第13話:【恐怖】地雷vsメンヘラ
メテンから続く荒野の夜はあまりにも長かった。月光すら届かない深い闇の中、一匹の黄色いカエルは己の生存本能をすべて脚の屈伸に注ぎ込んでいた。
「ハァ……ハァ……カミラさん……もう無理や……。夜中ずっと走りっぱなしとか、ブラック企業でももうちょっと休憩入れるぞwww ワイ、心臓が爆発しそうなんや……!!」
ワイは泥と草の汁にまみれ、湿った地面にひっくり返った。だが、その頭上を優雅に浮遊する水の精霊カミラは表情一つ変えずに冷たい霧を吹きかける。
「ダメよ、キミ。足を止めればそこがキミの墓場になるわ。リリィの気配が夜の冷気に混じってどんどん濃くなっている……。彼女、私たちが残した魔力の残り香を執念だけで手繰り寄せているみたい。……夜明けまであと数時間。それまでにステップセーボーの守護結界の内側に入らなければキミは彼女の愛で永遠の眠りにつくことになるわよ?」
「ヒエッ……! 魔力の残り香を手繰るって、あいつは警察犬か何かなんか!? www 期待値の計算にヤンデレの嗅覚なんてパラメーター入れてへんぞ!!」
ワイは悲鳴を上げながら再び短い手足を動かし始めた。カミラはまるでおもちゃを散歩させる子供のような残酷な笑みを浮かべ、ワイの周囲を漂う。彼女にとってリリィという競争相手がいないこの密室のような夜の時間は、ワイを自分好みに調教する絶好の機会だった。
「ねぇ、キミ。……ステップセーボーに着いたら、まずはキミを神聖なる大水路で清めてあげるわね。キミのその汚い泥も、メテンで染み付いたギャンブルの悪臭も、全部洗い流して……私の純粋な魔力だけで満たしてあげる」
「……あ、ありがたい話やけど。……それ、洗うだけやんな? 溺死させたり、水槽に閉じ込めたりせえへんよな?」
カミラはワイの耳元で氷のように冷たい吐息を吐きかけた。
「あら。水槽が嫌なら、もっと広い場所……そうね、街全体を流れる大運河そのものがキミの家になればいいじゃない。……私の加護を与えてキミが一生水の中から出られないように、その可愛い足の間にヒレを作ってあげる。……そうすれば、キミは陸の上でリリィに怯えることも借金取りに追われることもなくなる。……完璧な救済だと思わない?」
「アカン!! それ、救済やなくて種族変更(強制)やんけ!! www ワイは両生類や! 陸でポテトを食う権利を放棄するつもりはないぞ!! www」
「ふふ。ポテト? ……水の中でも私がふやけたジャガイモを毎日口に運んであげるわよ。キミはただ、私の水の中で私だけを見上げて呼吸していればいいの……」
カミラの支配欲はリリィの暴力的な独占欲とは異なり、静かに、そして逃げ場を塞ぐように浸透してくる。ワイはこのままステップセーボーへ行くことがより高度な監禁への招待状であることに気づき、背筋を凍らせた。
東の空が白み始め、夜のカーテンがゆっくりと引き剥がされていく。地平線の向こう側にようやく水の都ステップセーボーの白い城壁と朝日に照らされて回る無数の巨大な水車が見え始めた。
「……着いた……。ようやく、街や……。明け方までなんとか逃げ切ったわ……。あそこに入れば、流石の借金取りもリリィさんも……」
ワイが安堵の息を漏らした瞬間。遥か後方、自分たちが夜通し駆け抜けてきた荒野からドォォォォォォォォン!!という、地形そのものが爆発したかのような轟音が響いた。
「な、なんや!? 隕石か!? www 誰か禁呪でも唱えたんか!?」
ワイが振り返ると、そこには砂煙を突き抜け真っ赤なオーラを纏って超高速で接近してくる一つの人影があった。
「……あ……な……たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
リリィだ。彼女は移動手段として自分の足元を魔力で爆破し、その反動で砲弾のように跳ぶという、もはや人間であることを放棄した走法を確立していた。
「ヒィィィィッ!! www 人間大砲リリィさん爆誕やあああ!! www 設定、壊れるぅぅぅぅ!!」
「あらあら、しつこいわね。キミ、急ぎましょう」
カミラが不快げに眉をひそめ、両手を広げる。
「街の入り口にある神聖跳ね橋まで行けば、私の独壇場よ。あそこの水流を操って彼女を奈落の底まで流してあげるわ」
朝霧が立ち込めるステップセーボーの門前。巨大な運河に架かる跳ね橋。ワイは短い足を千切れんばかりに動かして石造りの橋へと飛び込んだ。
「ハァ……ハァ……! 門番さん、開けて! 伝説の賢者が後ろから来る爆走サイコパスに殺されそうなんや!! www」
門番が驚愕する中、カミラが跳ね橋の上で巨大な水の防壁を展開する。そして、その数秒後。
ズガァァァァァァァァン!!
着弾。リリィのメイスが水の防壁に激突し、周囲に猛烈な蒸気が吹き荒れる。
「……離して。……私のあなたを、その不潔な水で汚さないで……!! あなた、今助けてあげるわ。この壁を壊してそのまま一緒に誰もいない暗闇へ堕ちましょう……?」
「……消えなさい、出来損ないの聖女。……この子は私の清らかな水の中で余生を過ごすのよ。……キミ、もう逃げられないわ。ここは私の領域よ」
朝日の輝く橋の上で睨み合う、水の精霊とヤンデレ聖女。その間に挟まれ、蒸気で蒸しガエルになりかけているワイ。
「……アカン。朝一番から街が戦場になって草も生えないわ。www 誰か……誰かワイに、借金も、心中も、水槽もない、揚げたてポテトのある平和な世界を……!!」
ステップセーボーの門前で、ワイの新しい地獄の幕が華々しく(?)上がろうとしていた。
ステップセーボーの跳ね橋。朝日が運河の水をキラキラと輝かせる本来なら美しいはずの夜明け。だが、その静寂は時速100キロを超えて着弾した聖女という名の弾丸によって粉砕された。
ズガァァァァァァァァン!!
リリィのメイス聖葬がカミラの水壁に叩きつけられ、衝撃波で運河の魚たちが一斉に腹を見せて浮き上がる。
「……離して。……私のあなたに、触らないで。……その汚い魔力の水で、あなたを薄めないで……!!」
リリィの瞳は完全に濁り、網膜には血管が愛の形を描くように浮き出ている。彼女の足元からは聖なる魔力が黒ずんだ炎のように噴き出し周囲の石畳をドロドロに溶かしていく。
「あら、相変わらず話が通じないわね。……この子は私の所有物よ、出来損ないの聖女。……これ以上、私の水域を汚すならその騒がしい心臓を氷の杭で止めてあげる」
カミラが静かに指を弾く。その瞬間、運河の水が重力を無視して逆流し数百本の鋭利な水槍へと姿を変えた。
「ヒエエエエ!! 始まったああああ!! www ワイ、この二人の真ん中におるんやけど! 判定の広すぎる範囲攻撃に巻き込まれて死ぬわ!! 期待値の計算に世界崩壊は入れてへんぞ!! www」
カミラの水槍が一斉に放たれる。一本一本が岩石を貫通する威力を持ち、音速を超えてリリィを襲う。だが、リリィはそれを避けようともしない。
「……邪魔よ。……私たちの再会を、邪魔しないでぇぇ!!」
リリィがメイスを横一文字に振るうと黄金色の衝撃波が扇状に広がり、迫りくる水槍を次々と蒸発させていく。ジュゥゥゥゥ!! という、耳を刺すような爆鳴。跳ね橋の上は一瞬にして100℃を超える過熱蒸気で満たされ、ワイの黄色い皮膚は早くも茹でガエル一歩手前のピンク色に染まり始めた。
「アチチチチ!! www ワイが蒸し料理にされてまう!! 誰か冷房……いや、カミラさんの冷水をワイだけにくれ!!」
「いいわ。キミはそのまま私の水の球の中で眠っていなさい」
カミラがワイを水の球体で包み込み後方へ隔離しようとする。だが、リリィはそれを見逃さなかった。
「……逃がさない。……あなたを、その球体の中に閉じ込めて連れ去るつもり!? ……許さない、そんなの許さないわ!! 聖術第九位──【断罪の光柱】!!」
天から降り注いだのは太さ三メートルを超える極大の光の柱。それはカミラに向けられたものではなく、ワイを包んでいた水の球ごと橋を分断するために放たれたものだった。
ドォォォォォォォォン!!
衝撃で跳ね橋が真ん中からへし折れ、ワイは水の球ごと運河へと落下する。
「ギャアアア!! 自由落下の期待値100%!! www 助けてカミラさん! もしくはリリィさん、優しくキャッチして!! www」
運河へ叩きつけられたワイ。だが、水面下でも死闘は続いていた。カミラが運河そのものと同化し、巨大な水の渦となってリリィを飲み込もうとする。
「……私の水域で陸の聖女が何を見せられると思っているの? ……死になさい。キミとの時間は私だけで十分なのよ」
渦の中から無数の水の腕が伸び、リリィの四肢を絡め取る。水圧は数千トン。常人なら肉片すら残らず押しつぶされる圧力だが、リリィは水中で無理やり口を開き、血の混じった魔力を吐き出した。
「……ごぼっ……! ……離して……!! あなたが、あんなに苦しそうに溺れているのに……!! ……今、今、その悪い水を全部浄化してあげるから……!!」
リリィの全身から、眩いばかりの白色光が放たれる。それは単なる光ではない。触れる水すべてを瞬時に沸騰・気化させる、狂気的な神聖浄化熱だ。
運河の水がブクブクと泡立ち、巨大なケトルの中で煮込まれているような状態になる。
「アカン!! www 水底にいても茹でられるとか、ワイの生存フラグが完全に折れたわ!! www 精霊さんも聖女さんも攻撃のスケールが大きすぎて草も生えない!!」
ワイは水の球の中で洗濯機に放り込まれた靴下のように回転しながら、二人の女がワイという名の縄を両端から10トンの力で引き合っている恐怖を実感していた。
激闘は数分……いや、体感的には数時間に感じられた。門番たちはとっくに逃げ出し、ステップセーボーの堅牢な城壁はリリィの爆発とカミラの津波によって、ボロボロに削り取られていた。
「……はぁ、はぁ……。……しぶといわね。精霊のくせに、なんでそんなに私を邪魔するの……?」
リリィは水面から這い上がり、崩れた橋の残骸に立っていた。衣服は裂け、聖女の面影はない。あるのは愛に呪われた一人の女の形相。
「……それは私のセリフよ。……キミのその歪んだ愛が私の美しい水の調和を乱す。……これ以上続けるなら、この街の運河をすべて凍らせてキミを永遠の氷像にしてあげる」
カミラもまた、その青い肌にヒビのような魔力消費の跡が見え始めていた。二人の睨み合い。その中心でぷかぷかと水面に浮き、白目を剥いている黄色いカエル。
「……おい。……ワイ、もう死んでもええか? www これ以上の期待値を追うのは、なんJ民のメンタルでは耐えられへんわ……」
だが、その時。二人の戦いが生み出した魔力の嵐に引き寄せられるように、ステップセーボーの奥から街の防衛システムである自動警備ゴーレムたちが一斉に姿を現した。
「……チッ。余計な邪魔が入ったわね」
「……ああ。……あなたの元へ行く邪魔をするなら、この街ごと消し飛ばすしかないわね……」
カミラとリリィの視線が同時に街のゴーレム軍団へと向けられる。それは、ステップセーボーという都市にとってこの世で最も不運な最悪のフラグが立った瞬間だった。
「ヒエエエエ!! www 二人が共闘……いや、八当たりを始めたぞ!! www 街の期待値が一気に廃墟へ突き抜けたあああ!!」
ワイは崩れゆく城壁の隙間から、なんとかステップセーボーの街中へと転がり込んだ。背後では二人の怪物の叫び声が街を物理的に解体し始めていた。




