第10話:騎士団長の憂鬱
王都エンテルエンウ、第一王立聖騎士団本部の最上階。重厚な黒檀の扉で閉ざされた団長室は、今や戦時下をも凌ぐ緊張感に包まれていた。窓の外には平和な王都の街並みが広がっているが、室内の温度は氷点下まで下がったかのような錯覚を覚えさせる。
第一王立聖騎士団団長、ガウェイン・フォン・ブラストは、大理石の机に両手を突き、血走った目で報告書を凝視していた。その背後に控えるのは王国一の才女と謳われる副団長、ルナリス・ヴィ・アストレア。彼女の指先は報告書を持つ端から白く強張っている。
「……ルナリス。確認だがこれは歴史の教科書に記された書き間違いではないな? 焔竜ンゴンゴ……。かつて我がレイセント王国の最強戦士と謳われた、あの初代剣聖アルフレッドが己の命を燃やし尽くし、相打ちに近い形でようやく封印したとされるあの神話級の怪物」
「……はい。我が国の騎士道の根源であり、最強の象徴でもあったアルフレッド様がその命と引き換えに眠りにつかせた絶対的な死の象徴。それが焔竜ンゴンゴです。数百年の間、我々はその眠りを妨げぬよう細心の注意を払ってきました。しかし、焔竜ンゴンゴは完全に復活してしまいました」
ガウェインは自身の金色の髭を握り潰さんばかりの力で毟った。
「我々は、あの情緒不安定な厄介者、もといリリィをその死の象徴とぶつけることで、国家的な厄介払い……いわば、最高級のゴミ処理を行おうとしたのだ。リリィの狂気とンゴンゴの獄炎。両者が相打ちとなり、跡形もなく消滅することを王宮の全閣僚が神に祈っていた。……だが、届いた報告は神への冒涜と言わざるを得ない。我々の最強の戦死者という神話が今、根底から崩れようとしているのだ」
「はい……。ンゴンゴは討伐されました。しかし、アルフレッド様のような英雄的な決闘の果てではありません。もっと……言語化することすら憚られ、不条理な暴力によってです」
「……例のカエルか」
ルナリスは魔法投影を起動した。映し出されたのは数千年の誇りごと首を折られ泥の中に沈んだ焔竜ンゴンゴの巨大な遺骸。そしてその鼻先にふてぶてしい態度で腰を下ろしている一匹のどこにでもいるような黄色いデブカエルの姿だった。
「……団長、これがンゴンゴを自殺に追い込んだ張本人……カエルです。外見上の特徴はどこにでもいる黄色いカエル。しかし、その内実は存在そのものが我が国の歴史への泥掛けと言えるほどに醜悪です」
「……このカエルが……? あの剣聖アルフレッドが命を懸けた強敵を、どうやって……?」
「武力ではありません。精神干渉……いえ、彼らの言語で煽りと呼ばれる謎の権能です。偵察隊の魔法使いが命がけで傍受したログによれば、このカエルは竜王の目前でこう言い放ったとのことです」
ルナリスは、騎士としての矜持を必死に保ちながら、震える声で報告書を読み上げた。
「カエル曰く……【お前、もう喋るな。息が臭いねん。さっきのブレスより、お前の口臭の方がよっぽど公害やぞ。自覚しろや。お前がそこに存在しとるだけで、この世界の偏差値が下がるんや。はよ削除されろや、この害獣】。……この発言を受けた瞬間、誇り高き竜王ンゴンゴは怒りと屈辱で魔力回路がショート。精神崩壊して絶命したとのことです」
ガウェインは椅子に深く身を沈め天を仰いだ。
「最強戦士の尊い犠牲が……我々の誇る騎士道の歴史が……たった一匹のカエルの謎の文字列によってゴミ同然に上書きされたというのか……」
「深刻なのはそれだけではありません。あの情緒不安定で制御不能な戦略兵器こと、リリィがこのカエルに対してだけはかつての上官にも見せなかった異常な依存を見せています。彼女は今、このカエルのために心中用の特製祭壇をメテンの広場に設営しようとしており、さらには水の精霊カミラまでもがこのカエルを愛玩動物として独占し神聖な水を浪費しています」
「リリィ、カミラ、そしてカエルか……。この三者が揃った今、奴らはこの王国を丸ごと一つ、滅ぼせるほどの力を有している。……もし奴らがこのまま王都へ進軍してきたら、我々騎士団は戦う前に、奴の発する謎の言語弾幕にさらされ騎士の誇りを維持できなくなるだろう」
ガウェインは、机の上の重厚な地図を睨みつけた。
「……だがルナリス、奴らの現在の動向はどうなっている? まさか、そのまま王都へ向かっているのか?」
「……それが、極めて不可解です。先ほど入った緊急連絡によれば、あの黄色いカエルはメテンでの不審者捕縛の報酬として得た1,500シルバーを……カジノで全額溶かしたそうです。わずか数分でルーレットの赤に全ツッパし、消滅。現在はメテンの裏通りでジャガイモの皮を拾って食べているという目撃情報が上がっています」
「………………理解できん。……かつての最強戦士を超えた実力を持つ賢者がなぜ1,500シルバー如きで破滅し、ゴミを漁っているのだ?」
「僭越ながら私の考えを申し上げますと恐らく、無能に見せかけているだけかと。己を限りなく無価値なクズに見せることでこちらの警戒心を解き、王国の中心部へ深々と入り込む……。実に狡猾な、いわば死んだふりの戦術です。あるいは……ギャンブルという人間の業すらも、彼にとっては期待値という概念上の遊戯に過ぎないのかもしれません」
ガウェインは決断を下すべく立ち上がった。その顔には軍事最高責任者としての苦悩と、騎士としての矜持を捨てる者の悲哀が混ざり合っていた。
「……ルナリス。我々は、現実を認めなければならん。あのカエルを敵に回せば、物理的な被害以上に王国の尊厳が完全に破壊される。奴に煽られながら滅びるなど、建国以来の汚点だ。たとえ歴史を歪めてでも、奴を我々の側に引き入れるしかない」
「では、いかにされますか?」
「……屈辱だが、背に腹は代えられん。奴を王国が密かに招聘した伝説の黄色き賢者として公式記録に記載しろ。リリィの追放も、最強の賢者をサポートするための極秘任務であったと歴史を書き換えるのだ。剣聖アルフレッドの伝説にこのカエルの存在を無理やり捻じ込め。例えば……アルフレッドの剣に、黄色き賢者の祝福があったという風にな」
ガウェインは、震える手で印章を握りしめた。
「直ちに特使を編成しろ。名目は祝賀、実態は徹底的な餌付けだ。王立農園から最高級の、それこそ貴族の晩餐に出されるような極上のジャガイモを用意させろ。それを奴の好むフライドポテトという形状に調理し、奴の食欲と承認欲求を完全に麻痺させるのだ。……これは戦争なのだ。奴をポテトの油で沈没させ、王都の秩序を守り抜け!!」
「公式の碑文は、いかがいたしましょう?」
「……黄色き賢者、ンゴンゴを無力化し王国に永遠の草を植えん。これを王都の広場に刻め。奴がその文字を見て、wwwと笑っている間に、我々は奴を王国の守護神という檻に閉じ込めるのだ。最も、王や貴族どもが納得するとは思えんがな」
一方その頃、メテンの裏通り。そんな騎士団長の策謀など露知らず、ワイは黄色い腹を鳴らしながらリリィと拾った腐ったポテトの所有権を巡って、ドロドロのレスバ(物理)を繰り広げていた。
「アカン……。ンゴンゴに勝っても、ギャンブルと空腹には勝てへんのがこの世の真理なんや……。リリィさん、その皮の半分はワイの権利(生存権)やぞ!!」
「……だめよ、あなた。……お腹を空かせたまま、心中したほうが……より美しく果てられるわ……。さぁ、一緒に飢えましょう……?」
レイセント王国の運命は今、一枚のジャガイモの皮と一匹のクズカエルの胃袋に委ねられていた。




