影の冠
地下へ続く階段は、異様に暗かった。
非常灯は割れ、赤い光が壁を這うように揺れている。
湿った空気が肌にまとわりつき、足音が不自然に反響した。
剣の冠は迷いなく先頭を走る。
かなりのスピードで駆けて行くが、疲れた様子もなくスピードが落ちない。
「おい新入り! まだ読めるか!」
振り返らずに叫ぶ。
「……はい!」
湊は必死に視線を走らせる。
現実の景色の裏側で、文字が蠢いていた。
《侵:深化》
《歪:拡張》
《位置:下層――奥地》
「……もう、かなり深いとこにいます!」
「上等!」
剣の冠は笑った。
その背中は、恐怖を知らない。
だが――
次の瞬間。
剣の冠が、急停止した。
「……?」
慣性で、湊はぶつかりそうになる。
階段の先。
通路の中央。
何も、いない。
妖の気配も、音もなくなった。
「……消えた?」
ひよりが小さく呟く。
澪が、即座に状況を見渡す。
「違う。これは――」
言い切る前に。
「止まって」
低い声が、背後から聞こえた。
誰も気配を感じなかったはずの位置。
いつの間にか、そこに人影が立っている。
黒い服。
輪郭が、背景に溶けている。
剣の冠が、人影に話しかける。多分この人が影の冠。
「地下を見てきたのか、影」
影の冠は、湊を一瞥した。
――視線が、鋭い。
「お前が字の冠だな」
張り詰めた空気を感じる。
湊は、息を詰めた。
「……はい」
「さっきから、歪みの動きが変わった。こっちの動きを、読まれてる」
影の冠は、床を指差す。
「囮だ。妖はもう、地下にいない」
その瞬間。
湊の視界が、強く歪んだ。
《侵:転位》
《標的:後方》
《意図:分断》
「……っ!」
反射的に叫ぶ。
「後ろです!!ひよりさん、澪さん!!」
――遅かった。
天井が、砕けた。
黒い影が、落ちてくる。
「ひより!!」
剣の冠が、即座に方向転換する。
間に合わない!
だが――
影が、影を斬った。
気づいた時には、影の冠はもう動いていた。
音もなく跳躍し、落下してくる妖の核だけを正確に貫く。
妖は、声を上げる間もなく崩れ落ちた。
静寂。
粉塵が、ゆっくりと落ちる。
「……」
剣の冠が、目を見開く。
「相変わらず、汚ねえ仕事しやがる。気づいてただろ、影」
「一人で動いた方が早いから」
影の冠は、淡々と返す。
湊は、呆然としていた。
――見えなかった。
文字が現れる前に、終わっていた。
影の冠が、こちらを見る。
「勘違いするな」
静かな声。
「お前の情報がなけりゃ、妖が形を成す前に囮なんて用意するなんて気づけなかった」
その言葉に、胸が震えた。
剣の冠が、がはっと笑う。
「いいじゃねえか!これで連携が強化されたな!」
ひよりが、ほっと息を吐く。
「ほんと、連携って大事〜……」
澪が、場を締める。
「これが、五冠の形」
そして、湊を見る。
「字の冠。君がいなければ、今のはひよりが怪我してた。初現場で上出来よ」
「ほんとありがとね、湊くん!」
湊は、ゆっくりと拳を握った。
妖との対峙は恐ろしいが…
確かに――ここに居場所がある。
「よかったです…お役に立てて」
「命救ってるのだから、もっと自信持って!」
ひよりの言葉をきっかけに他の冠からも温かい言葉がかけられる。
心があったかくなっていると影の冠が、踵を返す。
「自己紹介は、帰ってからだ」
「だな!」
剣の冠が、刃を肩に担ぐ。
「帰ろうぜ、新入り。新しい仲間を歓迎するぜ」
その背中を見ながら、湊は思った。
――戦えなくてもいい。
――前に出られなくてもいい。
読むことで、世界は救える。
それが、字の冠の戦い方なのだと。




