**第154話 『パンの味は、粉だけじゃない』**
深夜の静かな時間帯。
暖簾がゆっくり揺れ、ひとりの青年がカウンターに腰を下ろした。
まだ若い。二十代前半。
白い作業着用のパーカーに、薄く小麦粉がついている。
しのぶが湯飲みに温かいほうじ茶を注いだ。
「寒い中、いらっしゃい。」
青年は礼儀正しく頭を下げた。
「すみません…こんな時間に。
あの、自分…パン屋で働いてまして。」
マサが目を上げる。
「ほぉ。パン屋か。悪くねぇ世界だぞ。」
青年は少し困ったように笑った。
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◆ 青年の悩み
「はい…。でも、最近ちょっと悩んでて…。
料理って“食材が命”っていうじゃないですか?
パンも、やっぱり高い粉のほうが美味しいんでしょうか。」
しのぶが小さく頷く。
「確かに素材は大事。でも、それだけじゃないのよね。」
青年は真剣だ。
「店長が安い粉ばかり仕入れてきて…
“腕でどうにかしろ”って言うんですけど…
限界ある気がして…。」
マサがくくっと笑い、立ち上がる。
「ちょっと待ってな。」
しのぶが青年に、一言。
「マサね、元パン職人なのよ。」
青年の目が丸くなった。
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◆ マサ、自家製パンを取り出す
数分後、奥から戻ってきたマサが
温かい包みをカウンターに置いた。
「ノア・レザンだ。
胡桃とレーズンのパン。
たまに焼きたくなるんだよ。」
青年がそっと手に取り、ひと口。
レーズンの甘さ。
胡桃の香ばしさ。
噛むほどに広がる小麦の旨み。
青年は驚いたように目を見開いた。
「……すごい…。
なんていうか…粉そのものが美味しいみたいだ…。」
マサはタオルで手を拭きながら、ゆっくり言った。
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◆ マサの言葉
「いいか青年。
確かに高い粉は理屈抜きでうめぇ。
香りも違うし、扱いやすい。
でもな……
粉が安いからって不味くなるわけじゃねぇ。」
青年は息を呑む。
「パンは、生き物だ。
粉、水、時間、気温、手の温度…
全部で味が決まる。
そして一番大事なのは——」
しのぶが微笑む。
まるで長年聞き続けてきたセリフのように。
マサ
「焼くやつの“気”だよ。
パンは気を吸う。」
青年
「気…?」
マサ
「怒ってこねれば怒ったパンになる。
雑に丸めれば雑な味になる。
食うやつの顔思い浮かべて焼けば、
優しい味になる。」
青年は静かに目を伏せた。
胸の奥が温かくなる。
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◆ 青年の決意
青年
「……自分、粉のせいにしてました。
でも、もっと向き合える気がしてきた。
明日、またちゃんと生地触ってみます。」
マサ
「いいパン焼けるよ。
お前なら、まだ手が素直だ。」
しのぶ
「頑張りすぎず、でも諦めずね。」
青年は深く頭を下げた。
「ほんとに…ありがとうございました。
このパン…忘れません。」
暖簾が揺れ、青年が帰ると
食堂に香ばしいレーズンパンの香りだけが残った。
マサがひとつ溜息混じりに呟く。
「パンは…久々に焼いたけどよ。
やっぱ、いいよなぁ。
あいつの顔見たら、なんか焼きたくなっちまった。」
しのぶ
「……マサのパン、やっぱり人を救うわね。」
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**第154話・追記
『マサ直伝:ノア・レザンのレシピ』**
青年がパンを食べ終えると、
マサはカウンターにレシピノートを広げた。
「せっかくだから、俺流ノア・レザン教えとくか。」
青年は目を輝かせる。
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◆ マサ流 ノア・レザン(胡桃&レーズンのパン)レシピ
【材料・1本分】
強力粉 … 250g
砂糖 … 20g
塩 … 4g
ドライイースト … 3g
無塩バター … 20g
水(ぬるま湯)… 160〜170ml
ロースト胡桃 … 60g
レーズン … 80g
※洋酒漬けレーズンでも良い
※香り付けにバニラ少々も可(マサは入れないことが多い)
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◆ 作り方
① レーズンの下準備
マサ
「レーズンはそのまま使うと生地が乾く。
だから、さっと湯通しして水気切っとけ。
洋酒に軽く浸すのも手だ。」
② 胡桃をロースト
160℃で10分
粗く砕いておく
マサ
「胡桃は香ばしさが命。
ローストしないとパンに負けちまう。」
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③ 生地作り
強力粉・砂糖・塩・ドライイーストを入れ、
ぬるま湯を加えて混ぜる。
生地がまとまったらバターを加え、
滑らかになるまで10〜12分こねる。
マサ
「生地は“耳たぶよりちょい固い”くらいが目安だ。」
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④ 具材を混ぜ込む
生地がまとまったら、
胡桃とレーズンを手で押し込むように混ぜ込む。
しのぶ
「ここで手荒にしないのがコツよね。」
マサ
「おう。具材は宝石みてぇに扱え。」
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⑤ 一次発酵
温かい場所で 60分
生地が2倍に膨らめばOK
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⑥ 成形
ガスを抜き、丸め直し、
俵型(ロールパンのような形)にする。
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⑦ 二次発酵
30〜40分
生地が1.5倍になったら焼き準備
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⑧ 焼成
オーブンを 180℃ に予熱。
30分前後 焼く。
マサ
「あとは焼き色。“いい茶色”になったら完成だ。」
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◆ コツ・アドバイス
レーズンは水分をしっかり取る
胡桃は必ずロースト
発酵は焦らない
焼きたてより、冷めた時の香りが本番
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◆ シーンの締め
青年はノートにメモを取りながら、何度も頷く。
青年
「……マサさん。
こんなに詳しく教えてくれるなんて…。」
マサ
「パンは裏切らねぇ。
丁寧に焼けば、ちゃんと返してくる。」
しのぶ
「また悩んだら、いつでもおいで。」
青年は深々と頭を下げて、店を後にした。
その背中を見送りながら、
マサは小さく呟いた。
「次はブールでも焼いてやるか……。」
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