第82話:鶏の香味土鍋ごはん
深夜0時をまわった頃、「深夜食堂しのぶ」に、ひとりの女性客がふらりとやってきた。
肩まで伸びた黒髪、スーツ姿にハイヒール。軽く疲れたような表情を浮かべて、暖簾をくぐる。
「いらっしゃい。おひとり?」
「……はい。すみません、今日、メニューにないの、お願いしてもいいですか」
奥から静かに現れたのは、無口な板前・マサさん。
その後ろから、穏やかな笑顔のおかみさん・忍さんが声をかける。
「メニューにないものほど、腕の見せどころですわ」
女性がゆっくり口にしたのは――
「鶏の、土鍋ごはん……みたいなもの、できますか?」
一瞬、マサさんの眉がわずかに上がった。それを合図に、厨房が静かに動き始める。
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鉄のフライパンに、塩コショウを振った鶏胸肉が置かれる。ジュウッという心地いい音。
皮がパリパリになるまで、じっくりと両面を焼く。
残った鶏油に、千切りの生姜と刻みネギを加えて、じわじわと香りを立たせる。
その香味油ごと、土鍋に移す。
焼いた鶏肉は、食べやすくカットされてから、白米の上に丁寧に並べられる。
あとは、火にかけて炊くだけ。
土鍋の蓋がふるえ、香りが店内にふわりと広がる。
***
「……お待たせしました」
ふたを開けた瞬間、ふわっ、と鶏と生姜の香りが湯気に乗って広がる。
「いただきます……」
女性は、ひとくち口に運び、言葉を失ったように目を見開いた。
カリッとした鶏皮、しっとりとした胸肉。
ネギと生姜の香味がごはんにしみて、まるで小さな贅沢のようだった。
「……すごく……優しい味。なんだか、泣きそう」
静かに、ごはんをかき込む。
誰も彼女には何も言わない。ただ、時折マサさんが湯呑みにお茶を注ぐだけ。
夜の深い静けさの中で、ひとりの人間が、少しだけ救われていく。
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レシピ:鶏の香味土鍋ごはん(1人前)
材料:
鶏胸肉:1枚
塩・コショウ:少々
生姜:1かけ(千切り)
ネギ:10cm(小口切り)
米:1合(30分前に浸水)
水:200ml
手順:
1. 鶏胸肉に塩コショウを振り、皮目からカリカリに両面を焼く。
2. 焼き終えた後の油で、生姜とネギを軽く炒める。
3. 土鍋に米、水、炒めた香味油を加え、カットした鶏肉を上に並べる。
4. 蓋をして中火にかけ、沸騰したら弱火で10分、火を止めて10分蒸らす。
5. 好みで醤油少々や刻み大葉、柚子胡椒を添えても美味。
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ひとことアドバイス:
鶏肉はモモでも代用可。炊き上がりにバター少し入れてもコクが出でます。




