第98話「マフィンの記憶」
閉店間際、暖簾をしまおうとした忍の耳に、控えめなドアベルの音が鳴る。
「……あの、まだ、やってますか?」
そこには、小柄な女性が立っていた。肩に乗るほどの小さな子どもを連れて。
「少しだけで、いいんです……甘いもの、ありませんか?」
「マサさーん、焼ける?」
忍が振り返ると、奥から顔を出したのは、いつも通り無口な板前・マサ。
だがその目は、どこか懐かしげに細められていた。
「……あるよ。ちょっとだけ、特別なやつ」
彼が奥の棚から取り出したのは、古びたレシピノート。
表紙には、かすれた文字で「pâtisserie Masa」と書かれていた。
そう――マサは、かつてパティシエだった。
ガスオーブンの前に立つと、迷いなく、そして丁寧に粉をふるう。
バターと卵とミルクの香りが、店内にふわりと広がる。
トッピングには、刻んだナッツと、少しだけ焦がしたチョコレート。
焼き上がったのは、ふんわりと優しいマフィン。
「……これ、パパの匂いと似てる」
子どもがぽそりと呟いた。
母親は少しだけ目を潤ませながら、マフィンを口に運ぶ。
「……ああ、懐かしい……なんだろう。涙が出そうな味……」
忍が静かに笑う。
「マサさんね、昔、有名なケーキ屋さんで働いてたのよ。何があったかは言わないけど、甘いものは――誰かの心を包むって知ってるの」
マサは照れたように、だがどこか誇らしげに、頷いた。
その夜、深夜食堂しのぶは、ふんわりと甘い香りに包まれていた。
誰かの記憶と、やさしさと、再出発の味――
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今日のレシピ:マサの特製マフィン
材料(6個分)
・薄力粉…150g
・ベーキングパウダー…小さじ1
・バター…60g(室温に戻す)
・砂糖…70g
・卵…1個
・牛乳…50ml
・チョコチップ&ナッツ…適量
作り方
1. ボウルにバターと砂糖を入れ、白っぽくなるまでよく混ぜる。
2. 卵を加えてさらに混ぜ、牛乳も加える。
3. 薄力粉とベーキングパウダーをふるって加え、ゴムベラでさっくり混ぜる。
4. チョコとナッツを加えて混ぜ、型に入れる。
5. 180℃に予熱したオーブンで約20分焼く。
ポイント
・甘さ控えめにしても、トッピングの香ばしさで満足感あり。
・朝食にもおすすめ。温めるとより美味しくなります。




