1.日常の窓口を広げるモノ
高校一年生開始から数日――公園の歩道、桜舞う春の日。俺はそれと出会った。
「グルルルルッ……」
邪悪に赤く光る黒紫の犬。お目目が素敵なサファイアブルー。そんで持って、お腹すいたといわんばかりのダラダラのよだれ。ゴールデンレトリバーよりも一回り大きな巨体。これはそう、なんと言えばいいのか。
ああ、形容するに当たって素敵でファンタジックな台詞があった。言うのであればこれは。
運命の出会いであった――。
「んな訳、ねー」
思わず、そんな言葉を口に出してしまう。けれど、そうでもないな。俺にとってはそうでもないが、あのワンワンちゃんからすればもしかすると運命の出会いなのかもしれない。
その証拠にほら、あの犬ちゃん、食い散らかして無残になっている鳥さんから目線を変えて俺に向かって尻尾を振ってらっしゃる。ふりふりなんて可愛い擬音じゃなく、まるで鎖を振り回すような音を放ってらっしゃいますが。
俺はゆっくりと足を一歩ずつ後退させる。動くなよ、このまま関わり合わないのが両者にとって幸せなんだからさ。
そもそもふざけている話である。何故少し早起きしてゆっくりと学校に向かおうとしたら、こんな奴と遭遇しなければならないのか。ヤンキーにかつあげされる可哀想な少年レベルで不運だ。早起きは三文の得、そんな言葉は俺には該当しないんですね。
顔を引きつらせながら一歩、一歩と下がる。早く現れて正義の味方。
「それでいいの?」
……突如、女の子の声が聞こえてくる。いや、だが今あのワンワンちゃんから目を離すのは非常にまずい、ていうか離したくない。一歩下がる。
「貴方がコレから逃げたら、新たな犠牲者が増えるかもしれない。それでもいいの?」
良心に訴えかけるように少女は更に話してくる。俺に話しているのか? いやいや、そんなはずはない。どうせ俺と思ったら他の人だったとか、内心超恥ずかしいことをやらかしてしまうだけだ。も一歩下がる。
「あれは新たな怪物。既存の怪物から生まれたナニカ。きっとアレは逃げても貴方を追うし、追わなくても人は死ぬわよ?」
無視。役者の台本練習とかそんなんだろう。騙されないぜ俺は。一歩以下略。
「……ねぇ、聞いてるの?」
聞いてません。いち以下略。
「聞こえてるんでしょう? ちゃんとこっち向きなさいよそこの微妙人間。貴方もちゃんと関わってるんでしょ? ああいうのと」
聞こえてるけど知りません。ていうか声量大きくなってないですかアンタ。もっと抑えて、音量二十から二ぐらいにまで。一歩下がる、よし、もうちょっとで大分差が開いてくるぞ。
すると、観念したのか声が聞こえなくなってきた。良かった、ようやくあのワンワンちゃんの危険性が恐らく女の子にも伝わったのだろう。もしくは台本演劇の練習が終りょ――。
「聞けって言ってるでしょこらぁーっ!」
右耳にキンキンするぐらいの大声が耳を通り、俺の脳を通って左耳からさようならする。み、耳がいってぇー!
思わずその方向を振り向くといつの間にか俺のすぐ右側に、黒い長袖を着けた背丈が小さな、白い長髪の少女がいた。――いや、そんなことはどうでもいい。
物珍しい姿をした少女にそんなことを思わせてしまうほど全身に感じた殺気が俺を貫く。殺気の正体は言うまでもない、先ほどのワンワンちゃん。大声をキッカケに痺れを切らしたのか、食い殺す勢いでこちらに向かって高く飛び掛ってきていた。ちくしょう、やっぱりこうなりますよね。
「ふん、雑犬風情が図に乗って。なら、見せてあげるわ私の透明水晶のちか」
「伏せろ!」
俺は少女の頭を掴みながら、体勢を低くする。すると犬は下に方向転換することも出来ずに、俺達の上を飛び越える。うえっ、よだれ落として行きやがった――って、服焦げた! あれ硫酸かなんかか!?
すぐさま俺は立ち上がり、背後を振り向く。はは、毛を逆立ててめっちゃ臨戦態勢ですよあのワンワンちゃん。
全く、どうしてこう、ツキってのが俺にはないのだろうか。今年から自堕落高校生として生きていくと決めたのに、数日でこんな危険犬と出会ってしまうという有様。これでトータル何回目だっけか。節操ないにも程が――。
「だっしゃーっ!」
「ごはっ!?」
思考中、突如俺のアゴをか弱い小さな手が打ち抜く。思わず声をあげてしまった。
「な……何が……」
その原因の解明をしようと思ったとき、視界に危険犬が走ってきたのが見えてくる。まずい、今の謎アッパーで頭の整理が……。
「危ない微妙人間!」
「ガホッ!?」
お次は腹部に華奢な足のキック炸裂。お腹に痛み発生。その蹴りで吹っ飛ばされ、何とか危険犬の攻撃を避けることが出来たが、代償は腹部の痛み。
「ふぅ、危なかったわね微妙人間」
いけしゃあしゃあとそんなことを言う声が聞こえる。わかっている、こんなこと出来るのは一人しかいない。そう、耳に大声発してきた変な女だ。
文句を言いたいが、残念ながらそうもいかない。ワンワンちゃんが俺と変な女を輝かしい青い眼で見据えてきている。多分二度も攻撃をかわされたからだろう。
「そんなことより貴方ね! 私の頭をいきなり掴んで地面にぶつけさせるなんてどういう了見なの!」
だが、変な女はそんな状況知るかといわんばかりに俺に指を差しながらぎゃーぎゃー騒ぐように話しかけてくる。おねがいです、空気読んで。ワンワンちゃんをこれ以上刺激させないで。
「グルルルル……ガアアアアァァァァッ!」
ああ、ほら来た。やかましい声だしちまうから獰猛な牙を見せながら涎を垂らしてアンタに向かっていったぞ。ったく、仕方ないな……!
そう思って、拳を握った時だった。――彼女の瞳が、透明に輝いたのは。
「全く、これだから獣は嫌い。貴方には今用がないのに、茶々を入れてくるなんて」
勿論、透明に輝くなんて言葉が矛盾していることぐらい俺にだってわかる。けれど、そういわざる得なかった。まるで見る者を吸い込もうとする瞳。そうだ、あの目によく似たものを俺は知っている。
「改めて発言。見せてあげるわ愚獣、透明水晶の力をね」
襲いかかる邪犬は、駆け抜けるように走り。少女の喉元を食いちぎるために、再び飛びかかる。
しかしその牙は、彼女に届くことはない。かと言って、先ほどまでのように攻撃を避けられた訳ではない。――牙は、彼女の喉元の寸前で止まっていた。
邪犬は止まっていた。いや、正しくは停止させられたというべきか。朝日の輝きが、邪犬を止めるそれを照らし映し出してくれていた。
同時に、その物体を見て口を開いてしまう。先ほど思いついた、彼女の瞳と同種の物。これは。
「水、晶……?」
もしくは、ガラスか氷。それぐらいに透き通り日光を反射する物体が、地面から突き出て邪犬のアゴを貫いていた。
そして、少女は指をパチンと鳴らす。すると、光を反射しながら、いつから存在していたのかもわからない沢山のとがった水晶体が、邪犬の身体に目掛けて放たれる。
「デッドエンド。さようなら邪犬、私に刃向かったことを不運と嘆くのね」
その水晶体は、無情に邪犬を貫く。邪犬は、それに対して抗うことも出来ずにさながら死に行く罪人の如く無抵抗のまま、身体を消滅させた。
俺は、それをただ呆然と見るしか出来なかった。けれど、ただ言えることが一つある。
「さぁ、改めてお話しましょうか、微妙人間」
今日の俺は、想像以上に不運だったようだ。




