第94話:肉焼きそば
「肉焼きそば」をテーマに、実在のモデルに基づく“記憶の味”を軸にした一話をお届けします。
背景には「雨引観音(茨城県桜川市)」の風景と、土地に根ざした小さな食堂の記憶。そこに重なる『深夜食堂 しのぶ。』の静かな夜をご堪能ください。
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深夜0時を回った頃。
外はしとしとと小雨が降り続いている。
「いらっしゃい」
暖簾をくぐったのは、作業着姿の男。年の頃は四十代後半。肩に雨粒を残したまま、無言で腰を下ろす。
「……焼きそば、ある?」
「あるよ」
カウンターの中で立つ板前・マサが答える。
その後ろで湯呑みに茶を注いでいたのは、店のおかみしのぶ。黙って湯呑みを男の前に置いた。
「肉、のっけてもらっていいかな。薄いロース肉のやつ……あれが、食べたい」
マサは少しだけ目を見開き、ゆっくりとうなずいた。
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記憶の味を再現する
マサは鉄板に油をひき、ざく切りのキャベツと中華麺を炒める。味付けはソースのみ。シンプルで、潔い。
「肉は?」
「豚ロースの薄切り、軽く塩だけ。焼いて、あとで上にのっける」
「……わかってるじゃねぇか」
マサがニヤリと笑い、別のフライパンに豚ロース肉を並べた。ジュウ…と香ばしい音が立ち上る。
塩だけで焼いた豚肉は、脂がじわりとにじみ、香ばしく焼き上がる。
焼きそばの上にそっと「鎮座」させるようにのせて──完成。
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「はい、肉焼きそば。関東風で、ってことでいいんだろ?」
男──名は**斎藤 誠**は、黙って箸を取り、ひと口すすった。
「……これだよ」
豚肉の旨味とソース焼きそばが一体になるその味。だが、焼きそばはごくシンプル。キャベツの甘みとソースの香り。そこに乗る“塩だけ”で焼いた豚ロースが絶妙なバランスを保っている。
「昔、桜川ってとこで働いてた。雨引観音のふもとに、小さな食堂があってな。おばあちゃん2人でやってる、なんでもない店。だけど、そこの『肉焼きそば』だけは、忘れられない味でさ……」
雨音を聞きながら、斎藤はゆっくりと噛みしめた。
「そのおばあちゃんたち、まだ元気かね……」
「その味を忘れてないなら、きっと元気よ」
しのぶが静かに言った。
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レシピ:肉焼きそば(関東・桜川風)
材料(1人分)
中華蒸し麺……1玉
キャベツ……1枚(ざく切り)
焼きそばソース……大さじ1~1.5
サラダ油……適量
豚ロース薄切り肉……2~3枚
塩……少々
作り方
1. 中華麺を軽くほぐし、油を引いたフライパンでキャベツと一緒に炒める。
2. ソースを加えて全体をよく混ぜ、皿に盛る。
3. 別のフライパンで、塩だけで味付けした豚ロースを焼く(両面に焼き色をつける)。
4. 焼きそばの上に豚ロースをのせて完成。
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マサの一言アドバイス:
「肉は混ぜるんじゃねぇ。上に“のせる”んだ。主役はあくまで、焼きそばに宿る記憶」
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その夜、静かな雨音とともに、
遠い記憶の味が、もう一度舌に戻ってきた。
**『深夜食堂 しのぶ。』**は、そんな“忘れられない一皿”のために、今夜もひっそりと開いている。




