第124話:『料理を楽しめない客』
真夜中、
カウンターに一人の男が座っていた。
30代後半、スーツはよれて、顔色も冴えない。
メニューを開きもせず、水も飲まず、じっと黙っている。
マサが火の前で煙草をくゆらせながら、ちらりと見る。
> 「……何か、出そうか?」
男は小さく首を振った。
「……なんでもいいです。味がしないんで」
その一言に、店内の空気が少しだけ、変わった。
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料理が「入ってこない」夜
「何を食べても、“味”がしないんですよ。
職場で揉めて、家も空っぽで、
なんか……食う気力も、ない」
しのぶは、静かに湯を沸かす。
少し迷ったあと――
棚の奥から“とっておき”のレシピ帳を取り出した。
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出されたのは、「肉じゃが」
牛肉は少し甘く、やわらかく煮込まれ
玉ねぎの甘さ、じゃがいものほくほく感
出汁と醤油と、微かな生姜の香りがふわり
黙ってスプーンを手にした男は、ひと口食べた。
……少し、動きが止まる。
「……うん。
なんか、……わかんないけど……
……少しだけ、“懐かしい味”がする気がする」
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マサの言葉
マサが静かに呟いた。
> 「味ってのはよ、
舌で感じるもんじゃねぇ。
心が開いてないと、何食っても、砂だ」
男は箸を置いた。
「……心が開くのって、どうすればいいんですか?」
マサは少し考えて――
出汁の鍋の火を止めた。
> 「とりあえず、
一杯、しのぶの味噌汁を飲め。
それで“今日が終わった”って思えるなら、
明日は違う味がするかもしれねぇよ」
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料理を「感じられない」時の一杯
しのぶの味噌汁(回復仕様)
だし:昆布と煮干しを合わせてじっくり
具:大根、油揚げ、わかめ
味噌:赤白合わせ味噌
→ 胃ではなく、“心”に温度が届く味
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料理が入ってこない夜も、ある
「料理が楽しめない夜」
「味がしない日」
「誰かの優しささえ、苦しくなる時」
そんな時に、
無理に「おいしいね」と笑わなくてもいい。
ただ、温かいものを受け取るだけでいい。
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最後にマサがぽつり
> 「うまくなくてもいい。
飯は、“明日も食うか”を決める一口でいいんだ」
しのぶは、優しくお椀を出す。
「あなたが“また食べたい”と思えるその日まで、
私たちは、ちゃんと“作って”待ってます」




