第84話『ポークソテー』
夜11時をまわった頃だった。
「こんばんは……やってますか?」
扉を開けて入ってきたのは、30代後半くらいの女性。少し疲れた表情をしているが、仕事帰りに寄ったのだろう、スーツの上にカーディガンを羽織っていた。
「いらっしゃい。どうぞ奥の席へ」
カウンターの向こう、おかみの忍さんが優しく微笑む。その隣で、板前のマサさんが黙って一礼をする。
彼女は少し考えるようにメニューを見るが、すぐに顔を上げた。
「すみません、ポークソテーってできますか?」
マサさんが、わずかに目を見開き、うなずいた。
「甘辛く、ガツンとしたやつで」
「了解」
手際よく調理を始めるマサさん。にんにくと玉ねぎをバターで炒め、厚めの豚ロースをじゅうっと焼き上げる。生姜と醤油、みりんに少しの酒。タレが絡み、香ばしい香りが店内に広がる。
カウンター越しに忍さんが声をかけた。
「お疲れみたいですね」
「……はい。上司に叱られた帰りで。私、ずっとがんばってきたつもりなんですけど……空回りばっかりで」
「うちに来てくれたってことは、少しは息抜きしたかったんじゃない?」
彼女は小さく笑った。
「そうかもしれません。……あ、この匂い……すごく懐かしい」
「マサさんのポークソテー、男の人の胃袋つかむ味よ。元気出るから」
まもなく、ジュウジュウ音を立てた熱々の鉄皿が彼女の前に置かれた。こんがりと焼けた豚ロース、甘辛いタレが湯気を上げ、横には千切りキャベツとトマト、レモンが添えられている。
「いただきます……!」
ナイフで切り、一口。がっつりとした肉の旨味と、タレの甘辛さ、そしてほんのり香るにんにくの風味が一気に押し寄せる。
「……美味しい……泣きそう」
しばらく黙々と食べる彼女の目尻が、少し潤んでいた。
「……頑張り過ぎないで。ご飯くらい、ちゃんと噛んで味わってね」
忍さんの一言に、彼女は「はい」と頷いた。
「おかわり、していいですか?」
「もちろん」
そして彼女は、二杯目のご飯とともに、残ったタレまでしっかりぬぐい、皿を空にした。
「……少し、元気出ました。また来ていいですか?」
「もちろん。今度は笑顔でね」
扉が閉まると、マサさんが静かにまな板を拭いた。
「……ああいう人、多いよな」
忍さんはにっこりと笑った。
「だから“しのぶ”をやってるのよ、マサさん」
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ポークソテー・レシピとアドバイス
【材料】(1人前)
豚ロース(厚切り)…1枚
玉ねぎ…1/4個(薄切り)
にんにく…1片(みじん切り)
醤油…大さじ1.5
みりん…大さじ1
酒…大さじ1
砂糖…小さじ1
バター…5g
サラダ油…少々
塩コショウ…少々
【作り方】
1. 豚肉は筋切りし、塩コショウをふる。
2. フライパンに油を熱し、にんにくを炒めて香りを出す。
3. 豚肉を両面こんがり焼き、取り出す。
4. 同じフライパンで玉ねぎを炒める。
5. 調味料をすべて入れ、軽く煮詰める。
6. 肉を戻し、タレを絡めて完成。
【アドバイス】
・おろし玉ねぎやりんごを加えるとマイルドな味に。
・厚切り肉は火が通りにくいので、蓋をして蒸し焼きにしてもOK。




