8.邪なる犬は、三体を持つ
「……ふぅ、疲れたぁ。くそぉ」
思わずコンクリートの地面に尻餅つく。うっし、今回も自己防衛完了。などと考えつつ汗を拭いながら、邪犬のいた場所を見る。邪犬の姿は跡形も無し。
赤色、討ち発手。
人に対しては威力のある魔力爆発でしかないが、怪物に対してはほぼ確実に粉砕するというまさしく怪物専用一撃必殺。これを耐える怪物は文字通りの怪物と言っていいほどにだ。
なので、他の二つよりも魔力生成を強く行なわないといけない。全快で他の魔力使わないで四発か五発しか撃てない、俺の必殺技。
ほんと、危ないところだった。やっぱり戦いなんてろくなもんじゃない、やっぱ早朝の出来事は完璧不幸だ。何がやや不幸だ俺め、甘すぎだろ。
とはいえ、終わったことだ。後で遠神のヤローに愚痴に近い文句言いまくってやらー。ということでよし、まずは身体を起こして我が家帰って休息――。
《ほぉ、我が青を殺したか人間》
「っ!?」
――声が脳内に響く。なんだ、誰だコイツ。ていうか何現象だこれ。
《意外なものだ。脆弱な人風情が我を殺すとは、褒めてやりたいが……それよりも怒りがこみ上げよう》
知るかバカ。なんだ、もしかしてテレパシーって奴かこれ。おいおい、ふざけんなよ。気持ち悪くなるからこの不快な声を今すぐ止めろこの見知らぬ野郎。
《能力者とも魔法使いとも言えない半端モノ。こんなモノに殺されるとは、不快になるとは思わないか人間》
知るかってんだろ。脳に声を響かせるな。人間、慣れないモンは気持ち悪くて嫌になるんだよ。
《……お前の中では我の存在はどうでもいいらしいな。尚のことに不快だ。我ら、邪の三犬を侮るような半端な生き物。例え領域を超えてでもそれを許すことは出来ぬ》
「……あぁ?」
頭を抑えながら正面を歩く。こんなイタズラテレフォンテレパシーに付き合ってる暇なんかない。頭痛薬で治まってくれんのかねこれ。
《その体。四肢を食らうことで、我が精神を静まらせてもらおう》
「……? そりゃどう……」
――瞬間。心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。
手が震え始める。ヤバい、これ尋常じゃない。殺気という殺気が凝縮されて全部俺に投げつけているとかそんな感じ。そんで殺気の出所を見て思わず苦笑い。
石造りの家の屋根の上――赤色の眼をした黒い邪犬と緑色の眼をした黒い邪犬が、それぞれこちらを貫くように睨み付けていた。
なんというか、冗談も休み休みにしてくれとしか言えない。一匹倒して即報復って、なんという仲間意識だよチクショウ。
「……もしかして、俺にテレパシーしてんのアンタらか?」
俺の発言に、緑の眼の邪犬は口を吊り上げる。偶然……と思いたいが、そうじゃないんだろな。
《正答だ人間。我が体は三つを以て自己とする。故に》
邪犬の身体から、何かが突き破るように現れていく。いや、突き破るって言うのはやや誤用だ。なんというか、粘土から切り離してもう一つ同じものを作り出しているかのような。
……それを見ていると、思わず笑ってしまいそうになる。嘘だろ、そんなん反則だ。
信じたくもないことに――邪犬の切り離した肉体は、先ほど爆散したはずの青い瞳の邪犬へと、姿を変えた。
《我らは三位一体。一が死しても二三あるのならば、その体は不滅》
――ああ、さっきの予感は間違っていなかったのだ。遠神や修復者が倒した邪犬も、恐らくこいつらだったんだろう。あのワンコロ、マジで地獄から蘇ってきてやがった。マジモンの怪物だ。
討ち発手、残弾数、残り約二発。相手はさっきの数の三倍。勝てるわけねぇ。ましてや、あの速さから逃げ切れる自信は毛頭ない。
ようやく、俺の幸運も尽きたわけか。あー、くそう。やるせねー。
そんな俺を邪犬らは愉快そうに見ている。そりゃ愉快だろう。相手が最早諦めかかってるのだ。優越感を感じるだろう。
――でも、だったらちょっとは鬱陶しいと思わせるとするか。
魔力生成、開始。
《……ほう、まだやる気なのか人間》
「いや、だってさ……やるしかないだろ。お前らみたいなワンコロ三連星に言いようにコケにされて、降参でーすって死ねると思ってんのか? 人間さ、そんなに弱い生き物じゃないわけでね。薄汚い犬にもプライドは食わせてもいいが、命を捧げるなんて死んでもごめんだって大半は思う訳だよ。一般人代表の俺も勿論それ」
《あくまで、我を愚弄するか……!》
邪犬の表情が憎悪に溢れる。思惑通りにいって思わずにやり。思い通りに行ったことが少ないんでなおのことにやり。黄色の刃、生成完了。
「される程度の存在だって解れよ、怪物」
《――良いだろう。望み通り我らの供物となってその命を賭すがいい!》
屋根の上から三匹とも、牙を剥き出しにして一斉にこちらへ向かってくる。何秒持つもんか、まぁ格好つけた以上は一匹ぐらいは切り裂いてやる……!
俺に死を運ぶ邪犬達が地面に降り立つ――そして。
モノは、肉を貫く。
流麗に、髪を切るような音ともに貫かれていく。
――邪犬は、地面から突き出た透明な剣の水晶によって顎から頭蓋を越えて貫かれた。
「血生臭い匂いばかり撒き散らそうとするのね。ほんと、これじゃ何も死骸に群がる野犬と変わらない暴虐さ。ううん、それ以下って言うべきね、野犬の尊厳のために」
遠くから、カツカツと、足音を鳴らしながら幼さを残した声を発しながらこちらへ誰かが向かって来る。
「そういうの、私は嫌いなの。特に、チョウマは今日見つけたお気に入りなのに、即座に横から掻っ攫うのは止めて欲しいわ」
三つの、巨大な刃状の水晶は赤目と青目の邪犬を貫いている。それを足の一本を犠牲にして、辛うじて避けていた緑の目の邪犬は俺の後ろから歩いて来ている人物を睨みつけている。――人物なんて、他人行儀に何を考えてんだか。
訂正しておこう。
白き髪を靡かせる、黒服の少女。レイリア・クォーリティアが、清令な眼を持ってこちらへ向かってきていた。
《……シュガーチルドレン。貴様……!》
「吸甘鬼よ。その名前はちょっとばかり恐怖が足りないから、却下させてもらうわ」
近くにきたレイリアと緑目の邪犬は互いに視線をぶつけ合う。俺は既に蚊帳の外。と思ったら。
「そんなことよりチョウマって異端と会いやすい体質なの? 私が探しにこなかったら死んでたんじゃないの? ほんと、チョウマってバカなんだから」
突然俺の方を向いて発言。なぜ運悪くこのワンコロに出会っただけでバカと言われねばならんのか。というか今そんな話してていいんですかねレイリアさん。こっちはいつ邪犬が襲いかかってくるか不安で、魔力解除出来てないんだけど。
「でも、そんな考えの甘さもなんていうかいいと思う――じゃない! チョウマのペースに乗せられちゃ駄目なんだから私!」
いや、全然乗せられてないから。めっちゃ唯我独尊マイペースだからアンタ。ていうかなんつうのん気っぷり。あの邪犬相手に何も怯みもしてないのは凄いからなのか、やはりバカだからなのか。
呆れそうになるが、そうも行かない訳で。レイリアが話しているうちに邪犬は俺達から数メートル程距離を取って自らの肉体から再び青目と赤目の自分を作り出す。
《油断はせん。人間諸共、ここで贄となれ》
「……そう。まだやり合う気なんだね、邪犬」
《無論だ。我は我を見下すモノを食らう。貴様達は贄以外の道はなく、餌以外の役割など存在しない》
「――かもね。私も、摂るべきものが違かったらその考えに至ってた自信はあるわ。けれどね、それとこれは別。私に戦いを挑むのなら、私は自分の為に貴方を殺すわよ?」
レイリアの目が、全てを見透かすような透明の眼となる。けれど、いくらなんでもレイリアでも分が悪い。三対一で、速さのある邪犬相手じゃ溶かし食らうあの牙に噛まれて死んでしまう。不意もつけない状況じゃ勝ち目は薄すぎる。
それをわかっているのかはわからないが。邪犬は俺を眼中に入れることなくレイリアを見据え、口元を笑みで歪ませている。こうなったら俺も手伝うしか――。
「いいよ、チョウマは休んでて」
レイリアは俺が行動に移そうとしたことに気付いたのか、制止してきた。
「……けど、お前が死んだら次は俺がヤバイんだ。少しでも勝てる見込みあるなら、手伝いたいんだよ。んで無事に家に帰宅する」
「むっ、正直だねチョウマは。少しは私を心配するような発言してもいいんじゃないの?」
「心配ってのはか弱い子にやるもんなんだ。覚えとけ」
「そうなんだ……。ってなんかそれちょっとムカつく気が。とりあえずチョウマはそこで休んでて、アレは、私が仕留めてあげるのがいいと思うから」
そう言ってレイリアは足を一歩踏み出す。目の前の邪犬に、意識を集中しだしたのがわかる。
《では、その新体を早々に我が餌として捧げろ。我が魔名はトリドレッグ。三位を持って、一体とする増体の化身である――!》
邪犬、トリドレッグは脳内に強く言葉を発しながらレイリアへと向かっていった。