17.全力暴走
私、獣目 狩芽は駆け抜けたかった。
このどうしようもなく、群れなければいけない世の中を逃げ出して、駆け抜けたかった。
だから、私は群れを襲う狩人となりたかった。群れを抜け出し、それらを狩る者。そんな位置にいたいと思った。
でも私は人間。ゆえにそれに成り得る手段なんて存在しない、ましてや力すらないとわかっていた。
けれど、あの人は私に力をくれた。なっていいんだよ、と私に力を与えてくれた。
心が躍った。理解されたいけれど、言えないこの気持ちをあの人は察してくれた。
だから、私はこのチャンスを掴んだ。心を知ってくれたあの人と、自分の心の期待に応えるために、私は人を辞めて、人のルールを犯すと決めた。
……眼前に存在する一人の男の子。狩人として、逃してしまう訳にはいかない子。
今の彼は、何か一線を越えていると理解する。同時に、彼を狩れば私は完全に私になれる。人ならざる獣になれると確信した。
さぁ、貴方の人間と私の獣。どっちが上なのか、白黒つけてみよっか。
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辺りも暗く、人の現れる気配の見えない路地。そこで、学生服の少年とキャップを着けた長い髪の人狼が対峙している。
しかし、人狼は――獣目狩芽は驚愕していた。
今眼前にいる少年の雰囲気は、先ほどまでとは大きく違っている。それこそ、自分と同じく人間では無いようなぐらいに殺意と敵意を身に受けているような、そんな出で立ちをしているのだ。驚かないはずもない。
獣目狩芽は知るよしもないが――現在の橋居鳥馬は、自らの命を守るための生命力を相手を倒す為の魔力に片っ端から変換し、肉体の限界を無理矢理引き出している。まさに、自暴自棄とも言っていいほどの危険な行為を行っていた。
だが、それを知らずとも人狼はクッ、と漏らして笑顔を見せる。まるで、意を決したかのように、目標を見つけたかのように。
「……ふふっ、いいねその顔。虎の尾を踏んだような、そんな気分」
橋居鳥馬は、人狼の軽口に答えない。ただただ、睨んでいるだけ。全身から漏れている真っ赤な魔力は右手から煙のように空へ上がっていき、敵意を持って睨みつけているだけ。
もう、言うこともないわけね、と獣目狩芽は微笑む。
同時に。
彼女は、飛び込むように一足踏み込む。
橋居鳥馬との差は僅かその程度。人間が走り飛べばその差を埋められる。
だが、跳躍するものは人を超えた人狼。走り飛ばずとも、そのままあっさりと差を潰し消す。
人狼は、身に風を受けながら狂爪をもって少年の首を狩る。狩りに向かう。
その狂爪は最早人間の目で追いきれるものではない速さ。並の人間ならば、死んだことすらわからずに自らの命を無くしていただろう。
そんな並の少年と大差のない橋居鳥馬の命は、例外なくそこで潰える。
ふぉんっ、と、空気を裂く音とともに混ざる異音。それは――――肉を裂く音ではなかった。
「……っ、えっ」
一瞬、獣目狩芽は理解出来なくなる。
確かに、空を切り裂く音は聞こえた。腕も振り切った。ではなぜ、少年の肉は裂かれていない。
躱した様子はない。では、おかしいではないかと彼女は考える。避けもしないで、肉を散らしてもいない。勿論自身は裂いていない。
彼女は空振りした自らの手に視線を送る。――それで気付く。
――――ああ、無くなってるなら矛盾なんてないよねーっと。軽々しく内心で漏らす。
(……無くなって、るっ!?)
獣目狩芽は、再び自らの腕を凝視する。
数秒前にあったはずの腕は、二の腕付近から消失してしまっている。
消失と言う恐怖が、彼女を戦慄させる。
――だが、それに臆し、屈することはなかった。
舌を自ら食らってしまいそうな程に彼女は力強く歯を合わせて後方へと跳躍する。
(うそっ、ここまで……!)
ここまで、彼は一瞬で出来るようになったのかと彼女は心でやっかむ。
無くなった右腕から鮮血がほとばしる。痛みはない、むしろ問題は腕が無くなったという事実だと彼女は痛感する。
彼女は厄介そうに橋居鳥馬の左手を見る。
そこにあるものは――右手の三本指に取り巻いて形成されていた光る赤い刃と全く瓜二つ、鏡写しともいえる手の形で作られている赤い刃。
真に信じがたいことに、彼はその赤い刃で目にも止まらぬ振りを目にも映さず、流れる草花のようにゆるりと、烈風のように鋭く速く切り捨ててしまった。
人狼の鮮血が治まっていく。むしろ、傷口があっという間に塞がる。
それを見た橋居鳥馬は、ゆらりと前へ進む。
人狼は、気圧されてしまう。腕の一つ、というとても重い現実的な喪失が彼女の心に恐怖を与える。それでも、彼女は恐怖を歓喜で塗り潰す。
「ふっ、ふふふ、あはははっ! これは、もう最高ね。君は、最初にして最大の大物だったんだね!」
人狼の歓喜の声。しかし、橋居鳥馬は聞く耳を持たない。ただ、目の前の敵を打ち倒すがために右手を向け――
「――赤色、撃ち発手」
そして、撃ち放つ。
前回のように投げ放つのではなく文字通り、三つ指に纏う赤い刃を撃ち放つ。
だが、そんな単調な射撃を避けれないほど彼女も容易くはなく、身体を屈めてあっさりと避ける。
避けて――――吹っ飛ばされた。
「うぐぁ……っ!?」
人狼は混乱する。避けたはずのものがどうして当たると。
しかし、彼女はちゃんと視界にその正体をおさめている。そう、自らの顔面を少年が蹴り飛ばしたのだ。
その蹴りはまるで彼女と、人狼の蹴りとほぼ同等。ただの少年じゃ成し得ないほどの威力。
再び人狼は少年を見据える。先ほどのような恐怖は生まれていない人狼は、喜びを持って残った腕を構え――疾走する。
感情のない目で、少年は目を見開く。
そして、左手の赤い刃で人狼の爪に対応して切り弾く。
そこからは互いに、油断無し。
人狼は自らのスペックと余すこと無い喜で少年の皮膚を、服を裂いていく。
少年は魔力で無理矢理高めた身体で死を躱しながら、同じく人狼の身体を裂いていく。
細々と、自らの刃物で二人は互いを傷つける。
風切り音と刃物同士のぶつかり合う音、そして身体が裂かれている音が混ざりあいながら戦いを彩る。
がつん、がつんと。
ひゅん、ひゅんと。
しゃく、しゃくと。
獣目狩芽は、そんな音が実に気持ちが良かった。
自分が死ぬかもしれないとわかっていながら、これが狩人の本質から全くに遠いものだと知りながらも、彼女は楽しいと、そう感じていた。
その、自らの姿から相反する思いが隙を与えてしまう。
まるで舞踏のように争っていた二人の戦いは、ワンテンポ途切れる。
少年は、その隙を逃さない。
一つ、二つ、三つ、と、右手の三つ指を開く。
右手全体を纏う赤い魔力を伝い、再び赤い刃が形成される。そして。
何を思うことなく――――人狼の胴を深々と、赤い刃で切り裂いた。
やってしまった、と彼女は後悔する。
けれど、笑顔にならざる得なかった。
――姿を変えようとも身に着けていたキャップが、宙を舞う。
自分を裂いた獲物を、人狼は見つめる。それは、ナイフのように小さい剣ではなく、まるで西洋の剣のような大きさで形成された真っ赤な刃。
――ああ、そりゃ痛いわけです。
人狼はそう呟く。
そして人狼はどさりと、座り込むように地面に倒れ、その姿を保てずに、元の人間の姿に戻る。
あっさりと、その戦いは幕を閉じてしまった。
「……うん、君の大勝利だ」
それを理解した獣目狩芽は右腕を失い、力を失い、今にも力尽きてしまいそうだというのに、彼女は今にも笑いそうな声で少年に言った。
少年は、応えない。
「あますことなく私の負け……さぁ、敵討ちをどう――」
だが、言い切る前に――少年は、橋居鳥馬は獣目狩芽の頬を思いっきり殴っていた。
そして、鳥馬は彼女の胸倉を掴んで言った。
「アンタ、甘すぎるんだよ」
――その言葉を発した少年の身体からは、危ういほどに身を纏っていた大量の魔力や先ほどの敵意や殺気は消えていた。




