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事件は紅茶と共に  作者: 枯竹四手
東部にて
10/27

東部にて 1

 翌朝早く、フィリップはマントと軍帽で身を固め、高くて肌寒い係留塔のプラットフォームに立っていた。レイムズとコークスも同じような服装で、目の前で威容を誇る飛行戦艦を見上げていた。

「なんかぁ、東部行きってぇ、これの飛行試験兼ねるらしいんですよぅ」

「聞いていないが」

「言う必要無いかなぁってぇ」

 レイムズは眠そうに言うが、コークスは満面の笑みを浮かべている。

「まさかこれに乗れるとは思っていませんでした」

 フィリップは鋭い衝角の突き出た正面装甲板とその上下にある長銃身の主砲、比較的細めで流線型の船体と、それを挟む様にして天に向かう二対の上昇プロペラ、整然と並んで蒸気を吐いている三本の短い煙突、後方の主推進プロペラ六基を順繰りに眺めて、最後に近衛艦隊の紋章が入った方向舵に目をやった。コークスが感嘆の鼻息を響かせる。

「高速戦列艦南風級一番艦『サウダージア三世』号、いやはや、素晴らしいですな! まさか今の仕事で、こいつに乗れるとは思っていませんでした。いえ、今の仕事に不満があるわけではありませんが」

「あらぁ、整備班に戻りたいのぉ?」

 レイムズが呆れ半分、茶化し半分で言ったが、真面目な彼は憤慨して軍帽の鍔を引き下げた。

「とんでもないです、いやしかし、お披露目もまだの最新鋭艦ですよ?」

 技術畑出身の彼には思い入れが強い艦らしいが、前線を退いて久しい上、現在は内勤が殆どのフィリップは良く分からず黙ったままだった。元々官僚路線のレイムズも同様らしく、いつも半分しか開いていない目がさらに細くなっている。上司達の微妙な視線を物ともせず、コークスはうきうきと話し続けていた。

「王立中央工廂で開発された新型蒸気ピストンの採用により周辺各国戦艦の中でも最速を誇り、主砲にも同様の改造を施し、圧縮蒸気が強化されて射程が大幅に延長されました。さらに充電池の改良と搭載数増でなんと無煙航行時間が……」

「乗り込むぞ」

「あ、はっ。申し訳ございません」

 すでにタラップを登り切っていたレイムズに続いてフィリップが、それから搭乗口の上方に配置された副砲を名残惜しそうに眺めていたコークスが駆けて来て、真新しい艦章を付けた兵士が最後に乗り込み、扉を閉めた。

 あの後も結局良く眠れなかったフィリップは、士官用の船室に入ると、すぐに椅子に座って目を閉じた。レイムズとコークスが遅れて入ってくると、部屋全体が大きく揺れ、離陸した。最高速試験も行うようですから時間はかかりますまい、というコークスの声は、下士官らしい太く重い響きで、プロペラの回る音に負けていなかった。

 乗艦は、王都の上空から出ると速度を増した。窓の外に見える下界が淡い草原の色から濃緑の針葉樹の色に変わっていくのを眺めながら、フィリップは当直の兵にコーヒーを淹れてもらい、それを飲みながら、レイムズとコークスが大真面目に女性についての話をしているのをぼんやり聞いていた。

「だからぁ、コークスは固いのよぉ。そんな可愛い顔してるのにぃ」

「いえ、自分はこれと決めた女性が出来るまでは、女性と手をつなぐような不埒な事はしません!」

「あぁもぅ、糞真面目っていうかぁ、もう古風の域よねぇ。化石みたいなぁ?」

「あ、中尉殿までそう言われるのですか!」

 憤慨したコークスに対し、レイムズはげんなりした顔になる。

「……言われた事あるのねぇ」

「現場にいた頃のあだ名は『石炭野郎』でした」

「あらぁ、似合ってるじゃないのぉ? 名前の通りでぇ」

 レイムズが茶化すように言うと、コークスはむっとして言い返す。

「そんな事は無いです。中佐殿もそう思われませんか?」

 フィリップから応答が無いので、コークスは「中佐殿?」と心配そうな声で話しかけた。フィリップは、ゆっくりと彼の方を向いた。

「……すまない、良く聞いていなかった」

「これは失礼しました」

 真面目なコークスはびしりと頭を下げたが、レイムズはそれを見て嘆息する。

「中佐だってぇ、気になる女の子くらいいるでしょぉ?」

「分からない」

 即答すると、レイムズは情けなさそうに肩を落とした。

「はぁ、職場が堅物ばっかで辛いですぅ」

「……そうなのか?」

「まぁ、中佐はぁ、女の子に興味なさそうですけどぉ……。あぁ、でもぉ、今回の件は女の子の為ですよねぇ?」

 そうだな、と上の空で答え、フィリップは考えた。

 自分はラウラに対してどういう感情を抱き、行動しているのか。

 まさか劣情ではあるまい、と一番最初に思って何となく嫌な気分になり、フィリップはコーヒーに持参した角砂糖をもう一つ入れて飲み干した。司令部で飲むコーヒーより苦かった。窓の外は薄暗い曇り空と生い茂る暗い緑で埋め尽くされていて、彼の気持ちをさらに陰鬱にさせた。

「でもぉ、ラウラちゃんってぇ、ちょっと中佐に似てますよねぇ」

 レイムズのそんな声が聞こえたが、その意味は全く分からなかった。


 コークスの言葉通り、戦艦『サウダージア三世』は数時間ほどで東部本営上空に辿り着いた。陸路なら半日がかりの所である。東部に来るのが初めての三人は、着陸前に東部本営の資料を確認して手早く目を通し、それからマントを羽織って軍帽をかぶり、艦を降りた。

 森林地帯の真ん中にある東部方面本営では、唐突な巡察に慌てていた。フィリップ達が到着すると、初老の将校が汗を拭きながら出迎えに現れ、司令官補佐だと名乗った。そして、司令官は病気のため不在で巡察の間は戻って来れない、と東部風の独特な抑揚で詫びた。

「申し訳ごぜぇません、急のお越しで、まだ用意が……」

「構わないです。急に決まった事ですので」

 慇懃に答えたフィリップは、挨拶もそこそこに「付近を見て回りたい」と司令官補佐に伝えた。

「本格的な巡察は明日の午前に行います。そちらの準備もあるでしょうから」

 司令官補佐はありがたそうに頷いて、背の高い黒髪の青年将校を呼びつけ、車を準備させた。

「この辺りに古城があると聞いたんだが」

 フィリップが尋ねると、緊張しているらしい青年将校は固い笑みを浮かべて答えた。

「ああ、ローズロット伯のお城ですね。でも、あそこはもうただの廃墟ですよ?」

「中佐はぁ、ああいうのがお好きなんですよぅ」

 レイムズがにやにやしながらそう言うと、青年将校はあはは、と裏返った声で笑って、車をスタートさせた。

 十分も走ると、先端が欠けた尖塔が森の向こうに見えた。舗装されていない荒れた道を、重い蒸気車はガタガタと進む。

「あのお城には、何か謂れがあるのですか?」

 コークスが尋ねると、気さくそうな青年将校は運転しながら話し始めた。

「ええ。あのお城にはローズロット伯の一族が住んでいたんですが、最後のローズロット伯は王都に反乱を企てて討伐されたんですよ」

「ええ、存じています」

「その戦で一族は滅んだのですが、その時にあの城に突入した部隊、実はその部隊長が自分の祖父だったんですが、不思議な事を話してくれました。祖父の部隊は、銃を持ち出して抵抗していたローズロット伯爵夫人を射殺したらしいのですが、なんとその伯爵夫人が生き返ったんだそうです!」

 それを聞いたフィリップは、声を上げそうになるのを必死に抑えた。レイムズも落ち着かない様子できょろきょろしている。コークスは大げさに驚いてみせた。

「へぇ! それは一体どういう事です?」

「伯爵夫人は、廊下の行き止まりにある自分の寝室の入り口にバリケードを作って、使用人達と一緒に抵抗していたんだそうです。で、そのバリケードから頭を出したところを狙われて、確かに頭に銃弾が当たって血が流れ、バリケードの向こう側に倒れるところを、祖父含め部隊の皆が見ていたんだ、と祖父は言ってました。主人が倒れても抵抗していた使用人達も次々やられて、結局皆殺しになってしまったそうなんですが、バリケード内に突入したら、使用人達の遺体ばかりで伯爵夫人がいない。おかしいと思っていたら、後詰めに来た第二空軍の部隊が、寝室の隣にあった衣装部屋で、毅然とした態度で座ってた彼女を見つけたもんだから、祖父はびっくりしたんだそうです。確かに全身血まみれでしたが、傷一つなく壮健だったと」

「撃ち殺したのを、使用人達の誰かと見間違えたのではないですか?」

 コークスは冷静を装って尋ねる。将校は静かになった車内を気にする事も無く、楽しげだ。

「いえ、伯爵夫人は良く目立つ赤毛と赤い瞳で有名だったので、あれは確実に伯爵夫人だったって祖父は言ってました。大体、衣装部屋はバリケードの外側にあって、バリケードを出ないと入れないところにあったという話ですから、それも不思議ですよね」

 驚きで飛び上がったレイムズが低い天井に頭をぶつけ、青年将校はその音にちょっとびっくりしたようだった。頭をさすりながら気まずそうに笑う彼女の横で、フィリップはマントの中に首をすくめ、ホルスターの留め金をひたすらいじっていた。

「……で、伯爵夫人は?」

 コークスが先を促すと、青年将校は悲しそうな顔になった。

「そのまま捕まって、王都に護送される途中で毒を呷って自殺したそうです。祖父は良く言ってましたよ。『伯爵夫人は魔女だったんだ。だから生き返ったんだし、毒を呷って死んだ事になっているが、きっとまだあの城で生きてる』って。実際に廃墟で赤毛の女性を見た、なんて話までありますよ。今じゃあ、このへんの人間はめったに城には近づきません」

 事実なら本当に魔女ですよね、と彼は軽く言い、コークスは興味津々というように頷いて、それから巧みに話を誘導し、東部本営の食堂の話を始めた。

「どういうことですかねぇ?」

 レイムズが震える声で耳打ちしてきて、フィリップは留め金をいじるのを止めた。

 勿論、彼にも分かるはずが無かった。あまりにも先日の状況と重なる。重なりすぎる。しかも、伯爵夫人は赤毛なのだ。ラウラと同じだ。

 青年将校の言った『伯爵夫人は魔女だったんだ』という言葉が頭に響いた。アルモントの声が耳の奥で再生される。曰く「村の者も『そいつは魔女だ』としか言わなかったようで」。

 魔女。赤毛赤目の魔女。

 ラウラの瞳と髪の毛を思い出して、彼はマントの下で身震いした。彼女の顔が目の前でちらつき出し、いつも一定以上にならない心臓の鼓動が口から飛び出しそうなくらい大きくなって、必死で歯を食いしばっていると、蒸気車がゆっくりと動きを止めた。

「着きましたよ、ローズロット城です」

 青年将校の声で我に返ったフィリップは、窓から城を見上げた。ぼろぼろの石壁が、彼を見下ろしている。二本の尖塔の先端は欠けているし、三棟構造の内二棟は完全に崩れ、一つの岩山のようになっている。彼らの乗った蒸気車は、錆びてあちこち折れた鉄柵がほんの少し残っている朽ちた城門の前に停まっていた。風雨に晒されてあちこち欠けているが、何かの花と鳥の羽を象っていると判別出来る石造りのレリーフが城門に取り付けてある。ローズロット伯の家紋だろう。

「君は、この城に入った事があるか?」

 そう尋ねると、青年将校は首を振った。それから、不安気に城の方を見た。

「あちこち崩れかけていて、かなり危ないと聞いています。……ひょっとして、中をご覧になりたいとか?」

「ああ」

「おすすめは出来ません。その、自分は」

 青年将校は口ごもり、何か言いたそうにこちらを見た。

 何かあった時に責任が取れない、と言いたいのだろうとフィリップは感づいた。そこで、精一杯の微笑を作って彼に向ける。青年将校は怯えた目をしていた。何がいけないのか即座に理解し、フィリップは微笑むのをやめた。

「……君は私を引き止めた。私の部下二人もそれを聞いている」

 レイムズとコークスが、いかにも大儀そうに頷く。青年将校はまだ不安そうで、目線がフィリップと自分の膝の上を行ったり来たりしている。

「しかし……」

「君を連れて行くつもりは無いから、君が何かの責任を問われる事は無い。安心してくれ。ここで待っていてくれるだけでいい」

 もじもじしている青年将校にそう告げ、フィリップはドアを開けた。

 出ようとした時、意を決したように、青年将校が声を絞り出した。

「……中佐殿は、何故この城をご覧になりたいと思ったのですか?」

 フィリップは一瞬、全部話そうかと思ってしまった。が、すぐに思いとどまった。先ほどの話から考えて、ここで全て言うのは逆効果だろう。

 それから、正直な自分の気持ちを考えた。何故自分はローズロット城に、ひいては東部に来たのか。

 ……そんな事は分かっている。否、分かっていたはずなのだ。

 もう一度、無理に微笑みを作り、不安そうな青年将校に向けた。その顔が窓のガラスに薄く映って、自嘲気味な笑みになっているな、とそれを見たフィリップは思った。

 予感がする、と思っていた。それが言い訳に過ぎない事を、今はっきりと自覚していた。

 そして、呟くように言った。

「好奇心、だ。そのはずだ」

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載十話目の投稿になります。


 新章ですね。ようやくスチームパンクっぽいものが出ました。

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