第126話:『時の旅人の願い』
その晩、「しのぶ」の灯りはふだんよりも、少しだけ早く点いた。
戸口に立っていたのは、例の2人――“時の旅人”。
未来から来たという、名もなき彼と彼女。
奇抜な装いに見えるが、どこか懐かしさすら感じる。
> 「こんばんは。マサさん、しのぶさん…
少しだけ、この店を“貸切”にできませんか?」
マサが煙草をくわえたまま目を細めた。
> 「……ここは、予約も貸切もやってねぇ。
けど、たまたま誰も来なけりゃ、そういうこともある」
彼女がそっと微笑む。
> 「ありがとうございます。
実は今、“時空の間”でこのお店、ちょっと話題なんです」
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深夜食堂「しのぶ。」が、未来で“伝説”に?
時の旅人の話によると――
未来の人間はもう、食べ物を「食べる」ことをやめてしまった。
体に必要なものはカプセルや合成栄養で補い、
「食事の時間」はただの懐かしい概念になってしまった。
だが、一部の“記憶を旅する者たち”が言う。
> 「この時代、『深夜食堂しのぶ。』という場所が、
食べることの“意味”を思い出させてくれると」
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願い:「最後の晩餐を“ちゃんと”味わいたい」
「私たちには、もう味覚がないんです。
でも……記憶だけは残ってる。
その記憶で“味わう”ことは、できるんです」
彼と彼女は、そう語った。
> 「だから今日は、記憶の中の味でいい。
――『最後の晩餐』、作ってくれませんか?」
しのぶが静かにエプロンを締めた。
「わかりました。
今夜は、“あなたたちのためのしのぶ。”になります」
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しのぶとマサが出した、“最後の晩餐”
1. 炊きたての白米
→ 湯気の立つ艶やかさ。未来にはない“香り”そのもの。
2. 卵焼き(出汁巻)
→ 優しく、甘さと塩気のバランスが絶妙な懐かしさ。
3. 味噌汁(豆腐とわかめ)
→ 味ではなく、“湯気”が記憶を揺さぶる。
4. 焼き鮭
→ 皮はパリッと、身はふっくら。朝の食卓を思い出す味。
5. おしんこ三種(たくあん・しば漬け・白菜)
→ 色と音と、咀嚼の記憶を蘇らせる。
6. そして最後に……「唐揚げ」
→ カリッとした歯ざわり、あふれる記憶の肉汁。
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味わうのではなく、“思い出す”
時の旅人の彼女が、箸を置きながら静かに言った。
> 「思いでの味……なのかなぁ。
でも今、“あの時の私”に、ちゃんと会えた気がします」
彼も、言葉少なに頷く。
「食べるって……、誰かと過ごした“時間”を味わう行為なんですね」
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最後にマサがぽつりと
> 「飯ってのは、
食い終わったあとに“残るもん”だ」
しのぶも静かに微笑む。
> 「たとえ味がわからなくても……
“一緒に食べた記憶”があれば、それでいいんです」
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しのぶ。は時を超える
その夜、「しのぶ。」の戸は一度だけ、“時の流れごと”閉ざされた。
カラン――と、鈴の音。
時の旅人は、また“次の時代”へと旅立っていった。
残された器と、湯気と、静けさ。
それは、この時代にしか残らない温度だった。




