8 模擬戦4 血が騒ぐ
『身体強化術式』の使用によって脚力の強化がなされている。そんな足から繰り出される一歩の距離はかなりの長さだった。木と木の間をすり抜けていき、湿った地面に足をとらわれることなく、『鬼人の眼球』によって捕捉できた敵の熱源の近くにまで来ることができた。
あのエレクが扱う術式の種類は分からないが、大よその推測はついている。
『風景召喚システム』によって召喚できるものは2つ。
1つはその『収納術式』によって収納する対象のオブジェクト。例えば、陣夏の脇にある木や、地面にある折れた枝。これらは指定された『収納術式』の範囲内にあれば素材などに関係なく記録端末に『術式』として収納される。
そしてもう1つは、『風』。つまりはその『収納術式』によって収納される範囲に存在している空気。故に、フォーマットされても風向きは変わらずに同じ場所を毎回流れていく。
『風景召喚システム』はその指定した風景を収納するための『術式』の構築には時間がかかる。そのため、必然的に指定した風景の収納には『風景』という2次元なものに『時間』が絡んでくる。その時間内に流れてくる風も収納の範囲内になり、『風景召喚システム』で風景と同時に召喚されるわけだ。
陣夏は『鷹の目』、そして『鬼人の眼球』を発動することを思ってずっとこのステージの風景を見ていたわけだが、その中には風向きも含まれる。
だが、風向きが違うとはなかなか気づかない物だった。故にさっきから己の愚鈍さに苛立ちを感じている。
そんな陣夏は『鬼人の眼球』によってようやく風向きが違うことに気づき、それに加えてその元の風向きとは違う風向きが発生している中心点にあった熱源を発見できたわけである。
陣夏は最後のラストスパートと言わんばかりに強化された脚に力を籠めた。そして、地面に1つの靴底のような形をした穴が穿たれ、驚異的なスピードでその場に突入した。
霧の発生点。そこは10メートルも前方が見渡せず、視界が白く染まっていた。そして強烈な風。陣夏は加速した後に霧の発生点で着地すると、足と地面が軋む。すぐに周辺を警戒の念を飛ばす。
「ここが発生点と見て間違いない……だが」
ここ周辺の温度はほかの場所に比べるとかなり低い。正直なところ、銃弾の火薬が湿ってしまうのではないかと思わせるような温度に湿度だった。
陣夏は即座に木の陰に身を潜め、拳銃を握りなおす。そのまま拳銃を構えてゆっくりと前進する。エレクはこの辺りにいるはずだが、気配がないと感じられる。
その刹那、
陣夏の後方から何かが急接近してくるのが肌をピリピリと刺す緊張感から分かった。陣夏はその身をすぐに翻し、サイドに飛ぶ。
彼の通った跡には粘着性のあるペイントがべたりと張り付いている。が、その光景は霧に紛れてすぐに消え去る。
やはりエレクはこの近くにいる。
「チッ……!」
陣夏は思わず舌打ちをして、その銃弾が飛び込んできた方向へ向けて拳銃のトリガーを絞る。しかし、その銃弾は銃身を通ることはなく、マガジンの中から銃弾がなくなった時のような空しい音を霧の中に響かせた。陣夏は危惧していたことが当たり、顔を思わず緩めてしまう。
「マジかよ……」
陣夏は自分の秘密の一部が漏れても仕方がない、と腹を括った。その程度のことなら『師匠』にとっても許容範囲内だろう。
しかし、このことは学園内で叫ばれている『異端児』という称号的なものを決定的なものとしてしまう。故に平穏な学園生活が送れなくなる可能性がある。
「ていうか、すでに無理だよな……」
陣夏はそんな呑気なことを考えているうちに、黒い影が彼に接近していた。その影の頭部には黄金色に輝く髪を持ち、その顔は誰もが認めるような当たりくじ。俗にいう『イケメン』だ。陣夏の顔は彼のようなものではなく、当たりか外れかと問われれば、悩んで当たりと言えるものである。
そんな影から放たれた右足の一蹴りが陣夏の後頭部を捉えた。
いや、正確には腹部と言うべきだろう。
陣夏はそんな影の気配を感じ、影に詰め寄られたところで咄嗟に振り返って右ストレートを繰り出してその蹴りの方向をずらした。もっと正確にはずらせる行動をとらせることに成功した、だろう。
陣夏は腹部に蹴りを入れられたことで鈍い痛みを覚え、透かさず後退した。彼は腹部を右手で押さえながら、蹴りを入れた人物の顔を確認する。陣夏にはおおよその見当はついていたのだが。
「やはりお前か、エレク・ヘイズ……!」
エレクは顔に不気味な笑みを浮かべ、微かに口元を緩めた。
「君は何者なんだい……? 今まで僕の『術式』を見破れた人物はそう多くないんだけど」
エレクはまるで楽しんでいるかのように口を動かす。陣夏はそんな彼に対して口元を緩め、一度のみ肩を大きく動かした。
「……何が可笑しい?」
「分かってしまえば笑いしかおきねぇよ……」
陣夏はさらに続けた。
「お前の『術式』、恐らくは『呪術』だろうが 、『風流操作』と『霧による精神毒』だろ? 今までお前に気付かなかったのもその『精神毒』によるものだ」
エレクの顔色が少しずつ変わる。すでに息が詰まったような表情を浮かべている。
「まずは『風流操作』によって発生させた『霧』をこの森林中に散蒔く。まぁ、普通の霧なら問題はない」
エレクはゆっくりと表情を緩める。自分が動揺していないことを相手に見せるためなのだろう。
戦場において『動揺』は『隙』。敵の発言に動揺の色を見せれば相手はとことんその同様に付け込んでくる。これは戦場のみならず、日常生活の会話などでも使われる。
「だが――――」
「それ以上は……喋るなぁぁああ!!」
エレクは顔を大きく歪ませながら怒りを露にした。そこまで自分の術式を知られたくないのか、と内心で毒づいておく。だが、陣夏は彼がここまで怒り心頭に発する姿を拝むことができて、スッキリとした気分になった。
そして彼は『召喚術』を脳内詠唱した。眩しい光によって陣夏の目は眩む。そして彼の手に出現したのはサブマシンガン。ここまでの所要時間は2秒。
エレクはそのままサブマシンガンのトリガーを絞る。陣夏は即座に左手をサイドに振り、ワイヤーを射出した。そのワイヤーがサイドの木の枝に絡みつき、それを確認した陣夏がワイヤーの方向へ飛翔する。ペイント弾が着弾した時には陣夏の姿はなく、エレクは陣夏の姿を血眼になって捜した。
陣夏の拳銃は銃弾の火薬がすべて湿り、役に立たない状態になっていた。それに対し、エレクはサブマシンガン。何となく予想していたが、当たってしまうとやはり歯痒い。
陣夏はワイヤーアンカーによって木の枝の上にいた。彼にはもう拳銃を召喚することはできない。だからといって『収納術式』で拳銃を収納してしまうと、その時の光で彼の所在がバレてしまう。
「……仕方ないか……とっくに舞花達には話したしな……」
陣夏は腹を括り、自分の秘密の一部を明かすことを決意した。
彼の辺りには神経毒を孕んだ霧が立ち込めている。この霧に含まれている神経毒は恐らく自分の姿を敵として認識させないようにする類のものだろう。つまり、人の認識能力を低下させるものだ。
陣夏はこれまでの雪辱を晴らすため、目の形を変えて枝から地面の上に降り立つ。
迫るタイムリミット。残り時間は既に3分を切っている。いくら冷静な奴でもこういう時ばかりは焦りの色を見せるだろう。実際、陣夏の内心はかなり焦っていた。故に秘密の一部を曝け出すことを決意する。
そして、早速と言わんばかりに霧の中でエレクと会敵した。陣夏は思わず舌打ちをする。
「君は本当に『弱い犬ほどよく吠える』っていう言葉が似合うねぇ……!」
エレクは顔が普段からでは予想できないほど歪んでいた。だが、それ以上に性格が歪んでいると感じられた。それにより、陣夏の口中にべた付いた性質を持つ唾が広がる。
エレクは片手で持っていたサブマシンガンを陣夏に向ける。陣夏は背中に冷たいものがはしるのを覚え、トリガーを引く瞬間にバク転で銃弾の軌道から逃れる。重々しい破裂音が響く中、思わず拳銃を手から離してしまった。光が霧の中から漏れ、エレクは思わず目が眩む。
陣夏はその間にバク転を追加で2回繰り返し、エレクと距離を取る。最後のバク転をし終えた時に地面と着地した足が擦れ、鈍い音が響く。
陣夏の手から拳銃が消え失せ、己の拳のみが己の武器となる。
「……『召喚術』が詠唱できないのは本当のようだね?!」
エレクが顔を歪めながら、その中で不気味な笑みを浮かべる。確かに武器を持たない、己の拳のみしか持たない者と武器を持つ者となら後者に軍配が上がるのは必然的だ。それが飛び道具なら尚更だ。
だが、陣夏は口元を緩め、微かに笑った。それも、不気味に、だ。この時ばかりは陣夏とエレクの雰囲気は同じように見える。
「……なぜ笑う?」
「騒いでいる……、『血』が、な……」
「何をふざけたことを!」
エレクは声を張り上げてトリガーを引いた。
銃口から耳を劈くような発砲音とともに射出される一発の弾丸。その弾丸は霧を裂いて直進していく。
エレクと陣夏の距離は約3メートル。
避けることが不可能な距離。
銃弾が陣夏の体に届き、ペイント弾が付着する。
結果は否。
陣夏の体が霧の中に砂のように塵を舞い上げて消えた。
エレクは陣夏の行動にただ絶句するしかなかった。目の前で陣夏の姿が風のように消えたのだ。エレクは「あり得ない」と呟いて驚倒とした顔を正面に向けていた。その数秒の後に我に返って周辺を警戒する。エレクはサブマシンガンの銃口を正面に向けて周囲を威嚇する。だが、誰も怯まない。
「そんな馬鹿な……奴に銃弾が当たったはず……!!」
エレクは陣夏の見せたあの『術』の正体が分かったのか、驚倒とした顔の色が深まった。
「そんな……何故貴様が『幻術』が使える!?」
エレクはいつの間にか現れた陣夏を視界に捉え、奥歯を噛み締めた。
「お前は……『忍術』を使うのか!!」
陣夏は左拳を前に構え、空手をするかのような構えをとる。陣夏の口元は緩み、笑みが浮かんでいた。
2人が気付かぬうちに残り時間は2分を切っていた。
次回くらいで模擬戦は終了にしたいですね。
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