7.邪犬と魔力使い
辺りに人はいない。俺だけ。オンリーロンリー。そんな状況で、ワンコ再来。死んだはずのワンワンちゃんが地獄から蘇ってきたとしかいえないぐらいに憎悪を持った殺気。それとも、遠神の言っていた犬の仲間が敵討ちに来たのか。なんにせよ最悪だ。
誰かに助け求めたくても逃げ場無し。というか恐らく人自体が来ないだろう。
誰だったかは忘れたが話に聞いた。
現代に生きる怪物という存在は意識的であれ無意識であれ自己の領域というものを確立して持っている。故に彼らを見ることの出来るのは、獲物として狙われるか同じ異端のモノのみ。いわば、普通の力無きモノは見るも叶わぬ存在である。との弁。
簡単に言えば、普通の人には彼らは大暴れしなきゃ人に見つかることはないってことらしい。追記するのなら、異端の存在を普通の人間は無意識に感じ取って避けているのだとか。人間の危機察知能力すげー。
さて、ということは今の俺に出来ることは正義の味方の助けを待つか、アレから何とかして逃げるか――撃退するしかないようだ。
邪犬は、こちらへと一歩ずつ近づいている。恐らくアクションを起こせば奴はすぐにこちらへ向かって来るはずだ。先ほどと違って、完全に獲物としてこちらを捕捉している深き青眼は俺を逃がすつもりは毛頭無いと思う。だったら、やるしかないか。
目線は逸らさず、右手の拳を握る。早朝は出すことのなかった、異端相手の対抗術。――いくぞ、目にモノ見せてやる。
一に、人差し指を。
二に、中指を。
三に、親指を。
それぞれ、密接させるように開いていく。内から三つの指先へと熱が帯びていく。ただし、本当の熱じゃない。――危険信号のような、真っ赤な光だ。
赤色の魔力を、中指と人差し指の先端に自己の意思を持って野球玉ぐらいの円形に収縮。さぁ、準備は整った。
黒き邪犬に敵意を向ける。右手を真横に突き出す。気分は良好、気持ちは最悪。
その挙動に、邪犬は反応。四肢を用いてこちらへ疾走。同時に、俺は左足を前に出して右手を肩を引く。――――赤光穿つは眼前の敵。さぁ、食らいやがれ猛犬野郎。
「赤色――討ち発手――!」
噛み締めるように、言葉と同じく、右手を横に大きく振って赤い光を投げ放つ。
投げ放った光は刃状の形を成し、赤い残像を残しながら勢いよく射出された矢のように邪犬へと向かっていく。――実際は、爆弾みたいなもんだが。
駆け出した邪犬は、放出した赤い奇跡を回避することも儘ならずにソレをまともに食ら――って、おい。
――なんてこった、避けやがったあの犬ったれ。
渾身の俺の切り札を野郎はステップ踏んであっさりと、目にも止まらぬ、っていうか目にも留めずにあっさりと避けた。放たれた赤光は目標に当たることなく後方で消失。ああもう、ざけんな……っ!
歯を食いしばりながら右手で三つ指を再度密着。今度は青い光を生成。
距離僅差。邪犬の青い眼が俺の全身を瞳に捕らえてる。牙は俺を溶かし潰す準備万端。ヤバイヤバイ!
「んなろぉ!」
その牙が俺を食らい千切ろうとした瞬間。俺は右手を振る。青い光は手から離れ、青い光の障壁と成して邪犬を跳ね返す。っぶねぇ……!
崩した体勢を立て直して正面直視。邪犬は軽業師のように空中で体勢を立て直して着地した後、こちらを睨みなおしてきた。気分は最悪、気持ちも最悪だ。
接近戦闘で行くか? いや、絶対無理。硫酸混じりの牙に噛み付かれて俺の肉体は一瞬で分離させられる。かと言って、遠くから攻撃してもあれは避けてくる。レイリアみたいにカウンター狙いってのは――無理、あんなん出来るか。
考える間もなく邪犬はこちらへ再疾走。くそっ、バカには考える時間ってのを寄越せよ!
嫌悪の感情を邪犬に対してノンストップで送りながら迎撃体勢。また懲りずに食らいかかっ――ってクソッ!
咄嗟に後方へ下がって回避。食うだけが脳かと思えば次は爪か!
間髪入れずに邪犬は爪を以て続けて攻撃してくる。もう一度魔力を生成。そして再度青い光の障壁――防御魔力術、祓い守手で邪犬を掃い飛ばす。全く、こんなんじゃ俺の方がバテていつか食われちまう。仕方ない、もうあれこれ駄々をこねてる場合じゃない。
「いいぜこんちくしょう。食い合いに関しちゃテメェら猛犬の方が上だがな、裂き合い斬り合いなら人間様のほうが大上等」
……虚勢張りまくり。つうか半自棄。裂き合いとか普通に獣の方が上。……それでもやらなきゃ死ぬ訳で。ほんと最悪だ、命の削りあいなんてよ。
――魔力生成。次は黄の光。黄色の光は手の全体に行き渡る。うち、密着させた三つ指の周りの光は刃のような鋭さを見せる。いや、光で作った刃物と言っても差し支えはないだろう。
弾かれた邪犬は、何度も弾かれたせいか怒りを露わにしている。本番は、今からって奴か。
空が曇り始める。少し暗くなりかけてた空が大分暗くなる。
「だから……切った張ったで遊んでやるよ、ワンコロ……!」
それに応じるかのように、邪犬、再三こちらへ疾走。俺との距離を詰め、敵は爪を振るう。
刃と化した指の光でそれを切り弾く。いや、弾くっつうか逸らすに近い。犬のくせになんて豪腕。打ち合ったら腕があっさりとへし折れてしまいそうだ。
次は牙でこちらへ強襲。
右膝蹴りで大口開けた邪犬の口を強制的にシャットダウン。
「グゥッーーァァーー!」
邪犬が咆哮する。なんだよ、構ってやったのが嬉しいってか。こちとら構う余裕ないんだけどなっ――!
左足で邪犬の腹部近くを蹴って強襲。――かってぇ、流石は怪物。その辺も普通の犬とは違う訳か。
けれど、効いちゃいる。邪犬の苦痛の表情がそれを教えている。それでも邪犬の巨体を制すには威力が全然足りやしない。
邪犬は構うことなく爪を振るう。指先の黄色の刃でそれを流す。ぶつかりあうのは、衝突の一瞬のみ。それ以上は俺の腕が持ちやしない。
邪犬は自らの爪と牙を持って俺を消そうとする。
俺は自らの足と魔力を持って犬を潰しにかかる。
蹴りが当たる。爪が皮膚をかする。かすっただけで皮膚が引きちぎられそうな恐怖を感じる。
牙を避ける。刃が奴の皮膚をかすめる。牙から溢れる酸性の液体が服を僅かに焼く。
ガシンガシンと、犬とじゃれあってるように見えて命がけ、気を抜くのはまずい。と思ったくせに、隙を見せてしまい、そのタイミングで運悪く邪犬は猛々しい爪で抉りにくる。やべぇ、距離が近い……!
なんとか、胸を狙った爪の一撃を僅差で回避。制服の部位が爪によってゴミとなって空を舞う。くそ、返しだ……!
黄に光る魔力の刃で、邪犬の青い眼を突き刺しにかかる。
――グシャリ。
宝石のような眼とは裏腹に、黄の刃はあっさりと奴の左眼を貫く。
「ギッーーイィィギャィィーーッーー!」
苦痛に悶えるような、悲痛な声を邪犬はあげる。三つ指の黄の刃を上から裂くように出す。絶叫が、響く。チャンスだ。
痛みで暴れる邪犬から距離を取る。魔力の再生成、開始。
「ガーーァァーーッァアアーーッ……!」
邪犬は声を乱してこちらを見る。その眼は実に痛々しく、眼球から血のようなものがポタポタと滴っている。
汗が頬を伝う。まだ息は切れてないが、ガンガン魔力変換を行なったおかげで疲れが早い。
――魔力、再生成完了。黄の色は成りを潜めて赤と成る。
邪犬は自棄になったかのように、荒々しくこちらへ向かって駆けてくる。
「……はっ、お前も自棄か。案外気が合うじゃないか」
少しだけ口元がにやける。そして、右手を横に、手には赤色の球体を。それじゃ、次こそお別れだ。
「地獄に帰りな――ワンコロ野郎」
腕を振り。骨が軋み。手首を曲げる。そうして放たれる、赤い軌跡。
邪犬は、先のように避けるための余裕はない。何より、奴の左から襲いくる赤を認識出来ちゃいない。ならば、ただ、当たるしかない。
赤い球体は刃状と成し、邪犬の肉体へと突き刺さる。そして――。
「ガッーーッーー!?」
花火のように、赤い光を散らして爆発した。