ベッドの上にぼろぼろで湿気った布団が敷いてあって、その上に一着の襤褸着が無造作に置いてあった。必要最低限と思われる家具類は薄く埃をかぶっている。食器らしいものは無く、あちこち凹んだ小さな鍋が一つ、煤だらけの暖炉にかけてあるだけだった。レイムズが暖炉の上に置いてあったブリキの燭台を取り上げ、ちびた蝋燭に火を点けて、ぽつりと呟く。

「ラウラちゃんはぁ、ここにいたんですねぇ」

「そのようだな」

 フィリップは反射的にそう答えながら部屋を見回し、奥に下りの階段があるのを見つけた。降りてみると、元は小さな扉があったらしい壁穴から外に出る事が出来た。そこは背の高い雑草で埋め尽くされた、元は庭だったらしい荒れ地になっていて、片隅に粗末な菜園があったが、貧相な野菜類はほとんどが枯れていた。獣道のような跡が森の方に続いていて、その向こうに煙が見えた。村があるらしい。

「普段はここから出入りしていたようですな。我々のようにあんな危なっかしい道は通ってこないでしょう」

 後から来たコークスはそう言い、フィリップは頷いて、二人は部屋に戻った。レイムズは燭台をかざしながら、熱心に床を調べていた。

「抜け穴でもあるんじゃないかなぁ、と思ったんですけどぉ」

 こんなものしか無かったですよぅ、と赤くて長い髪の毛を一本つまんでみせた。ラウラのものだろうか。

「あとぉ、ここなんですけどぉ」

 レイムズはベッドの足下を指差し、燭台をそこにかざした。寒々しい石の床にはほとんど風化した薄い布が絨毯の代わりに敷いてあって、今はレイムズによってめくられていた。彼女が指すその場所だけ、やけに黒ずんでいる。

「拭いてあるみたいですけどぉ、結構新しい血の痕だと思うんですよねぇ」

 匂いもしますしぃ、と彼女は言い、床にある染みに顔を近づけて匂いを嗅ぐ仕草をしてみせた。フィリップも顔を近づけてみたが、湿気た匂いでいまいち分からない。が、本当に匂いがするのだとすれば極最近のものだろう。

 シェリルがここに来た時に何かあったのかも知れない、と考えたが、それより「ラウラが何かしたのではないか」という思いが脳内を支配して、フィリップはゆっくり頭を振った。あの日のラウラを思い出すと余計に気持ちが募る。

「あぁ、こんなのもありましたけどぉ?」

 そんな気持ちを知ってか知らずか、レイムズはのんびりと傍らに置いてあった黒い布の塊をつまみ上げてひろげた。それは肩口の大きく開いた黒いドレスだった。かなり古い型だが、未だにビロードの光沢を放っている。ラウラはこれを着ていたのだろうかと思ったが、彼女の細く小さい体躯には合いそうになかった。伯爵夫人の物なのだろうか。

 三人は部屋の中をもう少し探ってみたが、発見らしい発見は無く、部屋自体も小さいので、すぐに終わってしまった。

「……これ以上ここには何も無いだろう。出るぞ」

 フィリップがそう言った時、階段の方から小さく石が転がるような音が聞こえた。三人は押し黙り、フィリップが手信号で指示して、コークスが階段の方に忍び足で向かって行った。

 途端、銃声が聞こえて、フィリップとレイムズは思わず身を低くした。

「コークス!」

「大丈夫です!」

 怒鳴り声と一緒に、コークスが階段を降りて行く荒々しい音が響いた。もう一発銃声が聞こえたが、コークスが撃ったのか他の誰かが撃ったのかは分からなかった。

 フィリップは後を追おうとしたが、厳しい顔のレイムズに止められた。

「狙われてるかも知れませんから、そこでじっとしてて下さい!」

 彼女はきっぱりとそう言い、素早く拳銃を取り出して階段に向かおうとしたが、悔しそうな顔のコークスが戻ってきた。握った拳銃からは硝煙が出ていないので、恐らく二発目も賊が撃ったのだろう。

「申し訳無いです、逃がしてしまいました」

「怪我は」

 そう聞くと、コークスは両手を広げてちょっと振って見せた。マントが揺れて、右腕のあたりに小さく穴が空いているのが分かった。

「銃を抜いていなければ右腕に当たっていたかも知れませんが、この通り無事です」

「撃った人物の顔は見たか?」

「いえ、マントを着て覆面をしていました。この辺りの地理に詳しいようで、あっという間に見えなくなってしまいました。深追いは危険と判断しまして、戻ってきた次第です」

「ああ」

 フィリップは頷いた。見知らぬ土地での深追いは厳禁だ。この部屋に通じる階段の存在を知っている者、つまりこの近辺に詳しいであろう人間が相手なら尚更だ。

「……中佐ぁ、戻った方が良さそうですよぅ」

 先ほどのきびきびした動きはもう忘れてしまったようで、レイムズは拳銃をしまうと大きく伸びをした。

「今の音でぇ、車に残した彼も心配するでしょうからぁ」

 フィリップは頷いて同意し、三人は一応拳銃を抜いたまま、元来た道を慎重に戻った。

 銃声はやはり聞こえていたようで、一階に下りると、顔面蒼白の青年将校が拳銃を構え、緊張した面持ちで辺りを見回していた。フィリップ達を認めるなり、一瞬銃口を向けたが、すぐにそれを下ろし、焦った口調で非礼を詫びた。

「申し訳御座いません、銃声が聞こえたもので……」

「すまない、影が動いたのを人と勘違いしたんだ」

 フィリップはそう言い、肩を落として安堵する彼に詫びた。

「こんな寂れた城に、人が住んでいるわけは無いからな」

 出来るだけ軽い感じでそう言うと、青年将校はそうですよね、と力無く笑った。


 その夜、三人はフィリップの客室としてあてがわれた、高級将校用の客室に集まった。

「ラウラちゃんがあそこにいただろうって事は分かりましたけどぉ」

 それだけでしたねぇ、とレイムズは残念そうに言って、一人掛けのソファに沈み込んだ。

「いえ、それだけではないでしょう。中佐殿は実際に狙われたのですから」

 自分が撃たれた事は露程も問題にせずに、律儀に立ったままのコークスは鼻息を荒げた。

「レオン殿のところに現れた賊が、メイドではなく中佐殿を狙った証では無いでしょうか?」

「でもぉ、アタシ達はラウラちゃんの部屋にいたんだしぃ、一概には言えないんじゃないかしらぁ? まぁ、あの城の付近に詳しい奴が怪しいっていうのは分かったけどぉ」

「それはまあ、そうかも知れませんが……中佐殿は何かお考えが?」

 黙ってソファに座っていたフィリップは、ゆっくり顔を上げた。

「現状では判断出来ない。明日は巡察を早めに切り上げて、ローズロット村に行こうと思う」

「昨日の今日で、また狙われるかも知れません。危険では?」

 コークスがしかめ面で言ったが、フィリップは首を振った。

「あの村に行かないとシェリル、いやアルモント夫人の話の裏が取れない。必要な事だ」

「『魔女』の話ですかぁ?」

「そうだ」

「……一応巡察の体で来てるんでぇ、仕事してからにして下さいねぇ?」

「分かっている」

 会議はそれでお開きになり、レイムズとコークスが部屋を出て行くと、フィリップは伸びをして、それから軍服の上着だけ脱ぎ、ベッドに横になってみた。確かにふかふかだったが、その包み込まれるような感触があまり好きになれず、結局三人掛けのソファに枕だけ置いて、それに頭を預けて寝転がり、目を閉じた。そして、好奇心の理由を自らに問いただそうとした。

 ラウラに対しての感情なのだろうか。あるいは?

 あるいは、で思考は停止して、結局浅く眉根を寄せたまま、彼は微睡んだ。


 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載11話目の投稿となります。


 急ぎ足でもう一つ事件が起きました。事件かな?

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