第5話「親子丼」甘い玉葱は妻の味。
時刻は午前0時を回った頃。
看板の灯りが、夜の路地にやわらかく滲んでいた。
古びた暖簾をくぐると、漂う出汁の香りに、思わず肩の力が抜ける。
「……あったかい匂いだなぁ」
ドアを開けたのは、やせぎすの中年男。
ネクタイをゆるめ、ゆっくりとカウンター席に腰を下ろした。
「いらっしゃい」
おかみの忍さんが、ふんわりと微笑む。
奥の厨房では、板前のマサさんが黙々と鍋を洗っている。
「親子丼、できるかい?」
「あら、親子丼ね。マサさん、お願いできる?」
マサさんは軽く頷くと、冷蔵庫から鶏もも肉と卵を取り出した。
「……親子丼なんて、久しぶりだ」
男は、どこか懐かしそうにぽつりと漏らした。
「妻が……得意だったんです」
「よく、仕事が遅いと、夜中に作ってくれて……玉ねぎを甘く煮るのがコツだって、言ってました」
「……あの頃の匂いに、少し似てたもんで、つい」
忍さんは、黙ってそっと湯呑を差し出した。
温かいお茶が、心の奥まで染み渡るようだった。
やがて、マサさんが鍋の蓋をそっと開けた。
ふわりと広がる、出汁と卵のやさしい香り。
ご飯の上に、鶏肉ととろとろの卵が盛られ、最後に三つ葉が彩りを添える。
「……どうぞ」
無口なマサさんの、静かな声。
男は箸を取り、一口頬張る。
「……うまい……」
「……ああ……あの味だ。やっぱり、甘い玉ねぎが決め手だったんだな……」
そう言って、ぽつぽつと――
もういない奥さんの話をしはじめた。
忍さんは、ただ黙って相槌を打つ。
「ありがとう、なんだか、もう一度やっていける気がしてきたよ」
そう言って、男は勘定を置き、立ち上がった。
暖簾をくぐる背中に、忍さんがひとこと。
「また、お腹が空いたら……いらっしゃいね」
──深夜1時の、ちいさな奇跡。
今日もまた、深夜食堂しのぶに、
ひとつの温もりが灯った夜だった。
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本日のレシピ:とろとろ親子丼
材料(1人前)
鶏もも肉…100g(ひと口大)
玉ねぎ…1/4個(薄切り)
卵…2個(溶いておく)
三つ葉…少々(なくてもOK)
だし汁…100ml
醤油…大さじ1
みりん…大さじ1
砂糖…小さじ1
ご飯…1杯分
作り方
① 小鍋にだし汁・玉ねぎを入れて火にかけ、透き通るまで煮る。
② 鶏肉を加えて火を通し、醤油・みりん・砂糖で味を調える。
③ 溶き卵を流し入れ、半熟状になるまで火を止めずに待つ(鍋の蓋をするとふわっと仕上がる)
④ ご飯にのせて、三つ葉を散らして完成!
アドバイス
甘めが好きな方は、みりんや砂糖を少し多めに。
玉ねぎを焦がさず丁寧に煮ると、甘さが引き立ちます。