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第15話:六魔女

  そこは地図上のどこにも存在せず、歴史の教科書にも一行たりとも記されることのない、概念の狭間に浮かぶ忘却の庭。空には数万年前に砕け散ったまま時間が停止した月が、銀色の破片を撒き散らした状態で凍りついている。地平線の彼方まで続くのは生者の吐息を吸って青白く発光する彼岸花の海だ。


 その庭の中央、理の執行を司る漆黒の円卓。空間が音もなく裂け境界の魔女、ダースが戻ってきた。


「……ふん。期待値だの何だのと耳障りな生き物だったよ、あいつは」


 ダースは黒いドレスの裾を翻し、忌々しげに言い放った。彼女の漆黒のブーツにはつい先ほどステップセーボーの爆心地で蹴り飛ばした黄色い何かの感触がドブの泥と共に生々しくこびり付いている。


 彼女が境界の力を使い、あの異物(なんJ民)を転移させなければ、今頃ステップセーボーは聖女と精霊の愛の特異点となり、物理法則そのものが崩壊していたはずだった。


「あらあ、ダース。どこへ行ってたのかしらあ? 会議の途中でふらっといなくなるなんて、相変わらず自由ねえ」


 円卓の主座。長く伸びた吸い口からシーシャをゆったりと燻らせながら声をかけたのは予知の魔女だ。おっとりとした微笑みを浮かべ、緩やかに瞬きをしながらプハァ、と甘いリンゴの香りが混じった煙を吐き出す。彼女の吐き出す煙はこの庭に漂う運命の霧そのものであり、常に未来の可能性を映し出していた。


「……別に。少し、観測対象に刺激を与えてきただけさ。あのまま聖女に消されるのはボクの退屈に反するからね」


 ダースはぶっきらぼうに重厚な黒檀の椅子に座り、自らの身の丈を超えるほどの大鎌を乱暴に円卓へ立てかけた。


「刺激? ふふ、ダース、アンタも好きだねェ!!」


 勢いよく身を乗り出し、ジャラジャラと派手な金の装飾品を鳴らしたのは紫の魔女、ヘルゥだ。パンクな意匠のローブを纏い、瞳には獲物を狙う猛獣のような活力が溢れている。


「アタイ、聞いたよ! あのンゴンゴをレスバだか何だかで心不全にしたって話! 最高じゃない! アタイたちの調律(お掃除)なんてクソ喰らえって感じの暴れっぷり、アタイ、嫌いじゃないよ! ギャハハ!」


「ヘルゥ、少し静かに。唾が飛んでいます。非常に非論理的です」


 眼鏡のブリッジを中指で神経質に押し上げ、寸分の狂いもない正確な動作で手帳に筆を走らせるのは幻惑の魔女、シトだ。背筋を真っ直ぐに伸ばし、髪の一筋まで完璧に整えられたこの円卓で最も秩序を重んじる堅物である。


「ダースの独断は後で糾弾するとして……予知。報告の続きを。王国最大の切り札である聖女リリィが計画から完全に逸脱しました。彼女の武力は世界の驚異となる存在を排除するための重要な定数パラメータのはず。それが一介のクズに惑わされるなど、看過できません。これはもはや世界の演算ミスです」


「そうねえ……。困ったわねえ……」


 予知の魔女は、シーシャの吸い口を細い指先で弄びながらふんわりとした口調で続けた。


「本来、聖女リリィはあの辺境の村で竜王(ドラゴンロード)であるンゴンゴと相打ちになる運命だった。その死をもって私たちはンゴンゴという強大すぎる脅威と、聖女という世界のバランスを崩しかねない過剰な抑止力を同時に片付けるはずだったわ。……でも、私の予知があのなんJ民という存在に触れた瞬間、すべてが真っ白になってしまったの」


 彼女は再び煙を深く吸い込み、空中に浮かぶ運命の糸を指で弾いた。


「あの子には魔力が全くないわ。……いいえ、存在そのものが私の編む運命の波長を完全に打ち消す逆相アンチの性質を持っているの。あんな化け物、この世界の理には存在し得ない。……魔力を隠しているんじゃない、存在そのものが世界のエラーコード。だから私の予知にもかからない……化け物級の異常個体なのよ」


「エラー! 最高じゃん! アタイ、そういうの大好き!」


 ヘルゥが卓を叩いて笑うが、シトの表情は険しくなる一方だった。


「……エラーなどという言葉で片付けるには被害が大きすぎます。聖女リリィは今やなんJ民に執着し、大陸を更地にしてでも追いかける恋する破壊神へと変貌した。精霊カミラも同じ。世界を護るためのシステムがなんJ民一人を奪い合うために暴走し、都市一つが物理的に消滅したのですよ? これを放置するなど論理が崩壊しています」


「シトの言う通りだね」  


 ダースが冷たい目で、自らの鎌の刃を指でなぞった。


「ボクが転移させたのはあくまで面白そうな見世物を長引かせるためだ。だが、あいつの存在が世界の壁を削り始めているのは事実。そろそろ、あいつの首を刈り取って本来の静寂(退屈)に戻すべきかもしれない」


 シトが深く頷く。


「結論は出ましたね。秩序を乱す不純物は迅速に排除すべきです。幸い、ダースが奴を転移させたことでリリィとの距離は一時的に開いた。今この瞬間に抹殺するのが最もコストの低い解決策です。……白の魔女は鏡面世界に引きこもっていますが、任務中の茨の魔女、ローズを呼び戻せば捕捉から処刑まで一分もかからないでしょう」


 シトの手帳が抹殺の断罪を下すかのようにパタンと閉じられた。しかし、その決定を遮るように予知の魔女が再びゆったりと、甘い煙を吐き出した。


「あら、シト……。そんなに急いじゃ、つまらないわあ……」


 会議の空気は一気に凍りついた。予知の魔女の瞳の奥で無数の未知の可能性が渦巻いていた。


「……シト。あんたの言うことはいつだって正しくて、いつだって……ひどく退屈」


 予知の魔女が吐き出したシーシャの煙が円卓の上で渦を巻き、シトの目の前で「なんJ民がドブネズミのように下水を泳ぐ姿」を映し出した。そのあまりにも無様で卑屈で、それでいて生命力だけは異常な姿に円卓の空気が一瞬だけ弛緩する。


「この子はね、世界の理に従って生きようなんて一ミリも思っていない。ただ、自分の期待値とやらが満たされるためだけに聖女の愛を裏切り、精霊の慈悲を泥で汚し、ポテト一本のために歴史を書き換えてしまう。……こんなに予測不能な空白、何年ぶりの娯楽かしら」


「娯楽? 予知、貴女は世界の均衡よりも一時の愉悦を優先すると言うのですか!?」


 シトが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。彼女の眼鏡の奥で、魔力が青白く放電していた。


「そうです。世界はシステムであり、私たちはその保守要員。バグを見つければ修正するのが当然の論理ロジックです! 放置すれば、いずれ世界そのものが致命的なクラッシュを起こします!」


「いいじゃん、クラッシュ! 最高にロックじゃん!」


 紫の魔女ヘルゥがジャラジャラと派手な金の腕輪を鳴らして笑い飛ばす。


「アタイは予知に賛成だね! あのなんJ民、予知で決まっていた悲劇のシナリオを全部レスバで粉砕しちまうんだぜ? そんな奴速攻で消しちまうのはもったいなさすぎるよ!」


「……ボクも。あいつが絶望に染まる瞬間をもう少し特等席で見たいかな」  


 ダースも鎌の柄を指で叩き、静かな同意を示した。


 三対一。白の魔女は鏡面世界から沈黙を貫き、議論に参加すらしていない。この場の決定こそが世界の総意となる。


「……信じられない。……非論理、非生産、非効率の極みです……」  


 幻惑の魔女シトは握りしめた手帳をワナワナと震わせながら、敗北を認めるように深く椅子に座り直した。


「あらあら、それじゃあ決まりね」  


 予知の魔女が満足げにシーシャの煙を深く吸い込み、再び吐き出した。


「六魔女の総意として、あの黄色いエラー個体を──最優先監視対象に認定する。……殺害も、救済も禁止。ただ、あの子がこの世界をどこまで滅茶苦茶にするか最前列で記録し続けましょう」


「で、誰がその監視(おもり)をやるんだい? アタイは嫌だよ。あんな臭そうなカエルのそばにいるのは」  


 紫の魔女ヘルゥが露骨に嫌な顔をする。


「ふふふ、適任がいるじゃない。……茨の魔女、ローズ。彼女ならどれだけ荒れた戦場でも、どれだけ過酷な環境でも、任務を完遂してくれる」


「ローズ……。ああ、あの子、確か今は北方の魔獣領で七十二時間連続の調律任務もといお掃除に就いていたはずですが」  


 シトが事務的に手帳を捲る。


「ちょうどいいわ。その仕事が終わったら、そのままあの子の監視に向かわせましょう。……残業代? ふふ、私の慈悲という名の飴玉を一つ、伝令に添えておくわ」








 同時刻、大陸北方──猛吹雪が吹き荒れる極寒の荒野。血のように赤い薔薇の蔓を全身に纏い、自分の身長ほどもある巨大なハサミを杖代わりに一人の少女が立っていた。


 茨の魔女、ローズ。彼女の目の下には数週間に及ぶ不眠不休の労働が刻んだ深いくまがあり、その瞳は光を失って濁りきっていた。


「……やっと、終わった。……これでやっと寝られる。布団。……私は太陽の匂いがする布団で、一万年くらい眠るんだ……」


 彼女が血に濡れたハサミを鞘に収めようとしたその瞬間。空中に予知の魔女の紋章を刻んだ、黄金の緊急魔導伝令(至急メール)が展開された。


『ローズ、お疲れ様。次の任務。黄色い異常個体の監視(24時間体制・無期限・殺害厳禁)。場所は南方の街道付近。頑張ってね。追伸:これは強制』


 ……パキ。


 ローズの中で、何かが折れる音がした。


「……監視? ……無期限? ……殺害、厳禁……?」


 彼女の背後から血のような薔薇の棘が、怒りと絶望に呼応して猛烈な勢いで増殖し始める。


「……ふざけるなよ。……私を……私を過労死させる気か、あのクソババアたちは……!!」


 ローズは怒りに任せてハサミを地面に叩きつけようとしたがそれすら体力の無駄だと気づき、深く、深くため息をついた。


「……南方。ここから何百キロあると思ってんの。……転移門もなし、飛行魔法もなし。……この足で行けってこと? ……嫌がらせにも程がある」


 ローズの魔術は茨による拘束と抽出に特化している。敵を捕らえ、魔力を吸い取り、動けなくすることに関しては右に出る者はいないが派手な攻撃魔法や便利な移動魔法など持ち合わせていない。


 彼女は雪深い山道を巨大なハサミを杖にして一歩一歩、徒歩で下り始めた。


「……膝、痛い。……魔女の仕事に労災とかないのかな。……あー、寒い。死ぬ」


 山を降りたところで彼女はようやく一台のボロい乗合馬車を捕まえた。家畜の匂いと見知らぬ商人のいびきが充満する劣悪な環境。しかし、今の彼女にはそれすら極上のラウンジに思えた。


「……すみません。……南の街道まで。……ええ、寝かせてください。……揺らさないで。……あ、無理か。馬車だし」


 ガタゴトと揺れる馬車の中でローズは浅い眠りに落ちては悪夢にうなされて飛び起きた。夢の中では予知の魔女が笑顔で「残業よ」と囁き、巨大なカエルが自分の有給休暇をポテトのように貪り食っていた。


「……はっ! ……夢か。……最悪。……起きてる方がマシかも」


 馬車の乗り継ぎに失敗し、数日間も歩き続けた彼女の靴はボロボロになり自慢の赤い薔薇の蔓も、排ガスと泥にまみれて茶色く変色していた。


「……あー、もう無理。……あいつを見つけたら、まずは茨でぐるぐる巻きにして……一歩も動けないようにしてやる。……そうすれば、私は座ったまま監視できるもん。……効率。……仕事は、効率だ……」






 一方、ダースによって適当な街道脇に放り出されたワイはローズが不眠不休で泥臭い移動を続けていることなど露知らず、地面を這っていた。


「……ハァ……ハァ……。ここはどこや。……ステップセーボーからどんだけ飛ばされたんや。www 周りに誰もおらへんし、静かなのはええけど……。とにかく、何か……何か食い物を……」


 ワイは震える手で地面に落ちていた誰かが食べ残したカチカチのポテトの端っこを拾い上げ、涙を流しながら口に運ぼうとした。


「……お、……期待値きたあああ!! www これ、ちょっと砂利ついとるけど、間違いなくジャガイモや!! www 揚げてから三日は経っとる熟成具合やけど今のワイには最高のご馳走やで!! www」


 ワイは泥まみれのポテトを必死に貪りながら、空を見上げた。


「……リリィさんもおらん。カミラさんもおらん。……これ、もしかしてワイ、ついに自由を手に入れたんか? www ここからワイの、真の英雄伝説が始まるんやあああ!! www」


 その遥か後方。街道の先から泥まみれのローブを翻し、怨念のようなオーラを纏って一歩一歩近づいてくる限界突破した少女の影にワイはまだ気づいていなかった。


「……許さない。……私の、安眠を奪った……バグ」


 地平線の向こうから、巨大なハサミの引きずる音が、不気味に響き始めていた。

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