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夜明けを前に







 ローザ達のパーティは間違いなく、あの女神を模したゾンビの動きを止めてみせた。


その影響か、居住区へと飛来してきた大量の有翼ゾンビ共も力を失い、次々と墜落をはじめている。

 

 だが、まだ戦闘は終わりではなかった。


 何らかの理由で女神を模した指揮個体のゾンビは再び起き上がり、翅まで生やして宙へと再び舞い上がったのだ。


 それだけではない。


『死hfyaifj撒きdauprejo全てrep腐敗の声mfri……!!』


 女神を模した指揮個体のゾンビが、濁った紫色の魔法円を身体に纏わせて居住区に向かって滑空してくる。


『崩れ落ちsofh世界koa歌loaw愛ewr狂kroir……!!』』


 今までの女神を模したゾンビの詠唱は、不気味ながらも聖歌そのものといった清廉な響きに満ちていた。だが、今は違う。


まるでがなり立てるような、怒鳴りつけるような威圧感と暴力性に溢れ、攻撃的で自棄的な詠唱が夜の空に響き渡っていた。


 何らかの魔術発動を発動させようとしているのは間違いない。


 私の脳裏には、自爆という文字が過る。


今の女神ゾンビからは、害意や悪意を越えた、純粋で狂暴な感情の発露が感じられた。


「指揮個体のゾンビの再起動を確認しました。尋常ではない魔力を発散して、居住区に飛来しようとしています」


 居住区各所の守備についていたクランメンバーや冒険者達に指示を出しながら、私は駆け出す。


「住民の避難場所となっている各建物の結界は維持しつつ、治癒を要する負傷者の収容をお願いします。魔術士隊は迎撃ではなく、結界強化の準備を」


装備していた通信用の腕輪の向こうで、軽いどよめきの気配があった。幾つかの声が漏れてくる。『正義の刃』のクランメンバーを含む冒険者と、領兵騎士団の声だ。


『げっ!? あの女神モドキ、墜落したんじゃねぇのか!?』

『まだ動いてやがるのかよ!?』

『しぶといなオイ……!』

『つーかこっちに来てるぞ!』

『オイオイ、やべぇんじゃねのか!?』

『治癒処置は一時中断!』

『避難用の建物へ運べ!』

『負傷者を下がらせろ!』

『結界魔導具の準備を急げ!』

『応!』『応!』『応!』『応!』


 彼らは動揺と混乱の中でも、迅速に動いてくれているのが分かる。そのことを素直に頼もしいと思った。


 居住区内の守備を固め直してくれる彼らのおかげで、私は前に出ることができる。町の住人達だけでなく、同じ冒険者達を守るためにも。


再活性した女神ゾンビを相手に、私の剣に出来ることなど、もとより一つしかないのだ。


「……斬り捨てる」


 走りながら呟いた私は、剣の切っ先を後方に向けて下げた。剣に魔力を籠める。籠め続ける。夜空を見上げる。滑空してくる、女神を模したゾンビ。


自爆を目的にしているためか、滑空してくる女神ゾンビの高度は低い。あの高さなら、私の剣も届く。届く。届かせてみせる。


通信用の腕輪から、私の部下である隊員の声が届いてくる。


『隊長! 我々も向かいます!』

『同行の許可を願います!』

『隊長に続かせて下さい!』


これで何度目だろうか。


「……貴方たちには、クランメンバーの補助を頼んだはずです。自分達の任務を全うしてください。間もなく私は接敵します。貴方たちの応援は間に合いません」


部下たちを黙らせるように、私は応じる。


「居住区の守備こそが、私達のクランの本懐です。貴方たちのことは信頼しています。……任せましたよ」


 何かを言いかけた部下達の息遣いだけを受け取り、私は通話を切った。


 思えば、私は助けを求めた記憶がない。


 仲間の援護を必要としないのでもなく、その申し出を不要だと突き放すこともしたことがない。


クランメンバーに厳しい訓練を言い渡すことも、生活や態度を指導することがあっても、弱者だと見下したことはない。


 ただ戦場の私は、結果的に味方を、仲間を、部下を疎外してきたのだと思う。


 私は確かに、クラン『正義の刃』のメンバー達と志を同じくしている。


私にとって部下は同士であり、魔物によって故郷を焼かれた悲しみを共有する同胞だ。魔物による町村の壊滅被害という、ありふれた悲劇を少しでも阻むために、私達は命を懸けてきた。


 ただ、戦場の中で“剣”として生きようとするとき、私は一人になる。

 剣を振るうたびに、私は他者から離れて、遠のいていく。


 それでも私は、一本の剣として在ろうとした。

 人々を脅かす魔物を斬る、容赦のない剣に。


 私と部下達を分けているのは剣の実力ではなく、この想いの差異だった。


 戦場での彼らと私は、協力して連携を取り、魔物の脅威を退けた平和を共に喜んだ。だが、心の深部が交わることはなかった。


 だが、今の私はそんな彼らのことを、この町の住人と同じように守りたいと思った。共に戦った他の冒険者達も、見捨てることはできない。


 刺し違えても、あの女神ゾンビを止めねばと思う。


 私は死を感じている。


 だが、私の呼吸に乱れはない。

 思考も静かだ。視界も狭まっていない。


 この戦いで、私は一人で死ぬ。

剣として死ぬのだ。

 今日の朝日を拝むことはないだろう。

 

 改めて死を覚悟できた合図のように、意識の裏に明滅するものがあった。


暮らしていた故郷を魔物に焼かれた、あの日の記憶。光景。

 

 農具を手に、魔物に立ち塞がった父と母の背中。

私を逃がすために、命を投げ出そうとする両親の姿。


「逃げろ……!」必死な父の声。

「生きなさい……!」懸命な母の声。


二人の声が、逃げていく私の背中に突き刺さる感触。痛み。私は走った。喉を焼くように息を切らして。何度も転びながら。涙は出なかった。


周りの建物が燃える熱。

炎。踊る影と悲鳴。食い散らかされる人々。

肉が裂けて骨が潰れる、密度のある音。

血の匂い。魔物の声。存在感。息遣い。暗がり。


 それら全てに背を向け、私は生き延びてしまった。


 私は自分自身の命について考え続けてきた。


なぜ、父と母と共に死なずに、私だけが生き残ったのか。両親を見捨てて逃げた私は、私自身を憎んだときもあった。


 だがあのとき、私は生きるべきだった。

父と母が命を懸けて、そう願ったからだ。


この命の使い途があるならば、それは私自身の為でなく、他者の為にあるべきだと思い、確信し、己の残った人生に結論を出した。

 

私は、一本の剣として在ろうとしたのだ。

 人々を脅かす魔物を斬る、容赦のない剣に。

 戦場の中で、“剣”として生きようと思った。


 そして今――。


 この命に使い切るときなの感じた。


 私は今までの戦場と変わらず、こうして一人で突出し、戦い、死ぬ。一本の剣として、その機能と存在意義を余すことなく全うして、死ぬのだ。


それこそが、今日まで生き延びた私には相応しい。


「……女神のゾンビは、かなり高度を下げてきていますね」


不意に、恐ろしい程に落ち着いた声が聞こえてきた。

私の斜め後ろからだった。


「あの高さなら、僕でも届きそうです」


 彼が私に追従してくれていることには、全く気付かなかった。

 私は駆ける姿勢を崩すことはなかったが、かなり本気で驚いてしまう。


「あなた……」


 私が肩越しに振り返るよりも先に、黒い細身のボディスーツで身を包んだ彼が、私の隣に並んだ。


彼の表情を横目に見た。やはり、どこまでも静かな表情だった。極端な前傾姿勢になった彼は、背負うようにして長い刀を握っている。


「次は僕が、あの女神ゾンビを落とします」


 青みがかった昏い光を湛えた彼の瞳に、私の呼吸が僅かに乱れた。


 アッシュ=アファブル。

 この少年の底知れない存在感は、一体何なのか。


「ただ、僕には火力がありません。あの女神ゾンビを仕留めきるには、サニアさんの力が必要です」


静かに言い切る彼は、私が手にしたロングソードを一瞥した。私の魔力を帯びたこの剣が、戦いの決定打になると確信している目つきだった。


「……では、追撃は私が」


 そう応じながら私は、彼が――アッシュが私と共闘してくれることに、今までに感じたこと無い種類の鼓動が、胸に響くのを聞いた。


“剣”として在ろうとする私を肯定するでもなく否定するでもなく、彼はただ共に戦ってくれる。その強さを以って、“剣”として戦い抜こうとする私に並び立ち、力を貸してくれる。


“剣”として戦う私は、戦場では一人だった。

仲間も部下も置き去りにして、魔物の群れに身をさらしてきた。


それは私が望んだ場所であり、“役割”だった。


だが今の私は、一人ではない。

この夜のなかを、彼が並走してくれている。


そのことが何故、こんなにも心に響くのか。


私を追い越していくアッシュの背中が、やけに大きく見える。


「先行をお願いします、ァ……アッシュ」


 私は、彼の名を慎重に口にする。


「分かりました」


 やはり冷厳とした、それでいて微かに柔らかな声で彼が応じてくれる。


 その心強さに、私の鼓動はまた微かに乱れた。呼吸も揺れる。だが、不思議と身体の強張りが抜けて、感覚が研ぎ澄まされた。手にした剣も軽く、身体の疲れが薄まっていく。


安らぎにも似た、この高揚は何なのだろう。

 

『死dau与mfite我oirwjio歌rop涙kfoiio慈悲riee籠rwyq滅cbzd……!!』


 濁った聖歌のような詠唱が、夜の中に響いている。


魔法円を展開し、体中に纏った女神ゾンビとの距離が詰まる。


 もうネクロマンサーは小細工を弄する余裕はないようだ。私よりも先行しているアッシュの存在を把握している筈だが、相手にしようとしていない。


高度を落として、そのまま居住区に迫ろうとしている。


あの詠唱によって発動する魔術によって、居住区全体を焼き払うつもりなのだろう。

 

 させはしない。


手にした剣に、私が更に魔力を籠めたときだった。

 

極端な前傾姿勢になったアッシュが、私との距離を大きく離すほどに、瞬間的に加速する。そして、滑空してくる女神ゾンビに対して、大きく右側へと膨れるように踏み込んだ。


地面を蹴るアッシュの姿が、月明かりに塗されてブレた。超人的な速度と鋭さでの跳躍。低空を高速滑空してくる女神ゾンビに、横合いから突進する。


 まさに神速の強襲だった。


 中空のアッシュは独楽のように体を回転させて、長い刀を一閃させる。女神ゾンビを側面から両断しようとしたのだ。


 対する女神ゾンビは、アッシュの存在には気付いていたが反応が遅れた。或いは、地面から飛び掛かってくるとは想定していなかったのかもしれない。


『……ッ!?』


 咄嗟に身体を捻って逸らすことで、振り抜かれた刀で首や胴を斬られることを避けた。だが無傷では済まなかった。


空中で身体を斜めに回転させているアッシュは、女神ゾンビの両翅を斬り飛ばして、ついでのように膝蹴りを叩き込んでいた。


『BUッ!?』


 体の遠心力を浴びせかけるような、アッシュの狙いすました回し膝蹴り。女神ゾンビの横っ面に突き刺さる。


『ぐぉ……おおお!!?』


 翅を斬り飛ばされた女神ゾンビは、飛来してきた勢いをそのままに地面に墜落し、何度か激しくバウンドしながら家屋に突っ込んだ。


家屋は倒れて崩壊し、夜気のなかに濛々と土煙があがった。

それを乱暴にかき分けて、女神ゾンビが這い出てくる。


『あああああああ……!! 死ぬほどウゼェエエエぞマジでェェ……!! 邪魔すんじゃねぇよ殺すぞテメェェええ…!!』


 やけに瑞々しい、しかし狂暴極まりない少女の声が響き渡る。他者の尊厳や生命になど一切頓着しなさそうな、傍若無人な冷酷さを叩きつけるかのような声音だ。


 ――あれがネクロマンサーの声か。


 駆けながら私は、剣の柄を絞るように握り直した。


 ローザのマジックキャンセラーでも止めることができなかった、あの女神ゾンビの機能を完全に沈黙させる方法はある。術者であるネクロマンサーの魔力を受け取れないほどに、その腐肉の“器”を破壊してやればいい。


 女神ゾンビが上空に陣取っていたときには、私は近接戦を仕掛けることが出来なかった。ローザ達のパーティに希望を託すよりなかった。


 だが、やはり今は違うのだ。

アッシュが、あの女神ゾンビを引き摺り落としてくれた。


 これで届く。

 届くのだ。私の剣が。


『昼間の北門でも邪魔しくさりやがってェェこぉぉおクソガキがよぉぉおお……!!』


 詠唱を中断させられた女神ゾンビは地に落ち、私の足が踏みしめる先でアッシュと対峙しようとしている。


 完成寸前であった詠唱をアッシュによって中断させられたネクロマンサーは、怒りと苛立ちに飲み込まれているようだ。狂暴な声音に冷静さは無い。


 この土壇場で視野狭窄に陥るのは、女神ゾンビを操っているネクロマンサーは戦闘に慣れていないのか。或いは、他者を蹂躙する経験しかしてこなかったのか。


 いずれにせよ迂闊だ。だが、その未熟さを改める必要もないほどに、ネクロマンサー自身の力が強大でもあったのだろう。


『この町の人間をぉぉ! 炭屑のボロクソにしちまう前にィ……!』


 殺意の塊のような威圧感を振り撒きながら、女神ゾンビの身体がボゴボゴボゴッ……! っと膨れ上がる。


『まずはテメェをグチャグチャにしてやるよ……!!』


 泥だらけのボロボロになった女神ゾンビの壮麗な法衣が、フード部分と胸元を隠す部分を残して、内側から突き破られるように千切れ飛んだ。


 下半身が爆発的に膨らんで伸び、そこから数本の脚を生やしたあの姿は、まさに巨大な蟷螂だった。錫杖を放り捨てた腕も、巨大な鎌のように肥大して変形していく。


 女神と蟲を融合させたような、あまりにも冒涜的でおぞましい姿だった。


『死ね死ね死ね死ねェェェ……!!』


 巨大な蟷螂の姿になった女神ゾンビが、アッシュに向かって突進しながら腕を伸ばした。私は目を瞠る。筋肉や関節の動きを読ませない、虫らしい瞬間的な超速度だった。


 だが、アッシュの動きはそれを完全に上回っていたし、巨大蟷螂と化した女神ゾンビの動きも見切っていたようだ。


 重心を僅かに落としたアッシュは、すぅ……と斜め後ろに下がって顔を反らせただけだった。伸びてくる女神ゾンビの腕から最小の動きで逃れつつ、更に手にした刀を投げ放つ。


 アッシュの手を離れた長刀の切っ先は、生温い夜の空気を貫きながら飛び、女神ゾンビの胸元に突き刺さった。そして容易く貫通した。だが、


『こんなモンが効くかボケェ……!!』


 胸元に長刀の柄までを埋め込んだ女神ゾンビの背中からは、長刀の刀身が突き出ている。だがゾンビだけあって、ダメージは全く無いようだ。


あの程度では損傷には入らない。動きを止めることはできない。


 ならば、それを上回る損壊を与えよう。

 私の剣は、そのために此処にある。


 大きく先行していたアッシュを、今度は私が追い抜く形になる。

彼と入れ違いで、私が踏み込む。女神ゾンビに肉薄する。

 

私という剣。その役割を果たすために。


そして、“剣聖”という言葉の奥にある、この私そのものを肯定するためにも。


『……ッ! どいつもこいつも邪魔くせぇ……!』


 焦ったような声を発した女神ゾンビが吼え、苦し紛れのように両腕を振り下ろしてくる。


それを剣でいなすように潜り込み、私は更に前に出る。


『クソがぁあ……!』


 その醜悪な巨体を仰け反らせ、怯むようにして女神ゾンビは下がろうとした。

 

 私は逃がさなかった。


その蟷螂に酷似した脚を斬り、横腹を裂き、脇を突き砕く。


『泣har喚yabn朽twe者omz愛rq死zjs嘆yrte慈悲hdal……!!』


 巨体であるが故のしぶとさを武器にして、女神ゾンビは私に斬られながら詠唱を再開した。逃げるように大きく下がりながら、あの聖歌の如き声で呪文を紡ぎ出している。


なるほど。詰め寄られては私に勝てないと悟り、再び自爆の準備を始めたのか。この土地を魔術的に汚染して、せめて呪いを残すつもりか。


 ――そうはさせない。


 私は鋭く息を詰め、後退していく女神ゾンビに踏み込もうとしたが、当然、これは読まれていた。私の目の前に大鎌がきた。速い。


 これを剣で受け止めた私は押し飛ばされる。大鎌は巻き付くようにして私に迫り、私の右頬から首の右横を斬り裂いていた。


頭部への衝撃。血が舞った。


 大きく後方に押し返された私は、傷の痛みよりも熱を感じた。距離を詰めねば。あの詠唱を阻まねばならない。


僅かな焦りと共に、私は剣を構え直す。

その切っ先の向こうに、見た。


 女神ゾンビの胸元。柄まで深々と突き刺さったままの刀。その柄を足場にして、両手に短剣を握って腕を下げたアッシュが、静かにしゃがみこんでいるのを。


 感覚を研ぎ澄ましていたはずの私だったが、夜風に紛れた彼の気配は全く読めなかった。


『Na……ッ!?』


 目前に現れたアッシュを見上げた女神も、途中だった詠唱を絶句するようにして途切れさせている。


「……」


 表情のない眼差しで女神ゾンビを見下ろし、アッシュは両手の短剣をそっと伸ばした。


女神ゾンビが被っている、法衣のフードへと。短剣の切っ先で、ゆっくりと、フードを持ち上げていく。


 その手つきは丁寧かつ穏やかで、優しささえ感じられるものだった。誓いの口づけのために、花嫁のヴェールをそっと上げるかのように。


 だが彼自身が纏っている気配は、幸福を分かち合う喜び、祝福などとは程遠い。冷酷な程に無機質だ。彼の行動には体温が介在していない。


 アッシュの持つ短剣の先。そこで露わになった女神の顔は、肌の色こそ土気色だったが、それでも十分に整った目鼻立ちだった。


 その美貌を驚愕に歪ませた女神ゾンビは――いや正確にはネクロマンサーなのだろうが、アッシュを見上げたままで掠れた声を漏らす。


『何モンだよ、テメェ……』


「……僕も同じことを、女神像に何度も問いかけたことがあります」


 刀の柄を足場にしているアッシュは、低い声で答えながら少し前屈みなって、ゆっくりと両腕を広げた。彼が手にしている白と黒の短剣が、淡い月明かりを微かに反射している。


「返答は一度もありませんでしたが」


 冷然と言い終えたアッシュは、それ以上の言葉での遣り取りを放棄するかのように短剣を振るった。


 いや、もしかしたら、彼の内面にある何かを言葉ではなく、両手の短剣によって解放することで応答したのかもしれない。

 

 女神ゾンビの胸を貫く、長刀の柄。その上にしゃがんだままのアッシュの短剣捌きは、やはり超然としていた。


 霊妙にして凄烈。優雅であり残虐。正確にして流麗。だが、それは飽くまで私が抱いた印象であり、私の中でのみ完結する、ある種の感銘と感動であり、畏怖だった。


 ではアッシュにとって、彼自身の殺戮技巧は、如何様なものなのか。


 稟性の才能があるだけでは、あれだけの技巧を身備えることは不可能だろう。幾つもの戦闘に関する才能を基本として、尋常ならざる鍛錬が不可欠な筈だ。


 お前は何者なのか?


 その設問に対する彼の答えは、美しく精緻で、丹念かつ入念で、容赦がない。


 瞬く間に、女神ゾンビの上半身は、どす赤い粘液のようなものを塗した無数の肉片となって大地に撒かれ、その形を失った。


 女神ゾンビの胸元に突き刺さっていた刀も、支えを無くして地面に落下する。その直前には、アッシュは刀の柄を蹴って跳躍していた。


 彼は私を見ていた。玲瓏とした光を湛えた彼の瞳からは、私に向けられた明確な言葉と意志が読み取れた。


 お願いします。


 彼の形の良い唇が、微かにそう動いたのを私は見逃さなかった。


 そうだ。まだ終わりではない。


 女神ゾンビの詠唱はアッシュによって阻まれたが、あとに残った蟷螂型の身体が不気味に明滅している。


自爆攻撃の前兆か、或いは、同期していたネクロマンサーの残留魔力が暴走しようとしているのか。


 ――ならば、私にできることは1つ。


 私はアッシュに頷くよりも先に、剣によって応じる。言葉を必要としないこの応答は、また私の鼓動が揺らした。


 戦いの中で、このように誰かと通じ合ったことは今までに無かった。


今の私は、共に戦っているアッシュの存在感に心が乱れそうになっている。胸が僅かに苦しい。それに反して、身体には力が充溢している。

 

 私の身体に宿る魔力の色を吸い、手の中にある剣が暗銀に煌めきを帯びていく。今の私の感情に呼応したのか、その魔力の光は今までよりも力強く、透明な輝きに満ちていた。


 これで最後だ。


 極大の魔力光を宿した剣を、私は袈裟斬りに振り抜く。更に手首を返し、水平に薙いだ。澱んだような夜の暗がりの内に、刻み込むような暗銀の帯が奔る。


 それは刃で斬ったというよりも、剣に宿した魔力にものを言わせて、消滅させながら断ち割ったという方が正しい。


 女神ゾンビが残した蟷螂の身体は、その半分ほどを蒸発させながら4つに分かれて、地面に崩れ落ちた。完全な沈黙が訪れる。


あとに残った虚無的な空間は、即座に闇が領した。


まるで何事も無かったかのように、また暗がりによって埋め尽くされる。


黒々とした静寂の残響。私の息遣いがか細く、無防備に溶けていく。


 私の周りにある夜の景色からも、戦闘の気配が霧散した。

 何者にも縛られない夜の風だけが、私の頬を撫でていく。


 ……ようやく、終わった。


 その場に片膝を着いた私は、大きく息を吸い、大きく息を吐き出した。


緊張が切れたせいか。今まで軽かった体が、急速に錆びついたかのように重たくなった。


この疲労に身体を明け渡す前に、私は居住区の方を振り返る。


 夜空を飛行しているゾンビの姿は、やはりもう見えない。静けさに浸された夜空には、裂け目ができた雲だけが広がっている。零れてくる月明かりも、慎ましげで柔らかい。


 これで、本当に戦闘は終わったようだ。

 

「……女神を模した指揮個体ゾンビを撃破しました。居住区内の人的被害は?」 

 

通話用の魔導具を通して、部下達と連絡を取る。

 

 複数の応答があったが、町の住人たちに被害は出ていないようだ。負傷者の数は少なくないが、用意していた魔法薬と治癒術士達の手も足りているという報告もあった。


 そういった遣り取りの背後から聞こえていたのは、居住区の守備についていた冒険者達や、『正義の刃』のクランメンバー、そして領兵騎士団員の、安堵に満ちた歓声だった


この戦いに勝利したという実感を、彼らもようやく味わっているらしい。


「まだ気を緩めてはなりません。まずは魔術士隊による浄化作業と、ゾンビたちの腐肉の片付けが必要ですが……。今は一先ず、皆で身体を休めてください」


 住民への被害が無かったこと、クラン内の治癒術士がすぐに動けることを確認したところで、ローザ達にも連絡を取る。

 

 「そちらの状況はどうなっていますか、ローザ? 負傷している者があれば報告してください。クラン内の治癒術士に回復を頼みます」

 

 『ありがとうございます。でも、一応は大丈夫です。魔力汚染を受けたエミリアが、ちょっとグロッキー状態ですけど』


「……それは大丈夫なのですか?」


『えぇ。カルビが治癒魔法で回復させてくれていて、エミリアの意識もしっかりしていますから。私達が持ち込んだ魔法薬にも余裕がありますし』


自身の魔力消費も甚大である筈のローザだが、その声は明るい。トラブルとの付き合い方に慣れている故のタフさを、私は感じた。


「わかりました。ですが、助けが必要であれば必ず声を掛けて下さい。あなた達の貢献に報いることも、私達のクランの使命です」


『えぇと、じゃあ……』


ローザが状況を説明してくれるのを聞いて、私は溜息を飲み込む。レイダー達を繋いでいた空き家の一部が崩落し、何人かのレイダーが脱走を図ったとのことだった。


「……こちらの不手際でした。謝罪します」


『あぁ、でも、脱走しようとしたのは、捕まえていたレイダー全員ってわけじゃないみたいです。崩落した空き家に、何人か生き埋めになってる状況らしくて』


「わかりました。では至急、クランの隊員たちに向かってもらいましょう。私も、自分の傷と体力を魔法薬で回復させてから、すぐに向かいます」


 ローザとの通話をそこで切り上げてから私は、軽く溜息を吐き出す。


余計な仕事が残っていることに辟易してから、自分の体がドロドロに汚れていることを自覚した。


私の髪や鎧を汚しているのは、ゾンビ共の返り血、いや、腐った体液と言った方がいい。


 感染症になどならぬよう、神官や治癒術士が扱う浄化系魔法で身を清めて貰いたいところだが、私よりも深刻な傷を負った者たちの治癒が優先されるべきだろう。


私が身を清めるだけなら、魔法薬で十分だ。

今までもそうだった。


オーガ達の内臓や血を浴びたあとも。

古龍の脂混じりの血を浴びたあとも。


私は独り魔法薬で身を清めた。


その最中、私の心に決まって訪れるのは、勝利の喜びや達成感よりも、寧ろ、その戦果によって己の意味と孤独を確かめ直すような虚しさと、ある種の倦怠感だった。


 無論、『正義の刃』の一員として、魔物達によって脅かされた人達を守り抜くことができた安堵は、今も確かに感じている。それを誇りにするだけの正義感も、私は持っているつもりだった。


 だが、両親を見捨てて逃げ、そして生き延びた私の命を、私自身で肯定して認めたいという願いを捨て去ることはできなかった。


この利己的な想いを見詰め直すのは決まって、戦闘が終わったあとの、こういった孤独の中でだった。


 私は“他者のための剣”でありたかった。

 その役割によって、己自身の生き方を支えたかったのだと――。


 いつものように私は、疲れた体ごと己の自問自答に埋没してしまった。それが不味かった。


「ありがとうございました。サニアさん」


「はぉ……ッ!?」


アッシュのことを失念していたわけではないが、こんなに近くで声を掛けられるとは思っていなかったのだ。


 不意に優しい声を掛けられて、私は肩を跳ねさせてしまう。バコーン!と心臓が跳ね上がったのが分かる。


普段なら絶対に出さないような、裏返った変な声まで出してしまった。


は、恥ずかしい……!


私が慌てて振り返ると、アッシュが軽く頭を下げてくれる。


「あの女神ゾンビを仕留めきるには、僕だけではもっと時間が掛かったと思います」


彼は両手に握っていた短剣を杖の形態に戻し、その先端に翡翠色の明かりを灯している。治癒魔法の灯だった。

 

「右頬と喉首の傷を、治癒させていただきましょうか」


 頭を上げた彼が、目許を僅かに緩めて私を見上げてくる。ぬくもりある眼差しだった。私はたじろぎ、少し身を引いてしまう。


「有難い申し出ですが、気を遣って貰わなくても構いません。今の私は、こんなに汚れていますから……。それに、臭いも……」


 何故か私は、今の姿をアッシュに見られたくないと思っている。


この初めての感覚と感情に自分自身で驚きつつ、彼から数歩分だけ離れようとした。だが、緩く首を振った彼が、歩み寄ってくる方が早かった。


「では、“浄化の霊炎”で、傷を清めたうえで治癒させて頂きます」


 穏やかなアッシュの言い方には、余計な感情が付着していないのが分かる。


「装備の汚れも、一緒に綺麗にできるはずですから」


 年老いた医師が患者の心配するような、素朴な優しさを感じさせる声だった。その純粋な厚意を無碍にするのも躊躇われて、抵抗する気にもなれなかった。

 

 それに何故か、アッシュを真っすぐに見れない。妙に顔が熱い気がする。自分でも思っている以上に疲れがあり、少し熱があるのかもしれない。


「……では、治癒術士である貴方の言葉に従いましょう。よろしくお願いします」


彼の目を見ることができないまま、私は緩く息を吐く。


「えぇ。では、少し失礼しますね」


 さらに一歩、彼が私に使づく。


小柄な彼が左手を伸ばしてくる。柔らかな翡翠の光が灯った掌を、私の右頬と喉首の傷に添えるように。


 アッシュと私と距離が縮まる。私と彼の間にある空僻を、隔てるものは何も無かった。ただ互いの息遣いと夜の風だけがある。


 “剣”として私が戦い終わったあと、こんなにも親密な距離に誰かがいたことが、今までにあっただろうか。


 私が内心の高揚を抑えていると、詠唱を始めたアッシュの左手から私の身体へと、翡翠色の魔力が流れてくるのが感じられた。


“浄化の霊炎”だ。


 アッシュの魔力によって編まれた水と炎に濯がれて、私の身体を汚していたゾンビの体液が蒸散していく。いずれ痛みに変わるだろう傷に籠った熱も、ゆっくりと鎮めてくれる。


 彼の温かな魔力が、私の身体を深く癒して、清めてくれる。湯に浸かるような心地よさの中で、だが、私は落ち着かなかった。


 治癒魔法を詠唱するアッシュの声が近いのだ。


近い。近い。な、何を意識しているのだ、私は。だが、仕方がない。どうしようもない。近いのだ。彼の体温が。私の鼓動は明確に乱れていた。


 自分でも狼狽えそうになるぐらい、拍動が強くなっていく。それに、この胸に広がる、甘ったるい苦しさのような、浮ついた感覚は何なのだろう。落ち着かない。


だが、決して嫌ではない。

もう少し……、いや、もっと味わっていたい。


「今は手持ちも無いので、治療費はあとで支払います」


 何かを言わなければと思い、私は儀礼的に、事務的な言葉を口にしてしまう。だが、そのことを後悔した。もっと柔らかな言い方をすべきだったと。


私は、アッシュに嫌われたくないと思っている。


「僕の方こそ、お金は貰えませんよ」


 私を見上げてくる彼が、唇の端に苦笑を乗せた。


「最終的に、ネクロマンサーが編もうとしていた魔術を止めてくれたのはサニアさんですし、僕は助けられたようなものですから」


 落ち着き払った彼の物言いの裏にあるのは、謙虚さとは違う、切実さを含んだ卑屈さと慎みのように思えた。


 その彼の態度が、彼自身に対する自己嫌悪から出発したものであったとしても、私には好ましかった。


なぜなら私もまた、己の過去に対する嫌悪を胸に抱いて、此処にいるからだ。


 私と彼は、生きてきた時間や環境は違っていても、そこから形作られた内面の性質は、似通っているのではないか。


 私は、彼のことを知りたいと思った。そしてこの願いこそは、私のことを彼にも知って貰いたいという希望の裏返しであることも、気付かざるを得なかった。


「私は……、貴方に謝罪せねばなりません」


 ああ。そうか。

 この胸に灯った温度こそは――。


「貴方を侮るような物言いをしたことを、この場で詫びさせてください」


 私の言葉がよほど意外だったのか。


私の右頬と喉首の傷へと左手を添えているアッシュは、きょとんとした顔になって何度か瞬きをした。そして、すぐに眉を下げて首を振ってみせる。


「いえ、謝ってもらうようなことではありませんよ。僕が5等級であることは間違いないですし、冒険者としての実績も殆どありません」


 やはり彼は己を矮小化し、存在を薄めるような言い方をする。


彼がその気になれば、幾らでも実績など積み上げることが出来るはずだ。だが、彼はただ己自身に従って、その強さを利己的な手段に用いることはしなかった。


“僕にできることなら、助力は惜しみません”


 ローガン町長に向けられた彼のあの言葉は、彼自身の生き方の真実なのだ。その頑固さに付き合うように、私も少しだけ苦笑を漏らしてしまう。


「貴方は強いだけでなく、優しく、無欲でもあるのですね」


 そう評した私の言葉さえも、彼は素直に受け取ろうとはしないだろうと思った。その通りだった。


「……どうでしょうか。自分が優しいのか、無欲なのかということは、よく分かりませんが」と、彼は曖昧に応じてから、私を見上げて微笑んでみせる。


 そのあまりに無防備な表情は、私の心を強く打った。


「女神を模したゾンビが居住区に向かってきたとき、サニアさんは身を挺して、独りで止めようとされていました」


 アッシュに見詰められ、私は下唇を噛んだ。何かを言わねばならないと思ったが、唇が震えるだけだった。鼓動の高鳴りが私の喉を閊えさせている。


「誰よりも前に立ち、自分以外の誰かのために剣を振るおうとするサニアさんこそ、優しいひとなのだと思います」


 間違いなく、この時、この場所で受け取る言葉だからこそ、彼の言葉はこんなにも私の胸に響くのだろう。


「私は……」


言いかけた言葉を飲み込み、私は顔を上げた。だが、やはりアッシュを真っすぐに見れない。私の胸を、内側から鼓動が叩き続けている。


「もう夜明けですね」


私に治癒魔法を施しながら、アッシュが東の空を眺めやった。

雲間の向こうに、白みかけた空が覗いている。


 この長い夜も明けようとしている。


 もうすぐ、この時間が終わる。

 終わってしまう。


 私の頬に添えられた彼の手が、少しずつ離れていく。

 胸が軋むほどに、それが名残惜しい。たまらない。


 きっとこれからも、“剣聖”として戦い終えた私の孤独に、今日のこの時間は幾度となく思い出される予感があった。


いや――、戦いのときだけでなく、私の人生に刺しこまれる光景になるだろう。


 それを思うと、何故か涙が兆してくる。

苦しい。だが、手放したくない苦しみだった。

 

 一つの出会いで人生が変わったなどという言葉を、今まで私は疑っていた。一目惚れなどというものも信じていなかった。その日に出会ったばかりの他者に惚れるなど、軽薄な冗談でしかない。

 

 だが気付けば私は、私の右頬に添えられたアッシュの手を、左手で包むように触れていた。出会ったばかりであるはずの彼が、私の心の深い場所に棲みついてしまったのが分かる。

 

 生まれて初めての経験だが、この感情の正体は分かった。これがそうなのだと確信した。自覚は避けるべきだと思ったが、誤魔化しきれそうにない。


 私は、恋をした。








今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

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