第8話:粉プンプン
ギルドからせしめたボロボロの革袋。ワイはそれを手で握りしめ、メテンの賑やかな中央広場を後にした。
「ええか二人とも。まずはこの粉プンプンとかいうふざけた名前の不審者をシバいて、シルバー1,500枚をゲットする。話はそれからや。ポテトや。ポテトを食わせろ」
「……ねぇ。……ポテトなんて食べたら、あなたの血が油っこくなっちゃうわ……。……心中する時に私のナイフが滑ったらどうするの……? ……やっぱり今のうちにその袋で私を窒息させて……」
「リリィさん、縁起でもないこと言うな! この袋はシルバー専用や!」
「キミ、そんな安物の革袋で満足なの? 私なら、キミを水の球に閉じ込めて無酸素状態で運んであげられるわよ。それが一番の節約だと思わないかしら?」
「節約(物理的死)はやめろ言うとるやろ!!」
ワイらは依頼書に記された直近の目撃情報を頼りにメテン北部のスラムに近い裏通りへと足を踏み入れた。
中央通りの喧騒が遠ざかるにつれ、辺りは急速に活気を失っていった。石畳は欠け、湿った壁にはカビがこびりついている。だが、そこにあるはずの腐敗臭が不自然なほどに上書きされていた。
「……ん? なぁ、なんか匂わんか? この、なんや……懐かしい匂い。給食のパン工場みたいな……」
ワイが鼻をヒクつかせると、前方から微かな風が吹いてきた。その風に乗ってキラキラと輝く白い粒子が舞い踊っている。
「……雪……? ……いいえ、違うわ……。……これは、命を吸い取る……白い粉……」
リリィがメイスを構え、瞳を細める。
「ふん、ただの小麦粉じゃない。でも、魔力が混じっているわね。……キミ、見てなさい。あの角の向こう側に相当な狂気が潜んでいるわよ」
路地を曲がった、その瞬間だった。視界が真っ白に染まった。まるで焚き火に小麦粉を投げ込んだような、爆発的な粉塵。その中心で一人の男が奇妙なステップを踏みながら、両手の袋を全力で振り回していた。
「粉プンプン! 粉プンプン! 弾力が足りなぁぁぁい!!」
「ヒェッ!! 出た!! マジで粉プンプン言っとるやんけ!!」
男はボロボロのコートを羽織っていたが、その隙間から覗くTシャツには、はっきりとUDON-KENのロゴがプリントされていた。男の肌は粉を浴びすぎて陶器のように白く、その目はコシという概念にのみ取り憑かれた者のそれだった。
「……ねぇ、あなた。……あの粉……吸い込むと、頭の中が真っ白になってあなたのことしか考えられなくなるわ……。……あぁ、まるで……真っ白な死装束に包まれているみたい……」
リリィの瞳が、粉の影響で陶酔したように潤み始める。アカン、これ以上吸わせたらリリィの心中脳がバグってまう!
粉プンプン男は、ワイの黄色い手を指差してゲラゲラと笑い転げた。
「ヒャッハァ! その黄色い手……いい捏ねができそうじゃねぇか! ちょうどいい、この秘密の粉(中力粉)を吸って、俺と一緒に究極の聖讃を作ろうぜぇ! 粉プンプン! 粉プンプン!!」
「やかましいわ! ワイのこの手は自分を磨く……じゃなくて、レスバのためにあるんや! 食べ物で遊ぶなボケ! お前のやってることは交易都市メテンの公衆衛生に対する重大な挑戦やぞ! 保健所に通報したろか!!」
ワイは手で鼻を覆いながらレスバを仕掛けるが、男は聞く耳を持たない。それどころか、さらに勢いよく粉を撒き散らす。
「保健所ぉ? そんなもん出汁にしてやるよ! 粉プンプン! さあ、吸え! 吸引して、脳みそを8分茹でのアルデンテにしてやる!!」
その時、沈黙していたリリィがメイスをズルズルと引きずりながら一歩前に出た。その瞳には粉を吸いすぎた者特有の、異常な輝きが宿っている。
「……粉……プンプン……。……そうね。……真っ白な粉にまみれて、二人で太く、長く、絡まり合って……。……最後は熱いお湯の中で、一生離れないように茹であげられましょう……? ……ねぇ、あなた……。……これが私たちのうどん心中よ……」
「リリィさん!? 待て、ネーミングセンスが食育番組になっとるぞ! 心中にコシを求めるな!!」
リリィは「粉プンプン」と呟きながら、狂ったようにメイスを回転させ始めた。その遠心力で周囲の粉が渦を巻き、さらなる粉塵心中空間が形成されていく。
「くふふ、面白いじゃない。粉を撒く狂人に、茹でられたがるメンヘラ。……いいわ、私が茹で汁を用意してあげる。……キミも一緒に、その黄色い手を真っ赤に染めて最高の出汁になりなさい」
カミラが不敵な笑みを浮かべ、大量の水を呼び出す。右に粉、左に水、正面にメイスを構えたメンヘラ。
「アカン、このままだとワイが具として調理されてまう!! 誰か助けて! なんJ民の誰か見てへんのか!!」
メテンの裏通り。黄色いカエルは粉プンプン男のうどん愛と、リリィの心中愛が複雑にブレンドされた地獄の釜の中に、今まさに放り込まれ、粉を吸い込んでしまった。
「あ、あかん!やってもうた!」
刹那、ワイの脳裏にある記憶が流れ込んでくる。
「粉プンプン……粉プンプン……。なぜ……なぜ俺の粉を吸わねぇんだ……! この粉には、俺の故郷が詰まってるんだよぉぉぉ!!」
男が叫び、膝をついた。その瞬間、ワイの視界が白く染まり、精神の奥底へと共鳴が流れ込んできた。……これが、粉プンプン男の記憶……?
舞台は、異世界ではない。日本の、四国の、あの県だ。そこでは朝から晩まで、人々がコシという名の神を崇めていた。
男の名は佐藤。彼は香川の由緒正しきうどん屋の三男坊として生まれた。彼が最初に握ったのは母親の手ではなく、打ち立ての麺だったという。だが彼には致命的な欠陥があった。
「……父さん。俺……やっぱりそばが食べたいんだ」
その一言が、彼の人生を狂わせた。香川においてそば派を公言することは教会の中心で悪魔崇拝を叫ぶに等しい。怒り狂った父、泣き崩れる母。親戚一同に囲まれ、彼は矯正という名の足踏み(うどん打ち)を二十四時間強いられた。
「踏め! 踏むんだ! 蕎麦殻のような黒い煩悩を捨て、真っ白な小麦の心を取り戻せ!!」
来る日も来る日も、彼は小麦粉を浴び、麺を打ち続けた。やがて、彼の脳は粉の微粒子に侵食され、意識が白濁していく。 ある夜、彼は究極の中力粉を生成することに成功した。その粉を吸った瞬間、彼は見てしまったのだ。瀬戸大橋の向こう側に、広大な小麦の海が広がる異世界を。
「あはは……なんだ、世界は全部粉じゃないか。人も、愛も、希望も、全部粉末にして茹でれば同じだ。粉プンプン……。粉プンプンだぁぁぁ!!」
その瞬間、彼は時空を越えた。香川の製麺所から、メテンの裏通りへ。彼が撒き散らしているのは、ただの粉ではない。故郷に捨てられた孤独とうどんという呪縛から逃れられなかった男の魂の残滓、もとい残りカスだったのだ。
回想から引き戻されたワイは、手で涙を拭った。
「……アカン、悲しすぎるやろ。お前、ただのうどんハラスメントの被害者やったんか……。なんJでうどん県wwwとか煽ってたワイが恥ずかしいわ」
「……ねぇ。……悲劇は、心中でしか癒やせないわ……。……この男の粉を浴びて、真っ白な麺になった私たちが、最後に出汁の中で……」
「リリィさん! 同情して心中プランを強化するな! お前ら、ええかよう聞け。粉プンプン! お前の過去は分かった。だがな、メテンは交易の街や。うどんだけやなくパスタもパンもピザもあらゆる粉もんが共存しとるんや!」
ワイは一歩前に出た。手を太陽にかざし、レスバの最終奥義を繰り出す。
「お前が撒いとるのは、過去のトラウマという名のダマや! 料理人ならダマを作らずに世界と混ざり合えよ! お前の粉プンプンという叫びは、本当は助けてって言いたかったんちゃうんか!! 違うか!!」
「……あ……あああ……粉……粉が……」
男の持つ袋が震える。だが、ここで事態は最悪の方向へ転がった。粉プンプン男の絶望にリリィの心中願望が引火したのだ。
「……そうよ。……世界と混ざり合うには、粉になるしかないの。……ねぇ、あなた。……今から私が、あなたの全身をこのメイスで粉砕してあげる……。……そうすれば、あなたも最高の中力粉になれるわ……。……二人で混ざり合いましょう……?」
「ヒェッ!! 説得が裏目に出た!! リリィさんの殺意が物理(粉砕)になったぁぁ!!」
カミラが横で「キミの粉末、水槽の底に敷き詰めたら綺麗そうね」と冷たく笑う。
粉プンプン男のトラウマ、リリィの粉砕心中、カミラの底砂計画。
各々の思惑が交差する。
「……あぁ、いいわ……。……あなたが粉になれば、もうどこへも逃げられない……。……私の胃袋の中で永遠に一つになれるのよ……。……覚悟して……愛してるわ……ッ!」
リリィが巨大なメイスを頭上に掲げた。粉プンプン男が撒き散らした中力粉が彼女の殺気によって渦を巻き、まるで白い竜巻のようにワイを包囲する。
ドゴォォォォン!!
一撃。石畳が粉々に砕け散り、リリィの怪力が粉砕という言葉を具現化する。
「ヒェッ!! マジで殺しに来とるやんけ! リリィさん、目がバキバキや! それ粉のせいか? それとも素か!?」
「逃がさない……。……粉々にして、こねて……茹でてあげる……!」
二撃目がワイの黄色い手の数センチ横を通り過ぎる。風圧だけで三段腹が波打つ。アカン、これ物理的に回避するのは不可能や。ワイに残された武器はなんJで培った屁理屈、つまり理論だけや!!
ワイは逃げるのをやめ、あえてリリィの正面に立ち塞がった。黄色い手を力強く掲げ、渾身のレスバを開始する。
「ストップや! リリィさん! お前は今最大のミスを犯しとる! 論破したろか!!」
「……ミス……? ……あなたを粉にするのに、ミスなんてないわ……」
「大ありや! ええか、よう聞け。お前はワイを粉砕して、こねて、茹でると言ったな? それはつまり、ワイをうどんにしたいってことやんな!?」
「……ええ。……太くて、白くて、しなやかな、あなたという名のうどんに……」
「そこや!! お前のその粉砕一辺倒の攻撃じゃ、うどんに一番大事なコシが生まれへんのやぞ!! www」
リリィのメイスが止まった。
「……コシ……?」
「せや! ええか、うどんのコシっていうのは小麦粉に含まれるグルテニンとグリアジンが水分を得て、複雑に絡み合うことで生まれるグルテンの弾力なんや! お前みたいに殺意MAXで一方的に粉々に叩き潰すだけじゃ、分子構造が破壊されてただのドロドロした離乳食にしかならへんのや!!」
「……ドロドロの……離乳食……?」
「そうや! お前が求めてるのは、ワイとの強固な結びつき、グルテンやろ!? だったら、ただ叩きつけるだけじゃアカン! 適度な加水、絶妙な塩加減、そして何より踏みと寝かせの工程が必要不可欠なんや! お前の今の攻撃は、ただの破壊であって調理やない! つまり、この心中は料理的にひいては愛の結晶として大失確定なんや!! wwww 恥ずかしくないんか!!」
「……その通りだぁぁぁぁ!!」
倒れていた粉プンプン男が、血を吐きながら立ち上がった。その目はかつて香川の製麺所で見た師匠のような輝きを取り戻していた。
「そうだ……! 破壊だけではコシは生まれねぇ! それはただの粘土だ! 娘さん、そのカエルを最高のうどんにしたいなら、まずはその憎しみを捨て生地を愛でるような足踏みから始めるんだぁぁぁ!! 粉プンプン!!」
「……足踏み……。……そう……。……叩き潰すんじゃなくて優しく、でも力強く……踏みつける……。……そうすれば、あなたと私の……グルテンが……」
リリィの殺気が、純粋な調理欲求へと変換されていく。メイスを捨て、彼女はうっとりとした表情でワイを見つめた。
「……ねぇ、あなた。……今すぐ、そこで横になって……? ……私が、あなたの三段腹を……一晩中、優しく踏んで……最高のコシを出してあげるから……」
「それはそれで拷問やけど、メイスで粉砕されるよりはマシや!!」
かくして、リリィの心中暴走モードがうどん職人モードへとスライドしたことで、戦場に平和(?)が訪れた。
粉プンプン男はワイのレスバに感動し、自らギルドへ出頭することを決意。
「……アンタのコシの理論、痺れたぜ。俺はもう一度、香川の空を思い出して一から粉をやり直してみるよ。……粉プンプン」
「おう、次会う時は、せめてうどんの出汁くらいの善意を撒き散らしてくれや」
こうして、メテンの裏通りを震撼させた不審者事件はなんJ民の屁理屈によって幕を閉じた。
ワイの手元には報酬のシルバー1,500枚が入った革袋。背後には「早く横になって、踏ませて……」と涎を垂らすリリィ。 そして一方には、「キミ、いい茹で加減になりそうね」と鍋に火をかけようとするカミラ。
「……勝った。……勝ったけど、ワイの平穏な生活はどこにあるんや……?」
ワイは黄色い手で、重くなったシルバーの袋を握りしめた。一宿一飯のポテトを求めて。ワイの冒険は、まだ始まったばかり(というかまだ一軒目の宿にも着いていない)や。




