第85話『特大豚まん』
「……マサさん。今日、豚まんって……できます?」
ふらりと戸を開けて現れたのは、終電を逃したらしい若い女性客。
やや猫背で、両手でコートの襟をぎゅっと掴んでいた。
店主のマサは、一度うなずいて冷蔵庫を開けると、小麦粉の袋を取り出した。
忍さんが奥で湯を沸かしながら、客に熱燗をすすめる。
「今日は寒いしね。中華まん、ぴったりかもね」
女性の名前は、七瀬。
地方の演劇劇団に所属する、駆け出しの女優だ。
この店に来るのは2回目だが、前回も変わったリクエストをしていた。
「マサさんの包む豚まん……前に食べてから、忘れられなくて」
その一言で、忍の目元が優しくゆるむ。
***
生地を練る手際は、見惚れるほど静かで正確だった。
マサは丁寧に餡を包みながら、蒸し器を火にかける。
ふっくらと膨らんだそれは、両手で持つとちょうどずっしり重たい。
七瀬の目がキラキラと光った。
「……でかっ!」
湯気の立つそれに、かぶりついた瞬間。
口の中に広がる、肉の旨味と生姜の香り。噛むたびに、甘辛くとろける肉汁がじゅわりとあふれる。
「ん〜っ……これこれ!舞台が終わったあとの、この一口のために頑張ってるのかも……」
頬を赤く染め、幸せそうに笑う七瀬を見て、マサはほんの少しだけ目元を緩めた。
忍さんがさりげなく聞いた。
「舞台、どうだった?」
「……完敗。セリフ、飛ばしちゃった。でも……お客さん、拍手してくれたの」
七瀬の目に、涙の粒が光った。
そのまま黙って、残りの豚まんを大きくかぶりつく。
まるで、すべてを受け止めてくれる味。
食後、七瀬は小さく頭を下げて帰っていった。
戸が閉まった後、マサは手を拭きながらぽつりと言った。
「舞台の上も、きっと“厨房”と似てるんだな」
忍は笑って、熱燗をもうひとつ自分に注いだ。
「どっちも、一瞬の命だもんね」
***
【今夜のレシピ:特大豚まん】
● 材料(4個分)
強力粉:200g
薄力粉:100g
砂糖:大さじ2
ドライイースト:5g
ぬるま湯:約160ml
豚ひき肉:200g
玉ねぎ:1/2個
生姜:ひとかけ(すりおろし)
醤油:大さじ1
砂糖・オイスターソース:各小さじ1
ごま油:少々
● 作り方
1. 生地の材料を混ぜてこね、発酵(40分)。
2. 餡を混ぜて4等分、生地で包む。
3. 蒸し器で15分~20分、ふっくらするまで蒸す。
● アドバイス
生地はぬるま湯で、耳たぶほどの柔らかさがベスト。
餡にタケノコや椎茸を入れると食感が楽しくなる。




