悪夢の破れ目
あぁ、そうか。
これは、夢だ。
僕は、夢を見ている。
記憶の景色を。
過去の僕自身を。
いつもの悪夢を――。
僕の意識の始まりは、暗がりから始まった。
地下祭儀場らしき場所に設置された祭壇の上に、僕の身体は裸のままで寝かされていた。
既にあった肉体の中で、生まれて初めて眠りから目覚めたという感覚。
冷え込んだ空気は感じた。
僕は身体を起こし、周りを見る。
僕が寝かされている祭壇を取り囲むようにして、黒いローブを纏った男達が跪き、頭を垂れていた。まるで祈りを捧げるように。
彼らは祭儀上の床に、天井に、中空に複数の魔法円を描き出し、何らかの呪文を朗々と唱えている。彼らの折り重なった詠唱の声が、周囲に分厚い木霊を積み上げていた。
無数に描かれた魔法円を経由して、黒ローブの男達の魔力が僕に注がれてきているのが感じられた。
寒いと思った。
僕は自分の身体を見下ろす。
裸のままの僕の腕や脚、胸や肩には、黒く禍々しい紋様が刻まれていた。
僕の体温の上に刻まれたそれらの紋様は、赤黒い明滅を伴いながら、僕の意思とは全く無関係に、注がれてくる魔力を貪欲に吸い上げている。
僕は、何者なのか――。
そんな設問が胸に浮かんで、消えた。
もしも僕が普通の赤子として産まれていたなら、何も分からず、何も意識することもなく、ただ産声を上げていたはずだった。
その泣き声で母親を求め、祝福に満ちた抱擁を求めていただろう。無力な存在でありながらも、その圧倒的な無垢さを許されていたのではないか。
エルンの町で出会った、リクのように――。
或いは、母親の胸に抱かれていた、あのモニカのように――。
生きていることを、無条件に求められていたのではないか。
生きていていいと、そう赦されていたのではないか。
だが僕は、リクや、モニカとは違った。
この夢の中ではより明確に、“違う”ということを理解できていた。
祭壇の上に座り込んでいる僕は裸のままで、頭の中にある分厚い本をめくるようにして、自分がどのような存在なのかを思った。
僕の意識が発生した瞬間から既に、僕の肉体は僕のものではなかった。教わったこともないはずの無数の言葉や知識が、僕の内部には備わっていた。
この世界の成り立ち、常識も、物理的な法則も、魔術に関する高度な理論も、思考の内部から取り出すことができた。
一切の経験がないのにも関わらず、多くの武器の取り扱い方も、鮮明な感覚として知っていた。純度の高い殺戮と、練度の高い戦闘の感覚が理解できていた。
僕の意思とは無関係に、僕の肉体には、余りにも多くのものが装填されていた。
この肉体だけが、膨大な数の人生を通過してきたかのように。或いは、無数の人生の残骸が、僕の内部に集積しているかのように。
だが、僕の思考に植え付けられた巨大な知識からは、僕自身に関わる、何らかの記憶を掬い上げることはできなかった。
僕の目覚めが、人造的な生命活動の始まりであることも、何となく察することができた。
そのことに対する混乱や恐怖、不安は無かった。勝手に進んでいく思考とは別に、目覚めたばかりの僕に感情の動きは無く、空虚だったからだ。
祭壇の上で薄ぼんやりとしたまま、僕は自分の両手を開いて、握ってみる。
掌の筋肉と骨が軋む感触と共に、僕は、僕の体温を掴んだ気がした。
それと同時に僕は、目の前にある景色から疎外されていることを強く感じていた。
祭壇の上で身を起こしたままで、僕は再び辺りを見回す。
黒いローブの男達は、呪文を唱えながら跪いている。祭儀上の薄暗がりに響く彼らの声と、彼らが編み出す複雑で大規模な魔術が、僕の肉体を活性化させている。
だが彼らの意識は、僕の肉体にのみ向けられている。
誰も、僕の肉体の内部になど――“僕自身”になど、関心を向けていない。
石で造られている祭儀場の壁や天井が、僕のことになど考慮せず、ただ冷たく其処にあるのと同じように。
そして僕もまた、彼らに対して関心を抱くことは出来ず、この場の一切に属さず、ただただ存在しているだけだった。
僕は、いったい何者なのか――……。
陳腐な設問が、空虚な胸に再び浮かんだ時だった。
「起きたか」
背後から声がした。
冷酷そうな、低く威圧的な声。
いつの間に現れたのだろう。
祭壇の上で身を起こしていた僕が振り返ると、跪いたローブの男達が左右に別れて、一人の男のために道を作っていた。
その男は象牙色のローブを目深く纏っている。
祭儀場の薄暗さのせいで、象牙色のローブの奥は深い洞穴のようだ。男の顔は見えない。
象牙色のローブの男が現れてから、祭儀場を満たしている男達の詠唱の声が、僅かに揺れているのが分かった。彼らは、この男を恐れているのだろう。
男の存在感は、この場に存在する全てを飲み込み、支配している。
ただ、その象牙色のローブの男を目の前にしても、僕は恐怖を感じてはいなかった。
その代わりに、この象牙色のローブの男なら、僕の何かを知っているのではないかという確信があった。そして僕は、僕自身について訊くべきであり、知るべきだと思った。
なぜ、僕は此処にいるのか?
なぜ、僕には経験したこともない知識があるのか?
なぜ、僕の身体には、こんな紋様が描かれているのか?
――結局のところ、僕は一体、何者なのか?
「僕は……」
「黙れ」
象牙色のローブの男は不機嫌そうに短く言って、僕の言葉を遮った。
「……魔人シリーズの最初の1体目か。だが、ここまで人間に近づけてくるとは」
僕を見下ろしていた男は、賞賛と忌々しさを混ぜたような声で小さく溢した。それから、「いいか。よく聞け」と、威圧的に、しかし厳粛に続けた。
祭儀場の空気が引き締まり、跪いている男達の間に緊張と怯えが走るのが分かった。
「お前は道具だ。魔王復活のための触媒に過ぎない」
祭壇に身を起こしている僕を見下ろし、象牙色のローブを纏った男は厳然と言い放つ。
「お前は“人形”なのだ」
「人形……」
ローブの男を見上げる僕は、口の中でその言葉を繰り返した。
人形。人の形。その言葉の意味は理解している。僕の内部には、教わっていないはずのその言葉が、すでに理解されたものとして存在している。
そうか。人形。禍々しい紋様が刻まれた自分の身体を、僕は再び見下ろしていた。
「僕は、人形……」
「そうだ。そして、魔王の魂を定着させる“器”でもある」
ローブの男は更に言葉を継ぎ足す。
「思考と自我が立ち上がってきている様子だが、お前が考えるべきことなど無い」
「僕は」
そこから先の言葉を、僕は紡ぐことが出来なかった。
象牙色のローブの男が、僕に向けて右手の掌を向け、何らかの魔術を発動させたからだ。
「お前の思考には、我々が目的を与えてやる。余計なことを考えるな」
瞬間的に、僕の頭に割れるような痛みが奔った。意識が粉々になるような、叫び出したくなる痛みだった。
僕は呻きながら両手で頭を抱え、身体を折り曲げ、視線だけでローブの男を見上げる。
男が僕に向けた掌には、複雑な形状の魔法円が展開されているのが見えた。僕は、あの魔法円を知っている。魔術式を知っている。
経験も記憶もないが、知識だけは埋め込まれていたからだ。
ローブの男の手にある、あの魔法円は――。
精神操作や改造を司る、古代の禁忌魔法だ。
「お前の存在価値も、我々が与える。お前はただ、我々に従順であればいい。お前の自我は不要だ」
男が告げる。禁忌魔法円の精神干渉が強まる。僕の内部を刻み、感情や意思に枷を嵌めるような痛みが、頭の中に鳴り響く。
僕は頭を抱え、のたうつ。獣のように呻いた。
しかし、この場から逃げ出すべく、抵抗をしようとは思わなかった。
僕に戦闘の経験は無かったが、僕の肉体は、既に様々な戦い方を知っていた。だから、このローブの男に反撃して、この頭痛を止めさせることもできる。
だが僕は、ほとんど無意識に、この痛みに屈従することを選んでいた。この苦痛こそが、僕を何者かにしてくれるのではないかと感じたからだ。
その感覚は単純で、幼稚で、思慮の欠けた予感でしかなかったし、そもそもローブの男の精神魔法が、僕の内部に齎した思考や判断だったのかもしれない。
だが、目覚めたばかりの――この世界に生まれたばかりの僕にとって、象牙のローブの男が紡ぐ言葉は、間違いなく特別だった。
僕が宿ったこの身体に向けられた、最初の、唯一の意味ある言葉だった。
僕がこの世界に存在するための手掛かりなど、他には何も無かった。
「お前は道具だ。必要な時に、必要な機能を果たすことが全てだ」
苦痛に悶える僕の姿を見下ろしながら、ローブの男は全く動じていない。呪文を唱えている他の男達もだ。
冷たい石の感触を肌に感じながら、割れそうな頭のなかで僕は思った。
この景色の中で、僕だけが疎外されていて、孤独だった。
だが、ローブの男から与えられる苦痛には、この景色と、僕を繋ぐ何かがある気がした。
僕の存在を規定し、何らかの形で、この世界に属することを許してくれるような気配があった。
掠れていく意識の中で、『お前は“人形”だ』『お前は“器”だ』という男の言葉が、激痛と共に頭に響いていた。
そうか。
僕は“人形”として、“器”として完成すべきなのだと納得した。
その完成こそが、この身体を生きる、僕自身の使命のようにも感ぜられた。
そしてこの日から、禁忌魔法による強化施術を受ける日々が始まった。
僕にはそれを拒む権利も正当性も、理由も与えられていなかった。
黒いローブを纏った男達が編み上げた肉体強化魔術は、僕の身体を強靭に鍛え、戦闘に関わる感覚を際限なく研ぎ澄ましていった。
象牙色のローブの男が1人で大編み上げる大規模な精神制御魔法は、僕の感情を抑制し、思考と意志を刻み、僕の内面に空虚さを冴え渡らせていった。
それらの施術のどれもが、拷問に近い苦悶や激痛を伴うものであることは、植え付けられていた知識によって知っていた。
だが、やはり恐れは無かった。
僕は、あらゆる苦痛を受け容れた。そうすることで僕は、“人形”として、“器”として、純化していけるような気がしていた。
それが僕にとって相応しい在り方であり、そこには善悪も無く、正誤も無かった。そんな識別作用を精神的に働かせることも、僕には許されてはいなかった。
活性と強化の禁忌魔法を日常的に受けていた僕の肉体は、食事を必要とせず、排泄も睡眠も不要だった。
呼吸と鼓動を持った道具としえ形作られながら、僕はその地下施設か何らかの場所で日々を過ごした。
その正確な日数は分からない。
長かったような気もするし、短かった気もする。
だが、そのことに興味を抱くこともなかった。
強力な精神魔法の影響で、僕は外部からの刺激に鈍感になっていた。思考は常に重く澱んでいた。感情が動くこともなかった。
だが、戦闘と魔力に関する感覚だけは常に研ぎ澄まされ、鋭利になっていく一方だった。
僕の精神と肉体を刻んだ無数の強化施術のことを、象牙色のローブの男は“調律”と呼んでいた。僕が通過する日常は、ほぼ全てがこの“調律”に関わるものであり、おおよそ生活と呼べるような時間は無かった。
ある日のことだった。
僕は“調律”を受けるため、象牙のローブの男が待つ施術部屋に向かう途中で、ある石室の前を通り過ぎた。
そのときに、僕以外の少年や少女――もう人の形をしていないような、不調和な姿をした生き物――も、僕と同じように禁忌魔法による“調律”を受けている光景を目にした。
心身を魔術によって弄られる苦痛に呻き、叫びをあげている少年、少女たちは皆、同じ灰色の髪をしていた。昏さを湛えた、青っぽい灰色の眼をしているのも同じだった。
「彼らは……、彼女達は……、何者……なの、で、す……か?」
その日の僕は、象牙色のローブの男に訊いた。
精神の改造と強化を目的とした禁忌魔法によって、思考と自我を削られながら。石の床の上に倒れ込み、這い蹲りながら。気付けば、訊いていた。
「……奴らは」
象牙色のローブの男は僕を見下ろし、煩わしそうに詠唱を中断してから、僕に応えてくれた。それは珍しいことだった。
いつもなら「余計な口を挟むな」と言って、より強烈な苦痛を浴びせかけられていただろう。だが、その日は違った。
ローブの男は、不気味なほどに容易く答えをくれた。
「奴らはお前と同じ……、“人形”であり、“器”となるべく造られた魔人だ」
「僕、と……、同じ……」
「そして、お前のストックでもある」
象牙色のローブの男は、僕という存在を、改めて厳格に規定するように重い声で続ける。
「お前の“調律”を、次の段階へと進ませる。お前が奴らよりも優れていることを証明できないのであれば、お前は不要になる」
男が語った証明という言葉は、石の床の上を這う僕の耳に、やけに強く残った。証明。それは、僕がこの世界に接しているという“しるし”なのだと分かった。
「強度の高い人形を、強靭な“器”を、そろそろ選別する必要がある。バックアップは必要量でいい。奴らを維持していくにも、莫大な施術量が必要になってきたからな。……これから、お前のすべきことは単純だ」
象牙色のローブの男が、じっと僕を見下ろしてくる。
「殺し合え」
僕は頷くことも、首を振ることも無く、ただ石の床の上に倒れたままで、象牙色のローブの男を見上げていた。
「お前たちの完成度を比べる意味合いもある。我々が優れた“人形”、“器”を選別するために。その強度を測り、比較するために。お前達は殺し合うのだ」
ローブの奥にある男の顔は相変わらず見えない。その洞穴のような暗がりから重い声が紡がれ、倒れている僕の上に降り積もり、僕の内部を浸食した。
「武器は用意してやろう。お前の性能を見せてみろ。……そして、他を圧倒しろ。お前と対峙し、それでも生き残ったものを、お前の予備とする。故に、手加減など決してするな。殺せるものは全て殺せ。容赦するな。お前の存在価値を、我々に証明しろ」
僕にとって重要なことは、道具として相応しいことだ。必要な機能を、必要なだけ発揮することだ。
求められれば、応じることだった。
それから、数日後。
僕は、普段から禁忌魔法での調律を受ける石室とはまた別の、広い石室に連れていかれた。
黒いローブの男達が壁際に並んで、床や天井、壁面に結界魔法を維持している部屋だった。
その結界は僕たちが逃げることを防ぎ、僕たちの戦闘が、石室自体を崩壊させないためのものだとも、すぐに分かった。
闘技場という言葉が頭を過ったのを覚えている。
そこで僕は、毎日のように他の“人形”達と殺し合うことになった。
1対1のときもあったし、僕が1人で、相手が複数のときもあった。彼ら一様に、同じ灰色の髪と、青み掛かった灰色の目をしていた。
あるときは、もはや人間の形をしていない、獣とも蟲ともつかない不調和な生き者が相手のときもあった。
いずれにせよ、彼らは強かった。
強力な魔法を使ってくることもあったし、連携らしきものを見せることもあった。僕と同じように禁忌魔法による“調律”を受けていた彼ら、彼女達は、強力な人造の魔物だった。
その肉体的な性能はもとより、魔法攻撃においても、あらゆる属性魔法を使いこなしていた。炎も雷も、氷も水も、土や植物に至るまで、あらゆる奇跡が彼ら、彼女達の意志に従い、法則を捻じ曲げた。
それに対して僕は、魔法を上手く扱うことができなかった。
僕の思考の中には、膨大な魔術の知識や理論が埋め込まれているはずだった。だが、僕の肉体に宿る魔術的な素質は沈黙していた。初歩の攻撃魔法しか発動させることしかできなかった。
それでも、僕の強靭だった。
僕は、剣でも、短剣でも、刀剣でも、槍でも、斧でも、弓でも、槌でも、メイスでも、殺傷を目的として造られたものは、全て使いこなすことができた。僕の肉体に装填されている戦闘の記憶や経験、技術が、あらゆる武器を僕の身体に馴染ませた。
僕は、ただ強かった。
その意味のない空虚な力で、彼らを、彼女たちを、僕は圧倒した。
“人形”である彼らを何体も粉砕し、“器”である彼女達を無数に圧壊させた。
僕はいつでも、土砂降りの血の雨を浴びたような有様になったが、生命を破壊した感触というのは希薄だった。
僕たちは、互いに言葉を交わしたこともない。
そもそも彼らが、彼女達が、自らの命を命とも思っていない雰囲気があった。そして、僕のことを生きた何かだとも思っていないはずだった。
あの地下施設の中で、“人形”や“器”とされる僕達は、生命という尊い言葉から、最も遠い場所にいた。僕たちは命という概念から遊離していて、死という概念を持ち込むことを許されていなかった。
間違いなく、僕達は道具でしかなかった。
文字通り、人形だった。
僕は殺戮によって、死ではなく、ただ虚無を撒き散らし続けた。それは翻って、僕自身の空虚さを浮き彫りにしていった。
だが、そのときの僕は、“人形”として、“道具”として在るしかなかった。選択肢は他に無かった。苦痛と共に禁忌魔法を受け容れる日々に、僕は自分自身を埋めていこうと思った。
そうすることで僕は、自分の存在と価値を証明し続けた。
あの頃の僕を止められる者など、象牙色のローブの男以外には居なかった。黒いローブの男達は、僕のことを恐れている様子だった。
「魔人め」「怪物め」「化け物め」などと囁かれていることにも気付いていた。
だが、そんなことはどうでも良かった。
「もっと殺せ」
象牙のローブの男は、僕にそう言った。
「お前なら、もっと殺せるだろう」
僕は従順であり続けた。
それが僕だったからだ。
そうなるべく造られたからだ。
僕は、自らの存在価値を維持しなければならなかった。それは誰の為というわけではなく、ただ、そうあるべきだと思っていた。
僕が、僕であるために必要だった。
だが、ある時のことだ。
まるで流星の様に、僕の中に幾つかの疑問が立ち上がって来た。
僕が魔王の“器”として相応しい、完全な道具なのであれば、予備など必要ないのではないか? ならば予備としての彼ら、彼女達は、また別の役割を持ってもいいのではないか?
殺し合うことなど、もう必要ないのではいか?
この問いの発生は唐突であり、僕の意識が発生した時のように阻みようがなかった。気が付けば僕の内側に根を張っていて、振り払うことができなかった。
そして僕は迂闊にも、この問いをそのまま、象牙色のローブの男に話してしまった。
「黙れ」
あの時の象牙色のローブの男は、僕の内部に、僕の自我が育つ兆しを見たのだろう。
芽生えつつある僕の自我を叩き潰すかのように、今までよりも更に強力な禁忌魔法を用いて、僕の肉体と精神を“調律”していった。
「お前が何かを判断することなど赦さん」
僕は気絶と覚醒を繰り返しながら、さらに途方もない苦痛を受け容れていった。
その“調律”の強度が上がるにつれて、僕の内臓が破裂し、眼球が煮えて潰れ、体中の筋肉が千切れ、死体のような有様になることも度々あった。
その都度、僕は禁忌回復魔法によって肉体を再生させられた。狂うことも出来なかった。
そもそも、僕の精神は狂うような余白も人間らしさも備わっておらず、無慈悲なほどに頑強だった。
僕に対する容赦のない“調律”は、殺戮の日々が終わってからも続いた。
だが、あまりにも強力な禁忌魔法による肉体改造の影響か。そのうち僕は、治癒魔法を除いた他の魔法を扱うことが、全くできなくなった。
初歩魔術すら編めなくなったのだ。
「なんということだ……」「失敗」「失敗だ」「やはり術式の規模が巨大過ぎたのだ」「多くのものを装填し過ぎたのだ」「肉体の魔術回路が損壊している」「壊滅的な摩耗だ」「やはり、生物としての限界だったのだ」「膨大な魔力を有しているはずなのに」
黒いローブの男達は、魔法円の内部で蹲る僕を見下ろしながら、早口で何かを喚いていた。彼らの声音には焦燥と混乱、失意と諦念が覗いており、打ちひしがれているような深刻さがあった。
僕は蹲りながら、何か、大きな間違いを犯したような、僕の中の決定的な何かが損なわれ、あるべき形に戻ることができなくなったような感覚に見舞われていた。
その欠けた部分を、取り戻さなければならないと思った。
僕は、完全な“人形”であり、完璧な“器”でなある必要があった。
それが、僕という存在価値であり、求められ、望まれている姿だからだ。道具としての機能を、過不足なく果たさねばならない筈だった。
だが、その時の僕が、原因が何であれ、道具としてのそういった理想から大きく遠のいてしまったのは間違いなかった。
「失敗作め」
象牙のローブの男は、そんな僕を責めた。
禁忌魔法の出力と規模を更に上げ、それに比例して、僕が受け容れる苦痛も劇的に増していった。それだけでなく、苦痛の性質も変わっていったように思う。
今までの“調律”の苦痛には、僕の存在を細かく規定して、この世界に繋ぎとめられているような感覚があった。それが、もはや僕という存在を破壊し、別のものへと変質させようとするような、冷酷で、暴力的な苦痛へと変わった。
僕は、その圧倒的な苦しみが続く日々の中で、何かを取り戻そうとした。
だが、治癒魔法の規模と精度だけが上がるだけで、僕の内部に装填されている多くの高位魔術は沈黙したままだった。
その原因は、僕の内部に、自我と意思が根付きつつあるからだと。そう、象牙色のローブの男は吐き捨てた。
「やはりお前は失敗作だ」
その言葉は、僕の存在を決定づけた。
僕という存在を象徴する言葉だった。
「出来損ないの人形め」
男の言葉は、僕の身体に刻み込まれていく。
「お前は無価値だ」
僕は、自らの役割を果たせなかったのだと分かった。
石室の中でのたうつ日々の中で、僕は自分の存在を疑った。
象牙のローブの男に見下ろされる僕は不全であり、必要とされる何かに、なり損ねた。
「お前は無意味だ」
僕の悪夢は大抵、ここから始まるのだ。
僕の記憶にある、暗い石室。
此処には今もまだ、ローブの男の声が響き続けている。
「お前は、必ず救われない」
僕にとっては、慣れ親しんだ絶望だった。
「お前の魂など、誰も求めてはいないのだ」
「そんなことない!!」
それは、本当に突然だった。
石室の魔法合金の扉がぶち破られて、凛然とした声が石室に飛び込んでくる。
「言いたいこと言ってくれるじゃねぇか、このクソ野郎」
途轍もなく獰猛そうだが、やけに艶のある声が続く。
「えぇ。気に入らないわね……」
聞く者の心臓を凍りつかせるような、冷え切った声も。
「アッシュさんを虐める不埒な輩には、この鉄塊をくれてやりますよォォン!!」
凛然として張りのある力強い声は、アッシュを押し潰そうとしていた石室の冷たさを、そのまま吹き飛ばすかのようだった。
石室の床に倒れた僕は――夢の中の僕は――声がした方へと顔を向けようと思ったが、“調律”を受けていた僕の身体は重く、思うように動かなかった。
それでも僕は、視線だけを動かして、彼女達の姿を見つけた。
でも、おかしい。
この景色は僕の過去だ。
何度も繰り返し迷い込んだ悪夢だ。
その中に、彼女達が現れたのは初めてだった。誰かの声が僕の悪夢に響くのも。
「アッシュ君が生きていることは、無意味なんかじゃない!!」
僕の肉体と性能にではなく、“僕自身”を認めてくれる叫びだった。
そこで、今度こそ僕は目を覚ました。
傷痕のように慣れ親しんだ悪夢が、彼女の――ローザの清冽な怒声によって破裂したかのように。




