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未詳文庫

寝室と妹

作者: 狂言巡

【癖毛と苦労性兄貴】






 自室に添えつけられていたベッドは、滑稽なまでの広さを誇るキングサイズでした。

その上にはシルクのシーツに、羽毛がたっぷり詰め込まれた布団や枕、黒白チェックのクッション、よくわからない動物の毛皮をなめしたすべらかな毛布がたっぷりと重なっています。

 仕事後のねばっこい倦怠感に従って、志粋(しすい)は靴を脱ぐことすらせずに、

 スプリングのきいたベッドに倒れこみました。


「うきゅ!」


 その結果、毛布の下の異物には気がつかなかったようです。手加減なしで押しつぶしてしまったのは、やわらかくも華奢な骨組みを感じる物体。

 だいぶひきつぶされてしまっていましたが、悲鳴は聞きなれた少女のそれ。

 謝罪する気なんて起こらないまま、無造作に毛布をめくって志粋は盛大に舌打ちし、そしてため息をつきました。


「……何やってんだ、スピカ」

「ひどいぞ兄上、何という無体をするのじゃ!」


 痛みと苦しさに目尻に涙を浮かべた妹のスピカは、恨めしげに兄を睨みあげます。

 子どもらしく小さな造りの身体。しかし大きな瞳だけは、無邪気な悪餓鬼と狂気的な犯罪者に染められています。

 挙句、はしたなく足を上げて兄の頬に蹴りを入れました。上等のソックスに包まれた小さな足は、兄の日に焼けた頬にむにっとめり込みはしましたが、男の頑丈な骨格はビクともしません。

 短いスカートをはいているのにあっさり開脚された太ももは、同年齢の少女達よりはしっかりと肉を乗せていて、彼でも少し目のやり場に困ってしまいます。

 志粋は苦苦しげに溜息をついて、スピカの両膝を掴んで閉じてあげました。


「こら、足を閉じろ足を」

「今日は黒の総レースじゃぞ!」

「なんの話だよ!」


 いかにも高級そうな艶のあるワインレッドのベルベットと、凝った模様の黒いレースがあしらわれたワンピース。デザイン自体は可愛なものの、いささか丈が短すぎるのではないか。

 女優や娼婦ではあるいまいし、高い金を払って足を見せる必要はまったくないというのに、この子供ときたら!

 さりげなく指摘すれば、スピカはまだなだらかな胸を張って悪びれもなくオーダーメイドと言い放ちました。


「おかえり兄上」

「……あー」


 素直に返事をする気にもなれません。そもそも疲れを落とそうと帰宅したのに、なぜか二乗に追加された気がします。

 よろよろとベッドから降り立った志粋は、近場にあった椅子に腰を下ろし、靴や靴下を乱暴に足から引っこ抜きました。先ほどまではきっちりセットしていた髪に、指を無造作に突っ込んで崩します。クセのある金髪が顔の半分を隠すと、褐色の肌に溶けて野性的な雰囲気が強くなります。

 丁寧な仕立ての上着を脱いで椅子に放りながら視線を撒くと、小さな癖っ毛頭が視界の底辺をちょろちょろ動き回っています。テーブルの上には前もって用意していたのでしょう、あたためられた薄桃色のポットと、ミルクが入った硝子の小瓶が置かれていました。


「お茶の用意をしてさしあげたぞ?」

「……そりゃどうも」


 かすかな感動と純粋な驚きに珍しいと目を瞬かせた志粋に、スピカはにっこりと笑いかけました。

 しかしどんなに可愛らしく笑ったつもりでも、彼女の本性と言うか、遺伝子と言うか、どうしても悪戯小僧のイケナイ雰囲気が抜けません。


「おい。これはひょっとすると……」

「やれ、お茶を所望するぞえ」

「やっぱりな……」


 結局、自分で入れなければいけないようです。最後まで期待させてくれないのは妹の得意技なので、兄は苦笑しながらテーブルに手を伸ばしました。

 さっき脱ぎ捨てたばかりの上着から取り出した煙草を口の端に加えて、手際よくお茶の用意が整わせていきます。


「おら、入ったぞ」


 煙草の灰がカップに入らないように気をつけながら、志粋は妹に呼びかけました。

 返事は返ってきません。


「おい?」


 振り向いたベッドの上には、毛布の上で目を閉じるスピカがいました。


「……何なんだ」


 呆れて少しの間その場に佇んだものの、妹は何も返してきません。寝ているので当然ですが。

 仕方なく青年は手に持ったカップの紅茶を一気にあおりました。

 柔らかいミルクの味、甘く香るフルーツフレーバーに軽く眩暈。

 もともと彼は辛党派で甘いものが好きではないのです。

 かつんと高い音をたてて、陶磁器の小さなカップをテーブルに戻しました。


「寝るか」


 ため息をついてベッドに向かうと、相変わらずちょこんとスピカが眠っています。

 自分をほったらかした健やかな寝息に、またため息。


「よ……っと」


 猫のように丸まって寝る妹をよけながら、横手に転がるとベッドが大きくきしみます。

 すると猫か犬かのように、小さな体温の塊が擦り寄ってきます。


「寝てるときは可愛いんだけどな、おまえ」


 寝心地のいい布の海の上で。志粋は自分の苦笑の大きさに、そっと口を塞ぎました。

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